この関係に名前をつけるなら
始業5分前。喧騒の中、私は自分の席へ座ろうとした。
けれど、私の机にクラスメイトの神崎さんが腰掛けて、隣の席の岡島さんとお喋りをしていた。
ど、どうしよう……私なんかが横入りしたら、嫌われるかもしれない。そんな気持ちでオロオロしていると、私の机に座っていた神崎さんが、私に気付いた。
「あ、ごめん市川さん。席、座るよね」
「う、うん……ごめんね」
「なんで謝るし。悪いのあたしじゃん」
反射的に身体がビクッと震えた。別に神崎さんは、私の態度に悪態をついた訳ではない。私が勝手に反応して、ビビっているだけだ。
「……? どしたの? 平気?」
「だ、大丈夫……ありがとう神崎さん」
「へー……市川さん、あたしの名前知ってたんだ」
「なんか意外かも。市川さん、グルチャにも入ってないし」
神崎さんと岡島さんが笑う。なんてことない日常会話。なのに、私は勝手に二人のことを恐れて、愛想笑いをしていた。
またあの時のように、イジメの標的にされるのではないか。機嫌を損ねたら、嘲笑の的にされるのではないか。それが怖い。堪らなく、怖かった。
「あ、チャイム鳴った。ほら旭、早く座んな」
「ほんとだ。じゃあね、市川さん」
「う、うん……」
先生が教室にやってきて、ホームルームが始まった。私は胸を撫で下ろしながら、鳴り止まない心臓を落ち着ける。
また今日も、私の退屈な一日が始まる。
5
お昼休みの時間。私は購買や学食へ足早に向かう人が去ってから、ブロック状の栄養食を一箱取り出して、席を立った。
「市川さん、お昼それだけ?」
「っ!? あ、神崎さん……」
朝、私の机に座っていた、シルバーメッシュのショートが似合っているクラスメイト……神崎旭さんが、何故か私に声を掛けてきた。
この学校は髪型の規制が緩く、奇抜で威圧感を与える髪型でなければ、ある程度の色染めやおしゃれも認められている。メイクも本当は駄目だけれど、半ば黙認状態だ。
だから、神崎さんを見ているとその差に圧倒される。だって、本当に可愛い。アリサの美しさとはまた違う、親しみやすい綺麗さだ。
「一緒にお昼食べない? あたし、市川さんと仲良くなりたいな~って!」
「ちょっと旭、強引過ぎ。市川さんに迷惑でしょ」
「えぇ~そんなことないよ。ねっ、市川さん?」
「え、と……その……」
まずい。言葉が出ない。何か、何か喋らないと……! 私はグルグルと目を回しながら、必死に言葉を紡ごうとする。
こんなんじゃ、また嫌われてしまう。また、イジメの標的にされる。あるはずの無い妄想が、私を蝕んでいく。
「……? 市川さ──」
「――おっと。此処に居たんですね、胡桃」
「えっ……?」
ふわりと、私の肩を誰かが掴んだ。そしてそのまま、引き寄せられる。
上を向くと、紅い瞳が私を見下ろしていた。酷く綺麗な、まるで精巧な人形のようなその顔に、私は安堵していた。
「すみません、お二人とも。胡桃には先約がありまして。ねっ、胡桃?」
「そ、そうだね……神崎さん、ごめん……」
「別に良いって! 強引に誘ってこっちこそごめん!」
「へぇ……市川さん、愛園さんと仲良いんだね」
岡島さんが、物珍しそうにアリサを見た。アリサの頬がヒクリと、少し動いたのが分かった。
間違いない。あれは不機嫌な時に無意識に出るアリサの癖だ。求血病に対する物珍しさへの視線に、過敏に反応しているのだろう。
「じゃ、じゃあ私達はこれで! 誘ってくれてありがとう!」
「あっ……」
「……私、なんかしちゃった?」
慌ててアリサの手を引いて、教室から出る。その間、彼女は一切の抵抗をしなかった。ただ黙って、私に手を引かれていた。
部室棟近くの、とあるベンチ。今の時間帯は、この辺りの人気が極端に少なくなる。そこが、私とアリサがいつも食事を取る場所だった。
「胡桃ちゃん。手、痛い」
「ご、ごめん……強引、だったね」
「……良いよ。私に気を遣ったんでしょ?」
「そんなことないよ。あそこに、居づらかっただけ」
神崎さんはいい人だ。いつも明るくて、優しくて、こんな私にも声を掛けてくれる。岡島さんだって、陰気な私に気を遣ってくれる。
そんな二人を怖がって、怯えて、勝手に恐れているのは私だ。二人の気遣いに答えられない私が……本当に嫌だった。
私が自己嫌悪に陥ってると、不意に私の身体をアリサが引っ張った。
「何か気にしてるみたいだけど、別に良いでしょ? 胡桃ちゃんには私が居るんだから」
「っ……!? な、なに……!?」
ぎゅっと、アリサは私を抱きしめた。良い匂いがする。安心するような、心地良いような……いつもとは違う暖かさが、そこにはあった。
「貴女は私の下僕なの。だから、私以外の友達なんて要らない」
「……うん。分かってるよ」
「じゃあ、約束して。私以外、友達を作らないって」
「約束する。心配しなくても、私に友達なんてできない。さっきだって、神崎さんや岡島さんが気を遣ってくれただけだよ」
チビで、陰気で、会話の一つすらままならない。そんな私に、新しい友人なんて望めるはずもない。珍しく的外れなアリサの命令は、少し私を安心させた。
「……何? なんで笑ってるの?」
「アリサも、可愛いとこあるんだなって」
「はぁ? 何それ。生意気なんだけど」
悪態を吐きながら、アリサはベンチに座ってお弁当を取り出した。私も、彼女の隣に座ってブロック状の栄養食を食べ始めた。
「貴女、またそんなの食べてるの? もっと増血作用のあるものを食べなよ」
「小食だから、お弁当って作っても残しちゃうんだもん」
「はぁ……ほら、これ食べな」
「んむ……えへへ、美味しい」
卵焼きを、そのまま口に突っ込まれる。甘くて少し固めで、私好みの優しい味だった。
「アリサは料理上手だね。ちょっと、色が偏ってるけど」
「……うるさい。育ち盛りなの」
卵焼きと小松菜のおひたし以外、全体的に茶色が多い。彼女はその容姿に似合わず、意外と大食いだ。変わっていない友人の姿に、笑みが零れた。
「ほんと生意気。今が昼休みじゃなかったら、お仕置きしてるとこだったよ」
「う……ご、ごめんなさい」
「はぁ……もう良い。早く食べよ」
何というか……平常のアリサは、意外と隙があって可愛い。お仕置きと称した吸血の際には容赦なく私を追い詰めるのに、普段はその片鱗が垣間見えるだけだ。
この時だけ、私達は昔のような関係に戻れる。それが凄く嬉しい。
「ねぇ、アリサ」
「何?」
「お弁当、作ってこようか?」
「……どうして、そんなことを?」
「何かお礼したいなって」
アリサとの関係は普通の友達とは違う。アリサが上で、私が下。けれど、私はその主従関係に安堵すらしていた。
だって、私が拒むことをしなければ、アリサはきっと私を求め続ける。アリサが私を求めて、求めて、求め続けて……私がボロボロになっても、そんなの知らないって私から吸血する。
悲しくて、辛くて、恥ずかしくて……それでいて暴力的な快楽が、私を襲い続ける。
まるで私を罰するように。それこそ、私が求めていたものだった。
「そう。じゃあ、来週からはそうして貰おうかな」
「うん。アリサの好きなもの、沢山入れるね」
「ふひひっ……♡ 流石は下僕。媚びるのが上手だね♡」
「んっ……駄目だよ、こんなところで」
アリサの手が私の顔に触れ、そして顎を持ち上げた。口ではそう言いながらも、私は一切の抵抗をしていなかった。
「んんっ……! ん、んぅ……!」
「ちゅ……♡ ほぉら、胡桃ちゃん♡ もっときて♡」
湿った舌が、私の口を蹂躙する。私は顔を赤くしながら、必死にアリサにしがみ付く。アリサはその瞳を更に輝かせながら、私に何度も何度も、舌を絡めてきた。
頭がお湯に浸ったみたいに、溶けていく。瞼がぴくぴく痙攣して、意識がぼやけていく。
「ぷはぁ……! ふふ、ごちそうさま♡」
「ごほ、ごほっ……! や、やり過ぎだよ……!」
危なかった。酸欠で、危うく意識を失うところだった。それくらい、夢中になって彼女との口づけをしてしまった。
以前の私だったら、きっとされるがままだったろう。なのに、今の私は乗り気だった。アリサの蜜を味わおうと、中毒者のように理性を飛ばしていた。
アリサの甘い甘い毒が私の奥深くまで浸食している、何よりの証拠だった。無意識のうちに、私の頬が少し緩んでいた。




