第20話 嵐の前
朝だった。
スマホが震える。
神代先生から通知が一件。
『今日は珈琲店でお願いします。』
俺は返信した。
『依頼じゃないですよね。』
すぐに返事が来る。
『依頼ですよ。』
……毎朝、先生がカマをかけてこないか確認する。
それが最近の俺の朝の仕事だった。
少し悔しい。
でも、少し安心した。
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店へ着くと、神代先生はいつもの席にいた。
「おはようございます。」
「おはようございます。」
席へ座る。
「今日は依頼人ですか。」
「はい。」
「どんな人です。」
「来れば分かります。」
それ、最近多いな。
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しばらくすると、一人の女性が入ってきた。
四十代前半。
落ち着いた雰囲気だった。
「初めまして。」
「高木亜希と申します。」
神代先生は静かに会釈する。
「神代です。」
「田中です。」
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話を聞く。
相談は意外なものだった。
「主人が。」
少し言いづらそうにする。
「最近、誰も信じなくなったんです。」
「誰も?」
「家族も。」
「友人も。」
「職場の人も。」
「テレビも。」
「新聞も。」
「全部。」
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「何かきっかけが?」
神代先生が尋ねる。
「分かりません。」
「でも最初は外のことからでした。」
「次は会社。」
「その次は近所。」
「今では私まで疑われています。」
俺は少し考えた。
「何か裏切られたことがあったとか。」
「ありません。」
「だから困っています。」
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翌日。
俺は神代先生と一緒に、ご主人の職場を訪れた。
取材という形で何人かに話を聞く。
「真面目な人ですよ。」
「仕事も丁寧です。」
「最近少し神経質かなとは思います。」
悪い評判は出てこない。
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帰り道。
俺は言った。
「先生。」
「はい。」
「奥さんが大げさなんじゃないですか。」
神代先生は少し考えた。
「そうかもしれません。」
珍しい返事だった。
「でも。」
「気になることがあります。」
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夜。
神代先生の家だった。
ボイスレコーダーを何度も聞き返す。
突然、神代先生が再生を止めた。
「田中くん。」
「はい。」
「皆さん、同じ言葉を使っています。」
「最近、ですよね。」
「ええ。」
神代先生は頷く。
「ですが、『最近』は便利な言葉です。」
「便利?」
「原因が分からない時、人は時間を曖昧に表現します。」
俺は首を傾げた。
神代先生は静かに続ける。
「ですから。」
「『最近』ではなく。」
少し間を置く。
「最後に、ご主人らしかった日はいつかを今度聞いてみましょう。」
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翌日。
高木さんともう一度会った。
神代先生は同じ質問をした。
「最後に、ご主人らしかった日はいつですか。」
高木さんは考え込む。
「……そう言われると。」
しばらく沈黙が続いた。
やがて、小さく顔を上げる。
「半年前です。」
「旅行へ行った帰りまでは、いつも通りでした。」
「その翌週。」
「主人のところへ投資詐欺の電話があって。」
「危うく騙されるところだったんです。」
「警察へ相談して、大事にはなりませんでした。」
少し俯く。
「でも。」
「今思えばその頃からでした。」
「『騙されないように。』」
「『誰も信じるな。』」
そう言うことが増えていったんです。」
神代先生は静かに頷いた。
「原因がわかれば後は対処するだけですよ。」
──────
数日後。
専門医を受診した高木さんから連絡があった。
早い段階で気付けたことで、少しずつ以前の生活を取り戻し始めたという。
「ご連絡ありがとうございました。」
神代先生は静かに頭を下げた。
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電話を切った後、
しばらく思い耽る先生に聞いた。
「先生。」
「はい。」
「今回。」
「原因が分かるまで時間がかかりましたね。」
「ええ。」
「先生でも。」
「そりゃ、ありますよ。」
少し笑う。
「人は。」
「一つの出来事だけでは変わりません。」
「積み重ねがあります。」
俺は頷いた。
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先生の家を出ようとした時に
癖で無意識にポストを見る。
一枚の封筒が入っていた。
差出人はない。
家に戻り、神代先生に渡す。
中には。
新聞記事が一枚。
五年前の記事だった。
企業情報漏えい事件。
それだけ。
「先生。」
「何ですか。」
「知ってる事件ですか。」
神代先生は記事を見る。
少しだけ考える。
「いいえ。」
封筒へ戻した。
引き出しへしまう。
「間違いでしょう。」
そう言った。
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一週間後。
また届いた。
今度は別の記事。
ある学校で起きた集団退職。
神代先生は何も言わない。
引き出しへしまうだけだった。
「先生。」
「はい。」
「気持ち悪くないですか。」
「そうですね。」
それだけだった。
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夜。帰宅しようとした陸の耳に
チャイムが鳴る。
「俺、出ます。」
玄関を開ける。
誰もいない。
足元を見る。
名刺が一枚だけ落ちていた。
拾い上げる。
表には。
榊原玲司
危機管理コンサルタント
名前
電話番号のみ。
裏は真っ白だった。
「先生。」
神代先生が来る。
名刺を見る。
数秒。
黙ったまま。
「知り合いですか。」
「いいえ。」
「じゃあ誰です。」
神代先生は静かに首を振る。
「分かりません。」
引き出しへ名刺をしまう。
その横には。
二通の新聞記事。
三枚は並んだ。
俺は妙な胸騒ぎがした。
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深夜。
高層ビルの一室。
机の上には、一冊のファイル。
表紙には。
『神代 隼人』
一人の男が名刺入れを閉じる。
穏やかな笑みを浮かべながら、小さく呟いた。
「ようやく、お名前と顔が一致しました。」
窓の外には街の灯りが広がっていた。
「さて。」
「本物かどうか。」
男は静かに席を立つ。
その机の上には、まだ渡されていない名刺が一枚だけ残されていた。




