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神代先生のお世話日誌  作者: 志に異議アリ


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第5話 その中にあるもの





神代先生の家には色んな人が来る。


悩んでいる人。

困っている人。

怒っている人。

泣いている人。


その日来たのは、少し変わった相談だった。


「甥のことなんです」

五十代くらいの女性だった。

きちんとした身なり。

佐々木由紀と名乗るその顔は

少し緊張で強ばっていた。


神代先生は珈琲を淹れていた。

俺はいつもの席に座っている。


「甥っ子さんがどうかされましたか」

神代先生が聞く。


由紀は少し言いづらそうに話し始めた。


「悪い子じゃないんです」


神代先生が顔を上げる。


俺はもう慣れていた。


先生はこういう言葉に反応する。


「ですが?」

先生が続きを誘う。

由紀は苦笑した。


「人から信頼されないんです」


俺は思わず首を傾げた。


「信頼?」


「はい」

由紀は頷く。


夫の会社に甥を紹介した。

真面目。

遅刻もしない。

仕事もきちんとする。

嘘もつかない。



なのに。

夫は言うらしい。


「あいつは昇進は難しい」


理由を聞くと。


「信用されてない」

それだけだった。


由紀には分からない。


「どうしてなんでしょう」

神代先生は少し考えた。


「ご本人とお話できますか」

それだけだった。


──────

数日後。


甥の佐々木健人がやってきた。

二十八歳。

礼儀正しい。

スーツ姿。

受け答えも問題ない。

正直。


俺には好青年に見えた。


「今日はありがとうございます」


「こちらこそ」

神代先生は静かに微笑む。


「お仕事はどうですか」


「頑張ってるつもりです」

最初の返答だった。


神代先生は何も言わない。

話は続く。


上司との関係。

同僚との関係。

将来のこと。


特に問題は見えない。


だが。

「評価はどうですか」


「悪くないと思います」


「仕事は好きですか」


「好きな方だと思います」


「後輩の指導は?」


「できていると思います」

俺は少しだけ違和感を覚えた。


全部。

思います。

つもりです。

たぶん。

そんな言葉ばかりだった。


面談が終わる。

玄関まで見送ったあと。

俺は言った。


「普通の人でしたね」

神代先生は珈琲を飲む。


「そうですね」


「どこが問題なんです」

神代先生は少し考えた。


「自分を信じていません」

俺は首を傾げる。


「え?」


「佐々木さんです」

意味が分からなかった。


「自信がないってことですか」


「少し違います」

神代先生は続けた。


「彼は自分の考えに責任を持っていません」

さらに分からない。


「責任?」


「何を聞いても断言しなかったでしょう」

言われて思い出す。

確かに。


『頑張っています』

ではなく。

『頑張っているつもりです』


『できています』

ではなく。

『できていると思います』

全部が曖昧だった。


「それが信頼と関係あるんですか」

神代先生は頷いた。


「あります」


「なぜです」


「人は言葉より先に態度を感じ取るからです」

先生は続ける。


「彼は無意識に逃げ道を作っています」


「逃げ道?」


「間違った時に傷つかないための」

俺は黙った。


神代先生は珍しく少し遠くを見る。

「子供の頃に何かあったのでしょう」


──────

その後。

佐々木さんと叔母の由紀と

もう一度会った。


今度は幼少期の話になった。

父親は厳しかった。

褒められた記憶は少ない。

何か言えば否定された。

間違えれば責められた。


だから。

断言しなくなった。


「そう思います」


「たぶん」


「つもりです」


その方が安全だったから。

それが何十年も続いた。


神代先生は静かに言った。


「あなたは間違うことを恐れています」

佐々木さんは俯いた。



しばらくして。

小さく頷いた。

「そうかもしれません」


初めて。

言葉に感情が乗った気がした。


──────

帰り際。

叔母は何度も頭を下げていた。


「ありがとうございました」

神代先生はいつものように軽く会釈するだけだった。



──────


「先生」


「はい」


「言葉だけでそんなこと分かるんですか」

神代先生は窓の外を見た。


「言葉だけではありません」


「じゃあ何です」

少しだけ間が空く。


「人は無意識に自分を守ります」


「はい」


「言葉にはその跡が残るんです」

街灯の光が流れていく。


「まるで足跡みたいに」


俺は少し考えた。

人の言葉なんて。

意味だけ聞いていた。

だが神代先生は違う。


何を言ったかだけじゃない。

なぜその言葉を選んだのか。

そこまで見ている。


先生と話すといつもこうだ。

毎回どこかで先生の言葉が胸に残る。

その時は分かったような気になる。


けれど数日後。

全く違う場面でふと思い出し、

もう一度考えたくなる。

そんなことが増えていた。



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