睦子の修行
大吾と別れ、睦子が向かった先は実家のフランプ家。
屋敷の扉を開くと、父ラウルと母アンジェリカが待っていた。
「久しぶりだね、メアリー。八郎くんのところでは上手くやってたかい?」
「まさか、いじめられてはいないでしょうね!」
過剰にメアリーを心配するアンジェリカ。
「いじめられてなんかないよー。あれから色んなことがあって、本当に楽しい毎日だったんだから!」
リビングのソファーに腰を下ろし、これまでの八郎たちとの日々を話すメアリー。
楽しそうに話すその目は、キラキラと輝いている。
そんな娘の姿を見て、ラウルとアンジェリカも安心したように微笑む。
「良い経験がたくさんできて何よりだね。メアリーがここまで成長してくれて、私も嬉しいよ」
ラウルが穏やかに続ける。
「ところで、急に帰ってきたのにも何か訳があるんだろう?」
「うん。とうとう丑と干支合戦をすることが決まったの」
メアリーの表情が少し引き締まる。
「でも今の私じゃ、たぶん力不足。あれだけ父様と母様に日々鍛錬しておけって言われてたのに、サボった結果だね」
そして、両親へ深く頭を下げる。
「父様、母様。もう一度しっかり指導してほしいの。お願いします!」
八郎と出会う前は、目標もやりたいこともなかったメアリー。
そんな娘が初めて、本気で自分たちに頭を下げている。
その姿を見て、アンジェリカが思わず涙する。
「こんなに立派になっちゃって……母さんは嬉しくて嬉しくて……」
「アンジェリカ、鼻を拭きなさい」
ラウルがアンジェリカへハンカチを差し出す。
そしてメアリーを見る。
「メアリー。もちろん私たちができることは協力するつもりだよ。だがね、実はあれからずっと、メアリーの帰りを待っていた人がいるんだよ」
「私を待ってる?」
その時、窓からコウモリの大群が飛び込んでくる。
無数のコウモリが一か所へ集まり、人の姿へと変化していく。
そこに現れたのは――メアリーの兄、クリスだった。
「俺がお前を鍛える」
「に、兄様が!?」
「俺じゃ不満か?」
「不満じゃないけど、兄様、私に全然興味なかったじゃない!なんでまた?」
クリスが鼻をさすりながら答える。
「前回お前と戦った時、俺はお前に大きな可能性を感じた」
メアリーが黙って兄を見る。
「お前には何か光るものがある。だが、戦闘でのスキルは俺の方が上だ。お前に負けた俺が言うのもなんだがな」
少し気まずそうにしながらも、クリスは言葉を続ける。
「俺の戦闘スキルをお前に叩き込みたい。必ず強くしてやる」
そして、真っ直ぐにメアリーを見る。
「今更こんなことを言っても無駄かもしれんが……兄として、俺に任せてはくれないだろうか?」
クリスは、ずっとメアリーを見下していた。
しかし前回の戦いでメアリーに敗れ、自分が奢っていたこと、そして兄としての役割を果たしてこなかったことに気づいた。その罪悪感もあり、今回自ら師に名乗り出たのだった。
そんなクリスへ、メアリーが笑顔を向ける。
「もちろん!なんだか嬉しい!兄様、ありがとう!」
「……!」
思ってもみなかった反応に、クリスが驚く。
断られる覚悟もしていた。
だが今のメアリーは、過去のことなど気にしていないようだった。
「では、メアリーはクリスに任せるとしようか」
ラウルが二人を見て微笑む。
「クリス、メアリーを頼んだよ」
「ああ」
こうして――メアリーの修行は、兄クリスが担当することとなった。
屋敷にある、広いホール。メアリーとクリスが向かい合う。
「まずは修行の説明からだ。五広力は知ってるだろう?」
「うん」
「一般的には、比較的やりやすい体力や筋力を鍛えて核の器を大きくしていくことが多い。数をこなせばいいだけだからな」
クリスが続ける。
「しかし、お前の核は頭にある。裏を返せば、いくら体を鍛えたところで、頭から下のパーツを変えてしまえば意味がない」
メアリーが真剣に話を聞く。
「メアリー。お前はこれから、集中力、思考力、精神力を鍛えて核の器を広げる。さらに三濃力の応用力、技術力を向上させ、陰の濃度を上げていく。ここまではいいか?」
「話はわかるけど、そんないっぺんに強くなれる方法なんてあるの?」
待ってましたとばかりに、クリスが答える。
「ここからが具体的な修行の内容だ。基本は俺との組み手となる」
クリスがメアリーを真っ直ぐに見る。
「最初は俺に一撃さえ当てられんだろうから、俺の攻撃を防ぐことだけに集中しろ。俺もお前を殺すつもりでやる。気を抜くなよ」
「殺すつもりで…」
「そして組み手以外の時間は、常にお前の隙を伺い攻撃するからな」
「え?」
「二十四時間。飯を食ってる時も、寝ている時でさえ、隙があればお前を攻撃する」
あまりの内容に、メアリーが息を呑む。
「俺の任務は暗殺が多い。どこから、いつ攻撃されるかわからないだろう。一瞬の隙が命取りになる。常に警戒し、集中することだ」
クリスの修行内容に圧倒されるメアリー。
しかしすぐにあることに気づく。
「トイレとお風呂だけは無しにして!」
「……うむ」
クリスも一瞬固まる。
「忘れていた…。その時間だけは無しにする」
こうして、まずはクリスとの組み手が始まる。
前回の戦いではポケットに手を突っ込んでいたクリスも、今回はしっかりと構えを見せる。
「パーツはつけなくても良いの?」
「パーツはいらない。動きの基礎から始めるからな」
クリスの目が鋭くなる。
「ではメアリー。構えろ」
メアリーもクリスと向かい合う。
二人の間に、緊張が走る。
「とりゃあああ!」
最初に攻撃を仕掛けたのはメアリー。勢いよく拳を放つ。
しかし、クリスは影になってかわすことはせず、その拳を受け止め、そのまま柔道の要領でメアリーを床へと倒す。
「スピードとパワー、前回の時より格段に上がっているな。だが最初は俺を打とうとするな。俺の攻撃を防御できればそれでいい」
あっさりと倒されたメアリーだが、すぐに立ち上がり再び構える。
「では、行くぞ」
その言葉が終わるや否や――すでにクリスはメアリーの目の前まで移動していた。
咄嗟に防御の姿勢をとるメアリー。しかし次の瞬間、背後から拳が飛んでくる。
「えっ――」
拳が後頭部を直撃し、メアリーがその場に倒れ込む。
「大丈夫か?」
「いてててて……な、なんとか大丈夫。さっきの攻撃どうやったの?」
「簡単な話だ。俺の能力は実体のない影の集まりだ。影をお前の背後に移動させ、腕のみ実体化させた」
「なるほど……そういうことね。なんとなく兄様の言いたいことがわかったわ」
「じゃあ行くぞ」
今度は真正面から、クリスがメアリーに拳を放つ。
メアリーは正面からの拳を受け止める態勢に入る。
だが先ほどと同じように、背後からも拳が飛んでくる。
それを目の端で捉え、右手で前方からの拳を受け止め、左手で背後からの攻撃に対処する。
しかし――今度は下からクリスの蹴りが迫る。
メアリーはかろうじて顔を上げ、クリスの足が顎をかすめる。
だが安心する間もなく、そのまま踵落としが後頭部を直撃。
「あぎゃ!」
またしても床へ倒れ込むメアリー。
「惜しい。だが飲み込みが早いな」
クリスが倒れたメアリーを見下ろす。
「お前の攻撃は一度当たれば威力は高いが、その後隙が生まれる。その隙を埋める方法――それは俺のように連続的な攻撃をすることだ」
そして、再び構える。
「俺の動きを体で覚えろ。いいな」
メアリーも立ち上がる。
「うん!」
そうして、クリスとの組み手を続けるメアリー。
構えては倒れ、立ち上がってはまた構える。
最初はクリスの攻撃にすぐ倒されていたメアリーだが、次第にその攻撃を防げるようになっていく。
「よし、いいだろう。今日の組み手はここまでだ」
クリスが構えを解く。
「だが、先にも言ったように、お前がここにいる間は常に俺からの攻撃に備えておけ」
そう言い残し、クリスは無数のコウモリとなって散っていく。
「はぁー、とりあえず今日の修行は終わりね」
メアリーがホッと息をついた、その瞬間――頭上からクリスのチョップが炸裂する。
「あぎゃ!!」
「常に備えてろと言っただろうが」
「もう!兄様ぁ!」
それからというもの、屋敷から定期的にメアリーの「あぎゃ!!」という叫び声が響くようになる。それは深夜になっても続いた。
そして――そんな日々を送り、十日が経つ。
広いホールでは、今日もクリスとメアリーが組み手を続けていた。
その傍らでは、祖父チャールズとモジャジャジャがチェスをしている。
「うーん……またわしの負けか」
チャールズが盤面を見つめる。
「モジャさんや、もう少し手加減してはくれんか」
モジャジャジャは大きく首を横に振る。
「なんじゃい、ケチんぼめ」
そう言いながら、チャールズが組み手をする二人へ目を向ける。
「しかしメアリーのやつ、サマになっとるの。クリスの攻撃がしっかりと見えておるようじゃ」
クリスの拳をかわし、続く攻撃も防ぐメアリー。
十日前とは、明らかに動きが違っていた。
「よし、いいな」
クリスが攻撃を止める。
「防御はほぼほぼ完璧だ。次は攻撃について教える」
「やった!」
「だが、その前に――」
クリスが、そばで見ていたチャールズへ視線を向ける。
「お祖父様、お願いします」
「うぬ、ついてこい」
何をするのかわからないまま、メアリーはチャールズについていく。
向かった先は、チャールズの部屋。この部屋はチャールズ以外、立ち入ることを禁じられており、屋敷の者でさえ中を見たことがない。
そんな部屋に案内され、メアリーは少しビクビクしながら扉が開くのを待つ。
しかしそこにあったのは、ごく普通の書斎だった。
(なんだ……普通の部屋じゃない)
勝手に拷問部屋を想像していたメアリーは、胸を撫で下ろす。
そんなメアリーに構わず、チャールズが本棚の一冊を手前に引く。
すると――本棚が横へスライドし、地下へと続く階段が現れた。
(やっぱり拷問部屋があるんじゃ……)
再び不安になるメアリー。
チャールズ、クリスに続き、恐る恐る階段を降りていく。
だがその先に広がっていたのは、メアリーが想像していたものとはまるで違う光景だった。
何十――いや、何百という異形の標本が並んでいる。中にはホルマリン漬けにされ、今にも動き出しそうなものまである。
「これはな、わしが仕留めてきた奴らじゃ」
チャールズが標本を見渡す。
「お前たちも知っているように、午は異形や外来種のハントを生業としておる。そうして仕留めた獲物を、こうやって保存しておるのよ」
なんとも悪趣味だ――一瞬そんな言葉が頭をよぎるメアリー。だが、それ以上に疑問が浮かぶ。
なぜ自分をここへ連れてきたのか。そこでクリスが説明する。
「幼い頃、一度だけここに入れてもらえたことがあってな。この光景を目にして、深く感動したのを覚えている」
クリスがメアリーを見る。
「お前が攻撃の際に使う巨大な腕は、お祖父様からの贈り物だったな」
「そうそう、私の誕生日にお祖父様から……って、もしかして」
「そうだ。あれもお祖父様がハントした異形の一つ。つまり――ここにある異形のパーツも、理論上、全部装着できるということだ」
「……!」
ようやく、ここに案内された理由を察するメアリー。
チャールズがニヤリと笑う。
「さぁ、好きなものを選ぶと良い」
そして並ぶ標本を見渡す。
「丑に勝つためには、とっておきを用意せんとな」
こうしてチャールズから新たなパーツを与えられ、クリスとの組み手を再開するメアリー。
丑との干支合戦に向け、修行を続けていくのだった。
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