第十話「地球最後の夜 上」
残されたのはボク一人だった──。
どういう訳か、周囲は何もかもが真っ暗だ。三メートルほどの高さに天井があって、そこに取り付けられた四角い小窓から、強烈な日差し──あるいは、蛍光灯かもしれない──が差し込んでいた。直視できないくらいに眩しい。光は、その先に置かれた座席をスポットライトのように照らし、ボクはそこにぽつんと座っていた。
この座席はうちの店のものだ。ついさっきまで、対面には同級生の横瀬が座っていて、ツナサンドの隠し味を賭けたカードゲームに興じていた……はずだ。
美花や常連客、太宰も揃って、ゲームのくだらない勝敗を見守っていた。いつものように。
突然、ボーンという柱時計の音が鳴った。ボクは、目を凝らして辺りを見回してみたが、時計などどこにも見当たらない。虚ろな音色が重苦しい空気となって、そこらじゅうの床を埋めつくしていく。そして、ちょうど六つの刻を告げたところで、ぴたりと聞こえなくなった。
「そろそろ、閉店準備を始めるか……」セレニティの営業終了が迫っていた。しかし、ボクには、閉店はおろか何もすることができなかった。
……というか、ここはどこだろう。
◆
「なあ、これ、なんか隠し味とか入ってるか?」
横瀬は、ツナサンドを頬張りながらボクに聞いた。日はすっかり暮れ、閉店時間が近づいていた。店内の客は、いつもの常連三人だけだった。
「まあ、ちょっとした調味料は入れてるけど、隠し味ってほどでもないよ」ボクは答えた。
横瀬幸は小学校からのボクの同級生だ。なぜ〝から〟かというと、ボクらはそのあと、私立の一貫校へ進学して、そこでもずっと同級生だったからだ。さらに、大学も同じところへ進み、学部まで一緒だった。あまりに偶然過ぎて運命だという友人もいたが、そんな運命は願い下げである。
「何が入ってんのか教えてくれ! 頼む、茜」横瀬はそう言うと、胸の前で掌を合わせた。
横瀬はボクを下の名前で〝茜〟と呼ぶ。いまでこそ自分の名前に愛着があるが、多感な時期は、女性の名前みたいでなんとなく好きになれなかった。横瀬はこうした事情には無関心で、所かまわずボクを下の名前で呼び続けた。おかげで、それを聞いた友達から「お前、女みたいだな」と、何度からかわれたかわからない。まあ、その都度、助けてくれたのは横瀬だったのだが、原因を作っているのも横瀬なのだ。
「ふふふ、ダメ。企業秘密だから」ボクはニヤニヤしながら一蹴した。
「ねえ、美花ちゃんはバイトなんだからさ、知ってるでしょ。教えてよ」
横瀬は側にいた美花に詰め寄る。
「あたし、ツナは苦手だからわかんない。あんたらはネコなの!?」
美花は気怠そうな表情を浮かべ、カウンターの奥で洗い物を始めた。横瀬は、なおも美花に話し続ける。気のある女子に、すぐちょっかいを出す癖は小学校のときから変わらない。
「美花ちゃんは閉店作業で忙しいから、止めてあげて」ボクは助け船を出した。
「じゃあさ、勝負して勝ったら教えてくれよ、オレに隠し味」
「はぁ、なにそれ」ボクは、これまでの横瀬の言動に察しがついた。
「まさか、最初からそれが目的なのか!?」
同級生歴、十六年の洞察力は伊達じゃない。
「いや、隠し味を知りたいのはマジだよ。でも……いいじゃん。やろうよ『地球最後の夜』の対戦」
横瀬はそう言うと、足元に置いてあった赤いリュックからデッキケースを取り出した。
『地球最後の夜(The Last Night on Earth)』は、対戦型のトレーディングカードゲームだ。小学生の頃に大流行した。ボクらも当時、ドハマりしてデッキ構築の研究に明け暮れた。中学に上がる頃には下火になって、ボクはその辺りで興味を失っていた。
しかし、横瀬は違った。その後も、都内で開催される大会に出場しては、速攻を主軸にしたデッキを使って、数々の優勝をもぎ取っていた。界隈では「ヨコセ・ブリッツ」なる戦法を確立した実力者として、その名を馳せている。
「あのさ、めっちゃ勝ちに来てるじゃん。マジじゃん」ボクは言った。
要するに横瀬は、どうしても隠し味の正体を聞き出したいのだ。
「それだけじゃないよ。理由はわかんないけど、茜のしょうもないデッキと、久しぶりに対戦したくなったんだよ。昔みたいに」
「しょうもないとか言うな。あれでも、そこそこの勝率だったでしょ」
「小学生のときはな」横瀬は余裕の表情を浮かべた。
なんだか、だんだん腹が立ってきた。少なくとも『地球最後の夜』にハマったのは、こっちが先だ。対戦相手が欲しくて「一緒にやろう」と誘い、ゲームを教えたのもボクだ。つまりボクは横瀬の師匠に当たる。その師匠に向かって、あの態度はないだろう。
「わかった。勝負に乗ってやろう。で、お前が負けたら、何を差し出すんだ」ボクは気丈に言った。
「まあ、負けるはずないけどさ。じゃあ〝真実〟を教えるよ……。ディール?」
ボクは困惑した。一体、何の真実なんだ。横瀬はじっとボクを見つめている。ボクは十六年来の記憶から、真実の根となる〝疑念〟を懸命に掘り返した。しかし、どんなに掘り起こしても、何も見つからない。
そして、すごく長い沈黙の最後に、ボクは吐き出すように言った。
「ディール」




