睦子 対 瓜子 二
巨大ないちま様を前に、メアリーが覚悟を決める。
スカートの中からスペアの腕を取り出し、失った両腕へ取りつける。
「もうあとがないみたいね……あんまり気乗りしないけど……」
携帯電話を取り出し、どこかへ電話をかける。
「あ、もしもし私だけど。うん、例のものをよろしく!」
電話を切ってから、わずか数秒。
突如、地面から一人の男が姿を現す。
フランプ家に仕える執事だった。
「は、はやっ!」
「相変わらずメアリー様は人使いが荒いですねぇ。例のものをお持ちいたしました」
執事が地面から引っ張り出したのは、巨大な培養カプセル。
その中には見たこともない異形の腕が浮かんでいた。
それは、干支合戦が始まる前。
フランプ家、チャールズの地下室での出来事へと遡る。
「本当に今までの腕で良いのか?」
チャールズが少し不満そうにメアリーへ尋ねる。
「うん!だってこれは、お祖父様がくれた大事なプレゼントだもん。それに長く使ってたら愛着も湧いちゃったしね。そのかわり……」
メアリーがチャールズの耳元へ顔を寄せ、何かを囁く。
「ほーう、なるほど。それくらいの改造なら難しいことではあるまい。干支合戦までに作っておいてやろう」
「ありがとう、お祖父様!」
嬉しそうにチャールズへ抱きつく。
「にしてものぉ。これだけのものが揃っておるんじゃ。一つくらいプレゼントさせてくれてもよかろうに」
チャールズが並ぶ標本へ目を向ける。
「あの腕だけでは太刀打ちできん相手もおるかもしれん。奥の手として、もう一つ持っておいた方が良いと思うがの」
「お祖父様のおっしゃる通りだ。攻撃のレパートリーは多いに越したことはない」
クリスにも勧められ、メアリーが少し考える。
「そうかなぁ……じゃあ、お言葉に甘えて!」
地下室には、異形の標本がずらりと並んでいる。
毛むくじゃらの巨大な腕。
鳥の翼を思わせるもの。
どれも戦い方を大きく変えられそうなものばかり。
その中で――一つだけ、黒い布に覆われた標本があった。
「お祖父様、これは何?」
「あ!それは!」
チャールズが止めるより早く、メアリーが布を剥ぎ取る。
その下から現れたのは、巨大な培養カプセル。
中には、何の生物のものなのかさえ想像できない異形の腕が浮かんでいた。
「……すまんが、そいつだけはダメじゃ。他にしてくれんか」
そう言われると、余計に気になってしまう。
メアリーとクリスが、揃ってカプセルを見つめる。
「これは……なんですか?」
「うーぬ……見られたからには話さんといかんの」
チャールズが培養カプセルへ目を向ける。
「今から三十年前のことじゃ。この腕の持ち主は、突如空から降ってきた」
「空から?」
「そうじゃ。まるで甲虫を思わせるような姿をしておった」
チャールズの表情が険しくなる。
「敵か味方か。それどころか、陰の者なのか陽の者なのかすら分からんかった。じゃが、そやつは突然、街の中で暴れ始めたんじゃ」
メアリーとクリスが黙って話を聞く。
「討伐へ向かったのは、わしと真英組の近桃。当時のわし一人では到底敵わん相手じゃった」
チャールズが腕を組む。
「今までわしがハントしてきたものの中でも、三本の指に入るほどの強者じゃ。近桃と二人がかりで、重傷を負いながらようやく倒した」
「そんなに強かったの……?」
「ああ。そして遺体を持ち帰り、志英館の医療科へ調査を依頼したんじゃ」
話を聞くうちに、メアリーとクリスの表情も次第に真剣になっていく。
「で、正体はなんだったの?」
「……それが、ほとんど何も分からんかった」
「何も?」
「あれほどの力を持っていながら、エネルギー源は陰でも陽でもない。それどころか――」
チャールズがカプセルの中の腕を見る。
「核すら持っておらんかった」
メアリーとクリスが言葉を失う。
「まるで、この世のものとは別の存在じゃったよ」
「それから三十年も経っているのに、いまだに正体が分かっていないのですか?当然、今も調査は続いているんですよね?」
クリスの問いに、チャールズの表情が曇る。
「いや……調査は途中で打ち切られた」
「どうして?」
「わしらも正体が気になってな。調査の続行を望んだんじゃ。じゃが……その判断がまずかった」
チャールズがカプセルの中の腕を見つめる。
「そやつは、まだ死んではおらんかったんじゃよ」
「え……?」
「バラバラになった肉塊の一部に触れた医療課のスタッフが、そやつに寄生された」
メアリーの表情が強張る。
「寄生されたスタッフは暴れ出し……最後には、完全に肉塊へ取り込まれてしまった」
地下室に重い沈黙が流れる。
「その一件で調査は打ち切り。わしらは正体の分からぬそやつを――」
チャールズが静かに告げる。
「巨蟲兵と名付けた」
そして、巨大な培養カプセルを見上げる。
「未知の生命体として、歴史の闇に葬ったわけじゃ」
話を聞き終えたメアリーが、青ざめた顔でカプセルを見る。
「そ、そんなヤバいのここに置いといて大丈夫なの!?」
「そりゃあ大丈夫じゃないわい」
「えぇ!?」
「危険すぎるから、本来はすべて燃やして処分されたことになっとる」
チャールズがどこか得意げに笑う。
「じゃが、わしはどうしてもこやつが欲しくてな。肉塊の一部をこっそり持って帰ってきたんじゃ」
「なんで!?」
「最初はポケットに入るくらいの大きさじゃったんじゃが、培養液につけておいたらこんなに成長してしまったわ。ほっほっほ!」
「笑い事じゃないじゃん!」
クリスが呆れたように頭を抱える。
「そんなわけで、これは危険すぎる。他のものにしておくれ」
チャールズが別の標本を指差す。
「強力ではあるが、身につければ体ごと飲み込まれて終いじゃ。こいつよりも、そこのゴリラの――」
「私……これにする!」
「え?」
チャールズとクリスの声が重なる。
「お前、ちゃんと話を聞いていたのか?つけたら最後、それに飲み込まれてしまうかもしれんのだぞ」
「うん、分かってるよ兄様。でも、これをものにできれば現役のお祖父様以上の力が手に入るのよね?」
メアリーがカプセルの中の腕を見る。
「奥の手としては申し分ないでしょ!」
「確かにそうじゃが……」
チャールズが困ったように眉を下げる。
「クリスも言ったように、その腕は触れた者の体を飲み込んでいくんじゃ。引き離すこともできん。大事な孫が、わしのせいで飲み込まれでもしたら……」
「だったら――」
メアリーがあっさりと言う。
「全身飲み込まれる前に、頭だけ脱出しちゃえばいいのよ!」
「…………なるほど!」
チャールズとクリスが同時に納得する。
場面は再び、いちま様の前へ戻る。
「ことが済みましたら、また回収に伺いますので。では」
執事がそう告げると、そのまま地面の中へ潜っていく。
「不気味なもんを出してきたね。でも、このいちま様に比べたら小さいもんだ。それで何ができる」
瓜子の言葉を聞きながら、メアリーが培養カプセルの上へ乗る。
「それはやってみれば分かるわ!」
勢いよく蓋を開け、その中へ右手を突っ込む。
「さぁ!鬼が出るか蛇が出るか!見届けようじゃないの!」
次の瞬間。
巨蟲兵の腕が、メアリーの右腕へまとわりつくように侵食し始める。
「っ……!」
周囲の空気が渦巻く。陰とも陽とも違う。
これまで誰も感じたことのない異質な力が、その場を包み込んでいく。
瓜子が言葉を失う。
「これが私の奥の手!いくわよ!」
メアリーの目の色が変わる。
さらに背中から、羽のようなオーラが現れる。
巨蟲兵の腕がその異質な力をまとい、凄まじい存在感を放つ。
瓜子がようやく声を絞り出す。
「ちょ、ちょっと待て!そんなの私は聞いていない!や、やめ――」
その言葉が終わるより早く、メアリーが巨蟲兵の腕を振るう。
気づけば、巨大ないちま様の腹部に大きな風穴が空いていた。
「……え?」
巨蟲兵の腕がその巨体を貫き、からくりで作られた内部がむき出しになる。
その一撃は瓜子の頭すれすれを通過していた。
あまりの威力と一瞬の出来事に、瓜子の理解が追いつかない。
そのまま意識を失い、いちま様の中でぐったりと動かなくなる。
巨大ないちま様も、音を立てながら崩れ落ちていく。
「や……やったわ……」
メアリーが安堵した、その時。
「ぐはっ!」
右腕に取りつけた巨蟲兵の侵食は、すでに肩を越えていた。
メアリーの頭のすぐそばまで迫っている。
(ヤバい!緊急脱出!)
メアリーの頭が勢いよく胴体から飛び出す。
飛び出した頭から煙が噴き出し、続いて小さなパラシュートが開く。
そのまま、ゆっくりと地面へ降りていく。
メアリーが下を見る。そこには、巨蟲兵の腕に飲み込まれていく自分の体があった。
(危なかった……あと少しでも遅かったら……)
メアリーの頭が無事に地面へ着地する。
しばらくして。
物陰に隠れていた光希が、ようやく姿を現す。
「ここまで……めちゃくちゃな戦いを見たのは初めてっす……」
その時、遠くからこちらへ駆けてくる人影が見える。
「おーい!」
こちらへ走ってくるのは、呉葉との戦いを終えた菜々子だった。
「どうやら、さっきの勝負も巳に軍配が上がったみたいっすね」
「菜々子先生ー!!ここよー!」
頭だけになったメアリーが必死に声を張り上げる。
「睦子!」
菜々子がすぐに駆け寄り、メアリーの頭を抱き上げる。
「良かった!なんとか無事みたいね。でも……何がどうなってこんなことに?」
辺りを見回す。
崩れ落ちたいちま様。その中で気を失っている瓜子。
得体の知れない巨蟲兵の腕。そして、頭だけになったメアリー。
あまりにも異様な光景に、菜々子も状況を飲み込めずにいる。
「えーっと……話せば長くなるんだけど……」
メアリーが言いづらそうに目をそらす。
「ま!ひとまず生きてただけで御の字よ!安心したわ!」
菜々子がほっと息をつく。
だが、その時であった――。
遠くからけたたましい叫び声が響き、空気が震える。
その声を聞いた瞬間、全身に鳥肌が立ち、体が石のように強張る。
「なにこの感じ!?なんか怖い!」
メアリーの声が震える。
菜々子も険しい表情で、声のした方角を見つめる。
「どうやら次の戦いで何かあったみたいね……」
辺りに漂う、恐ろしいほどの陰。
「この陰が敵のものじゃなければいいんだけど……行くしかないわね」
「瓜子は僕が手当します!申し訳ないですが、この先のことはお二人にお任せするっす!」
光希の言葉に、菜々子が頷く。
グオオオオオオオオン!!!
金切り声のような叫びが、京都の夜に響き渡る。
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