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卯の章 一 八郎の誕生

志英館からの帰り――

無事に治療を終え目を覚ましたカレナ。体調はすっかり回復し、見違えるほど元気になっていた。

自らの足で歩く妹の姿に、大吾も感動で一瞬言葉を失う。

「……ところで、カレナはどっちの道を選んだんだ?」

「……実は、私ヒーローになることを選んだの」

「ヒーローに?」

カレナが小さく頷く。

「今までお兄ちゃんや、色んな人に助けてもらった。だから今度は、私が誰かを助けたいと思ったの。お兄ちゃんとは別の道を歩むことになるけど……」

どこか申し訳なさそうに答えるカレナ。

そんな妹に大吾が笑って答える。

「カレナが自分で選んだ道だろ?自信を持っていいんだ。俺はいつまでもお前の兄貴だ。これからも応援するに決まってんだろ」

「……うん」

兄の言葉にカレナが嬉しそうに笑う。

そんな二人の兄妹愛を感じながら、八郎たちは自分たちの街へと戻っていった。


次の日の月曜日。八郎は学校に姿を現さなかった。

「あれ?八郎いないじゃん」

「風邪でもひいたんじゃない?」

大吾と睦子が八郎のいない席を見る。

やがてホームルームが始まり、クボケンが生徒たちへ話す。

「蛇ノ目は家の用事で欠席だ。他に休んでるやついるか?いたら返事しろー」

ホームルームが終わり、大吾と睦子がすぐさまクボケンのもとへ向かう。

「家の用事?私たちそんなの聞いてないわよ」

「俺たち親友じゃなかったのかよー」

「まぁそう言うな。八郎が珍しく一人で出かけて行ったんだ。俺も心配だったから事情を聞こうとしたが、一人で大丈夫としか言わないし。それ以上聞くのも野暮だと思ってなぁ」

そして、クボケンが二人の頭をぐしゃぐしゃと撫でる。

「まぁ、お前等と違って八郎なら一人でも大丈夫だろう!」


一方――

八郎は沖竹から教えられた人物のもとへと向かっていた。

石川県の海岸線。

空は薄い雲に覆われ、海から冷たい風が吹きつける。

その先の砂浜で一人、海を眺めている人物がいた。

ボニーだ。

「朝からウミネコが騒ぐんだ。こりゃ何かあるなと思ってたら、当たってたみたいだね、八郎」

ボニーがゆっくりと八郎の方へ振り返る。

以前会った時とは違い、その姿は八郎と同い年ほどまで戻っていた。

「沖竹さんから聞いたんだろ。とうとうこの日が来てしまったね」

ボニーが小さく息を吐く。

「はぁー……正直、思い出したくないこともあるけど、師として、そしてお前の母の友として、あんたには話さなければならないね。さ、ここに座りな」

八郎が流木へ腰掛ける。焚き火の炎が冷えた身体を温める。

ボニーは立ったまま、静かに海を見つめている。

「これからあたしが話すことは、八郎にとってツラいものとなるかもしれない。でもお前は強くなった。あたしの自慢の弟子だからね。きっと乗り越えられるだろうさ」

「…………」

八郎は黙って、ボニーの言葉を待つ。

そして――ボニーはゆっくりと口を開き、八郎の母の死の真実について語り始めた。


この陰陽の世界において、禁忌とされていることは多々ある。

世に出ていないものがほとんどだが、その中でもヴィランとヒーローの間で広く知られているタブーが存在する。


そして――

時は、八郎が生まれる前へと遡る。

ボニーは、ヴァイパーの弟子の一人である。

寅のダンテ、辰の龍二と共に、ヴァイパーから指導を受けてきた。

三人の技術はみるみる成長し、やがてヴァイパーが師としての役割を終える時がやってくる。

ダンテは自己流で、龍二は父親のもとで修行を続ける道を選んだ。

しかしボニーは、ヴァイパーについていくことを決める。

それは単に、ヴァイパーと一緒にいれば楽しそうだという安直な考えからだった。

それから二人は共に各地を旅し、ヴィランとして様々な任務をこなしていった。

一九七六年。

そんな中、ヴァイパーに真英組の近桃から酉の王・ガンダルフ暗殺の任務が入る。

この任務は近桃から最低限の人数で動くよう言われていたため、ボニーは参加することができなかった。

任務は無事に遂行され、ボニーは安堵する。

ボニーのもとへ戻ってきたヴァイパー。

しかし、その後ろにはもう一人、見知らぬ人物がいた。

任務の際、スタリーナたちの治療にあたった当時七歳の真英組、沖竹総妃である。

ヴァイパーから沖竹を紹介されるボニー。初めこそヒーローである沖竹に苦手意識を抱いていたが、三人で任務をこなすことも多くなり、次第に互いの間に信頼関係が生まれていった。


二年後。ヴァイパーは沖竹とボニーに、一人のミドルの女性を紹介する。

彼女の名は、新垣夏帆。

任務先で出会い、気が合ったということらしい。

夏帆の人柄の良さに、沖竹もボニーもすぐに心を開き、四人はプライベートでも遊ぶほど仲を深めていった。

夏帆は優しく、天然ではあるが筋の通った考えを持っており、沖竹やボニーにとって実の姉のような存在になっていった。そして、ヴァイパーと夏帆の間に友情だけではない特別な感情があることをボニーは感じていた。


そして、その一年後――

ヴァイパーと夏帆は、沖竹とボニーにあることを告げる。

「実は半年前から夏帆と真剣に交際している。それで……夏帆との間に子供ができた」

唐突な夏帆の妊娠報告に、驚きながらも喜びの感情が湧くボニー。

しかし――沖竹は違っていた。

ヴァイパーに近づくと、強烈なビンタをかます。

「あなた!ちゃんと意味を理解して言ってるの!?ミドルの女性がヴィランの子を産むってことは、つまり母親の死……」

夏帆が目の前にいることを忘れるほど、沖竹は憤っていた。

しかし、「死」という言葉を口にしたことをすぐに後悔する。

「……ごめんなさい。取り乱してしまって……」


ヴィランとヒーローの間で知られる禁忌の一つ。

ヴィランとミドルの女性との間に、子供を作ってはならない。

出産時、赤子には多大なストレスがかかると言われている。それに伴い、赤子の陰は膨大に膨れ上がり、その力に耐えきれず、ミドルである母親の身体を蝕んでしまうのだ。

過去にも、この禁忌を犯したことで、多くの母親が命を落としてきた。


「沖竹さん、七瀬を責めないでください。子供を望んだのは私の方なの」

夏帆が静かに口を開く。

「七瀬からは、このことを何度も聞かされていました。でも私は、この人の子供を産みたいと思った。ごめんね。全部、私のわがままなんです。もう覚悟はできています」

その時ボニーはようやくことの重大さを理解する。

気がつけば涙が頬を伝っていた。

「夏帆ちゃんがいなくなるなんて……あたし、もっと夏帆ちゃんといたいわさ……」

そんなボニーを夏帆が優しく抱きしめる。

「私もあなたに出会えてよかった。ボニーちゃん、大好きよ」

ボニーは夏帆の胸の中で泣き続けた。

しばらくして、夏帆は泣き止まないボニーを連れその場を後にする。

部屋にはヴァイパーと沖竹だけが残る。

「先程はごめんなさい……」

「いいんだ。気にしないでくれ」

少しの沈黙が流れる。

やがてヴァイパーが口を開く。

「夏帆の覚悟はできているみたいだ。でも俺は、まだ何かできることがあるんじゃないかって思ってる」

「……」

「ガンダルフ暗殺の任務の時、俺はこう思った。もしアルバス先生の奥さんが贄にならなかったら、あんな残酷なことは起きなかったんじゃないかって」

ヴァイパーがゆっくりと言葉を続ける。

「これまで贄になった者たちにしてもそうだ。昔からのしきたりだからって、多くの者が贄にされてきた。でも、なぜ贄が必要なのか。贄になった者がどうなるのか。それを本当に知ってる奴なんていやしない」

沖竹は黙ったままヴァイパーの言葉を聞いている。

「しきたりだとか、運命だとか、禁忌だとか……俺にとっちゃ年寄り共の戯言だ」

そこで沖竹が口を開く。

「それで、あなたは何が言いたいのですか?」

「……夏帆を死なせたくない」

ヴァイパーの声が静かに響く。

「このタブーは俺たちの間じゃ当たり前のこととして語られてきた。でも、それに抗ってみた者は今まで誰一人としていない」

沖竹を真っ直ぐに見つめる。

「ここには最高の医者がいる。最高の設備も整っている。俺たちなら乗り越えられる。しきたりや運命だって変えられる」

そして――ヴァイパーは沖竹の前に跪き、深く頭を下げる。

「だから……夏帆を死なせずに子供を産む方法を見つけてほしい。沖竹さん、あんたしか頼れる人がいないんだ。頼む」

「……頭を上げてください」

沖竹が静かに答える。

「言われなくても、私にできることなら何でもします。ですが、どんな手段を取ろうとも前例がありませんから、成功の保証はできません。今はまだ……考えさせてください」

そう告げると、沖竹は静かに部屋を出ていった。


自室へ戻り、デスクの椅子へ腰を下ろす。

その瞬間――張り詰めていた糸が切れたように、沖竹の感情が溢れ出す。

「馬鹿な……!いくら私でも、運命に抗うことなんてできはしない!」

強く握りしめた拳が震える。

それは誰かに対する怒りではない。

人が抗うことのできない運命に挑み、前例のない領域へ踏み込むことへの、不安と恐怖だった。

だが――自ら口にした、「運命」という言葉。

その言葉をきっかけに、沖竹は以前、夏帆と交わした何気ない会話を思い出す。

「沖竹さんは、運命とか信じる?」

「運命ですか……私はあまり非科学的なものは信じませんね」

「ふふ、沖竹さんらしい。実は私も運命は信じてないの」

「意外ですね……夏帆さんは、そういうの大事にする方だと思ってました」

「正確にはね、“運命”って言葉を使いたくないの」

「?」

「よく言うじゃない?運命の出会いとか。あれって、誰かに自分の人生を決められてるみたいで、なんか腑に落ちないなぁって」

夏帆が笑う。

「だから私は、運命じゃなくて奇跡だって思ってる」

「奇跡……ですか?」

「うん。奇跡なら、自分の選択が積み重なって起きた偶然だって思えるから」

「……うーん、私にはよく分からないですね……」

「みんなとの出会いも、私にとってかけがえのない奇跡なのよ?」

夏帆がいつもの笑顔を沖竹へ向ける。

「沖竹さん。あなたに出会えたこと、本当に幸せに思ってる。普段の行いが良いからなのかもね!えっへん!」

あの時の夏帆の笑顔。

今なら――夏帆が言っていた「奇跡」を信じてみたいと思えた。

沖竹は顔を上げる。

そして、この運命を奇跡に変える方法を模索し始めた。


それから時はあっという間に過ぎ、ついに夏帆の出産の時期がやってくる。

あの日からずっと、夏帆とその子供が助かる方法を考え続けてきた沖竹。

そして、ヴァイパーたちに出産の手筈を伝える。

「今回の出産は、禁忌に背く前例のないものとなります。もしこのことが外部に漏れれば、私を含め皆さんに厳重な処罰が下るでしょう」

沖竹が一同を見渡す。

「ですから、この出産は内密に、できる限り少人数で行います。分娩は帝王切開を考えています。陣痛や出産時の体力の消耗を抑えるという理由もありますが、何より私たちには準備が必要です」

誰も口を挟むことなく沖竹の説明に耳を傾ける。

「万全の体制で出産に臨みます。私の助手として、医療課の産婦人科で多くの経験を積んだベテランスタッフを呼んでいます。術中はもちろん麻酔を使用しますが、さらに私の能力で催眠をかけ、痛みや出血性ショックなどのリスクを極力減らします」

そして沖竹の視線がヴァイパーへ向く。

「問題は、分娩時に増大する胎児の陰です。知っての通り、分娩時には胎児の陰が膨大に膨れ上がり、母体へ大きな影響を及ぼすでしょう」

一呼吸置き、沖竹が続ける。

「しかし裏を返せば、胎児の陰を制御できさえすれば、母体への影響を最小限にできる可能性があります」

「そこでヴァイパー。あなたには、胎児から発せられる陰を夏帆さんの代わりに受け止めてもらいます。並外れた量になると思いますが……あなたならできますね?」

「もちろんだ!沖竹さん、本当にありがとう……」

「感謝するのはまだ早いです」

真剣な表情のまま沖竹が言う。

「母子共に無事に出産を終えた時まで、とっておいてください」

そして、今度はボニーへ視線を向ける。

「ボニーさん。申し訳ありませんが、術中は外でお待ちいただきたいです。何が起こるか分かりませんし、おそらく壮絶な手術になると思います」

沖竹がわずかに表情を曇らせる。

「見たくないものを見ることになる可能性もありますから……」


そして――手術当日。

手術室へ向かう直前、ヴァイパーが夏帆へ声をかける。

「夏帆、絶対に大丈夫だからな!」

「うん。それに、もし私の命が尽きても……私はずっと、あなたたちのそばにいるからね」

「そんな不吉なこと言うなよ。沖竹さんなら必ずうまくやってくれるさ。俺もずっとそばにいるから」

夏帆が、静かに微笑む。

そして、手術室へ入っていく一同を、

ボニーが心配そうに見送る。

この時はまだ、誰もが奇跡が起こることを信じていた。

このエピソードはpixivで挿絵付き版も公開しています。

キャラクターデザインが見たい方はこちら!

pixiv:【https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=29202893】

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