一ノ瀬結衣の苦難 三
高校に通いながら、志英館で陽の修行を続ける結衣。
四番隊組長・松笠休地の指導のもと、その力は着実に上がっていた。
もともと結衣が志英館へ通い始めたのは、ヒーローになるためではない。
自分でも制御できなかった、この怪力をどうにかするためだ。
しかし――陽の扱いだけでなく、筆記、技能、水中訓練、高所訓練。
次々と課される訓練を、結衣は順調にこなしていく。
そして、ある日の訓練後。
「一ノ瀬や」
松笠が結衣を呼び止める。
「お前さん、プロヒーロー試験を受けてみてはどうじゃろか?」
「……え?」
思いもよらない言葉に、結衣が目を丸くする。
「……プロヒーロー?」
「そうじゃ。ここまでの訓練も十分こなせておる。受けてみる価値はあると思うがのぉ」
「…………」
まさかヒーローになることを勧められるなんて。
だが――そのことを考えるよりも先に、結衣にはどうしても確かめておきたいことがあった。
兄――一ノ瀬英雄。
そして、その敵役であるバジリスク。
結衣はすでに知っている。兄には――陽を扱う才能がない。
それなのに、なぜバジリスクは、いつも兄に負けているのか。
そしてもう一つ。
ずっと心に引っ掛かっていることがある。
かつてレイリーに襲われた時――自分を助けた、あの人物。
本当にあれは、兄だったのだろうか。
「…………バジリスク」
結衣の中で、一つの疑問が次第に大きくなっていた。
志英館からの帰り道。
結衣が一人、街を歩いている。
その時――ドゴンッ!!
少し離れた場所から、大きな音が響く。
「……?」
音のした方へ目を向けると――空を勢いよく飛んでいく、一人の男の姿。
「バジリスク……!」
吹き飛んできた方向を見ると、いつものようにビクトリーが勝利のポーズを決めている。
「…………」
まただ。
陽を扱うことのできない兄が――なぜかバジリスクに勝っている。
結衣は、吹き飛ばされたバジリスクの行方を見つめる。
そして――迷うことなく、その後を追い始める。
しばらく走ると、人気のない場所を歩くバジリスクの姿を見つける。
結衣は少し距離を取りながら、その背中を追う。
だが――
「……なぜ私をつけてくる」
「えっ!?」
突然バジリスクが振り返る。
結衣が足を止める。
「き、気づいてたの?」
「…………」
少し気まずそうに目を逸らす結衣。
しかし――すぐにバジリスクをまっすぐ見つめる。
「ねぇ、教えて」
「……何だ?」
「あなたは、なぜお兄ちゃんと戦ってるの?」
バジリスクの表情が僅かに変わる。
「それに――」
結衣が一歩近づく。
「前に私がレイリーに襲われた時、助けてくれたのもあなたなんでしょ?」
「…………」
「私、ずっと気になってたの」
返事を待つ結衣。
だが――
「そんな記憶はない」
それだけ言って、バジリスクは再び歩き出す。
「ちょ、ちょっと待ってよ!」
結衣が追いかける。
「まだ話は終わってない!」
「いや終わった」
「終わってないってば!」
歩く速度を上げるバジリスク。
結衣も速度を上げる。
「待って!」
「……ついてくるな!」
そして――走り出すバジリスク。
「逃げた!」
全力で走るバジリスク。
その後を、結衣が必死に追いかける。
「待ってってばー!」
「ついてくるな!」
その途中――向こうから大吾が歩いてくる。
「おー、八郎。どうしたんだ、そんな慌てて……」
走ってくるバジリスクの後ろを見る。
「って、一ノ瀬!?」
バジリスクはそのまま大吾の横を駆け抜ける。
結衣もそれに続く。
「…………」
その場に立ち尽くす大吾。
「やべぇ!」
すぐに二人の後を追い始める。
「一ノ瀬に八郎の正体がバレたらマズい!」
さらに走っていると――今度は睦子が歩いてくる。
「あ、八郎!珍しく慌ててどうし――」
その後ろを追う結衣に気づく。
「って、結衣ちゃん!?」
「睦子!説明はあとだ!」
大吾が走りながら叫ぶ。
「一ノ瀬に八郎がバジリスクだってバレたらヤバい!行くぞ!」
「ええっ!?」
状況も分からないまま、睦子も走り出す。
こうして――バジリスクを追う結衣。
その二人を追う、大吾と睦子。
四人は街中を全力で駆け抜けていく。
「ちょっと待って!」
睦子が前方を見て叫ぶ。
「その先――!」
「え?」
結衣が前を見る。
そこには――崖。
「うわっ!」
「きゃあああっ!」
勢いを止めきれないバジリスクと結衣。
二人の身体は、そのまま崖の下へと――落ちていった。
崖の下の川へと落ちる結衣とバジリスク。
バジリスクが水面から顔を出す。すぐに周囲を見回す。
「結衣!」
少し離れた場所に、結衣の姿が見える。
バジリスクが急いで泳ぎ寄り、その身体を抱える。
「結衣!大丈夫か!?」
返事はない。
そのまま結衣を抱え、川岸へと上がる。
遅れて大吾と睦子も駆けつける。
「おい!大丈夫か!?」
「私は大丈夫だ。だが――」
腕の中の結衣を見る。
「結衣は気を失ったみたいだ」
「えっ!?」
睦子が心配そうに結衣へ駆け寄る。
「実は結衣、泳げないんだよ」
バジリスクは周囲に人がいないことを確認し――八郎の姿へ戻る。
「小さい頃にも、一度川で溺れたことがあってさ」
二人の顔を見る。
「悪いんだけど、結衣を助けたのは大吾と睦子ってことにしてくれない?僕が助けたって分かったら面倒だからね。」
そう言うと――八郎は大吾と睦子をまとめて川の浅瀬へ突き落とす。
「うわっ!」
「きゃあっ!」
びしょ濡れになった二人が八郎を睨む。
「つ、つめてぇ!!」
「もーう!何すんのよ!」
「だって、その方が自然でしょ?」
「これは貸しだからね!」
睦子が怒鳴る。
しばらくして――結衣がゆっくりと目を開ける。
目の前にいるのは、びしょ濡れになった大吾と睦子。
「……大吾くんと…睦子ちゃん?」
「お、おう!」
大吾がぎこちなく答える。
「お前、川で溺れてたんだよ。俺たちが助けたんだ」
「……そうだったんだ」
結衣が身体を起こす。
「ありがとう、二人とも」
その後――結衣は二人と別れ、家へと向かう。
だが、一人になった結衣の表情が変わる。
「…………」
実は――
川から引き揚げられた時には、結衣はすでに意識を取り戻していた。
志英館で受けていた水中訓練によって、もうカナヅチの結衣ではない。
つまり結衣は、川岸で交わされていた会話を――すべて聞いていた。
「……八郎」
結衣が立ち止まる。
そして――これまで抱いていた疑問が、一つの答えへと変わっていく。
レイリーに襲われたあの日。
自分を助けてくれたのは――やはり兄ではなかった。
「……やっぱり」
結衣が小さく呟く。
「私を助けてくれたのは、バジリスクだったんだ」
こうして結衣は――
バジリスクの正体が、八郎であることを知ってしまう。
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