猫の章 三 島根県
猫屋敷の奥へと進む八郎とシカオ。
「……近い」
八郎が足を止める。
奪われたアギトが先ほどまでより、はっきりと感じられる。
そして――これまで出会ったものとは比べものにならないほど、巨大な気配。
「この先か……」
シカオが警戒しながら進む。
やがて二人が辿り着いた、その場所には――
巨大な猫神が、苦しげに身体を震わせていた。
「……なんだ?」
シカオが眉をひそめる。
猫神の身体から――黒い靄のようなものが、次々と漏れ出している。
「様子が変だぜ……」
八郎が猫神を見つめる。
「……僕のアギトだ」
「なに?」
「僕のアギトが、猫神から漏れ出してる」
「どういうことだ?」
「分からない。でも――」
八郎は猫神から目を離さない。
「アギトが暴走している」
一方――
猫盗楽団との戦いを終えた一行。倒れた四人を前に、ルーシーが腕を組む。
「さぁ――そろそろ聞かせてもらおうじゃないか」
アキナたちがルーシーを見る。
「アンタらが、そこまで子と丑を恨む理由をね」
しばしの沈黙。
やがて――タオが静かに口を開く。
「私たち猫の一族は、悪役十二支から外れたあとも――悪役十二支になることを諦めてはおりませんでした」
タオの表情が険しくなる。
「月戒十二選戦――その戦いで、私たち猫の一族を集中的に殺めた――子と丑」
タオがルーシーを見る。
「猫の一族は、長い年月をかけて、その恨みを受け継いできたのです」
続いて、タンクが口を開く。
「俺たちの親もそうだった」
先ほどまでの陽気な表情はない。
「ずっと子を恨んでた。そして――あの事件を起こした」
大吾が眉をひそめる。
「事件?」
「子の一族の虐殺だ」
「……!」
「俺たちの親は寿命を削って死神を呼び出し、子の一族を襲った」
タンクが拳を握る。
「けど、子の奴らも簡単にはやられなかった。戦いは長引き――」
一度、言葉を止める。
「俺たちの親も、寿命が尽きて死んじまった」
シェイドが淡々と続ける。
「残された俺たちは、子が滅びたと思っていた。子がいなくなれば――その空いた十二支の座に、猫が入れる。少なくとも、俺たちはそう信じていた」
シェイドがルーシーを見る。
「だが――子は滅びてなどいなかった」
ルーシーの表情が僅かに変わる。
「子の血を引くリンダが現れ、後継者となった」
「…………」
「俺たちの親は――何も成し遂げられないまま死んだ」
重い沈黙が流れる。
そして――アキナが口を開く。
「だから私たちは、両親の悲願を果たすためにライブを襲撃した」
その声に迷いはない。
「リンダの能力を奪い――その力で丑への復讐を果たそうとしたんだ」
「でも、実際に奪ったのは八郎のアギトでしょ?」
菜々子が尋ねる。
「…………」
アキナが一瞬、言葉を止める。
「お目当てのものとは違ったが……」
拳を強く握る。
「巳の長の力だ。これほどの力があれば――悪役十二支への復讐には十分だ」
そう言い切るアキナ。
しかし――
ニャオオオオオオオン!!
猫屋敷の奥から、苦しげな鳴き声が響き渡る。
「……!」
アキナの表情が変わる。
「猫神様……?」
屋敷そのものが震えるほどの声。
タオたちも互いに顔を見合わせる。
「何かがおかしい……」
アキナが無理やり身体を起こす。
「猫神様が、苦しんでいる」
苦しげな鳴き声のする方へ向かう。巳と子も、そのあとを追う。
辿り着いた先には――猫神を見つめる八郎とシカオの姿があった。
「こりゃ何が起こってんだい……」
ルーシーが猫神を見上げる。
八郎が猫神から目を離さず答える。
「僕のアギトが、猫神の中で制御できなくなってる」
猫神の身体から黒い靄が絶え間なく溢れ続けている。
その量は、先ほどよりも明らかに増している。
ニャオオオオオオオン!!
猫神が苦しげに鳴き――その巨体が大きく膨れ上がる。
身体を覆う毛は逆立ち、鋭い爪と牙が剥き出しになる。
先ほどまでとは比べものにならないほど、凶暴な姿へと変貌していく。
「猫神様!」
アキナが叫ぶ。
「おやめください!」
しかし――猫神はアキナの声に反応しない。
巨大な前脚を振り上げ、そのまま四人へと叩きつける。
「っ!」
咄嗟にかわすアキナたち。
だが、先ほどの戦いですでに身体は限界に近い。
続けて振るわれた一撃に――四人まとめて吹き飛ばされる。
「こりゃやばいね…いくよ!」
ルーシーたちも戦いに加わる。
それぞれが猫神へ攻撃を放つが、猫神のアギトによって攻撃が防がれていく。
「くそっ……!」
シカオが猫神を睨む。
「このままじゃ、屋敷ごとぶっ壊されちまうぞ!」
その時――
「……鈴を……」
か細い声。シカオが振り返る。
倒れたアキナが、猫神の首元を指差す。
「あの鈴を……壊して」
「鈴?」
「あの鈴に、奪った能力が封じられている」
アキナが苦しそうに身体を起こす。
「あれを壊せば――」
八郎を見る。
「アギトは、八郎に戻るはずだ」
「分かった!」
シカオがすぐさま前へ出る。
ギターを奏で――死神を召喚。
風の死神が弓を構える。
吹き荒れる風が――一本の矢へと集まっていく。
シカオが静かに告げる。
「風神の弓」
放たれた風の矢が、一直線に猫神の首元へ飛ぶ。
鈴へ直撃し――亀裂が走る。
そして次の瞬間。
鈴が砕け散る。
「……!」
猫神の身体から、黒い霧が一気に溢れ出す。
それはそのまま宙を駆け――八郎の身体へと吸い込まれていく。
八郎が自分の手を見る。
「……よし、これならいける」
失われていた感覚が――再び身体の中に蘇る。
「……アギト」
その瞬間、八郎の全身を、陰が包み込み――
バジリスクへと姿を変える。
「八郎!」
睦子たちの表情が明るくなる。
しかし――
ニャオオオオオオオン!!
アギトを失っても、猫神の暴走は止まらない。
巨大な前脚を振り上げバジリスクへと襲いかかる。
「……!」
バジリスクが咄嗟に飛び退く。
猫神の爪が地面を大きく抉る。
「仕方ない…。」
バジリスクがアンフェスバエナを構える。
バジリスクへ向かって突進する猫神。
その懐へ一気に踏み込み、アンフェスバエナを振り抜く。
強烈な一撃が猫神の顔面を捉える。巨体が大きくよろめく。
それでも猫神は爪を振り回し、なおも襲いかかってくる。
「だったら――」
バジリスクが片手を前へ出す。
その足元から――巨大な影が広がっていく。
「処刑No.22――」
猫神の周囲を囲むように、巨大な釜が姿を現す。
そして――
「煉獄油茹」
猫神の巨体が、大釜の中へと落ちる。
ニャオオオオオオオン!!
煮えたぎる油が猫神の全身を包み込む。
触れた瞬間、油の表面が激しく泡立ち、逆立っていた毛がみるみる油に沈んでいく。
猫神は大釜の縁へ爪を立て、必死に這い上がろうとする。
だが――身体を動かすたびに油が大きく波打ち、再びその巨体を飲み込んでいく。
辺りには焦げた臭いと黒い煙が立ち込める。
「ニャアアアアア……!」
次第に鳴き声は弱まり、大釜から伸びていた爪がゆっくりと滑り落ちる。
やがて――
猫神は動かなくなった。
「…………」
アキナが、その姿を見つめる。
「……猫神様」
静まり返る猫屋敷。
バジリスクがゆっくりと構えを解く。
猫神の暴走は――終わった。
しかし、アキナたち四人の傷は深い。
猫盗楽団との戦いに加え、猫神の攻撃まで受けた身体はすでに限界に近づいていた。
「…ここまでみたいだな」
タンクがその場に崩れ落ちる。
続いてタオ、シェイドも膝をつく。
アキナも壁へ手をつきながら、どうにか身体を支えていた。
しかし――
力が抜け、その場へ座り込む。
八郎がアキナのもとへ駆け寄る。
アキナが拒む。
「……近づくな」
「でも――」
「もういい」
下を向くアキナ。
「私たちは負けた」
その声に、先ほどまでの強さがない。
しばらく黙ったあと、アキナが小さく笑う。
「……結局、何一つうまくいかなかったな」
八郎がアキナを見る。
「復讐も――」
一度、言葉を止める。
「弟も…助けることができなかった……」
「……弟?」
八郎が聞き返す。
アキナは目を閉じる。
「さっき、目的は両親の悲願を果たすためだと言ったな」
「…………」
「それは嘘じゃない」
アキナがゆっくりと顔を上げる。
「私もずっと、子と丑を憎んできた」
そして――拳を握る。
「でも……」
その手から、次第に力が抜けていく。
「本当に欲しかったのは、復讐するための力ではない」
一同がアキナを見る。
「子の一族を襲った、あの虐殺事件――その時、猫神様は子から一つの能力を奪っていた」
ルーシーが眉をひそめる。
「私たちは、それが子の不死の力だと思っていた」
アキナが苦しそうに息を吐く。
「だが――違った。鈴の中に封じられていたのは……呪いだった」
「呪い……?」
八郎が呟く。
「月の神から不死の力を授かるより以前――子の一族が持っていた能力」
アキナが目を伏せる。
「呪詛だ」
その言葉に、一同が黙る。
「鈴からその力が漏れ出し――生き残った猫の一族は次々と呪いに侵された。そして……」
アキナの声が僅かに震える。
「私の弟も、その呪いに侵されている」
「…………」
拳を握りしめる。
「私はずっと……弟を助ける方法を探していた」
ルーシーを見る。
「そしてようやく、弟を助ける唯一の方法を見つけたんだ。リンダが使う、薔薇の死神だ」
ルーシーの表情が変わる。
「薔薇の死神には、どんな傷や病をも癒す力があるらしい。だから私は――」
アキナの声が詰まる。
「弟を助けるために、どうしてもその力が欲しかった」
アキナの本心を聞き、しばらく誰も口を開けない。
だがその沈黙を破ったのは――シェイドだった。
「俺たちは知っていた」
アキナがシェイドを見る。
「アキナが、何のためにリンダの力を欲していたのかを…」
「シェイド……」
タオが小さく微笑む。
「だからこそ、私たちはあなたについてきたのです」
タンクも力なく笑う。
「復讐なんて、何も生みやしねぇからな」
「…………」
アキナが三人を見る。
言葉が出ない。
その時――タンクが八郎へ顔を向ける。
「なぁ、八郎」
「……なんだい?」
「巳の一族には再生能力があるんだろ?」
八郎の表情が僅かに曇る。
「その再生能力で……アキナの弟を助けられねぇか?」
「…………」
自分の身体なら、傷を負っても再生することができる。
だが――その力が他人にも使えるのか、八郎自身にも分からない。
ましてや相手を蝕んでいるのは、傷や病ではなく――呪い。
「僕にも……分からない」
八郎が正直に答える。
「やってみることはできる。でも、治せるとは約束できない」
タンクが静かに目を閉じる。
「……そうか」
「でも――」
八郎が続けようとした、その時。
「だったら、もっと確実な方法があるじゃないか」
ルーシーが口を挟む。
一同が振り返る。
「要は――」
口元を僅かに上げる。
「薔薇の死神を呼べればいいのさ」
アキナが目を見開く。
ルーシーが大吾へ視線を向ける。
「骸骨ボーイ。リンダさんのギター弾けるんだろ?」
「え……まぁ」
ルーシーがニヤリと笑う。
「だったら――」
「一か八か、やってみようじゃないか」
「……そんなことができるのか?」
アキナがルーシーを見る。
「死神は奏者の音や旋律に応えて出てくる」
ルーシーが大吾を見る。
「だったら、リンダさん本人じゃなくたって――薔薇の死神が応える可能性はある」
大吾が背負っていたギターへ目を落とす。
かつて――リンダが使っていたギター。
「でもよ……」
大吾が不安そうに弦へ触れる。
「俺、リンダさんみてぇに弾けるかな……」
ルーシーが隣へ立つ。
「私はずっと、リンダさんの歌を聴いてきた」
ギターを見る。
「アンタはずっとそのギターを弾いてきた」
「…………」
「大丈夫さ。二人でやれば――きっとうまくいく」
ルーシーがアキナたちを見る。
「あとは――」
一同の視線が集まる。
「薔薇の死神とリンダさんの契約が、今も残っているかってことだね」
ルーシーが一度言葉を止める。
「つまり、リンダさんが今もどこかで生きていなければ、呼びかけたところで薔薇の死神は応えないってことさ」
「…………」
大吾がギターを構える。
ルーシーも静かに息を吸う。
「一か八か…いくよ」
大吾の指が――弦を弾く。
静かなギターの音色が、猫屋敷に響き始める。
ルーシーが目を閉じる。
思い浮かべるのは――かつて隣で歌っていた、リンダの姿。
その声、歌い方。
そして――二人で過ごした日々。
ルーシーの歌声が重なる。
大吾もまた――手にしたギターから伝わる振動に意識を集中させる。
かつてこのギターを鳴らしていた――リンダの音を追う。
しかし――
薔薇の死神は現れない。
それでも二人は、演奏を続ける。
ルーシーの歌声と、大吾のギター。
二つの音が、さらにひとつにまとまっていく。
そして――
一枚の薔薇の花びらが、二人の間を舞う。
「……!」
アキナが目を見開く。
続いて二枚、三枚――
無数の花びらが辺りを包み込んでいく。
その中心から――巨大な影が、ゆっくりと姿を現す。
アキナが震える声で呟く。
「……薔薇の死神」
召喚された薔薇の死神が、アキナたち四人へ手を伸ばす。
咲き乱れる薔薇から淡い光が溢れ――四人の身体を包み込む。
深く刻まれていた傷が、みるみる塞がっていく。
「傷が……」
タオが自分の身体を見て驚く。
やがて――瀕死だった四人の傷は完全に癒えていた。
アキナは何も言わず、目の前にいる薔薇の死神を、ただ見つめている。
その隣で、ルーシーもまた、静かに薔薇の死神を見上げる。
大吾が呟く。
「ってことは……」
ルーシーが僅かに笑う。
「リンダさんはまだどこかで生きている」
「…………」
表情を変えるアキナ。
「この死神がいれば……」
ルーシーがアキナを見る。
「アンタの弟も助けられる」
アキナの目に、希望が戻る。
後日――
出かける準備を整えた大吾を、八郎たちが見送っていた。
「ルーシーさんたちによろしくね」
「ああ!」
大吾が笑う。
クボケンが腕を上げる。
「学校はうまいこと休みにしとくから、心配しなくていいぞ」
「一人だけ旅行みたいでいいなぁ」
睦子が羨ましそうに大吾を見る。
「大吾ちゃーん?」
菜々子がニコニコしながら声をかける。
「帰ってきたら補習やるわよー、覚悟しときなさいねー?」
「勘弁してくれよ先生……」
大吾が肩を落とす。
そして――
「んじゃ、行ってくるわ!」
「いってらっしゃい!」
八郎たちに見送られ――大吾は、アキナの弟のもとへと向かった。
放課後。
八郎と睦子が、いつものように家路を歩く。
「大吾、ちゃんとやってるかなぁ」
睦子が呟く。
「うん。きっと大丈夫だよ」
「帰ってきたら地獄の補習だけどね」
「はは……」
八郎が苦笑する。
その時――
チリン――どこからか、鈴の音が聞こえる。
「……?」
八郎が足を止める。
もう一度。
チリン、チリン――聞き覚えのある音。
一つ。
二つ。
三つ。
四つ――
そして。
その中に混じる、もう一つの鈴の音。
「八郎?」
睦子が振り返る。
「どうしたの?」
「…………」
しばらく、その音の方を見つめる八郎。
そして――小さく笑う。
「ううん。なんでもない」
二人は再び歩き出す。
このエピソードはpixivで挿絵付き版も公開しています。
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