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卯の章 二 八郎の誕生

全身麻酔によって夏帆の意識が少しずつ遠のいていく。

沖竹が夏帆の頭に手を置き、自身の能力で催眠を行う。

催眠がかかったことを確認し、ついに手術が始まる。

「母体・胎児の状態を確認。これより帝王切開手術を開始します」

メスを握る沖竹の手に迷いはない。

夏帆の下腹部にメスを入れる。

次に子宮にメスを入れる沖竹。

ここまでは順調だった。

しかし子宮を切開し胎児の姿が見えた途端、異変が起きる。

胎児から部屋中を埋め尽くすほどの陰。

それと同時に、先ほどまで眠っていた夏帆が仰け反り苦痛に悶え始める。

「ヴァイパー!胎児からの陰を受け止め抑え込んでください!麻酔が効いていない……私の催眠を強くします!」

それでも夏帆は苦しみ声を上げる。

「ギャアアア!殺して!私を殺して!」

死を選ばずにはいられないほどの苦痛、夏帆の叫びが響き渡る。

胎児から溢れ出る陰も沖竹たちの想像を遥かに超えている。

ヴァイパー一人では対処しきれない。このままでは赤子の命にも関わる。そう判断した沖竹が、左手を胎児の方へ向ける。

胎児の陰が沖竹の左手に吸い込まれていく。次第に夏帆の症状が和らいでいくが、沖竹の顔はみるみる青ざめ、鼻から血が流れ落ちる。

今まで見たことのない沖竹の姿にヴァイパーが声をかける。

「沖竹さん、あんたまさか……」

「今は私のことより、母と子供のことを考えてなさい!」

沖竹の能力により、再び眠りにつく夏帆。

胎児の陰も穏やかになっていく。

沖竹は胎児を取り出し、助手へ預ける。

赤子の元気な様子に歓喜するヴァイパー。

「やったぞ!元気な男の子だ!よく頑張ったな夏……」

夏帆の姿を見て、言葉を無くすヴァイパー。


ヴァイパーは赤子と共に別室へ移り、沖竹はそのままお腹の縫合へ。

手術が終わり、ヴァイパーのいる部屋へ入る沖竹。

無論、沖竹もまた言葉が出てこない。

そこへ赤子の産声を聞いたボニーが飛び込んでくる。

「赤ちゃん生まれたんだね!元気な子だわさ!よかった!本当に良かった!……夏帆ちゃんは!?」

ボニーの質問にヴァイパーが答える。

「……生きている」

その言葉に、嬉しさのあまり夏帆のいる部屋へと向かうボニー。

「やめろ!行くな!」

ヴァイパーの言葉も虚しく部屋の扉が開かれ、ボニーの瞳に夏帆の姿が映る。

そこには……見るも無残な姿となった夏帆がいた。

体はミイラのように痩せ細り、黒く変色している。

まだ麻酔が効いているため眠っている。だが目は見開き、左右の瞳は別の方へと向いている。

だらしなく開いた口から、微かな呼吸音が聞こえる。

それはボニーの抱いた希望を粉々にするには、十分すぎる光景であった。

「キャアア!」

その光景を目にし助手が悲鳴を上げる。

「の、呪いの子だわ!」

赤子を強引に沖竹へ手渡す。

「……元に戻せるんだよね?」

ボニーの無邪気かつ残酷な質問に、沖竹が冷静に答える。

「残念ですが……もう元の夏帆さんには戻れないでしょう……」

「嘘だ……何か手があるはず!そうだ!リンダの能力で治してもらうのは……」

「ダメです。私たち以外の者は巻き込めません。私たちは禁忌を犯したのです。これが他の者に知れ渡れば、赤子を含め私たちの命に関わります。それにこの状態を治せる能力の持ち主は……いない」

抑揚のない声で答える沖竹。

「嫌だ!認めない!まだ生きてるじゃないか!何かあるはず!なにか!何か方法が!?」

「黙りなさい!」

沖竹の声が部屋に響く。

部屋が沈黙へと変わる頃、ヴァイパーが口を開く。

「……沖竹さん、もし夏帆の麻酔が切れたらどうなる……?」

「赤子の強い陰が全身を蝕んでいます。おそらくですが、体中に強烈な痛みが伴い、その痛みは死ぬまで止むことはないでしょう。言葉を発する体力さえないまま、身動き一つできず痛みに耐え続けることになります」

「そうか……すまねぇが夏帆と二人だけにしてくれないか?」

無言で部屋を出て行こうとする沖竹。しかしボニーは違う。

「ヴァイパー、変なこと考えてるんじゃないだろうね?夏帆ちゃんは……夏帆ちゃんはまだ……!」

そこでボニーの意識はなくなる。沖竹がボニーに催眠をかけ眠らせたのだった。


ボニーが目を覚ました頃には、夏帆の姿は無くなっていた。

夏帆の死は、出産時の容体急変による多臓器不全として処理され、遺体はすでに火葬されていた。

それは禁忌を外部へ漏らさないための、沖竹なりの配慮であった。

出産に立ち会った助手は、その後、強烈な体験による記憶障害を発症。やがて精神にも異常をきたし、とある事件を起こした末、刑務所へ入ることとなった。沖竹の診断では、出産時に受けた精神的ショックが原因とされている。

それ以降、ボニーが沖竹に会うことはなかった。

沖竹からの接触もなかった。ヴァイパーとの連絡も途絶えていた。

いや――お互い、自分のことで手一杯で連絡できなかった。

一ヶ月が経ち、二ヶ月が経ち。

時は確実に過ぎていくのに、ボニーの脳裏から、あの時の夏帆の姿が消えることはなかった。

毎晩のように、あの日の夏帆が悪夢となって現れる。


そして――三ヶ月が過ぎた頃。

ふと、ボニーのもとに赤子を抱いたヴァイパーが現れる。

出産の直後であれば、彼に殴りかかっていたかもしれない。

しかし、三ヶ月という時間が、少しずつボニーを冷静にさせていた。

今なら、沖竹の心情にさえ寄り添えるような気がした。

「久しぶりだね。赤ちゃんは元気そうだね」

「……ああ。順調に大きくなってるよ。ちゃんと名前もある」

ヴァイパーが腕の中の赤子へ目を向ける。

「八郎だ。蛇ノ目八郎」

「ふふ、面白い名前だね。誰がつけた名だい?」

少しの沈黙の後、ヴァイパーが答える。

「名前をつけたのは夏帆さ。出産前から決まっていた」

そして、八郎の顔を見つめながら続ける。

「八という数字が末広がりで縁起が良いからだとさ。夏帆は、八郎が人に恵まれることを願っていたよ」

「…………」

再び、しばしの沈黙が流れる。

今度はヴァイパーから口を開く。

「……ボニー。本当にすまなかった。お前にも辛い思いをさせてしまった。全部、俺の責任だ」

ヴァイパーが、静かに俯く。

「お前が望むのなら、俺はお前の前から消える」

「ケッ!許すわけないわさ!」

ボニーがヴァイパーを睨みつける。

「赤ちゃんを抱っこできないまま三ヶ月も待たされてるからね!これからは定期的に八郎ちゃんに会わせなさいよ!」

そして、すぐさま表情を緩める。

「じゃあ早速、ボニーお姉ちゃんのところに来なさいー!」

ヴァイパーが、八郎を優しくボニーへ預ける。

「うわはぁ!何て可愛いのかしら!色白の肌、優しい顔つき!完全に夏帆ちゃん似だね、こりゃ」

「やっぱそう思うだろ?俺に似なくて良かったって心底思うぜ」

少し間を置き、ヴァイパーがボニーに話す。

「……ありがとうな。なんだか久々に笑ったよ」

「アンタちゃんと寝れてるのかい?よく見たら髭も伸びてるし、顔なんかクマだらけ。頬も痩せこけちまって」

「お前もだろ。クマがひどいぜ」

ヴァイパーが少し俯く。

「……あの日から、同じ夢を見るんだ」

「夢?」

「いつもと同じ一日だ。夏帆が朝食を作り、俺は任務で仕事に出かける。任務を終えて帰宅して、家の玄関の戸を開けるんだ」

そこで、ヴァイパーの表情が曇る。

「でも、その先には……あの時の病室にいた夏帆がいる。そして俺に向かって、こう言うんだ」

『何で私を殺したの?』

「いつもそこで目が覚める」

「…………」

「俺は最低な奴だ。人殺しだ。そんな俺がこの先、この子の父親としてやっていけるのか……無性に不安で怖くなるんだ」

ボニーが腕の中の八郎へ目を向ける。

「……それでもアンタは、この子の父親なんだ。この子には親の存在が必要なんだよ」

そして、ヴァイパーを見る。

「あたしも同じ船に乗っちまったからには協力するよ」

八郎の顔を優しく見つめるボニー。

すると八郎が、ボニーの髪の毛を引っ張る。

「なんだ?アタシの癖っ毛が気になるのか?」

ボニーが髪の毛を顔の前に持ってきて、髭を作り変顔をする。

そんなボニーの姿に、八郎がキャッキャと声を上げて喜ぶ。


それから、ヴァイパーはボニーの手を借りながら、八郎の育児に専念することとなる。

「何だ、その髭?」

ボニーの顔に似合わない不自然な付け髭。

「あー、これね。この子、あたしの髭面を見ると泣き止むんだ。いちいち髪の毛で髭作るのもめんどくさいからね。意外と悪くないだろ?」

「……変じゃね?」

八郎との時間は、ヴァイパーやボニーにとって忙しくもかけがえのないものとなっていった。

特にボニーは、まるで甥っ子にメロメロな叔母のようだった。

あっという間に三年の月日が流れ、あどけなく言葉を話すようになった八郎。


ある日のこと、一人で遊んでいた八郎がボニーを呼ぶ。

「ボニー、見て見て!」

八郎の目の前には黒い塊が宙に浮いており、丸や三角など様々な形に変化していく。

「なんだいこりゃ?ヴァイパー、ちょっと来てくれ!」

ボニーに呼ばれたヴァイパーも、八郎の様子に目を丸くする。

「これは……どうやら陰の塊みたいだな。八郎がやってるのか?」

ヴァイパーの質問に自慢げな顔をする八郎。

「パパも!パパもやってみて!」

「んな、できるわけ……」

見よう見まねでヴァイパーもやってみる。

すると、ヴァイパーの前に八郎と同じ黒い塊が現れる。

「「できんのかい!?」」


この黒い塊について念のため沖竹に診てもらうこととなり、ヴァイパーは八郎を連れて志英館を訪れる。

「よぉ、近桃さんはまだくたばらねぇか?」

「……局長はまだまだお元気ですよ。今も任務に出ています。二年前の定期検診以来顔を見せないと思ったら、やっと来ましたね。まったく、私だって八郎くんが心配なのですよ」

ヴァイパーに文句を言うが、単に八郎に会いたいのが見え見えな沖竹。

「沖竹さんも、元気そうで良かった」

「それで、何か用事があって来られたのでしょう?」

「ああ、とりあえずちょっと見てくれ。八郎、まるさんかくしかくーってできるか?このおねぇちゃんに見せてくれ」

「うん!わかった!」

沖竹の前で黒い塊を操り、形を変えて見せる八郎。

「これ八郎くんがやってるの?すごいわねぇ!」

「実は、俺もなぜか同じことができるんだ」

八郎と同じように、黒い塊を出現させて見せるヴァイパー。

「はいはい、すごいすごい」

「ちょっとひどくねぇか?……まぁ体に異常はないんだが、八郎だけじゃなく俺も同じことができるのがちょっと引っかかってな。やっぱりこれは八郎の陰の能力なのか?」

少し考えて沖竹が答える。

「十中八九、八郎くんの能力でしょうね。そしてあなたにも使えるとなると、遺伝的な能力の継承と考えるのが妥当でしょう。ただ面白いのが、父親のあなたよりも八郎くんの能力の方が早く開花したことですね」

沖竹が八郎へ笑顔を向ける。

「ふふ、パパより八郎くんの方が優秀ですねー」

そして、今度はヴァイパーへ目を向ける。

「ヴァイパー。あなたの能力は、驚異的な再生力と状態異常への耐性。これに関しては、あなた自身の能力というより巳の一族が持つ特異体質に近い。つまりあなたは、自分自身に本来備わっている能力を開花させられずに、これまで生きてきたのです。恥を知りなさい!」

「ガーン!」

膝をつくヴァイパー。

「そこまで言わなくても良いじゃないかよ……」

「二年もの間、連絡もよこさなかった罰です。とにかく、心配することはないでしょう。またこの黒い塊について気になることがあればいらしてください」

そして、沖竹が八郎へ顔を向ける。

「八郎くん!食堂に美味しいハンバーグがあるんだけど、一緒に食べに行かない?」

「やったー!いくー!でもパパは?」

「いや……俺は遠慮し……」

「パパも行くんです!私がご馳走しますから、好きなもの食べてください。八郎くんも、いっぱい食べないと大きくなれないわよ?」


志英館から戻り、沖竹から聞いたことをそのままボニーに伝えるヴァイパー。

「ハハハ!沖竹さん言うわね!確かにこの年まで自分の能力を知らなかったヴァイパーが悪いわさ!とりあえず二人に問題がなくて良かった!」

「そうだな。安心したよ。でも八郎のこの能力を“黒い塊”って呼んでいくのってダサくないか?言いにくいし。もっと短くてカッコいい言葉ねぇかなぁ?」

それからヴァイパーは、辞書をありったけ引っ張り出してきて徹夜で能力の名前を考える。

翌朝――ボニーと八郎がまだ眠っているにもかかわらず、ヴァイパーが部屋へ飛び込んでくる。

「能力の名前が決まったぞ!アギトだ!ラテン語で『動かす、変化』という意味がある。八郎、お前の能力が世を動かすほどの力になることを願って」


それから一年後――ボニーは二十歳となり正式に卯の長へ就任する。

これ以上ボニーに世話になってはいけないと、ヴァイパーは六助のいる実家へ戻ることを決意する。

「やっとアンタからもらった帽子が役に立つ日が来たね。本当にあたしがいなくて大丈夫かい?」

「まぁ大変だが、大丈夫だろ。それよりボニーの方が寂しくて耐えられないんじゃないか?」

涙目になるボニー。

慌ててボニーを慰めるヴァイパー。

「あ!でも会いたい時はいつでも来ればいいし、俺たちもちょくちょく遊びに行くからな!」

涙を拭き、ボニーが鼻声で言う。

「それより……いずれ八郎も、自分に母がいないことを疑問に思う年頃になるだろうさ。その時アンタは、八郎になんて説明するつもりなんだい?」


――現在。

灰色の空に、黒い海が広がる。

そこには波の音と、ボニーの言葉だけが聞こえる。

「ヴァイパーは、アンタが負い目を背負わないように『母親は何者かに殺された』と嘘をつくことにしたんだ」

八郎は何も言わず、ただボニーの言葉を聞いている。

「でも、いつかは真実を話さなければならない時が来ることも分かっていた」

ボニーが、静かに八郎を見る。

「ヴァイパーは姿を消す二日前、あたしのところへ来たんだ。『もし俺に何かあったら、夏帆のことを代わりに伝えてくれ』ってね」

「…………」

「八郎。アンタはあたしにとって、我が子のように大切な存在だ」

ボニーの声がわずかに震える。

「だからアンタに真実を話すことが怖かった。アンタに夏帆ちゃんの死の責任を感じてほしくなかったんだ」

そして、ボニーが涙を流す。

「……今まで黙っていて、すまなかった」

八郎は何も言えず、ただ優しく、ボニーの肩を抱くことしかできなかった。


その頃――

ハイリー提督の研究所では、八郎から奪ったアギトのサンプルから、その正体が判明していた。

解析結果を見つめ、ハイリーが小さく息を吐く。

「バジリスクの力が手に入るかと期待していたが……まさか、こんなくだらない物とはな」

そして、興味を失ったように資料から目を離す。

「到底理解できん。サンプルは燃やして構わん。私には必要のないものだ」

研究員の手によって、採取されたサンプルが焼却炉へと送られる。

炎に包まれ、やがてその姿は見えなくなった。

このエピソードはpixivで挿絵付き版も公開しています。

キャラクターデザインが見たい方はこちら!

pixiv:【https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=29211355】

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