健司の修行
「じゃあ、今度会う時まで体には気をつけるんだぞ。無理するなよ」
「うん、クボケンもね」
八郎を心配しながらも、健司自身にも一つの不安を抱えていた。
健司が向かった先は長野県――ドグ博士の工場。
「また当分会えんと思っとったら、意外にも早く会えたな。んで、どうした?」
健司は、丑との干支合戦に備えて修行がしたいことをドグに伝える。
しかし、その話を聞いたドグの表情はどことなく険しい。
「うーん、強くなりたいか。マクベスの鎧を強化しても良いのだが、それじゃあお前自身が強くなったことにはならんし、お前の中にいる者の解決にもならん」
ドグが健司を見る。
「つまりは、お前自身の精神を鍛え、己の中にいる化け物を制御できるようにならんといかんわけだ。それはお前自身もわかっているだろ?」
図星だった。
見事に心中を言い当てられ、健司は言葉が出ない。
だが、自身の中にいる化け物、ステロを制御できる自信などなかった。
「難しいことだが、わしは不可能だとは思っとらん。お前ならできると思うとる。そのための手助けなら、わしは喜んでしてやるぞ」
「ありがとうございます……」
こうして、ドグから精神力を鍛える修行を受けることになる。
しかし、それは精神論といった曖昧なものではなかった。
案内された先には、五台のカプセル。大吾たちがウェブの中へ入る時に使ったものだ。
「これはウェブへの転送装置だ。まずはお前さんにもこれを使ってもらう。さぁ、入れ」
ドグの指示に従い、健司がその一台へと入る。
「今から工場内のローカル空間へと転送する。今回はウェブへの侵入はせん。デジタル上の仮想空間で修行を行う。準備はいいか?」
健司が頷く。
ドグの合図とともに、カプセル内から健司の身体が消える。
次に目を開くと――そこには、果てしなく真っ白な空間が広がっていた。
近くに浮かぶモニターには、ドグの姿が映っている。
「ここがデジタルの世界だ。どうだ?あまり実感がないようだな」
ドグが説明を続ける。
「重力や質量といった全てを、現実のものと一緒にしてある。実際の身体をそのまま転送しておるから、五感はもちろん、ダメージもそのまま現実に反映される。わかったな?」
「マジで現実の世界みたいだ。呼吸もできるし、感触もある。でもこの景色は現実ではあり得ないな」
健司が周囲を見渡す。
「博士、俺は何をしたらいい?」
「マクベスの鎧を徐々に解いていく」
「鎧を…解く」
「実はな、前回お前の鎧と安全装置を再調整した時、核に仕込んであるリミッターを外しておいた。いずれこの時が来ると思うとったからな。まぁ、思ったより早かったが」
ドグが続ける。
「鎧を解放すれば、自ずと奴は覚醒するだろう。しかし、ここならどれだけ暴れようが現実の世界には影響がない」
ドグが力強く頷く。
「それに奴が完全に覚醒したとしても、そこはわしが支配するデジタルの世界だ。好きなようにはさせんよ。こちらで鎧の制御もできるから安心せい」
多少の不安は残る。
それでも健司は覚悟を決め、マクベスへと変身する。
「博士、何が起こるか俺もわかりませんが、頼みます」
そう言って、マクベスの鎧を解放していく。
次第に鎧から内に潜むステロの黒いウィルスが、漂い始める。
「まだ意識はあるか?今、何パーセントくらい解放しておる?」
「はい、大体10%といったところでしょうか……でも、既に気を抜くと意識が途切れそうです」
「そうか。今はその状態を維持することに努めろ。奴に支配されんよう、気を強く持て!」
しかし――すでにドグの声は、健司には届いていなかった。
黒いウィルスが次第にマクベスの鎧を包み込み、その場へ倒れる。
「いかんな!一旦鎧を元に戻すぞ!」
ドグが強制的に鎧の解放を止める。
ウィルスの侵食が止まり、マクベスの姿へと戻っていく。
やがて変身も解け、そこには横たわる健司だけが残る。
「おい!健司!大丈夫か?!」
「……はい、なんとか」
息を整えながら、健司が拳を握る。
「くそっ、こんなんじゃ俺が皆の足を引っ張っちまう。時間がないってのに……」
己の非力さを悔やむ健司。
「まだ始めたばかりだ。そう焦るな」
ドグが言い聞かせる。
「精神の鍛錬は五広力の中でも極めて難しい方だ。だが、その分成長の幅も大きい。ゆっくり確実にやっていくぞ」
それから――健司の修行は丸三日続いた。
仮想空間とはいえ、飲まず食わず。眠ることさえせず、健司は修行を続ける。
そして、それに付き合い続けるドグ。
だが、思うような成果は出なかった。
「少し休憩を取ろう。続けたい気持ちもわかるが、わしも身が持たんでな」
それは、ドグなりの優しさから出た言葉だった。
現実の世界へ戻った健司は、そのまま溶けるように眠った。
目を覚まし、食事を取り、シャワーを浴びる。
工場の窓から聞こえる雨音。それはまるで、今の健司の心を映しているようだった。
そんな健司へ、プルーが声をかける。
「しっかり休めましたか?暖かい飲み物をお持ちしました」
「ありがとう。いろいろと世話になっちまって、すまん」
プルーが用意してくれたコーヒーを啜る健司。
そこで、ふと気になっていたことを口にする。
「そういえば、仮想空間に入る時に使ったあのカプセル。五つ並んでたけど、博士もデジタル空間に入るのか?」
その言葉に、プルーが明らかに言葉を詰まらせる。
「ご、ごめん。余計なことを聞いちまった。忘れてくれ」
「いいんです。さすが健司さんですね。他の巳の皆さんは気が付きませんでしたよ」
プルーがカプセルの方へ視線を向ける。
「ウェブの世界に入る際は、必ず案内役がモニターで指示をしなければなりません。じゃないと広大なウェブ空間で迷子になりますから。なのに転送カプセルは五つ。不思議に思うのも無理はありません」
少し考えたあと、プルーが健司へ顔を向ける。
「僕の隣に来てください。やっぱり健司さんには話しておくべきだと思いました。少し長くなりますが、なぜカプセルが五つあるのかお話しします」
健司がプルーの隣に座る。
その場には、窓を打つ雨音だけが響いている。
プルーが静かに話し始める。
「まずは僕たちがどうやって生まれたかを話さないといけません。
僕は元々捨て犬だったんです。もちろん今の姿ではなく、普通の子犬でした。
おそらく多頭崩壊で捨てられたのでしょう。段ボールに僕と兄と姉が入れられ、知らない町に置き去りにされました。
まだ生まれたばかりの僕たちでは、自力で箱の外に出ることもできませんでした。そして不幸にも雨が降り、寒さに耐えようと僕らは身を寄せ合いました。
何人か僕らの前を通る足音が聞こえたのを覚えています。しかし、誰も足を止めてはくれませんでした。
そんな中、段ボールの前で止まる一つの足音が聞こえたんです。
その足音の主は僕たちをそっと抱き上げ、自らのコートで包み込み、工場へと連れてきてくれました。
もうお分かりだと思いますが、その人がドグ博士です。
暖かい部屋。暖かいタオル。あれほどの幸せを感じたことはありません。
僕と姉は寒さから解放され、まだ吠えられるほど元気でした。
でも、兄はそうじゃなかった。
僕らを庇って雨に打たれ続けていたせいで体力を失い、高熱にうなされていたんです。
ひとまず僕らは暖かいミルクをもらい、兄と博士の様子を見ていました。
博士は言いました。
『こりゃいかんな……早くなんとかせんと』
その声を聞いて、兄の容態がとても悪いことがわかりました。
しかし時間は深夜。病院の当てもない博士の様子を見て、僕たちは兄の死を覚悟しました。
だけど、博士は諦めなかった。
兄を治療室へ運び、何かしらの処置を始めたんです。
その間、僕と姉は兄のことが心配で仕方ありませんでした。それでも、寒さと疲労ですでに身体は限界を迎えていて、いつの間にか眠ってしまっていました。
しばらくして僕たちが目を覚ました時、目の前には信じられない光景がありました。
瀕死だったはずの兄が、元気になっていたんです。
でも、それだけではありません。
兄は人のように二本の足で立ち、博士と会話していました。
嬉しさと驚きで、僕たちは大声で吠えて兄を呼びました。
そんな僕たちを見て、兄は博士に言ったんです。
『博士、妹と弟も俺のようにしてくれないかい?』
博士は僕と姉を治療室へ連れていき、兄と同じ処置を行いました。
そして僕たちも兄と同じように歩き、言葉を話せるようになったんです。
博士は僕たちに名前をくれました。
兄にはクルフ。姉にはピッチ。
そして僕には、プルーと」
健司が思わず口を挟む。
「ちょっと待ってくれ。博士は君たちに何をしたんだ?」
プルーは少し間を置き、答える。
「博士は、兄の命が助からないと悟り、最後の望みをかけて自分のDNAを兄に組み込んだそうです。
つまり――ヴィランの血が兄に流れ、ヴィランとして覚醒したことで一命を取り留めたんです。
同じように、僕とピッチにも博士のDNAが組み込まれました。
動物を人工的にヴィラン化する――これは、それまで誰も成し遂げていなかったことでした。
そのため、多くの学者たちが博士の技術を称賛したそうです。
そして博士は新たに、同じように捨てられ弱っていた二匹の犬を保護し、同じ処置を施しました。
結果、二匹のヴィラン化にも成功しました。
こうして博士の技術が再現可能なものだと証明され、新たにヴィランとなった二匹には、グレイプとドリアンという名前が付けられたんです。
ですが・・・称賛の声が上がる一方で、倫理的に問題があるのではないかという意見があったのも事実です」
プルーの話を、健司は黙って聞いている。
何か言いたそうではあるが、口を開こうとはしない。
「きっかけは、兄を助けたいという博士の純粋な思いでした。
でも、見方を変えれば――博士は動物実験を行い、僕たちの意思とは関係なくヴィランにした異常者とも言えます。
健司さんは……どちらだと思われましたか?」
健司は少し俯き、やがて口を開く。
「……正直、後者だな」
プルーは何も言わず、健司の言葉を待つ。
「俺はハイリーに実験されて、こんなことになった。その立場の俺には、ドグ博士のやったことを肯定はできない。すまない」
「謝らないでください。無理もないです。僕が健司さんの立場なら、同じ意見だったと思います。
ですが、これだけは知ってもらいたいです。
僕たちは、こうしてヴィランになってよかったと思っています。
仲間たちと任務をこなし、命を救ってくれた博士に貢献できる。
博士は、自分の血を僕たちに分けてくれたんです。
言わば同じ血が流れている。
僕らにとって博士は――父さんなんです」
外の雨は、さらに激しさを増していた。
「プルーの気持ちもよくわかるよ。俺もプルーの立場だったら、同じことを言っていたと思う」
そこで健司は、ふと疑問を口にする。
「話を聞くに、プルーには兄がいたんだろ?なぜここにいない?」
プルーの表情が曇る。
「……カプセルの真相は、ここからです。
それから数年が経ち、僕ら五人はドグ博士の発明した陽の鎧を纏い、ウェブへの不法侵入者を倒すヒーローとして任務に就いていました。
ですが――その頃、とうとう贄の番が回ってきたんです。
誰が贄になるのか。父さんの中では、すでに覚悟が決まっていました。
ある日、父さんは僕たち五人を呼び、こう言ったんです。
『とうとう、わしが贄となる番がやってきたようだ。子供たちよ、後は頼んだぞ』
でも、その言葉にクルフが反対しました。
『父さんはここに必要な人だ!贄なら俺がなる!』
贄には、一族の中でも特に陰の強い者が選ばれるのが普通です。
だから一族の長であるドグ博士が選ばれるのも、不思議なことではありませんでした。
それでもクルフは言ったんです。
『この中で一番陰が多いのは俺だ』
その言葉に、グレイプが噛みつきました。
『アンタが一番強いだって?笑わせんな!そこまで言うのなら、私と戦ってみようじゃない!』
こうして、クルフとグレイプの一騎打ちが始まったんです。
グレイプは戦闘能力に長けていましたから、相当腕に自信があったのでしょう。
でも一番の理由は、クルフを贄にしたくなかった。
父さんが止めに入ろうとしても、二人は聞く耳を持たず、戦闘の構えを取りました。
先に攻撃を仕掛けたのはグレイプでした。
有言実行と言わんばかりの凄まじい攻撃に、クルフは太刀打ちできない様子でした。
グレイプはクルフに言いました。
『その程度でよく見栄がはれたね!アンタは贄にはなれない。さっさと降参しな!』
その言葉を聞き、クルフはゆっくりと立ち上がりました。
しかしその時のクルフの身体が、赤から黒へと変色していたんです。
それと同時に、凄まじい陰が溢れ出しました。
あまりの変化に呆気に取られたグレイプは、その隙にクルフの攻撃を受け、倒れてしまいました」
健司が息を呑む。
「つまり……クルフは……」
プルーは一度言葉を詰まらせる。
そして、絞り出すように話を続ける。
「クルフ……いや、兄さんは贄になり、この世を去りました。
そして父さんは、今でもずっとこのことを悔やんでいます。
大切な我が子を贄にしてしまった。
そのことを、ずっと自分のせいだと責め続けています」
俯くプルーの目から、涙がこぼれる。
「カプセルが五つあるのは――兄さんが戻ってくるのを待っているからです。
父さんは、兄さんがいつかここへ戻ってくると信じ続けています。
だから、あの五台目のカプセルを残しているんです。
でも……僕はもう、待ちくたびれました」
プルーにかける言葉を必死に探す。
だがこの事実を前に、どんな言葉をかければいいのかわからなかった。
それでも、何とか言葉を絞り出す。
「つらいことを思い出させてしまった。すまない。でも……なぜ俺に話してくれたんだ?」
健司の問いに、プルーが顔を上げる。
「健司さんの修行を見ていました。苦労なさっているのも知っています。
クルフは、自己犠牲で贄になりました。
でも、その選択が正しかったと僕は思いません。
残された者のことを考えてほしかった。
健司さん。あなたは一人で強くなろうとしています。
でも、違うんです。あなたは一人じゃない。
あなたを思う人たちがいて、今のあなたがいることを忘れないでください」
プルーの言葉を聞き、健司は考える。
過去の記憶がない自分は、これまでずっと自分の命を軽んじてきた。
巳の仲間であることに自分の存在理由を見出し、いざとなれば捨て駒になる覚悟さえしていた。
でも――そうじゃない。
自分はただの『巳の一味の一人』ではない。
久保田健司という人間そのものを、必要としてくれている仲間がいる。
替えの利かない存在として。
少なくとも――八郎は、そう思ってくれている。
健司の頭に、八郎の顔が浮かぶ。
「俺はとんだ馬鹿野郎だ」
健司が小さく笑う。
「自分が犠牲になってでも八郎を守らなきゃって、ずっと思ってた。でも違う。八郎はそんなこと望んでいない」
そして、ゆっくりと拳を握る。
「俺は死ねない。俺が死んだら、悲しむ仲間がいるからな」
先ほどまでとは違う表情で、健司がプルーを見る。
「そう思ったら、なんだか自分を保てるような気がするよ。プルー、ありがとう。目が覚めた」
その言葉を聞き、プルーは何も言わず笑顔を見せる。
その後、健司は再び仮想空間へと向かう。今度は、先ほどまでとは違う気持ちで――。
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