戌の章 一 長野県
その日も雨だった。
いつものように仕事を終え、自室で一息つくドグ。
そんな彼に、温かいコーヒーを運ぶプルー。
「父さん、今日もお疲れ様です!」
「ありがとう。今日は雨がひどい。暖かくして寝るんだぞ」
その時――
インターホンが鳴る。
「誰だ、こんな雨の中……」
玄関の扉を開く。
そこには、ずぶ濡れになった巳の一行がいた。
菜々子の背には、ボロボロになった八郎。
大吾の背には、意識を失ったクボケン。
「博士……!八郎が!」
二人の姿を見たドグが、すぐに察する。
「こりゃあいかん。マクベスの鎧が解けたんか?」
ひとまず工場内へと入れるドグ。
「話は後だ。ドリアン、ピッチ、グレイプ!手を貸してくれ!」
ドグの呼びかけに、戌の仲間たちが駆けつける。クボケンと八郎を、急いで治療室へと運び込む。
クボケンの身体を調べドグが眉をひそめる。
「ステロの暴走は、今のところ抑え込まれているようだが……八郎も無茶しよる。これじゃあ抑えきれんくなるのも時間の問題だ。八郎の身が持たん。とりあえず今は応急処置程度しかできん」
八郎は少しずつ自己治癒をしているが、意識が戻らない。
「八郎には下手に手を出さん方がいい。このウイルスは接触感染するからな。まだウイルスが残っているかもしれん。ここは八郎の自己治癒に任せよう」
ドグが床へ手を伸ばす。
すると――何もなかった床に、ぽっかりと黒い穴が現れる。
その中へ腕を突っ込み、治療に必要な器具を次々と取り出していく。
「……なんだ、その穴?」
大吾が不思議そうに覗き込む。
「わしの能力――四次元ホールだ。好きな物を中にしまっておける」
取り出した器具をドリアンへ手渡す。ドグとドリアンが交代で、マクベスの鎧と安全装置の状態を確認し、再調整を進める。
プルーたちと菜々子たちは、そのそばで八郎を見守っていた。
「八郎のこんな姿、見たことないぜ……」
大吾が眠る八郎を見つめる。
「私たち、いつも八郎に守られてばっかりだ……」
辺りは重い空気に包まれている。
やがて――気づかぬうちに雨は上がり、雲の切れ間から月明かりが差していた。
そこへ、ドグが戻ってくる。
「もう大丈夫だ。ここにステロが現れることはないだろう。健司も命に別状はない。上出来だ。ただ、思った以上に鎧と安全装置に負担がかかっている。再調整には三日はかかるだろう。お前たちも疲れただろう。時間はあるから、ここでゆっくりしていきなさい」
菜々子が眠ったままの八郎を見る。
「何から何までありがとうございます。でも、やっぱり八郎が心配で……」
「まぁ、そんなに心配せんでも大丈夫だ。あのヴァイパーの息子だ。そう簡単にはくたばらんさ」
ドグが改めて一同を見る。
「それにしてもお前たち、よくこんな雨の中、この山奥の工場まで来れたな。車で来たのか?」
「…………」
すっかり半三のことを忘れていたことに気づく。
「ご、ごめん半三!娘さん大丈夫?」
「それなら問題ないっす。じぃじとばぁばに預けてきたんで」
半三が答える。
「急に連絡が来たと思ったら、まさかこんなことになってるとは思いませんでしたよ。高速飛ばしてきて正解でした」
そして、神妙な表情で治療室を見る。
「健司様は……どうなっちゃったんですか?」
「実は私も、健司のことについて詳しくは知らないの」
菜々子がドグへ問いかける。
「博士。健司について、何か知りませんか?」
「…………」
ドグが少し考える。
「これは推測も含めての話になるが、ヴァイパーから聞いた話も交えて、お前たちには話しておかんといかんな」
そして――ドグはヴァイパーと健司の過去について語り始める。
健司の過去
一九八六年、冬――
雪の降る街を、一人の少年が歩いている。
ここがどこなのか。自分が誰なのか。名前すら分からない。
何一つ思い出せないまま、ただ街を彷徨っていた。
そんな少年に、一人の男が肩をぶつける。
「おい!どこ見て歩いてんだ!」
「…………」
突然難癖をつけられ、少年の中に小さな怒りが芽生える。
その瞬間――少年の身体から、黒く禍々しい陰が溢れ出す。
身体をウイルスが覆い、先ほどまでの少年とは似ても似つかない異形へと姿を変える。
異形に触れられた者たちはウイルスに侵され、次々とその場へ倒れていく。
この異常事態は、すぐさまヴィラン協会と真英組へ伝えられた。
異形討伐のため派遣されたのは――午の頭首、チャールズ・フランプ。
そして、真英組一番隊組長――沖竹総妃。
「なんと禍々しい陰じゃ……」
「触れずに攻撃となると、なかなか厄介ですね」
異形と対峙する二人。
しかし――その圧倒的な陰の量。そして、触れることすら許されないウイルスを前に、思うように攻めることができない。
そこへ一人の男が現れる。
「俺の島で好き放題やってくれたなぁ」
ヴァイパーだ。
「奴は触れた者を死に至らしめるウイルスをまとっています。下手な接近戦は避けなさい」
沖竹の忠告に、ヴァイパーが異形を見る。
「ほぉ、ウイルスか。でもよぉ、こんな街のど真ん中で暴れたら近桃さんに叱られるしなぁ。いっちょ新技でも試してみるか」
ヴァイパーが手のひらを下へ向ける。
「陰武召喚――アイアンメイデン」
巨大な人型の棺が現れ、自らと共に異形をその中へ閉じ込める。
内部から、異形の暴れる音が響き渡る。
やがて――
その音は次第に小さくなり、静寂へと変わる。
棺がゆっくりと開き、中から現れたのは――力を使い果たし眠る少年と、彼を担ぐヴァイパー。
「あー痛ぇー。なかなかしぶとかったな。こいつが異形の正体みたいだぜ?」
そう言いながらも、ヴァイパーにはまだ余裕が感じられる。
ひとまず異形の暴走が収まったことが確認され、少年は志英館にある沖竹管轄の医療課へと運ばれた。
やがて少年は目を覚まし、ヴァイパー、沖竹、チャールズの三人が彼に事情を聞く。
しかし――少年には、それ以前の記憶が全くなかった。
さらに、自分の中にある力を制御することもできず、少年自身もその力に怯える始末。
念入りに少年の身の回りを調べるも、身元を示すものも、その手がかりになるものも見つからない。
ただ一つ。少年が身につけていた、小さなタグを除いて。
そこには――『Stero』とだけ刻まれていた。
それが人の名前なのか。何かを示す記号なのか。その意味は、誰にも分からなかった。
そして少年の中から現れるあの異形は、そのタグに刻まれていた文字から、いつしか「ステロ」と呼ばれるようになる。
「やはり未のもとで強制収監しかないんじゃなかろうか。ジャイロならうまいことやるじゃろ」
チャールズの意見に、沖竹も同意する。
しかし――ヴァイパーが口を開く。
「俺がコイツを引き取る。網走に送っても死人が出るだけだ。俺のそばに置いた方が安全だ」
「またあなたは!すぐに物事を勝手に決めてしまう」
「すまん、沖竹さん。でも今度はうまくやる。もう一度だけ俺を信じてくれないか?」
不服そうな沖竹。
そこへ、近桃が現れる。
「沖竹や、そう怒るでない。話は聞いておったぞ。網走も囚人で溢れておるし、ヴァイパーの言うことも一理ある。それにこやつの頑固さは知っておろう。ここはヴァイパーに任せてもよかろう」
こうして、少年を引き取ることになったヴァイパー。
その後、少年の力を抑える方法をドグに相談する。
そしてドグの発明によりステロの力を抑える陽の鎧が作られ、マクベスが誕生した。
「少年に久保田健司という名をつけたのはヴァイパーだ」
現在へ戻り、ドグが話を続ける。
「あれから十年も経つのか。わしも手を尽くしたが、なにをしても健司の記憶が戻ることはなかった」
黙ってドグの話を聞く菜々子たち。
「ヴァイパーに頼まれて健司の細胞を調べてみたが、ただ一つわかったのは、元は普通の人間だったということだけだ」
「普通の…?それってつまり…?」
「何者かが意図的に健司の細胞にウイルスを埋め込んだのだろう。かろうじてウイルスに適応したが、その後遺症で健司は記憶を失い、自我さえも失いかけた。健司は自分をヴィラン化させた犯人と、過去の記憶を知るためにヴァイパーと共にするようになったわけだ」
「そんなことがあったなんて……初めて聞いた…」
菜々子が俯く。そして、
「でもヴァイパーには、健司を引き取るメリットはないんじゃない?」
ふと浮かんだ疑問を投げかける。
「まぁな。自分が引き取るのが安全と言っておったが、それは建前だろう」
ドグが続ける。
「健司の核には、陽による安全装置が設置されている。マクベスの鎧が解けても、それだけでステロは姿を現さん仕様だ。しかし人間の姿の時に攻撃され、命の危険に陥ると安全装置は解除され、ステロが姿を現す」
「…………」
「わしの元にいれば、そう命の危機に遭うこともなかろうし、何かあってもすぐに対処できる。でもヴァイパーは健司をそばに置くと言ってきかんかった」
ドグが眠る八郎を見る。
「おそらく、幼い八郎を任せられる者を探しておったのだろう。ヴァイパーはその時から、自分にもしものことがあった時のことを危惧しておったのかもな……」
少し間を置き、今度はドグが菜々子へ尋ねる。
「そういえば、まだ聞いていなかったな。どうしてマクベスの鎧が解けたんだ?」
菜々子が、申との干支合戦で起きたことをドグに話す。
「なるほどなぁ……。どうやらこのウイルスの出所は、ハイリーのところのようだ」
ドグの表情が曇る。
「ハイリーの部下がウイルスに接触しても死ななかったのは、同じウイルスに感染し適応しているからと推測できる」
そして――怒りと悲しみの入り混じった表情で俯く。
「ハイリーのやつめ、八郎の母のことなど知るわけなかろうに。あいつは本当に変わってしまった……」
その時――工場内に警報が鳴り響く。
『ネットワークに異変。違法侵入者あり。至急対応せよ』
「こんな時に限って……」
ドグが表情を変える。
「すまんが急用が入った。どうやらウェブに違法アクセスした者が現れたらしい」
「ウェブ?」
「わしら戌は、ウェブ上の管理を任されておる。ウェブには陰陽にまつわる重要な情報も保管されておってな。直ちに現場へ向かわんといかんのだが……」
ドグが治療室へ目を向ける。
「わしとドリアンは、マクベスの鎧と安全装置の再調整をせないかん。これは弱ったことになった」
困った様子のドグを見て、大吾と睦子が名乗り出る。
「散々世話かけちまったからな!俺たちが行くぜ!」
「私たちにできることならなんでも言って!でもウェブの調査ってどうやってするの?」
「すまん、恩に着る!とりあえずわしについてこい」
ドグに着いていく二人。
菜々子と半三は、八郎の付き添いのためその場に残る。
ヴィランへと変身した大吾と睦子。
同じく変身したプルー、ピッチ、グレイプと合流する。
ドグに案内された先には、横一列に並んだ五つのカプセル。
「これはわしが開発した転送装置だ。このカプセルに入ると、肉体をそのままデジタルの世界へ転送できる」
「肉体ごと!?」
驚くメアリーに、ドグが続ける。
「そうだ。無論、デジタル世界で受けたダメージは現実で受けたものと同じだ。気を抜くなよ」
五人がそれぞれ、カプセルの中へ入っていく。
「コイツらで大丈夫なの?足、引っ張らないでよ」
グレイプがジミーとメアリーを見る。
「そんなこと言わないの!二人ともごめんね。本当は感謝してるの」
ピッチがすぐにフォローする。準備を終えたプルーが、カプセルの中から声を上げる。
「父さん!準備OK!いつでも大丈夫です!」
ドグが装置へ手をかける。
「では始めるぞ!」
そして――
「転送開始!」
五人の身体が、カプセルの中から消えていく。
このエピソードはpixivで挿絵付き版も公開しています。
キャラクターデザインが見たい方はこちら!
pixiv:【https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=29142676】




