市川未来の望み
お姉ちゃんはトラウマを抱えている。
それは、小学生の頃仲良しだった求血病の少女を、傷付けてしまったこと。平気そうな顔をしているけれど、その心には未だヒビが入ったままだ。
だから……自分の身を犠牲にしてまで私を救ったのは、きっとそういうこと。お姉ちゃんはいつまでも、贖罪を求めている。
いつまでもいつまでも、その償いは終わらない。お姉ちゃんが朽ち果てるその時まで、お姉ちゃんは罪の意識に苛まれながら、生きていく。
そんなの、間違っている。たった一度の過ちだけで、幸せになってはいけないなんて、絶対に違う。
誰が何と言おうと、私だけはお姉ちゃんを許してあげたい。お姉ちゃんが、私にそうしてくれたように。
──私が、お姉ちゃんを救う。お姉ちゃんは、私のものだ。
「未来……? 少し、苦しい……」
「あぁ、ごめん……ちょっと、力入っちゃった」
真っ暗闇の中、私とお姉ちゃんはベッドで同衾していた。あの日からずっと、殆ど毎日、こうしてお姉ちゃんと寝食を共にしている。
もうお姉ちゃん無しでは、私は生きていけない。それは、お姉ちゃんも同じように思えた。
お姉ちゃんには友達が居ない。トラウマの件と、私を第一に考えてしまう性質が、お姉ちゃんの孤立を加速させている。私はそれを理解していながら、むしろその孤独を促進させた。
だって、お姉ちゃんには私以外必要無いから。それは自明で、当たり前で、既に決まっている。お姉ちゃんが居る限り私は死なないし、お姉ちゃんもまた、私を見捨てない。
あぁ……なんて、素晴らしいのだろう。私はお姉ちゃんの温もりと、安心する香りを堪能した。そして、自分でも驚くほど冷めた表情で、お姉ちゃんの首元を見つめた。
2週間ほど前のことだ。お姉ちゃんは突然、首元を隠すようになった。暑いだろうに、服を着込み、肌を晒さないようにしていた。
私には分かる。あれは……求血病を持った誰かに、吸血された痕だ。それを隠しているのだ。
その事実を認めるのに、まず時間が掛かった。だって、信じたくなかった。私のお姉ちゃんが、私以外の誰かに襲われたなんて。
絶望と怒りで、打ち震えた。勘違いして知り合いの求血病罹患者へ怒鳴りこみ、懇々と諭されたところで、ようやく私の脳内は正常に動き始めた。
まずもって、求血病の直接的な吸血という行為は、容易く行って良いものではない。それこそ、純潔を捧げるつもりで望むものだ。その意味は周知の事実である。
お姉ちゃんが安易に、それを許すはずが無い。けれど、現実にはお姉ちゃんは吸血されている。それも、私や知り合いの求血病の人間以外の手によって。
求血病は人口のおよそ0.1%程度と言われるため、それほど数は多くない。何故か、お姉ちゃんの情報を収集している女性の協力もあり、特定は速やかだった。
愛園アリサ……かつてお姉ちゃんの心を砕き、今も病理のようにお姉ちゃんを苦しめる害虫。彼女こそ、お姉ちゃんを襲った犯人だ。
あくまで状況証拠だけだ。お姉ちゃんは口を噤んでいるし、もしかしたら違うのかもしれない。でも、本能的に分かる。あの女は確実に黒だ。疑う余地のないくらい、真っ黒だ。
私は愛園アリサと面識は無い。私の情報源は、お姉ちゃんと仲良さげに歩く愛園アリサを写した1枚の写真だけ。
それだけで分かった。お姉ちゃんを見つめるあの瞳は、並大抵のものでは無かったのだから。
「確かに胡桃の高校で吸血鬼症候群であるのは、愛園アリサだけです。ですが、胡桃が何も言わない以上、私達に出来ることは何もありません」
「じゃあ、このまま黙って見てろって?」
「直接の吸血は違法ではありません。ですから、本来は部外者が口を出すようなことではないのです」
金髪の女性はその紅い瞳を細めながら、私を窘めるようにそう言った。だが、彼女の拳は強く握られ、気が気でないのはすぐに理解した。大人である彼女は、大人であるからこそ胡桃に強く干渉できない。
それが吸血行為という、触れづらい話題であるのなら尚更だった。
「良いですか、未来。私も、胡桃の動向を良く注視しておきます。ですから、あまり衝動的になってはいけませんよ」
「……分かってるよ」
愛園アリサは、お姉ちゃんの親友だ。だからこそ、お姉ちゃんはその身体を許したのかもしれない。だから……私に出来ることは、ただ待つことだけ。
「ふー……! ふー……! おねえ、ちゃん……!」
私はガーゼの付けられていない、もう片方の首筋に顔を埋めて、何度も何度も深呼吸をした。お姉ちゃんはすぅすぅ寝息を立てて、既に深い眠りへと落ちている。
つまり、今のこの時間は……お姉ちゃんを私だけのものにできる、安息の時間だった。
いつも通りお姉ちゃんが眠るまで、お姉ちゃんの身体を堪能した。抱きしめて、手を繋いで、頭を撫でて、撫でられる。その瞬間だけは、何もかもを忘れられた。
けれど、お姉ちゃんが眠って……もう取り繕う必要が無くなった瞬間、私の中の嫉妬と憎悪が吹き出していった。
私だって、本当はお姉ちゃんの首筋に齧りつき、その甘露な血液で喉を潤したい。でも、それは許されない。それはお姉ちゃんを傷付ける行為だから。
だから今まで我慢していた。せめて、お互いがきちんと大人になってからするべきだと、そう思っていたから。
それを、横から過去の女が飛び出してきて、お姉ちゃんの肌に傷を付けた。その血を啜った。何とも許しがたいことだ。万死に値する。
怒りがまた湧いてきた。もう我慢しなくて良いのではと、聞こえてくる悪魔の囁きを必死に理性で押さえつけ、その反動の様にお姉ちゃんの身体を強く求めた。
少しだけ、少しだけだから……そう言い訳をして、お姉ちゃんの首筋を舐める。白磁のようなこの肌の下で、ドクドクと血流が蠢くのを想像しながら、一人で自分を慰める。
「っんぅ……! ぁあんぅ……!」
「れろ……ふふ、お姉ちゃん、可愛い♡」
ピクピクと、私が喉元や肩を舐める度、お姉ちゃんは痙攣して声を漏らす。
求血病の唾液には、特殊な成分が含まれているのだそう。それに反応したのか、それともお姉ちゃんが感じやすいだけのなのか。どちらにせよ、そんな妖艶な姿を見せられては滾ってしまう。
私の中の嗜虐心が主張を始める。あの時のように、もっと顔を歪めて欲しい。隠せない快楽を滲み出して欲しい。
お姉ちゃんの可愛い顔、もっと見せて。
「あむ……はむはむ」
「っぁ……!? ぁあぁあ…………」
ねぇ、ほんとは起きてるんでしょ? そうやって、私を弄んで、楽しんでいるんでしょ? ほら、早く目を開けなよ。開けろ。開けろ。開けて、私を見ろ。
…………なんて、嘘だよ。お姉ちゃんは熟睡すると、全然起きないもんね。知ってるよ。いつも、貴女のことを見ていたから。
大好きなお姉ちゃん。私のために、その身を捧げてくれた優しいお姉ちゃん。お姉ちゃんは絶対、裏切ったりなんてしない。
今は我慢してあげる。本当は嫌で嫌で堪らないけれど、お姉ちゃんがしたいこと、私は応援するよ。
だからさ、この時間だけは……許して欲しいな。迷惑はかけないし、気付かれないようにする。もちろん、勝手に吸血なんてしない。
お姉ちゃんの存在だけが、私の生き甲斐なの。お姉ちゃんが嫌がることも、心を痛めることもしない。ただ、傍に居させて欲しい。
それだけが……私の望みだから。
良い、でしょ? お姉ちゃんは許してくれるよね? うん、そうだと思ったよ。
もっと、もっと、もっと……!
日が昇るまで、私の一人遊びは続いた。加速していくこの衝動を、もはや私は抑えきれていなかった。




