第16話 怒ってしまう父
スマホが震えた。
目を開ける。
朝七時。
嫌な予感しかしない。
通知が三件。
全部神代先生だった。
『田中くん』
『起きていますか』
『相談があります』
休みの日に人を呼び出すのは労基に訴えられるぞ。
いや、俺がやりゃいいのか。
そう思いながら返信した。
『まだ寝てます』
一秒で既読がつく。
『起きてるじゃないですか』
……。
──────
神代先生の家へ着く。
玄関を開けると珈琲の香りがした。
「おはようございます」
「おはようございますじゃないですよ」
「休みですよ今日は」
神代先生は首を傾げる。
「今日は土曜日ですね」
「知ってるなら休ませてください」
「依頼人も土曜日しか来られません」
ぐうの音も出なかった。
──────
依頼人は四十代の男性だった。
名前は小林慎一。
四十二歳。
営業職。
スーツ姿だったが、ひどく疲れて見えた。
「ご相談を」
神代先生が言う。
小林は深く頭を下げた。
「息子に怒鳴ってしまいます」
珈琲を勧めながら話を聞く。
小学三年生の息子。
宿題をしない。
片付けない。
嘘をつく。
その度に怒鳴る。
時には机を叩く。
すると息子は泣く。
妻にも責められる。
夜になると後悔する。
翌朝謝る。
そして。
また怒鳴る。
「最低ですよね」
小林は笑った。
笑えていなかった。
──────
「やめたいですか」
神代先生が聞く。
「もちろんです」
「原因は分かっていますか」
「短気だからです」
即答だった。
神代先生は少し考えた。
「睡眠時間は」
「五時間くらいです」
「休日は」
「家族サービスです」
「趣味は」
「ありません」
「食事は」
「昼はコンビニです」
質問は続いた。
俺は首を傾げた。
怒る話じゃなかったのか。
「小林さん」
神代先生が言う。
「あなたは短気ではありません」
小林が顔を上げる。
「え?」
「疲れています」
静かな声だった。
「怒りは感情です」
神代先生は続ける。
「ですが」
「我慢する力は体力です」
部屋が静かになる。
「体力が減れば」
「感情は漏れます」
小林は何も言えなかった。
「怒らない人ではなく」
「怒れないほど疲れている人もいます」
「その逆もあります」
「疲れているから怒ってしまう人です」
神代先生は珈琲を置いた。
「まず寝てください」
小林は苦笑した。
「そんなことで変わりますか」
「変わらないかもしれません」
「ですが」
「疲れたまま自分を責めても変わりません」
──────
数週間後。
小林から連絡が来た。
残業を減らした。
休日は一人で散歩する時間を作った。
睡眠時間も一時間増えた。
息子に怒鳴らなくなったわけではない。
だが。
怒鳴る回数は半分になったらしい。
手紙の最後にはこう書かれていた。
『変わったのは息子ではなく、私の眠気でした。』
──────
俺は神代先生に聞いた。
「先生」
「はい」
「今日の答え、意外でした」
「そうでしょうか」
「心理学じゃなくて生活習慣でしたよね」
神代先生は少し考えた。
「心と体は別々ではありません」
「なるほど」
「ですから」
「睡眠不足で怒っている人へ性格を直しましょうと言うのは」
「熱がある人へ根性で治してくださいと言うようなものです」
俺は思わず笑った。
「先生」
「はい」
「たまには植木より先に睡眠を俺にも勧めてください」
神代先生は少しだけ笑う。
「次からそうします」
たぶん。
しない。




