齋藤雪子という修道女モドキ
「んぅ……変な夢だった」
むくりと、まだ眠たい身体に鞭を打って、身体を起こす。黒い犬がひたすら私に戯れて、私の顔や首を舐め回してくる夢だった。一体何故、そんな夢を見たのだろう? まぁ、どうでも良いか。
脇には未来が幸せそうな顔で、まだ眠っていた。頭を撫でると、だらしなく顔を緩めた。何だか、あの夢の犬みたいだった。
「よく寝る子ね。だから、こんなに差が出たのかしら」
未来の身長は既に160cm以上ある。ぱっと見、中学生どころか小学生にも間違われる私とは段違いだ。とても羨ましい。
……でも、アリサは小さい方が好きだって、言ってたな。
「なんでアリサが出てくるの……!?」
別に、アリサがどう思っていようと、私には関係ない。あの子だって、私を虐めて憂さを晴らしているだけだ。だから、私達には主従関係しかない。情も愛も、何にも無いのだ。
「はぁ……目、覚めちゃったな」
私は目覚まし時計を切ってから、リビングに降りた。私達に朝食の文化はあまり無い。だから、歯を磨いて身支度をしたら、朝はやることが無い。
けれど、全ての支度が完了した今の時間は、朝の6時前。あと一時間以上も余裕が出来てしまった。
朝早くから学校に行って、アリサに鉢合わせするのは避けたい。あの子の顔を見る度、とても苦しくなるから。だから、朝はギリギリまで学校に行かない。
「……雪子さんのところ、行こうかな」
そういえば、高校生になってからあの人と会っていない。電話では何度か話したけれど、最近はアリサに放課後は占領され、夜は未来に独占されていた。朝なら、あの人はきっとあそこに居るだろう。
駅から少し離れた場所の、とある一角。そこには、少し古びた教会がある。昔はそこで結婚式や、日曜のお祈りとかをしていたらしいのだが、今は閑散としている。
そんな場所は、朝早いというのに開かれていた。静謐な空間には、古めかしさすら厳かにする不思議な雰囲気があった。
そんな場所に一人。祈りを捧げる、修道服に身を包んだ女性が居た。
「あら……おはよう、胡桃。お祈りに来てくれたのかしら?」
「なんで分かるんですか? 振り向いてないのに」
「強いて言うなら、足音、匂い、気配、後はちょっぴりの愛、かな」
長くて綺麗な、金色の髪。紅い瞳と、柔らかな雰囲気には似使わない、獰猛な牙。
齋藤雪子さんは、お父さんの知り合いの一人だ。求血病であり、大学時代の学友なのだとか。お父さんが求血病に理解があるのは、実のところ雪子さんの影響が大きい。
そんな彼女は現在、何故か古びた教会でシスターの真似事をしている。どうしてなのかはよく知らない。教えてくれなかった。
私からすれば熱心なその姿勢は真似とは思えないのだが、本人は頑なに自分が信徒であると認めなかった。
だから、雪子さんは教会の管理をしているだけの、ただのコスプレイヤーだ。本人がずっとそう言い続けているのだから、そう言うしか無い。
「お祈りもそうですけど、雪子さんに制服姿、まだ見せて無かったなって」
「それは嬉しいな。お姉さん、可愛いものは大歓迎だからね。出来れば写真を何枚か撮らせてもらっても良いかしら?」
「……まぁ、良いですよ」
雪子さんの細かい指示のポーズをしながら、写真を撮られる。やけに下から撮影する雪子さんの息は、少し荒い。私はスカートを抑えながら、雪子さんに非難の視線を送った。
「……雪子さん、なんで床に伏せてるんですか?」
「ふふ、ふふっ……気にしなくて良いわ。コレは誰にも見せないから」
「そういう心配はしていません!」
雪子さん、普段は真面目で尊敬の出来る人なのに、時折バグることがある。私に対しては、特にそれが顕著だ。自分の世界にトリップしては、今のように私をうっとりした目で見てくるのだ。
「ほら、落ち着きなさい。いつも言っているでしょう? 焦りはミスを生じさせ、ミスは後悔を募らせると」
「その姿勢では、どんなに真面目な顔しても無駄ですよ」
「…………こほん。まぁ、座りなさい」
雪子さんは裾を払って、いつもの調子に戻った。私の横でニコニコ笑って、頭を撫でてくるのだって、いつものことだ。
「最近、未来はどう? 元気にしている?」
「元気ですよ。また今度、一緒に来ますね」
「……えぇ、そうね。久しぶりに会いたいわ」
少しだけ、雪子さんは言い淀んでそう言った。まるで、何か私に後ろめたさを感じているように。少しの違和感は、気付いた頃には無くなっていた。私の気のせいだったのだろうか?
「高校はどう? 友達は出来た?」
「何ですか、もう。お父さんみたいなこと言って」
「あら、あいつの陰気くさいのが移ったかしら。どうせ最近も、碌に家へ帰っていないのでしょう?」
「あまり責めないでください。お父さんにも色々あるんですよ」
私の性格はどちらかと言えば、お母さんよりもお父さん似だ。だから、お父さんの考えは良く分かる。分かってしまう。
きっと、こうなった原因を自分のせいだと思っているのだろう。私のように、その贖罪を求めている。そんなことを娘に求める自分が、堪らなく不甲斐ないと、そう思っているのだ。お父さんは何にも悪くないのに。
私はそんなお父さんを許してあげたい。でもきっと、それでは駄目なのだろう。私がアリサにもう気にしていないと言われても、罪の意識が消えないように。お父さんの贖罪は、苦しむことでしか解消されない。
「はぁ……子供が何生意気なこと言っているの。貴女は少し、斜に構えすぎよ」
「私、もう高校生ですよ? 子供扱いしないでください」
「子供だっての。だからもうちょっと、大人を頼りなさい。胡桃が思うほど、私達は弱くないのだから」
「…………はい」
出掛かった言葉を、必死に飲み込む。そんなことを言っても、何の解決にもならないと分かっているから。
……じゃあなんで、私達の家庭は壊れてしまったの? なんて……運が悪かったとしか、言えないのだから。
「ほら、質問に答えなさい。友達はできたの? 高校で、何か嫌なことはない?」
「できましたよ。嫌なことも、ありません」
アリサのことを友達と呼んでいいのかは悩むが、この関係を雪子さんに説明するのは、勇気が足らなかった。彼女はきっと、そんなことは間違っていると言うだろうし、尚のこと言えない。
「そう……なら、良いのよ」
「はい。いつも心配してくれて、ありがとうございます」
雪子さんは私を撫でる手をピタリと止めて、私を柔らかく抱きしめた。
アリサのような荒々しさも、未来のような必死さとも違う。優しく、まるで母の抱擁のような暖かさが、そこにはあった。
「胡桃、もう一度聞くわよ。本当に、悩みは無いのね?」
「きゅ……急にどうしたんですか? 悩みなんて──」
見透かされているようだった。それでも、私はひた隠す。この罪は、私だけのものだから。
辛くても、苦しくても、私にはあの契約を履行する義務がある。それが、あの日アリサを見捨てた私への罰。贖罪なのだから。
「じゃあ、その肩の傷は一体何?」
「っ────!!!」
息が、止まった。なんで、どうして……? 見えないように、きちんと隠してきたはずなのに。
「ねぇ、答えて。貴女は本当に、望んでそうしたの?」
「わ、わたし、は……」
この人に、嘘は吐きたくない。でも、だからといって正直に話せば、雪子さんはきっと怒り狂う。未来にだって、私へ勝手に吸血したことを数時間に渡って説教していた。
情状酌量の余地があった未来にすら、あの怒り様だ。無理矢理に吸血されたなんて知れば、それこそ何をするか分からない。最悪、アリサと強制的に引き離されるかもしれない。
「私が……望んでそうしました。だから……アリサは、悪くありません」
「その行為が、どういう意味か分かっているの? 貴女にもその子にも、それだけの覚悟はあるの?」
「はい……責任は、きちんと取ります」
そんなのは駄目だ。絶対に駄目だ。たとえ、この身が壊れようとも、心が砕かれようと、私は彼女の下僕でなければならない。最初の吸血が半ば強引にされたものであろうと、関係は無い。
そのためには……雪子さんにだって、嘘を吐く。吐き通してみせる。
「はぁ~……分かったわ。あいつならともかく、私がこれ以上口をだすようなことじゃないわね」
「……すみません、ありがとうございます」
「なんで謝るのよ。その子、友達なんでしょ? それも、吸血を許すほど仲の良い」
「はい。親友、なんです」
その言葉を口にする度、また心にヒビが入って痛みが走る。そんな親友を、私は見捨てた。そんな最低な人間なのだ、私は。
「未来は知ってるの?」
「言ってません。あの子は少し、シスコン気質なので。いつかは、説明したいと思ってます」
今はまだその時じゃない。もう少し、時間が欲しかった。
「そう。じゃあ説明する時は呼んで頂戴。あの子、きっと暴走するだろうから」
「もしかしたら、お願いするかもしれません。雪子さんがよろしければ、ですけど」
「あいつにも言っておいて。あと、電話には出ろってついでに伝えてね。あいつ、仕事を理由に何度掛けても出ないから」
雪子さんは私を抱きしめながら、そう言った。いつだって、彼女は私の味方で居てくれる。暖かくて、優しくて、凄く頼もしい人だ。
私はそのまま、遅刻ギリギリまで雪子さんと過ごして、足早に教会を去っていった。不思議と、足取りは軽かった。
そんな後ろ姿を見つめる瞳が一つ。ジッと、その紅い瞳を曇らせながら、自らを責め立てた。
「はぁ……私の馬鹿。あの子が友達を売るような真似、するわけないのにさ」




