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エルフの森のもぎたてアンブロシア

 腹が減った……。


 コカトリスを食べてから一日。俺はまたも飢えていた。途中で変な蔦を切って水をチューチュー吸った(もちろん毒だ)だけで、それ以外は何も口にしていない。シロもうつむき加減で俺の後ろをとぼとぼついてきている。

 夜の森は真っ暗で動けなくなって、木のうろに隠れてシロと一緒に眠ったけど、それ以外はずっと歩きっぱなしだ。でも物音に怯えてそのたびごとに木陰に隠れていたせいで、掛けた時間と比べたらいくらも進んでいない。方向が本当にこっちで合っているのかもわからないし。


「ひっ!」


 また足元でガサガサ音がして俺は飛び跳ねた。腐った落ち葉の上を這いずるものがあった。

 ……うえっ、でっかいムカデだ。五十センチくらいあるぞ。おまけにぶっとい。何でか知らんけどこっちに向かってきたので頭を踏んずけて押さえた。


「……」


 俺はさすがに躊躇していた。……これ、食えるんだろうか?


「……」


 ムカデは足の下でウゾウゾ蠢いている。逃れようとしてジタバタあがいている。正直気持ち悪い。

 食いたくない……。指で輪を作って覗いてみたけど案の定毒だ。でも他に獲れそうなものは見つからない。このままだと飢えて死にそうだ。


「……くぅぅぅ!」


 長い葛藤の末、俺はナイフを振り上げた。


 俺は無心で殻を剥いた。うう、気持ち悪い。でも白くてプヨプヨの身がエビみたいに見えなくもない。そう思おう。

 また火を焚いて、串に刺して焼いてみた。自分のは塩を振って、シロのは味なしで。暫定エビの身が火に当たってきゅーっと縮こまっていく。


「では覚悟を決めて……いただきます!」


 俺はエビもどきを食べた……!

 ……。

 まっず……。なんか落ち葉の臭いというか泥臭いし。食感も妙にブヨッとして、しかも口の中でネチャネチャする。あのバナナの葉っぱを持って来ればよかった……。

 俺は心を殺して食べた。シロも心底嫌そうな顔で、歯を剥きだしにしてクッチャクッチャと食べていた。




 ムカデを食べてから五、六時間。俺の腹はまたまた飢餓を訴えていた。

 な、何でもいい……。何か、何か食べるものはないか? できればムカデ以外で。


 その時、視界の端をかすめて動くものがあった。そっちに顔を向けるとそいつはピタッと止まった。

 木の幹に貼りついたそいつは、巨大なクモだった。でっかい。足を広げた大きさが五十センチくらいある。


 ……。食えるのか? 本当に食えるのか、これ。


 いや、食えるか食えないかじゃない、食べるんだ。ムカデなんかを食べたんだ、もう何も怖くないぞ! それにクモはチョコレートみたいな味がするって聞いたことがある。ムカデよりはマシに違いない。


 俺はクモをナイフで一突きにして木の幹に縫い留めた。クモはギィギィと関節を軋ませて大暴れした。傷口から緑がかった汁がグジュグジュ染み出てくる。うう、気持ち悪い。

 数分もかけて動きがだんだんゆっくりになって、ようやく止まった。


 俺はクモの脚を切り外してたき火に突っ込んで焼いた。あれだよな、カニの親戚みたいなもんだよな? 焼きガニだと思おう。胴体はいつも通りシロにやった。

 焼き上がった脚は香ばしい感じがしないでもなかった。……いや香ばしくないよ、焼いた髪の毛みたいな臭いがするよ。


「では行くぞ、カニもどき実食! いただきます!」


 ……。誰だよ、クモがチョコレート味だなんて言ったのは……。

 メッチャえぐい。それに表面に生えてる細かい毛の舌触りが最悪だ。シロも顔を歪めて半泣きで食べていた。




 それからさらに進んだら沼を見つけた。泥色の汚い水の底に何かいるようで、水面近くで身を翻した黒い影が見えた。うーん、水……。喉は乾いてるけど、飲みたくない。

 その時、森の中から沼へと走り込むものがあった。俺はとっさにそいつを踏んづけていた。

 足の下にいるのはカニだった。姿は沢ガニに似てるけど沢ガニにしちゃ随分とデカい。タラバガニくらいある。そいつは沼の中に逃げ込もうとすごい力でもがいていた。


 ま、クモよりはマシだろう。カニだもんな。俺は沢ガニをサクッと仕留めて、脚を外して焼いて食べた。クモと同じくたき火に突っ込んで。

 バキッと関節を折ってナイフで殻を割ると中から白い繊維が出てきた。うん、カニだな。カニっぽい。


「いただきます……」


 うう、まずい……。えぐい上に泥臭い上に、生き物の死体の臭いまでしやがる。不快な臭気が鼻から目まで突き抜けてボロボロ涙が出る。クモよりムカデより不味い。シロは臭いをひと嗅ぎして首をブンブン振って、食べるのを断固拒否した。


 クソ、絶対に生きて帰ってやる……。こんなものまで食ったんだ、死んでたまるか!

 絶対生きて帰って、あのクズ共の目に物を見せてやる!




 それからさらに何時間進んだろうか? 俺はもう限界だった。足元がフラフラして目も霞んできた。


 突然視界が開けた。


 森が切れて空が見えていた。そこは綺麗に整備された庭園の趣だった。陰鬱な森の木々とは違う健康な樹木が計算された間隔で植えられていた。それらの枝にはたわわに果実が実り、さっきまでの沼と泥と落ち葉の臭いから一転してかぐわしい香りが漂っていた。


 こんな腐った森の奥になんでこんな清浄な世界が? まるで桃源郷じゃないか。


 俺はフラフラと果樹園に足を踏み入れた。木々になっている果実は桃のようだった。なんていい香りなんだ……。思わず手にしたら簡単に取れてしまった。

 一応毒鑑定してみると青く光った。食えるみたいだ。俺は震える爪の先をへたのくっついたところの皮に突き立てた。皮はプツッと簡単に破れた。その皮を引っ張ったら綺麗に剥けた。

 おお、なんて瑞々しさだ……。こうやって持っているだけでも実自身の重さに押されて果汁がにじみ出てくる。そしてその香りと来たら……!

 もう食用だとか毒だとか関係ない。俺はほとんど無意識のうちに桃にかぶりついていた。


 ……っ!


 や、柔らかい……! 噛まずとも口の中に含んだ瞬間勝手に溶けてゆく、そのくらい柔らかい。

 で、その溶けだした液体が圧倒的に甘い。また甘さの中にあるほんのわずかな、それと気づかない程度の酸味が甘味をさらに際立たせている。

 そして何より、その匂い! あれだよな、桃の香りって果物の中でも最高のものの一つだよな。その香りが極まっている。

 例えばこうだ。最高の桃の果樹園がある。その年最高の桃を一つその中から選んで、時間の止まった壷の中に入れる。それを百年続ける。百年目にその封を開いたら、百年分の桃の香りが一気に流れ出てくる──そういうイメージだ。それくらい濃密な匂いが口と言わず鼻と言わず一気に突き抜けた。


 これは旨い。控えめに言っても、今まで食べた果物の中で一番旨い!


 足元から小さな声が上がった。シロがパタパタ尻尾を振って、何とも切ない顔で俺の手の中の桃を見ていた。

 確か野生の狼は割と何でも食うはずだ。アメリカではブルーベリーとか食ってるらしい。この世界の狼が地球と同じかわからんけど。あ、でも確か食えない果物あったよな、何だっけ……。いや今は毒無効だから大丈夫か。


「お前も食うか?」


 別の桃を取って皮を剥いて、顔の前に突き出してやった。シロは匂いも嗅がずにかぶりついて、一瞬動きを止めた。そして猛然と咀嚼し始めた。

 何とも旨そうだ。そしてあっという間に食べてしまうとニカッと笑った。

 俺は笑顔のシロの前足を掴んでグルグル回った。アハハ……ここが天国だ!


「食べちゃダメっ! それ毒ぅ!」


 果樹園の端から綺麗な高い声が上がった。口調は不穏だったけど。俺はシロを抱えて声の主を見た。


 ──ワオ。すっごい美少女がそこにいた。

 年齢は十六、七歳くらいか? 繊細な金髪で、その髪から横に長い耳が突き出していて、澄んだ青い瞳をまんまるに見開いている。そんな表情でもメチャ可愛い。百点満点で二百点の顔だ。胸はちっちゃいけど。


 すげえ、これがエルフってやつか! そういう生き物がこの世界にはいるんだと、聞いてはいたけど実物は初めて見た。エルフってめったに人里に出てこないそうだから仕方ないけど。


 それはともかく、俺は少女に反論した。


「毒じゃないって知ってるんだぞ。俺にはそれを判別するスキルがあるからな」

「そういうのじゃなくてぇ!」


 二人して騒いでいたら大勢の気配が押しかけてきた。


「なんだ?」

「どうした?」


 わっ、すげえ! 美形集団のお出ましだ! 果樹園の入り口にエルフがたくさんいる。芸能界とかそういうレベルじゃなかった。やはり天国か、ここは。

 エルフたちは口々に騒いでいた。


「この人間、アンブロシアを食べちゃったの!」

「あちゃー……」

「アンブロシア、食べてしまったんですか?」

「やってしまいましたなあ」

「これは大変なことだと思うよ」

「な、何だよ?」

「まあいいからちょっと来なさい」


 俺とシロはエルフの大群に取り囲まれて、そのまま連行された。



 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇



 俺は最初に会った少女の家に案内されていた。


「うちのお父さん」

「父だ」

「あ、どうも。遭難者です」


 父親と名乗ったエルフは親と言うだけあって少女とよく似ているけど、異様なほど若かった。人間で言えばどう見ても二十歳そこそこの見た目だ。どっちかというと兄妹に見える。


「そして私があの果樹園の管理者だ。君、大変なことをしてしまったな」


 見た目の割に口ぶりは重々しかったけど。俺は頭を掻きつつ謝った。


「あー、あれあんたが育ててたのか? 勝手に食ったのは悪かった。申し訳ない」

「そういうことではない。あれは人間には過ぎた代物なのだ」

「というと?」

「エルフは生まれつき【長生】というスキルを持っている。また成長期が終わると【不老】というスキルも手に入れる。我々は元々君たちとは時間の感覚が違う生き物だ。だからあれを食べても平気なのだ」


 うん、この人、いや人じゃなくてエルフか。こんな見た目だけどどうも結構長生きしているみたいだ。人生の先輩だな? スキルのことも詳しそうだし。何となくかしこまって聞いてしまった。


「あれ、スキルの配布ってランダムなんじゃないんですか?」


 俺は冒険者仲間からそのように聞いていた。でもエルフは首を横に振った。


「それは人間の誤解だ。スキルには種族ごとに先天的に持っている共通スキルと、個人へと後天的に与えられる固有スキルとがある。ランダムなのは固有スキルで、種族ごとの共通スキルは固定だ。人間には共通スキルがない故にそのように誤解しているのだ」

「種族格差がえぐい!」

「君たちは元々この世界の住人ではない故に共通スキルがないのだ。それはともかくとして、君が食べた果物はエルフの間ではアンブロシア、ドワーフには蟠桃、人間には生命の果実と呼ばれているものだ」

「はあ、桃じゃなかったんですね」

「似ているが別の作物だ。アンブロシアは食べた者に我々のものと似たスキルを与える。今は君にもあるはずだ。確認してみるといい」


 言われた通り考えてみると、頭の中にいくつかのスキルが浮かんだ。あ、知らないスキルが追加されてる。


「【健康】【美容】【長寿】【若返り】【老化耐性】なんてのがありますね」

「そのために君はエルフに近い性質を手に入れた。おそらくは五百年程度の寿命を得たはずだ」


 うむむ……。いや、これってすごくね? 若くて健康でメッチャ長生きできるんだろ? しかも俺は毒も効かないし。これって無敵じゃね?

 俺は思わずガッツポーズしていた。


「健康に五百年も生きられるのか! やったぜ!」


 しかし、喜ぶ俺の前でエルフは静かに首を振った。渋い顔をしていた。


「薬も過ぎれば毒となる。人間の精神では長寿には耐えられない故に食べることを禁止していたのだ」

「……と、言いますと?」

「長寿を得たのは君だけで、周りの人間たちはそのままだということだ。──いいか、君はこの先の人生で様々な人と出会うだろう。結婚して家族を得る機会もあるかもしれない。やがて子供たちは成長し、妻も親も年老いてゆく。友人知人もだ。その中で君だけがいつまでも若い」


 あれ、何となく不穏な雰囲気が漂ってきたぞ?


「あれはそれこそ五百年ほど前のことだったか……。その時も道に迷ってここまでやってきた人間の男がいたのだ。彼は相当腹を減らしていたようでアンブロシアをむさぼり食べた。気の毒にもな」

「えーっと、気の毒と言いますと……。その人、どうなったんですか?」

「帰りたいというので人間の町まで送りはしたが……気になってな、時々見に行ったのだよ。彼には妻子がいたが、その後七十年も経つと先立たれてひとりぼっちになってしまった。彼の見た目は若かったが、人間の社会の移り変わりは速い。世代が変わってしまえば共通する話題がなくなり、同じような見た目の相手とは話が通じなくなっていたようだ。いつまで経っても年を取らないことで気味悪がられ、敬遠されてもいたしな。彼は孤独だった──そして孤独は人を駄目にする。彼は次第に無感動になり、百年が過ぎた辺りで鬱症状を呈した。孫に先に死なれたのが相当に辛かったようだ。見るに見かねてこの村への移住を勧めたのだが、その時にはもう住居を移そうという気力も失っていたよ。そして二百歳を迎えた頃『あと三百年もこの人生が続くのか』と絶望して自殺を図った。ナイフで心臓を刺したり首を切ったり毒を飲んだりしたのだが、スキルのせいでなかなか死にきれなかった。最後には三日三晩首を吊り続けてようやく死ぬことができた。哀れな話だ」


 話を聞いているうちに寒気がしてきた。多分鏡を見たら顔が真っ白なんじゃないかと思う。【美容】スキルの効果ではなくて。血の気が引いてる感じがする。

 俺は恐る恐る尋ねてみた。


「……もしかして、俺ヤバイ?」

「かなり深刻な状況と言える」


 エルフは本当に深刻そうな顔でそう言った。

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