第19話 嘘をつかない男
スマホが震えた。
朝八時。
通知は一件。
神代先生だった。
『今日はスーツで来てください。』
珍しい。
さらに続く。
『少しだけ頭を使います。』
いつも使ってるだろ。
俺は返信した。
『休みの日に頭まで使わせるんですか。』
すぐ既読がつく。
『安心してください。』
嫌な予感しかしない。
『私も使います。』
安心できなかった。
────────
待ち合わせは駅前ではなかった。
大きな法律事務所。
ガラス張りの高層ビル。
場違いだった。
「先生。」
「はい。」
「帰りません?」
「依頼人が待っています。」
「俺の心も帰りたがってます。」
神代先生は首を傾げた。
「そうですか。」
そうですかじゃない。
────────
応接室へ案内される。
現れたのは四十代の男性。
紺色のスーツ。
無駄のない動き。
名刺を差し出した。
橘 恒一。
企業法務専門弁護士。
「初めまして。」
「神代です。」
「田中です。」
橘は二人を見る。
「心理カウンセラーへ相談するのは初めてです。」
────────
珈琲が運ばれてくる。
橘が話し始めた。
「依頼人について相談があります。」
「どのようなご相談でしょう。」
「私は今。」
少し間を置く。
「ある横領事件の弁護をしています。」
俺は思わず姿勢を正した。
「依頼人は犯人なんですか。」
橘は頷いた。
「ほぼ間違いありません。」
「証拠もあります。」
「ですが。」
少し苦笑する。
「一度も嘘をつかないんです。」
────────
意味が分からなかった。
橘は資料を差し出す。
取り調べの記録だった。
『あなたがお金を盗みましたか。』
『いいえ。』
『会社の口座から送金しましたか。』
『はい。』
『送金先はあなたの口座ですか。』
『いいえ。』
全部。
本当だった。
「ですが。」
橘が言う。
「送金した事実はあります。」
「結果として会社のお金は消えました。」
────────
「何か隠してるんですね。」
俺が言う。
橘は頷く。
「ええ。」
「ですが。」
「嘘はありません。」
「質問に正確に答えているだけです。」
俺は黙った。
神代先生も何も言わない。
────────
しばらく沈黙が続いた。
橘が口を開く。
「先生なら。」
「何が分かりますか。」
神代先生は静かに答えた。
「分かりません。」
俺は思わず神代先生を見た。
橘も少し驚いた顔をした。
「珍しいですね。」
「ええ。」
神代先生は資料を閉じる。
「今日は答えがありません。」
────────
事務所を出る。
俺は我慢できなかった。
「先生。」
「はい。」
「本当に分からなかったんですか。」
「ええ。」
「先生にもあるんですね。」
「あります。」
少し歩く。
「考える時間は必要です。」
────────
その夜だった。
俺は家で資料を見返していた。
先生から渡されたコピー。
質問。
答え。
質問。
答え。
何度読んでも違和感しかない。
「……。」
ふと。
先生が今まで言った言葉を思い出す。
期待。
誤解。
決めつけ。
証拠。
全部。
"答え"じゃない。
"質問"だった。
俺は資料をもう一度見た。
そして止まる。
「違う。」
思わず声が出た。
「答えがおかしいんじゃない。」
「質問がおかしい。」
────────
翌朝。
俺は先生の家へ向かった。
チャイムを鳴らす。
「先生!」
ドアが開く。
「おはようございます。」
「違います!」
「質問です!」
神代先生は少しだけ驚いた。
「はい。」
「『盗みましたか』じゃない。」
息を整える。
「『何のために送金しましたか』って聞けばいいんじゃないですか。」
神代先生は黙った。
数秒。
珍しく。
本当に考えていた。
やがて。
少しだけ笑った。
「よく気付きましたね。」
初めてだった。
先生に褒められた。
少し照れくさかった。
「たまたまです。」
「そうでしょうか。」
────────
その日の午後。
再び法律事務所。
橘も席に着いていた。
神代先生が言う。
「一つだけ。」
「質問を変えていただけますか。」
橘は頷く。
依頼人へ向き直る。
「あなたは。」
「何のために送金したのですか。」
男は少し俯いた。
そして静かに答えた。
「社長に命じられました。」
部屋が静まり返る。
「会社を守るためです。」
────────
その後の調査で。
事件は大きく動いた。
送金先は社長の裏金管理口座だった。
依頼人は。
横領犯ではなく。
命令を受けた実行者だった。
橘は深く息を吐いた。
「質問を変えただけで。」
「事件が変わりました。」
神代先生は頷くだけだった。
────────
帰り道。
夕焼けだった。
俺は先生の隣を歩く。
「先生。」
「はい。」
「今日。」
少し照れながら言う。
「俺の方が先に気付きました。」
「そうですね。」
「悔しくないんですか。」
神代先生は少しだけ考えた。
「嬉しいですよ。」
「何でです。」
「助手ですから。」
照れくさくて前を向いた。
しばらく歩く。
すると神代先生が言った。
「ですが。」
「はい。」
「まだ半分です。」
「半分?」
「答えには気付きました。」
少し間。
「次は。」
「質問を作れるようになってください。」
俺は苦笑した。
「先生。」
「はい。」
「宿題、多くないですか。」
神代先生は少しだけ笑う。
「田中くん。」
「はい。」
「成長していますから。」
……その一言だけは。
ちょっと嬉しかった。




