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神代先生のお世話日誌  作者: 志に異議アリ


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21/21

第21話 榊原玲司




この日も静かな朝だった。

チャイムが鳴る。


まだ珈琲も飲んでいない。

こんな時間に依頼人か。

俺は玄関へ向かった。


ドアを開ける。

一人の男が立っていた。

四十代半ばくらい。

濃紺のスーツ。

穏やかな笑顔。

威圧感はない。


それなのに。

どこか隙がなかった。


「おはようございます。」

柔らかな声だった。


「神代先生はいらっしゃいますか。」


「いますけど。」

男は名刺を差し出した。


榊原玲司

危機管理コンサルタント。


昨日、玄関に落ちていた名刺と同じだった。


「先生。」

俺が声を掛ける。


神代先生が玄関へ来た。

名刺を見る。

静かに会釈する。


「初めまして。」


「神代です。」

男も笑う。


「初めまして。」


「榊原です。」

二人は初対面だった。

少なくとも。

俺にはそう見えた。


──────


リビングへ案内する。

俺は珈琲を淹れた。

神代先生が口を開く。


「本日はご相談でしょうか。」

榊原は首を横に振った。


「いいえ。」

少し笑う。


「相談ではありません。」

その一言だけで。

部屋の空気が変わった気がした。


「では。」

神代先生が尋ねる。


「どういったご用件でしょう。」

榊原は珈琲へ目を落とした。


「先生を見に来ました。」

俺は思わず顔を上げる。


「先生を?」


「ええ。」

榊原は頷く。


「長年、興味がありました。」

神代先生は表情を変えない。


「私にですか。」


「はい。」


「なぜでしょう。」

榊原は少し笑う。


「それを知りたくて来ました。」

沈黙が流れる。


俺だけが落ち着かない。


こんな依頼人。

いや。

依頼人ですらない人は初めてだった。


榊原が言う。

「新聞記事は届きましたか。」

神代先生は頷く。


「届きました。」


「読まれましたか。」


「ええ。」


「共通点は。」

神代先生は少し考えた。


「ありました。」


「ぜひ。」

榊原は促す。


「どれも。」

神代先生が言う。


「人の心を見誤った結果、起きた事件です。」

榊原は微笑んだ。


「半分正解です。」

初めてだった。

神代先生が分析される側は。


少しだけ黙った。

「もう一つあります。」


榊原は静かに続ける。

「全部。」


「ふせげた事件です。」


俺は思わず聞いた。


「誰がです?」

榊原は俺ではなく。

神代先生を見た。


「神代先生なら。」

俺は先生を見る。


先生は首を横に振った。


「それは違います。」

即答だった。


「私は人を救う仕事ではありません。」

榊原は黙って聞いている。


先生は続けた。

「私は人間心理を学んでいます。」


「本人も気付いていない考え方や感情を整理する。」


「それだけです。」


「決めるのは本人です。」


「歩くのも本人です。」


「私は何も変えていません。」


榊原は小さく頷いた。


「その答えを聞きたかった。」


先生は尋ねる。


「なぜです。」

榊原は少しだけ目を細めた。


「先生。」


「あなたと話した人は。」


「皆、人生を変えています。」

先生は静かに答える。


「変えたのは本人です。」


「私は何もしていません。」


「ですが。」

榊原は言う。


「きっかけは。」


「先生ですよね。」

先生は首を横に振る。


「違います。」


「人は。」


「変わる準備ができた時にしか変われません。」


「私は。」


「その瞬間に立ち会っただけです。」

榊原は笑った。


嬉しそうにも見えた。

「安心しました。」


俺は思わず聞く。

「何がです。」


榊原は俺を見る。

「神代先生は。」


「噂通りでした。」


「噂?」

俺が聞き返す。


「ええ。」


「だから。」

少し間を置く。


「ようやく、お名前と顔が一致しました。」

榊原は満足そうに右腕の腕時計へ目を落とした。


「……時間ですね。」

そう小さく呟くと、もう用事は終わったと言わんばかりに静かに立ち上がった。

玄関まで見送る。


榊原は靴を履きながら言った。

「今日は確認だけです。」


「確認?」

俺が聞く。


「ええ。」


「思っていた通りでした。」

先生が尋ねる。


「何がでしょう。」

榊原は振り返る。

穏やかな笑顔だった。


「あなたは本物です。」

少しだけ間を置く。


「だから。」


「いずれ壊れます。」

そう言って。

静かに帰って行った。


ドアが閉まる。

しばらく誰も話さなかった。

俺は耐えきれず言う。


「何なんですか。」


「……あの人。」

神代先生は珍しく。

すぐには答えなかった。


窓の外を見る。

そして静かに言った。


「分かりません。」


その一言が。

俺には一番意外だった。

先生にも。

分からない人がいる。


「ですが。」

先生は珈琲を一口飲む。


「もう一度。」


「会う気がします。」

俺は苦笑した。


「できれば。」


「外れてほしい勘ですね。」


神代先生は何も答えなかった。

その沈黙だけが。

妙に胸に引っ掛かった。




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