異世界転移(※)
「そもそも君はどうしてこんなところまで来てしまったのかね?」
「それはですね──」
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「ふー、今日も一日疲れたな……」
駅を出て、歩きながら独り言が漏れた。
独り言が出るのは寂しい証拠、と聞いたことがある。マジで疲れてるんだろうな、俺。
思えば最初の就職をしくじったのが運の尽きだったな……。二度目の就職も失敗して、それからバイトを転々として三十五歳の今は派遣社員だ。
独身だし彼女もいないし、友達だってろくにいない。いや故郷に帰れば親兄弟も昔の友人もいるけどね? 距離も時間も離れちゃってて没交渉だ。
徒労感のせいで暗い考えばかりが頭に浮かぶ。俺の人生、このままでいいんだろうか……。
出会いもなく別れもなく、刺激もなく楽しみもなく、ただアパートと職場を往復して眠るだけ……それで一日が終わる。
このまま死ぬまでの長い道のりをとぼとぼ歩くだけの日々が続くのだろうか。
……とか、そんなことを考えていたのが悪かったのかもしれない。
帰り道の途中で鳥居が目についた。こんなところに神社があったのか? 今まで気がつかなかったな。
俺はふらっと、吸い寄せられるように鳥居をくぐっていた。
石段の上の小さなお宮には明かりもついていなかった。都会の淀んだ空に昇る月の下で境内は暗く、神社の名前も祭神の説明も読めない。
電気も来ていないくらいだから電子マネーには当然対応していないようで、古い賽銭箱が一つあるだけだ。現金持ってたかな……。
俺は財布を探ってなけなしの千円札を取り出した。俺の手取りで賽銭に千円というのは安い金額じゃなかったがこれしかなかった。
ガラガラと鈴を鳴らして賽銭箱に千円札を入れて、頭を下げて手を叩く。この際神頼みでも縋りたい。
「えー、中島大地と言います。人生が行き詰ってるので何とかしたいです。健康で長生きしたいです。旨いメシも食いたいし可愛い彼女も欲しい! あ、犬も飼いたいな。アパートと会社を往復するだけの人生なんて嫌だ、もっと自由に生きたい。行ったところがないところに行ってみたいし、見たこともないものを見てみたい。刺激が、人生に張り合いが欲しいんです。ここはひとつ、よろしくお願いいたします──」
お願い事を口にして、そのままじーっと、一分か二分くらい頭を下げていただろうか。……はっ、寝落ちするところだった。やべーな、本格的に疲れてる。
俺はもう一礼して神社に背を向けた。そりゃこんなお願いしたって叶うわけないんだけどさ、気分の問題だよ。マジで閉塞感が酷いから。口に出したらちょっと楽になった。気分だけじゃなくて現実も楽になって欲しいけど。あーあ、宝くじでも当たらねえかな……。
などと考えながら足を踏み出した瞬間、俺は階段を踏み外した。いや踏み外したというか階段が消失した。足元にぽっかり開いた暗がりの中に俺は落ち込んでいた。
「うおっ!」
一瞬の暗転の後、俺はドサッと草っ原に転げていた。体を起こして辺りを見回してみたが景色にまるで見覚えがない。今の今まで神社にいたはずなのに周りは一面草と畑で、遠くに森が見える。
ここはどこだ?
いやおかしいだろ、場所もだけどさっきまで夜だったはずだ。なのに見上げれば青空が広がっている。東京のそれとはまったく違う澄んだ色だ。そうだ、臭いも違う。排ガスや埃じゃない、土と踏み潰した草の青臭い匂いが漂っている。
俺は現在地を検索しようとスマホを──ああっ! スマホがない! どこにもない! パンパンパン、ポケットというポケットを叩いてみたけどハンカチしかなかった。財布もないし時計もないしカバンもない。
俺はよろめきながら立ち上がって、途方に暮れた。
マジでどこなんだよ……。ここは絶対に東京じゃない。それどころか日本かどうかも怪しい。ヨーロッパの田舎みたいな風景だ。今の一瞬でいったい何があったんだ。あれか、異界に迷い込むオカルト的な何かか?
やべえ、メチャクチャ焦るんだけど。俺は今どこにいるんだ? 俺の荷物はどこに行ったんだ? どうしよう……って、こうしていても仕方がない。向こうの方に町のようなものが見える。とりあえずあそこに行ってみよう。
俺は町を目指してフラフラ歩き出した。
近寄ってみるとそこはやはり町だった。簡素な柵の向こうに街並みが続いている。人も歩いている。
でもこの人たち、どこの国の人なんだろう? 髪の色も肌の色も顔つきも体型もどこの人とも言い難い。あれだ、世界中の人種が混血したらこんな感じになるんじゃないか? 少なくとも日本人ではない。
彼らが着ているのは前前前世紀くらいのヨーロッパの農村を彷彿とさせるものだった。俺は場違いなスーツ姿で目立ちまくっていて道行く人たちからジロジロ眺められていた。居心地が悪いなあ……。
「おい、お前。ちょっといいか?」
──とか思ってたら呼び止められた。
日本語……? いや、日本語じゃないな。でも何故か言ってることがわかる。
声を掛けてきたのは二人組の男だった。お揃いの外套と帽子で決めている。制服なのかな? 何となく兵士か警官っぽい雰囲気がする。
俺は神妙に答えた。
「なんでしょうか」
「見ない顔だな。服もだが。お前、どこから来た?」
「東京からです」
「トーキョウ? どこだ、それは」
とりあえずこちらの言葉も通じるようだ。東京は知らないみたいだけど。少しほっとして、俺は二人にすがりついた。
「それが、気がついたらここにいて……。あの、ここどこですか? 正直困ってるんですが」
「ここはアサカの町だ」
「赤坂?」
「いや、アサカ。ネイマー王国の外れの町だ」
「練馬?」
「いや、ネイマー」
「どこすか、それ」
さっぱり聞き覚えがない。外国のどこかの地名か、それ。
困惑していたら二人組は次第に表情を変えた。何だか気の毒そうな顔をしているな……?
「ああ、お前もしかして転移者か?」
「転移者? 何ですか、それ」
「たまにいるんだよ、お前みたいなのが」
「ついてこい。今のお前は不法入国者だが、転移者だとしたら別の処遇があるからな」
二人組に挟まれてついて行くというか連行されて行くと、町並の奥にさらにもう一つ壁があった。こちらはしっかりした石組みだ。壁の中にはまた一層古びた建物が立ち並んでいて、俺は中でもひと際古い建物に案内された。
「これは何ですか?」
「『神殿』だ」
俺がさっきまでいたのも神殿だったな。こっちは神社より西洋の教会の方が近いけど。
中にいた黒いローブの男に二人組が「司祭様はいらっしゃいますか」と声を掛けると、男はまた別の黒ローブを引っ張ってきた。こちらは初老の男性だ。どうもこれが司祭という人らしい。
彼は俺に向かって手をかざした。すると俺の全身がぼんやり赤い光に包まれた……!
「うわっ、何だこりゃ⁉」
「転移者で間違いないようです。後はこちらでお引き受けいたしましょう」
司祭という男がそう言うと二人組は「よろしくお願いします」と頭を下げて帰って行った。
俺は奥の部屋に案内された。司祭と向かい合わせて椅子に座ると、最初の黒ローブが木のコップを運んできた。勧められたので飲んだら白湯だった。
ひと息ついたら司祭が尋ねてきた。
「あなたのお名前は?」
「中島大地です」
「どちらからいらっしゃったのですか?」
「どちらというか、ここはどこなんですか? 本当に東京じゃないんですか?」
「違います。希にですがあなたのような方がいらっしゃるのです。ここではないどこか別のところから、神の思し召しによって」
「別のところ……?」
「神託によれば『別の世界』ということです。そういう方を我々は転移者と呼んでおります。こちらの資料によれば、この辺りに前回現れた転移者はプロイセンという国から来たのだと、そのように記されております」
手元の冊子を眺めながら司祭さんはそう言った。
「プロイセンにせよそのトーキョーにせよ、こちらにはそのような国はございません」
……なんてこった、どうやら俺は日本どころか地球ですらないところに来てしまったようだった。
全身から力が抜けて、俺はくたくたっと椅子にもたれかかった。元々疲れ果てていたところに衝撃的な話を聞いて、精神が耐えられる限界を超えた。
マジかよ……。つけてた時計、ローンで買ったばっかだったんだが。冷蔵庫に鶏肉入ってるのに腐っちまうよ。部屋の鍵もねえし……。電気もガスもそのまんまだし。あ、そうだスマホ。スマホもないんだった。あれこそ止めないと。というか履歴見られたら死ぬ。すっからかんの財布はともかくカバンには資料が入っていた。あれも社外の人には見られたくない。派遣とはいえ仕事投げっぱなしだよ。ここんとこ顔見てないとはいえ失踪ということになれば親だって──まあ、それはいいか。
何とかして帰らなきゃ、とは思ったんだが……。どうやったら帰れるものやら皆目見当もつかなかった。
「あの、どうやったら戻れるんですか?」
聞いてみたんだけど司祭さんは首を横に振った。そういうジェスチャーは同じなんだな。
「戻れたという話は存じません。その、お気の毒ですが、お戻りになるのは諦められた方がよろしいかと……」
「そんな……」
「転移者というのは慣例的に神殿の預かりとなっておりまして、当面の住居は支援いたしますしこちらの常識も教えて差し上げます。ゆくゆくはこちらでの生活の基盤をお作りになることをお勧めします」
確かに……。戻るのを諦めるつもりはないんだが、とりあえず目の前のメシを何とかしないと帰る前に死にそうだ。
司祭さんは神官の宿舎の片隅に部屋を貸してくれた(神に仕える人は神官で、その中でも神殿の責任者を司祭というそうだ)。疲労とショックで色々と限界だった俺は泥のように眠った。
神殿の人たちはみんな親切で、俺の境遇を憐れんでいろんなことを教えてくれた。
俺は彼らに教わりながら働き口を探してみた。とりあえず飯は食わせてもらったんだがいつまでも世話になりっぱなしというのも申し訳ない。
日本だろうと異国だろうと、どこの世界も俺みたいな下流のやることは同じだな。とはいえ派遣社員だった俺にできる仕事なんていくらもなかった。
結局俺は一番派遣に近い仕事についた。『冒険者』というやつだ。
この町の周辺にはいくつかの『ダンジョン』という危険地帯がある。人類に敵対的な魔物や怪現象が集中しているところをそう呼ぶそうだ。
で、そういうところには人間の領域には産出しない珍奇な、あるいは有益な物品が存在する。そういうものは高値で取引されているそうで、一獲千金のチャンスがあるってわけだ。
なのでダンジョンがあるところには探索を生業とする人種、いわゆる冒険者と呼ばれる連中が集まっている。
俺はその仲間入りをした──と言ってもみんながみんないつもダンジョンに挑戦しているわけじゃない。装備品が壊れたけど修理するにも金がないとか、ダンジョンまで行く元気がないからとりあえず日銭を稼ぐとか、そういう時のための仕事もいくらでもある。日雇いの土木作業とかな。
俺はあちこちを訪ねて戻る方法を探しながら、概ねドブさらいや荷運びなどの単純労働で暮らしていた。
ところで、冒険者には同業者組合がある。『冒険者ギルド』というやつだ。そこでは冒険者になるための登録とか仕事の斡旋とかをしてくれるし、初心者には講習みたいなこともしてくれる。
で、俺が異世界から来た転移者だと言ったら『スキル』というものについて教えてくれた。
「お前、何のスキルを持ってるんだ?」
「スキル? なんのこと? 資格のことか?」
「転移者じゃ知らねえよな。俺たちには当然なんで説明が難しいんだが、例えばこういうのだ」
受付の男は手のひらを上に向けた。するとそこにポッと光の玉が現れた。電球みたいに光るものがあるわけじゃない、光そのものが手のひらの上に浮かんでいる。男がそれを投げ上げる動作をすると光はスッと天井付近まで移動して、受付カウンターを明るく照らした。
「おお、すげえ」
「こんな感じだな。魔力を消費して特殊な効果を得る能力のことだ。ちなみにこれは【ライト】ってスキルだ」
「魔法みたいなもんか?」
「魔法? 魔術や法術はまた別だな。とにかく誰でも生まれつき固有のスキルを持ってるんだよ。転移者だってこっちに来た時にもらってるはずだぜ」
「え、俺にもあるの?」
「スキルについて考えてみな。何か思い浮かぶはずだぜ」
「おう。スキル、スキルな……」
言われた通りスキルについて念じてみると……頭の中に一つの名前が思い浮かんだ。
「お、【毒無効】ってのがある!」
「ほー、いいスキルもらったじゃねえか」
男は感心したように言った。
「んで、何の役に立つの、これ」
「冒険者にとってはいいスキルだぞ? 腐ったものを食っても当たらねえし、お前がパーティーにいたらモンスターの毒にも耐えられるようになる」
「なるほど。……あ、ホントだ」
男の説明を受けたらスキルの効果もまた自然と理解できた。このスキルがあると自分自身はあらゆる毒が効かなくなるし、またパーティーを組んだ仲間にも効果が波及するようだ。
「ちょうどいいや、森に行くパーティーがいるから紹介してやるよ。スキルは使ってるうちに似たようなスキルが派生していくからな。頑張れよ」
この町の近くの森の一つ、『フォレスタ大森林』は森林型ダンジョンだ。俺には普通の森との区別がつかないんだが、何だか魔力というエネルギー的な概念が濃密で、モンスターや毒のある生き物が多いらしい。
ここには普通の森にはない素材──例えば薬草とか毒草とかが豊富にある。この世界でも薬というのは金になるようで、実入りのいいダンジョンのようだ。
ところが、この森のモンスターは大抵毒を持っている。それが探索の障害になっている。
まさに毒無効スキルの独擅場ってわけだ。
俺は戦闘では足手まといだけど荷物持ちくらいはできるし、何より毒を受けないってのは魅力のようだ。俺はいろんなパーティーに臨時で入れてもらって森に潜り込んだ。
「どうもお世話になりました」
何とか収入のめどがついた俺は宿を借りて神殿を退去した。宿って言っても日雇い労働者用の集合住宅の、物置みたいな小部屋だけど。
「お元気で」
「頑張ってくださいね」
「我々も元の世界へとお戻りになる方法について調べてみたのですがわかりませんでした。力及ばず申し訳ございません」
「もしかしたらですが、ハイラーナ大神殿の祭祀長様ならご存知かもしれません」
「ありがとうございます!」
神官たちは最後まで親切だった。よし、そのハイラーナ(この国の首都だ)とやらに行ってみよう。まあまずは旅費を溜めないと、なんだけど。
「おはようございまーす!」
俺は冒険者ギルドに顔を出した。冒険者の時間はまちまちなので、挨拶は朝でも夜でも「おはよう」だ。
「おお、おはよう」
「今日は森に行くパーティー、いる?」
「ちょうどお前を待ってた奴らがいるぜ」
受付に行ったら三人組のパーティーを紹介された。
「お、お前がタイチか? 今日は頼むわ」
パーティーリーダーが右手の拳を突き出したので、俺は左手の拳を合わせて親指同士をくっつけた。すると俺たちの体は淡い光に包まれた。これがパーティー加入の儀式だ。
「よろしく!」
「よろしくな。お前がいたらこれまで行けなかったところまで行けそうだ」
よし、帰還目指して頑張るぞ!
……冒険者になって三か月目のことだった。うん、『三日、三か月、三年』っていうもんな。いろんな状況に当てはめられる言葉だけど、車の運転で言えば事故に遭いやすい時期だ。つまり慣れて油断が出る時期なんだな。
俺はまさに油断した。
「今回はかつてないほど奥まで来たな。これもタイチのスキルのおかげだ」
「それだけの価値はあったぜ。見ろよ、この戦利品の数々を! これもタイチのスキルのおかげだ」
「全部タイチのスキルのおかげだ。ありがとな」
「いや、それほどでも」
口々に褒められて俺は照れた。
そう、俺は気づいていなかった。今回組んだパーティーは補給の限界を超えて森の奥へと踏み込んでいた。まともにはどうあっても帰れない距離まで。
そういうとき役に立つのが【ポータル】という魔術装置だ。この装置を使うとあらかじめ設定した別のポータルへと空間を超えて移動することができる。他のパーティーと組んだ時に何回か使ったことがあるから知っていた。
ところがこのポータル、魔道具専門店で買えるんだが、なかなか高い。しかも一度に移動できる人数によって値段が跳ね上がっていく。
今回俺がパーティーを組んだ連中は四人用のポータルを用意できなかったようだ。
「悪いなタイチ、この帰還ポータル三人用なんだ」
気づいたときには遅かった。三人が少し離れてひそひそ話をしているな、と思ったらポータルが発動していて、駆け寄る俺の手が届くより早く空の彼方に消えていた。
「嘘だろ……」
一人取り残された俺は呆然と立ち尽くしていた。




