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神代先生のお世話日誌  作者: 志に異議アリ


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20/21

第20話 嵐の前





朝だった。


スマホが震える。


神代先生から通知が一件。


『今日は珈琲店でお願いします。』


俺は返信した。

『依頼じゃないですよね。』


すぐに返事が来る。

『依頼ですよ。』


……毎朝、先生がカマをかけてこないか確認する。


それが最近の俺の朝の仕事だった。


少し悔しい。

でも、少し安心した。


────────


店へ着くと、神代先生はいつもの席にいた。


「おはようございます。」


「おはようございます。」

席へ座る。


「今日は依頼人ですか。」


「はい。」


「どんな人です。」


「来れば分かります。」


それ、最近多いな。


────────


しばらくすると、一人の女性が入ってきた。


四十代前半。

落ち着いた雰囲気だった。


「初めまして。」


「高木亜希と申します。」

神代先生は静かに会釈する。


「神代です。」


「田中です。」


────────


話を聞く。


相談は意外なものだった。


「主人が。」

少し言いづらそうにする。


「最近、誰も信じなくなったんです。」


「誰も?」


「家族も。」


「友人も。」


「職場の人も。」


「テレビも。」


「新聞も。」


「全部。」


────────


「何かきっかけが?」

神代先生が尋ねる。


「分かりません。」


「でも最初は外のことからでした。」


「次は会社。」


「その次は近所。」


「今では私まで疑われています。」

俺は少し考えた。


「何か裏切られたことがあったとか。」


「ありません。」


「だから困っています。」


────────


翌日。


俺は神代先生と一緒に、ご主人の職場を訪れた。


取材という形で何人かに話を聞く。


「真面目な人ですよ。」


「仕事も丁寧です。」


「最近少し神経質かなとは思います。」

悪い評判は出てこない。


────────


帰り道。

俺は言った。


「先生。」


「はい。」


「奥さんが大げさなんじゃないですか。」

神代先生は少し考えた。


「そうかもしれません。」

珍しい返事だった。


「でも。」


「気になることがあります。」


────────


夜。

神代先生の家だった。


ボイスレコーダーを何度も聞き返す。


突然、神代先生が再生を止めた。


「田中くん。」


「はい。」


「皆さん、同じ言葉を使っています。」


「最近、ですよね。」


「ええ。」

神代先生は頷く。


「ですが、『最近』は便利な言葉です。」


「便利?」


「原因が分からない時、人は時間を曖昧に表現します。」

俺は首を傾げた。


神代先生は静かに続ける。

「ですから。」


「『最近』ではなく。」

少し間を置く。


「最後に、ご主人らしかった日はいつかを今度聞いてみましょう。」


──────

翌日。

高木さんともう一度会った。


神代先生は同じ質問をした。


「最後に、ご主人らしかった日はいつですか。」

高木さんは考え込む。


「……そう言われると。」

しばらく沈黙が続いた。


やがて、小さく顔を上げる。

「半年前です。」


「旅行へ行った帰りまでは、いつも通りでした。」


「その翌週。」


「主人のところへ投資詐欺の電話があって。」


「危うく騙されるところだったんです。」


「警察へ相談して、大事にはなりませんでした。」

少し俯く。


「でも。」


「今思えばその頃からでした。」


「『騙されないように。』」


「『誰も信じるな。』」


そう言うことが増えていったんです。」

神代先生は静かに頷いた。


「原因がわかれば後は対処するだけですよ。」


──────

数日後。


専門医を受診した高木さんから連絡があった。


早い段階で気付けたことで、少しずつ以前の生活を取り戻し始めたという。


「ご連絡ありがとうございました。」

神代先生は静かに頭を下げた。


────────


電話を切った後、

しばらく思い耽る先生に聞いた。


「先生。」


「はい。」


「今回。」


「原因が分かるまで時間がかかりましたね。」


「ええ。」


「先生でも。」


「そりゃ、ありますよ。」

少し笑う。


「人は。」


「一つの出来事だけでは変わりません。」


「積み重ねがあります。」

俺は頷いた。


────────


先生の家を出ようとした時に

癖で無意識にポストを見る。

一枚の封筒が入っていた。


差出人はない。

家に戻り、神代先生に渡す。

中には。

新聞記事が一枚。


五年前の記事だった。

企業情報漏えい事件。

それだけ。


「先生。」


「何ですか。」


「知ってる事件ですか。」

神代先生は記事を見る。


少しだけ考える。

「いいえ。」

封筒へ戻した。


引き出しへしまう。

「間違いでしょう。」

そう言った。


────────


一週間後。

また届いた。


今度は別の記事。

ある学校で起きた集団退職。

神代先生は何も言わない。


引き出しへしまうだけだった。

「先生。」


「はい。」


「気持ち悪くないですか。」


「そうですね。」

それだけだった。


────────


夜。帰宅しようとした陸の耳に

チャイムが鳴る。


「俺、出ます。」

玄関を開ける。


誰もいない。

足元を見る。


名刺が一枚だけ落ちていた。

拾い上げる。


表には。


榊原玲司

危機管理コンサルタント

名前

電話番号のみ。


裏は真っ白だった。


「先生。」

神代先生が来る。


名刺を見る。


数秒。

黙ったまま。


「知り合いですか。」


「いいえ。」


「じゃあ誰です。」

神代先生は静かに首を振る。


「分かりません。」

引き出しへ名刺をしまう。


その横には。

二通の新聞記事。

三枚は並んだ。

俺は妙な胸騒ぎがした。


────────


深夜。

高層ビルの一室。


机の上には、一冊のファイル。

表紙には。

『神代 隼人』

一人の男が名刺入れを閉じる。


穏やかな笑みを浮かべながら、小さく呟いた。


「ようやく、お名前と顔が一致しました。」

窓の外には街の灯りが広がっていた。


「さて。」


「本物かどうか。」

男は静かに席を立つ。


その机の上には、まだ渡されていない名刺が一枚だけ残されていた。





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