丑の章 開戦 京都
二月、京都。
日が沈み、京都の街にぽつぽつと灯りがともり始める。
時刻は二十時。
昼間の賑わいもすっかり姿を消し、冬の冷たい空気が音羽山を包んでいた。
清水寺へと続く最初の門――仁王門。その前に、巳の五人は立っていた。
誰も口には出さない。だが、これから始まる戦いが今までのものとは違うことは、全員分かっていた。
門の前に一人の老人が待っている。
丑の酒呑法師。手にした提灯の炎が、夜風に揺れている。
「よくぞいらした。今回の干支合戦、案内役はわしがいたす。ここから清水寺までの道中には、丑の幹部四名が待ち受けておる。彼らと戦い清水まで辿り着き、丑の長、茨木童子を倒せば巳の勝利といたし、盃を交わそう」
静かに説明を聞く五人。
法師は一度言葉を止め、その顔を順番に見渡す。
「先に言っておくが、わしはヴィラン協会の会長として中立の立場じゃ。死人を出すつもりはない。しかし童子はそうは思うてはおらん。覚悟しておくんじゃぞ」
その一言で、張り詰めていた空気がさらに重くなる。
「戦闘は各々の一騎打ちといたす。しかし、わし一人で全ての戦いを見届けることはできんでの。各戦いの勝敗を見届ける立会人を呼んでおいた」
その時。巳の五人の後ろから、ぞろぞろと人影が現れる。
八郎が振り返り、思わず目を見開く。
現れたのは、辰の長・太刀花と、その四人の部下だった。
「た、太刀花さん?」
太刀花が冷静な口調で話し始める。
「この干支合戦、俺たち伏龍会が預かる。だが俺は巳の長に稽古をつけちまったからな。中立の立場なんて器用な真似、俺にはできん。よって立会人は、俺を除く伏龍会幹部四人と、会長の法師に委ねる」
「うぬ。その方がわしも都合が良い。丑の一人に、どうも手のつけられんやつがおるでの。そやつとの戦いはわしが見届けよう。では早速、わしについて参れ」
法師が提灯を掲げる。小さな炎が、これから彼らの進む暗い道を照らす。
太刀花を除いた辰の四人は、それぞれの戦いを見届けるため、一足先に夜の境内へと姿を消していく。
巳の五人も法師の後を追い歩き始める。
その時。
「八郎!ちょっとこい!」
背後から太刀花の声が飛ぶ。
突然呼び止められ、何事かと思いながら八郎が太刀花へと駆け寄る。
次の瞬間――バンッ!
「いっ!?」
太刀花の大きな手が、八郎の背中を容赦なく叩く。
痛みに顔をしかめる八郎。
太刀花が静かに口を開く。
「……八郎。頼んだぜ」
短い一言。けれど八郎には、それだけで十分だった。
太刀花にとって、ヴァイパーは尊敬する師であった。
そんなヴァイパーが裏切り者として童子に恨まれている。
その真実を確かめるために、八郎は勝たなければならない。
太刀花の言葉には、ヴァイパーを信じ続ける者の思いが込められていた。
八郎は太刀花に背を向けたまま、力強く答える。
「任せてください。行ってきます!」
その返事に太刀花の表情が少し和らぐ。
そして、ただ黙って遠ざかっていく八郎の背中を見送る。
法師の案内で、夜の清水への道を進んでいく巳の五人。
随求堂の前へ差しかかった、その時――。前方の暗闇に、法師の提灯とは別の明かりが浮かび上がる。
全員の足が止まる。
灯りの中から現れたのは、一人の女。着物を身にまとい、その顔には能面をつけている。
女は五人の前に立ち、丁寧に頭を下げる。
「お待ちしておりました。わたくし、丑の幹部のひとり、呉葉と申します。さて、どなたにお相手していただきましょうか」
柔らかな口調とは裏腹に、その場に流れる空気は重く冷たい。
能面の奥から、呉葉が巳の五人を順番に見定めていく。
そして、その視線が菜々子のところで止まる。
「…………そちらのおばさまなど、いかがどす?」
「誰がおばさんじゃい!!」
菜々子の怒声が境内に響き渡る。
「くーっ!喧嘩売られてるわ!この戦い、私が相手する!」
「菜々子、そんな見え見えの挑発にのったらダメだ」
すぐに八郎が止める。
一度目を閉じ、大きく息を吸う菜々子。
そしてゆっくり息を吐き出し、話し始める。
「……私は八郎や巳のみんなのおかげで、ここまでこられたの」
八郎たちへ向き直る。
「みんなとなら、どんな悲しみも乗り越えられる。これからもみんなと一緒にいたい。だから死に物狂いで修行してきたわ」
いつもの冗談めいた口調ではない。
菜々子が真っ直ぐ八郎を見つめる。
「私を信じて。必ず勝つから」
その目を見れば分かる。
今の菜々子なら安心してここを任せられる。
八郎もまた、真っ直ぐその目を見返し話す。
「それはこっちの台詞だよ。菜々子がいなけりゃ、僕はここまでこられなかった」
これまで何度、彼女に助けられてきただろう。
家族として。先生として。そして今では、誰よりも信頼できる仲間の一人。
「この戦い、頼んだ。でも、絶対に死なないで」
「フフ。かつて薔薇の魔女と恐れられた私よ?大丈夫」
そう言って、呉葉へ振り返る。
「ここは私に任せて、さぁ行って!」
八郎たちは法師とともに、再び歩き始める。
夜の随求堂に残された菜々子と丑の幹部・呉葉。
そして二人の戦いが動き出す。
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