第7話 助けたい女
平日の昼だった。
俺は神代先生の家にいた。
今思えば不思議な話だ。
初めてここへ来たのは付き添いだった。
それが気づけば普通に来ている。
理由はよく分からない。
先生も聞かない。
俺も考えない。
そんな感じだった。
───
「先生」
「はい」
神代先生は本を読んでいる。
「働いてます?」
先生はページをめくった。
「失礼ですね」
「いや平日の昼ですよ」
「そうですね」
「そうですねじゃなくて」
先生は少し考えた。
「働いています」
「何を」……沈黙。
「先生?」
「難しい質問ですね」
「簡単でしょ」
「私もよく分からないので」
「分からんのかい」
先生は本を閉じた。
「大学で講義をしたり」
「はい」
「企業研修をしたり」
「はい」
「原稿を書いたり」
「それ仕事ですよ」
「そうでしょうか」
「そうです」
神代先生は少し考えた。
「観察しているだけなんですが」
やっぱり変な人だった。
その時。
チャイムが鳴った。
───
玄関にいたのは女性だった。
四十代くらい。
少し疲れた顔をしている。
「石川恵と申します」
神代先生は頷いた。
「どうぞ」
──────
話は意外な内容だった。
「友人を助けたいんです」
俺は少し安心した。
事件ではないらしい。
「ご友人が困っている?」
「はい」
恵は頷く。
───
友人が最近離婚をした。
仕事も辞めた。
生活も苦しい。
それなのに。
何を申し出ても断られる。
お金も。
仕事の紹介も。
相談も。
全部。
「大丈夫」
と言われる。
「でも全然大丈夫じゃないんです」
恵は俯いた。
「見ていて苦しくて」
神代先生は黙って聞いていた。
「その方は助けを求めていますか」
恵が顔を上げる。
「え?」
「助けてほしいと言いましたか」
「いえ……」
「では何と言いましたか」
「大丈夫だと」
沈黙。
俺には少し冷たく聞こえた。
──────
話は一時間ほど続いた。
恵は本当に親切な人だった。
友人のために動いている。
心配している。
何とかしたいと思っている。
それは間違いない。
だから余計に分からなかった。
神代先生は何を考えているんだろう。
そして。
「石川さん」
先生が初めて背もたれに寄りかかった。
「助けたいんですか」
「はい」
「それとも必要とされたいんですか」
部屋が静かになった。
恵の表情が止まる。
俺も思わず先生を見る。
さすがに失礼だろ。
そう思った。
だが。
恵は否定しなかった。
「分かりません」
小さな声だった。
「昔から頼られることが多かったので」
神代先生は頷く。
「そうですか」
「私が何とかしなきゃって思うんです」
先生はしばらく黙っていた。
そして。
「相手が立ち上がる前に手を差し出し続けると」
「相手から見ると立ち上がる機会を奪われることがあります」
恵は何も言わなかった。
──────
帰り際。
恵は少しだけ笑っていた。
「ありがとうございました」
「いえ」
「少し考えてみます」
神代先生は軽く会釈した。
玄関が閉まる。
俺はすぐに言った。
「先生」
「はい」
「あれ言い過ぎじゃないですか」
「何がです」
「必要とされたいんですか、って」
神代先生は珈琲を飲む。
「そうでしょうか」
また始まった。
「助けたいだけかもしれないじゃないですか」
「そうかもしれません」
「じゃあ何で」
先生は少し考えた。
「田中くん」
「はい」
「あなたは頼まれると断れませんね」
俺は固まった。
「そんなことないですよ」
「そうですか」
「そうです」
なんでオレの話をいきなり?
「山口さんの時あなた……」
「……」
神代先生は即答した。
「付き添いでしたね」
俺は黙った。
確かにそうだった。
頼まれた。
だから行った。
ただそれだけだ。
「助けることは善意です」
神代先生が言う。
「はい」
「ですが」
「助けることで自分の価値を確認する人もいます」
俺は反論しようとして。
やめた。
---
なぜだろう。
言葉が出なかった。
神代先生は立ち上がる。
「ところで」
「はい」
「今日はお仕事は?」
嫌な予感しかしなかった。
「有休です」
「昨日も来ましたね」
「半休です」
「一昨日も」
「……」
先生は珍しく少し笑った。
「働いてます?」
今度は俺が黙る番だった。
先生と話すといつもこうだ。
依頼者の相談を聞いていたはずなのに。
気づけば自分の話になっている。
そして。
分かったつもりでいた自分のことが、
実は何も分かっていなかったことに気づかされる。
そんなことが少しずつ増えていた。




