亥の章 鹿児島県
暗い浜辺。
夜の海を前に、焚き火の炎が八郎とボニーの姿を静かに照らしている。
波の音だけが、一定の間隔で砂浜へ届く。
「だいぶ冷えてきたね。……寒くないかい?」
「大丈夫。ボニー、話してくれてありがとう。ボニーにとってもつらい過去のはずなのに」
「あたしはいいんだよ。こうやってアンタが立派に成長してくれてるんだ。夏帆ちゃんも喜んでるだろうさ」
先ほどまで荒れていた海も、いつしか静けさを取り戻していた。
八郎はしばらく炎を見つめている。
ボニーから聞かされた母のこと。父であるヴァイパーのこと。
知りたかったはずの過去を知るほど、心の中には新たな迷いが生まれていた。
そんな八郎の表情を、ボニーはじっと見つめる。
「なんだかまだ迷いがあるって顔してるね。いいさ、無理もないよ」
そして少しだけ声の調子を変える。
「八郎は次にどこと同盟を組むつもりなんだい?」
「まだ丑と亥とは干支合戦をしてないから、そのどちらかだと思う」
「そうか。それはちょうどいいね」
ボニーが焚き火へ小枝を放り込む。パチッと火の粉が舞う。
「まずは鹿児島にある亥の集落に向かいな。亥にはヴァイパーの親友の一人、封豨の身内がいるからね。アタシが知らないヴァイパーの話が聞けるだろう」
八郎が顔を上げる。
「きっと力になってくれるだろうし、アンタの迷いも消えるわさ」
そして次の朝――
巳一行は飛行機で鹿児島へ向かっていた。
突然の遠出。しかも学校まで休めることになり、大吾と睦子は朝からご機嫌である。
「へっへっへ、授業受けなくてよくなったぜ!ラッキー!」
「鹿児島って何が有名なんだっけ?長崎カステラ?」
そんな二人に、菜々子がすかさず突っ込む。
「今日休んだ分は後でしっかり補習するからね。あと長崎カステラは長崎でしょ!」
「えー!」
騒がしい二人の声。
その横でクボケンが、飛行機の音に紛れるように小さな声で話す。
「おまえら嬉しいのはわかるけど、もう少し空気を察しろよー。八郎が急に鹿児島に行くって言い出すんだから。なんかあったんだろうな」
クボケンが八郎へ視線を向ける。
ボニーのもとから帰ってきて以来、八郎の表情はどこか険しい。クボケンも菜々子も、八郎を気にしていた。
もちろん――大吾と睦子もそれは同じだった。
「わかってるよ」
大吾が少しだけ声を落とす。
「でも変に気を使うよりは、いつものようにしてた方が八郎も気が楽かなって思ってさ」
「こういう時こそ能天気コンビの出番ね!私たちに任せなさーい!」
胸を張る睦子。その姿を見て、クボケンが小さく笑う。
ふざけているように見えて、ちゃんと八郎のことを考えている。
いつの間にか、生徒たちも少しずつ成長している。
そして一行は鹿児島空港へ到着する。
空港の外へ出た八郎たちを待っていたのは、やたらと大きなハイラックス。
そして、その運転席に座る猪のような姿をした男だった。サングラスにアロハシャツ。その見た目だけでも十分目立っているというのに、本人はまるで気にしていない。
「おー!来たか!話はボニーから聞いておるで!とりあえず乗れ乗れ!」
空港中に響きそうなほどの大声。あまりの勢いに押されるように、八郎たちは車へ乗り込む。
車が走り出すと、男は上機嫌に口を開く。
「わしの名はカマイー、封豨の弟じゃ!やっとこの日が来たわ。お前さんがヴァイパーの息子じゃろ?集会ん時は話せなかったもんなぁ!」
助手席の八郎が、カマイーの迫力に少し圧倒されながら尋ねる。
「カマイーさんは父さんのことご存知なんですか?」
「カマイーでいいぞ。知ってるも何も、ヴァイパーは兄者のダチだからな!幼い頃から兄者とヴァイパーとわしでよく悪さしおったわ!」
カマイーが豪快に笑う。
一方、荷台では大吾と睦子が小声で話していた。
「私たちの出番はなさそうねー」
「つかなんだよあの姿!獣じゃねーか!俺たち食われるんじゃねぇか?」
すると――
「わしらは獣人族でな!」
突然、運転席から大声が飛んでくる。
「自由に人や獣の姿に変われるんじゃ。集落の者は基本人の姿じゃが、わしはこの姿が気に入っとってな!」
大吾の顔が引きつる。
「人はたまにしか食わんで安心しろ!グァハッハッハッ!」
さすが獣。かなり耳が良い。
車は次第に山の奥へと進んでいく。
建物は少なくなり――やがて人の気配さえ消えていく。
舗装された道も終わり、でこぼことした地面が車体を大きく揺らす。
窓の外には、まるで太古から存在していたかのような巨大な木々。
そして…ついに亥の集落へと辿り着く。
そこは、大型の陰獣を保護するため、一般人の立ち入りが禁じられている森。
空には見たこともない巨大な鳥が飛び交い、森の奥からは得体の知れない生物の鳴き声が響く。
そんな異様な森の中に、一本の狼煙が上がっている。近づいていくと、そこには弥生時代を思わせる家々が立ち並んでいた。村では多くの女性たちが、それぞれの仕事をしながら生活している。
「おーい!帰ってきたぞ!巳の連中を連れてきた!」
カマイーの声が村中へ響き渡る。
その直後、一人の少女がものすごい勢いで駆けてくる。
「とと!やっと連れてきたか!」
そして、迷うことなく八郎へ飛びつく。
「うわっ!」
八郎を強く抱きしめる少女。
「そなたが八郎か!会いたかったぞ!」
突然の出来事に戸惑う八郎。少女は満面の笑みを浮かべる。
「妾は亥の長イブキ!」
胸を張り、高らかに宣言する。
「そなたの許嫁じゃ!」
「はぁー!?どゆこと!?」
巳一同の声が重なる。大吾に至っては石のように固まってしまった。
そして当事者である八郎も、何が起きているのかまるで理解できていない。
「ん?ヴァイパーから聞いておらんのか?」
カマイーが不思議そうに首を傾げる。
「いや、ぜんぜん」
「イブキが生まれた年に、ヴァイパーがお前さんをここへ連れて来てな。お前さんが三つくらいじゃったろうか」
カマイーが懐かしそうに笑う。
「その日の夜、盛大な宴の末、兄者もヴァイパーも酷く酔っておった。次の年には兄者は贄になることが決まっておったからな。八郎をイブキの婿として迎え、集落の安泰を望んだんじゃ」
「えぇ……」
「ヴァイパーは一つ返事で承諾したんじゃが――あやつ、完全に忘れておったようじゃな!グァッハッハッ!」
豪快に笑うカマイー。
しかしイブキは納得していない様子で、頬を膨らませる。
「とと!約束は約束じゃ!妾はこの日をどれだけ待ち侘びておったか!」
そして八郎の腕へしがみつく。
「集会で八郎の姿を見た時、妾の胸は熱く高鳴っておった!やはり妾と八郎は運命の糸で繋がっておるんじゃ!」
「いや、僕は何も聞いてないんだけど……」
「では早速、祝言の日を決めるぞ!」
「ちょっと待って!」
八郎の言葉などお構いなしに、イブキはその手を引いてどこかへ行ってしまう。
呆然と見送る一同。
「あのー……カマイーさん?」
クボケンが恐る恐る声をかける。
「お!マクベスじゃな!どうした?」
「あ、久保田健司です。健司って呼んでください。それはそうと……八郎の許嫁って事実なんですか?」
「んー、二人ともかなり酔っておったから、ただの戯言じゃと思うがなぁ」
カマイーが頭を掻く。
「ただ、イブキは本気にしてるみたいじゃ。わしもイブキに八郎との婚約の話をよくしておったし……いやぁ、すまんすまん」
「それ、本気にさせたのカマイーさんじゃないですか……」
「悪いがイブキたちを呼んできてくれんか?」
その言葉に、先ほどから石のように固まっていた大吾が我に返る。
「八郎のやつ、彼女いない組だと思ってたのに抜け駆けかよー!睦子、いくぞ!」
「え、ちょっと!」
大吾と睦子は、八郎たちが向かった先へ走っていく。
一方――八郎は、集落の中でも一際立派な屋敷へ案内されていた。
二人きりになり、なんとも気まずい空気が流れる。
そんな中、イブキが頭に被っていたものを外す。
「あ、それカツラだったんだ!」
「こんな髪型あるわけなかろう!一人の時は重いから外すんじゃ」
少し身軽になったイブキが、八郎へと向き直る。
「妾の本当の姿を知ってしまった以上、八郎には婿になってもらわんと困るのぉ」
「いやいや、なんで……?」
八郎が困ったように笑う。
「僕はまだ十六歳だし、結婚はできないよ。それにイブキだって、まだ子供でしょ?」
「妾はもう十三の立派な乙女じゃぞ!」
「こ、子供じゃん!まずいよ、そんな子供同士で結婚だなんて」
若すぎる年齢に、八郎がさらに慌てる。
だがイブキは気にする様子もなく、じりじりと距離を詰めてくる。
「恋愛に歳なんて関係なかろう!」
「さすがに限度というものが……」
「それに妾は、八郎を婿にすると決めたんじゃ!誰にも口出しはさせんぞ!」
そして、満面の笑みを浮かべる。
「八郎、愛しておるぞ」
「ちょちょ!ちょっと待ってよ!そんないきなり――」
イブキが勢いよく八郎へ飛びつく。
そのまま二人そろって座敷の上へ倒れ込む。
ちょうどその時――勢いよく扉が開く。
「八郎!なんで今まで黙って……え!?」
大吾の動きが止まる。
そして再び石となった。
その隣では、睦子が顔を赤くして、顔を手で覆っている。
「もうそこまでの仲だったのね……ほんとに男ってやつは!八郎のえっち!」
「違う違う!決してそんなんじゃ!」
八郎が慌ててイブキから離れる。
当のイブキは、まるで悪びれる様子もない。
「良いムードだったのに、余計な邪魔が入ってしまったのぉ。まぁいい。愛が深まるのも時間の問題じゃ。八郎がその気になったら、いつでも妾のところへ来るがよい!」
そう言い残し、イブキはカツラを被り直して屋敷を出ていってしまった。
「はぁ……とんだ目にあった」
八郎が大きく息を吐く。
「大吾、睦子。来てくれてありが――」
大吾はいまだ石のように硬直している。
睦子は八郎へ軽蔑の眼差しを向けていた。
「……ダメだこりゃ」
屋敷を出て、カマイーのもとへ向かう三人。
道中、大吾が何度も八郎に念押しする。
「じゃあ八郎は何もしてないんだな!ほんとだな!?嘘だったら俺は死ぬ!」
「別に死ななくても……。イブキが勝手にやったことだし、僕はイブキと結婚する気はないよ」
すると睦子が深刻そうな顔で、首を大袈裟に振る。
「男っていつもそう!責任は全部女に押し付けて!やることやったらどうせ捨てるんでしょ!」
「だから何もやってないって!」
「……でも、女ってそういう男を好きになる生き物なの。悲しい生き物よね、女って……」
「何の話してんだよ……」
訳のわからないことを言う睦子を無視し、二人は歩き続ける。
三人が戻った先では、カマイーがイブキを説得していた。
「婚約の件は八郎も知らなんだで、ここはいったん無かったことにせんか?」
「嫌じゃ嫌じゃ!妾は八郎を好いてしまったんじゃ!」
「じゃがなぁ……」
「反対するなら、ととのことなんて嫌いじゃ!」
そう言い残し、イブキはそのまま森の方へ駆け出していく。
「イブキ!」
カマイーが困ったように頭を掻く。
「まったく、世話の焼ける子じゃ」
そして八郎たちへ振り返る。
「わしはイブキと話してくるから、すまんがしばらく村の様子でも見物しとってくれ」
こうして巳一行はしばらく亥の集落に取り残されることとなった。
「見物って言ってもなぁ。何すりゃいいかわからんし。どうする?」
クボケンが辺りを見回す。
「とりあえず美味しいものがないか探してみよー!」
睦子はすっかりいつもの調子に戻っていた。どうやら八郎とイブキの結婚話など、端から気にしていないらしい。
亥の集落は活気に満ちていた。
料理をする者。洗濯をする者。編み物をする者。
それぞれが自分の仕事をこなしながら生活している。
少し離れた場所では、子供たちが竹を編んで作ったボールを追いかけ、楽しそうに走り回っていた。
電化製品など見当たらない。それでも誰一人、不自由そうには見えない。
むしろ八郎たちの住む街とは違う、生き生きとした空気が村全体に流れていた。
そんな中、睦子は早くも村の女性たちの輪に混ざっている。
「これなんて言う食べ物?」
何やら焼かれた肉を興味津々に覗き込む。
村人が勧めると、睦子は迷うことなく口へ運ぶ。
「え!食べていいの?おいしー!みんな食べてみなよー!」
「もう馴染んでる……」
大吾が呆れたように呟く。
睦子の「おいしい」という言葉に釣られ、菜々子も一口。
「あら、本当に美味しい!これってなんのお肉ですか?」
村の女性が笑顔で答える。
「これはデスワームっていう巨大なミミズの肉ですよ」
「ミミズ……」
菜々子の動きが止まる。
「もう飲み込んじゃったわ……ウプッ!失礼……」
口元を押さえる菜々子。
その隣では、大吾が村の人々をぼんやりと眺めている。
村を行き交う年頃の女性たちを目で追いながら、どこか嬉しそうだ。
「ここの村の女性は綺麗な人ばっかだなぁ」
そんな三人を尻目に、八郎とクボケンが集落を探索する。
「八郎、気づいたか?」
「うん。やっぱりクボケンも思った?」
二人が改めて村の中を見渡す。
「ここには男がいないようだ」
「厳密に言えば、カマイー以外の男性がいないね。でも子どもたちの姿はあった」
クボケンが少し考える。
「あくまで推測だが、この集落では男が生まれにくいんじゃないだろうか」
八郎が耳を傾ける。
「だから村の外から男を迎え、子供を作る。ここに来た男がどうなったかはわからんが、それなら子供がいるのにも説明がつく」
「そう考えると、亥の長としてイブキの僕への執着の理由がわかるような気がする」
「なかなかいい線いっとるな」
近くから声がする。
振り向くと、いつの間にかカマイーが立っていた。
「だが少し違う。我ら一族に男が生まれにくいのは事実じゃが、まったく男がおらんわけでもない」
カマイーが森の方へ視線を向ける。
「ここに男衆がいないのは、巨大生物の保護に行っとるからだ」
「生物の……保護……?」
「森には陰を纏った危険な動物がわんさかおる。その中には絶滅危惧種に入っとる希少な生物もいる。それを保護し、種を絶やさんことが、わしら亥一族の役割なんじゃ」
「なるほど……ところで、イブキとの話はどうなったんですか?」
クボケンが尋ねる。
「森に篭って拗ねておるわ」
カマイーが困ったように笑う。
「イブキなら動物に襲われることはないじゃろうし、落ち着くまでほっといても問題ないわい。ちょうど話にも出たことじゃし、よかったら皆で森へ行かんか?珍しい生物が見れるし、八郎が行けばイブキの機嫌も良くなるかもしれんでな!」
こうしてカマイーの案内で、一同は集落の奥に広がる森へ向かうこととなった。
昼間だというのに、森の中は薄暗い。
頭上を覆う巨大な木々が陽の光を遮り、じめっとした空気が漂っている。
どこからともなく、巨大な生き物の鳴き声が聞こえてくる。
「なんだか、お、お化けが……」
大吾が周囲を警戒しながら呟く。
「こんな昼間に出るわけないだろ」
クボケンが呆れたように返す。
「お化けより獣に襲われないように気をつけろよ。この森の生物は普通のもんとは違う。陰を纏った陰獣なんだからな」
その言葉に、大吾の顔がさらに引きつる。
先頭を歩くカマイーに続き、巳一行は辺りを警戒しながら森の奥へ進んでいく。
しばらく歩いた頃――突然、視界が開ける。
「わぁ!すごい景色!」
睦子が思わず声を上げる。
そこは森を一望できる、高台のような崖の上だった。
眼下にはどこまでも深い緑が広がっている。
「本当ねー!空気も綺麗だし癒されるわ!」
菜々子も嬉しそうに深く息を吸う。
「そうじゃろそうじゃろ!」
カマイーが満足そうに笑う。
「ここはわしのお気に入りの場所でな!景色もいいが、森に異変がないかすぐにわかる。ここら辺はひらけておるから危険な生物は寄り付かんし、気分転換に散歩するのにもええぞ!」
八郎も静かに景色を見つめる。
その瞳に、少しだけ明るさが戻っていた。
そんな八郎を横目で見たあと、カマイーが一同へ声をかける。
「少しだけ、八郎と二人きりにしてはくれんか?積もる話もあるもんでな」
「わかった。こんな場所滅多に来れないしな。散歩でもしてくる」
クボケンがすぐに察し、その場を離れる。
「睦子!あの丘まで競走な!負けた方が今度購買のパン奢る!ヨーイドン!」
「あっ、ちょっとずるい!待ってよー!」
大吾と睦子も走り去っていく。
菜々子もそれに続き、やがて高台に八郎とカマイーだけが残る。
二人の間を、澄んだ風が通り抜けていく。
カマイーが遠くを指差す。
「あそこに一段とデカい木が見えるじゃろ」
八郎が視線を向ける。広大な森の中に、一際大きな大樹がそびえていた。
「あの大樹は華王鳥という希少な怪鳥の巣なんじゃ。五十年に一度、あの大樹に花が咲き、果実のように卵が実る」
「卵が……ですか?」
「ああ。イブキは卵がかえるのを今か今かと待ち侘びておってな」
カマイーが嬉しそうに笑う。
「巣の前で、まるで親のように卵を守るイブキの姿が、まぁ可愛くての」
その表情は、まるで我が子の話をする父親そのものだった。
少し間を置きカマイーが静かに口を開く。
「もう気づいとると思うが、わしはイブキの親父じゃない」
八郎がカマイーを見る。
「イブキは兄者の子じゃ。イブキの母は、イブキを産んだすぐあとに死んだ。そして兄者は贄になって、この世を去った」
風に揺れる木々の音だけが、辺りに響く。
「わしはイブキの親代わりじゃ」
カマイーが自分の大きな手を見つめる。
「わしがこの姿なのは、人の姿になったわしを見て、イブキが悟ってしまうんじゃないかと恐れているからじゃ」
八郎は黙って耳を傾ける。
「わしは兄者のようにはなれんかった」
カマイーが遠くの森を見つめる。
「血の繋がった親と子には、何か見えない繋がりがあるのかもしれん」
そして少し寂しそうに笑う。
「わしがイブキを育ててきて、身をもって感じたことじゃ」
カマイーの言葉を聞きながら、自分の父を思い浮かべる。
ヴァイパー。ずっと一緒に暮らしていながら、自分は父のことをどれだけ知っていたのだろう。
八郎が静かに口を開く。
「僕は十二歳まで父と暮らしていました」
カマイーが八郎へ視線を向ける。
「実を言うと、父がいなくなるまで、父についてそんなに関心がなかったんです」
その頃は、父がそばにいることが当たり前だった。知ろうと思えばいつでも知ることができる。どこかでそう思っていた。
「でもヴィランになって、悪役十二支の巳の長になって……父のやってきたことが、なんとなくわかるようになってきました」
八郎が目を伏せる。
「今になって、もっと父と話しておけばよかったって思います」
少しだけ言葉が詰まる。
「そうしておけば、今のモヤモヤとした気持ちもなかったかもしれません」
そして童子のことを思い出す。
「一か月前に、丑の童子が僕たちの前に現れました。そしてヴァイパーと童子の父について聞かされました」
八郎が、童子から聞いた話をカマイーへ伝える。
童子の父、閻魔。そして、その閻魔をヴァイパーが殺したと童子は言った。
「父は本当に童子の父を殺したのでしょうか?」
八郎の脳裏に、あの日の童子の表情が浮かぶ。
「童子の怒りは、本物のようでした」
カマイーはしばらく何も言わない。
やがて腕を組み、難しい顔で唸る。
「うーん……わしには、それが真実かどうか分からん」
八郎の顔が下がる。
「童子が嘘をつく意味もないじゃろうしな」
一度、言葉を切る。
「じゃが――わしはどうしても、童子の話したことが信じられん」
カマイーの声が少し強くなる。
「ヴァイパーほど仲間を大事にするやつはおらん。それが親友である閻魔なら、尚更じゃ」
そして懐かしそうに続ける。
「ヴァイパーはな、兄者が贄になった後も、何度もここへ来た。兄者が居なくなったことで、一族が襲われんよう見に来ておったんじゃ」
カマイーの目が鋭くなる。
「いいか、これだけは忘れんでくれ」
カマイーが八郎を真っ直ぐ見る。
「お前の親父は、決して仲間を裏切るような奴じゃねぇ!」
八郎の目が僅かに見開く。
「あいつは人の痛みを理解し、その痛みを自ら背負うほどのやつじゃ。八郎や。その血筋は、しっかりお前さんに受け継がれておるで」
その大きな手で八郎の頭を優しく撫でる。
確かな答えが出たわけではない。父が何をしたのか、その真実もまだ分からない。
それでも――八郎の胸にあった重たいものが、ほんの少しだけ軽くなる。
ふとカマイーが森の方へ視線を向ける。
「お前を心配して聞き耳を立ててる奴らがおるな」
カマイーが立ち上がる。
「わしはしょんべんしたくなったで、ちょっくら失礼」
そう言い残し、その場を離れていく。
入れ替わるように、妙にわざとらしい口調で大吾と睦子がやってくる。
「あー、ちょうど競走で疲れちゃったしー。ここで休憩しようかなー」
「そうねー。休憩にはちょうど良い場所だしねー」
二人が八郎の隣へ腰を下ろす。
しばらくの沈黙後に、大吾が口を開く。
「おまえ、ずっと一人で何か悩んでたろ?みずくせぇじゃねぇか、話してみろよ」
「一人で悩むより、三人で悩んだ方が早く解決するしね!」
睦子が笑う。
二人の言葉に、八郎は少しだけ俯く。
そしてゆっくりと口を開く。
「僕はずっと父さんの背中を追いかけて、ここまできた」
二人は黙って聞いている。
「でも父さんを追うごとに、僕の知らない父さんの姿があって……父さんのこと、信用できない時もあったんだ」
八郎が拳を握る。
「でもカマイーの話を聞いて思った」
少しだけ顔を上げる。
「自分でも気づかずに、父さんに何度も助けられていたんだなって」
言葉にすることで、胸の奥に溜め込んでいたものが少しずつほどけていく。
「うまく言えないけど……まだ父さんを信じられるって、ホッとしたんだ」
その瞬間、八郎の頬を一筋の涙が伝う。
本人も気づいていなかったのか、少し驚いたように手で涙に触れる。
大吾が笑う。
「なんだよ、ちゃんと泣けるじゃんか」
そう言って、八郎の頭を乱暴に掻き撫でる。
その横で、なぜか睦子まで泣いている。
「何でお前まで泣いてんだよ」
「わかんないよー!八郎が泣くからでしょー!」
三人の間に、自然と笑いがこぼれる。
その時。
森の奥から、大きな音が響く。
木々が激しく揺れ、森が一気に騒がしくなる。
カンカンカン――!遠くから鐘を叩く音が鳴り響く。
「森に侵入者が現れた!密猟者だ!」
どこからか男の叫び声が聞こえる。
「華王鳥の巣の方からじゃ!」
戻ってきたカマイーが、森の奥を見つめる。
「いかん!イブキもそこにおるはずじゃ!」
八郎たちはすぐさま立ち上がり、カマイーと共に大樹へ向かう。
辿り着いた先では――既に大樹は倒れていた。
その周囲にある数個の卵は、辛うじて無事のようだ。
しかしその傍らには、傷ついた華王鳥が倒れていた。今にも命が尽きようとしている。
そしてそれを庇うように、イブキが何者かを激しく威嚇していた。
八郎がその視線の先を見る。
そこには、華王鳥の卵を片手に持った狐面の者が立っていた。
「おぬし、何者じゃ!その卵をどうする気じゃて!」
カマイーが狐面へ声を荒らげる。
「……次々に虫けらが湧いてくるな。でももう遅い。これはもらって行く」
狐面が手にした卵を見せる。
「卵を返せ!」
イブキの姿が獣へと変わり、勢いよく地面を蹴る。その動きは、まるで猫のように俊敏だ。
「わしら亥の者は、ありとあらゆる動物の姿へ変化できる。しかし、あの姿になれるのはイブキだけじゃ」
カマイーが狐面を睨みながら八郎たちへ話す。
「幻と言われる珍獣――霞猫。霞の如く姿を眩まし、死角から獲物の急所を狙う恐ろしい獣じゃ。霞猫となった今のイブキに適う者などおりゃせんわ!」
次の瞬間――イブキの姿がふっと消える。
霧に溶け込むように狐面の死角へ回り込み、鋭い爪を振るう。
しかし、狐面は風に揺られるような身のこなしでその攻撃をかわす。
「なっ……!」
八郎も咄嗟にアンフェスバエナを構える。
イブキを援護するように発砲するが、狐面はそれすらも軽々と躱す。
「二人とも良い筋をしておるが、それくらいでは私は捉えられんぞ」
狐面が静かに言い放つ。
「目的の物は手に入った。お前らと遊んでいる暇はないんでな」
そう言い残し――狐面は足音一つ立てず、霧の中へと姿を消す。
「待て!」
八郎たちは必死に陰の跡を探る。
しかし狐面がどこへ消えたのか、まったく分からない。
まるで狐に化かされたかのように、誰もその後を追うことができなかった。
結局、狐面には逃げられてしまった。
八郎たちはすぐさま華王鳥のもとへ駆け寄る。
だが既に親鳥は息絶えていた。
「妾のせいじゃ……」
イブキがその場に膝をつく。
「妾がしっかりと見張っておれば、こんなことにはならなかった……」
大粒の涙が、ポロポロと頬を伝う。そんなイブキを、カマイーが優しく抱きしめる。
「イブキのせいじゃない。悪いのはあいつら密猟者じゃ」
そして狐面が消えた方向へ目を向ける。
「どうせ金目当てのアマチュアのヴィランじゃろう。あんな奴らが年々増えるばかりじゃわい!」
八郎が俯く。
「すみません…僕たちも居たのに何もできず……親鳥を死なせてしまった」
「いやいや、お前たちが責任を感じる必要はない」
カマイーが首を振る。
「それに、あれを見てみろ」
八郎たちとイブキが親鳥へ目を向ける。
親鳥の身体が、無数の花びらへと変わっていく。
その姿は徐々に崩れ――やがて地面には、美しい花びらの山だけが残る。
そしてその中心から、一本の小さな木が姿を現す。
「華王鳥はな、命が尽きると木に生まれ変わり、やがて大樹となり卵を実らす」
カマイーが静かに話す。
「そうやって命を繋げていく生物なんじゃ」
イブキが涙を拭いながら、小さな木を見つめる。
「親の想いは必ず子に宿る。残った卵から生まれたヒナもそうじゃて。成熟し巣立って行っても、卵が実る年は必ずここへ戻ってくるからな」
そして、八郎へ視線を向ける。
「イブキ、八郎。お前たちも同じじゃ。ちゃんと親の想いを受け継いでおる」
八郎は何も言わず、その言葉を胸に受け止める。
こうして狐面の正体も、その目的も分からぬまま、一行は村へと引き返す。
しかしドグの件といい、今回の狐面といい、立て続けに起こる不可解な事件。
八郎たちは、何者かが組織的に動いている気配を感じていた。
このエピソードはpixivで挿絵付き版も公開しています。
キャラクターデザインが見たい方はこちら!
pixiv:【https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=29238028】




