無意識への介入
後部座席で片手を拘束されたまま、私は揺られていた。移動中、普段のような会話は一切介在しなかった。ただ、時折こちらを見つめる雪子さんの顔を、見つめ返すだけ。
「さぁ、着いたわよ」
一時間ほど経った後、車はようやく停車した。町並みは消え失せ、ただ深い闇のみが溢れかえる場所だった。
雪子さんは私に着けられた手錠を自分の右腕に取り付け、更に手を絡ませてきた。
逃がさないという、強い意志が感じられた。私は初めて感じる雰囲気に気圧され、何の抵抗もできず、雪子さんと砂利道を進んでいった。
そこは別荘地のようだった。人よりも野生動物の方が多いだろう土地を、雪子さんは勝手知ったるといった様子で進んでいく。その先には、一軒のコテージが建っていた。
「元々、以前していた仕事で使っていた場所なの。少し不便だけど、静かで良い場所よ」
「……そう、なんですか」
たとえ、この場で叫んで助けを求めたとしても、この近辺に人が住んでいるとは思えない。この場所に踏み入ってしまえば、誰かに気付かれる可能性はほぼゼロになるだろう。
それでも、私に拒否権は無かった。手を引かれ、コテージの中へと飲み込まれていった。
少し埃っぽくはあるが、綺麗な場所だった。月明かりだけが周囲を照らす中、雪子さんは二階へと私を連れていった。
「はい。じゃあ、そこで横になって」
一つの大きなベッドがある部屋だった。雪子さんは自分の手に嵌められた手錠をベッドのフレームに引っかけてから、私に寝そべるように指示をした。
「なに、するんですか……? こんなことしなくても、言うこと聞きますよ」
「言うことを聞く、だなんて人聞きが悪いわ。それじゃあ、まるで私が脅しているようじゃないの」
「……脅してるでしょう」
人を拉致して、山奥に連れ込んで、こうして手錠に繋いで監禁しようとしている。これが脅しや恐喝でなくて、何と言うのだろうか。
「そう……じゃあ、胡桃。もし、私が今胡桃の血を飲ませて欲しいってお願いしたら、貴女は受け入れてくれる?」
「だから……! この状況で、私に選択肢なんてないじゃないですか……!」
「なら、いつもの教会で私がそう願ったら? 胡桃の血を飲み干したいと、私に懇願されたら、貴女はどうするの?」
「…………雪子さんは、そうしたいのですか?」
雪子さんはいつだって、私の身を案じてくれた。
市川家が崩壊してしまった時も、私達と同等かそれ以上に深く悲しんでくれた。ずっとずっと、私のことを支えてくれた。今の私があるのは、間違いなく雪子さんが居てくれたからだ。
そんな恩人の頼みを断ることを、私はきっとしないだろう。求められているのだから、それに応える、応えたいと思う。当然のことだと思う。
「あぁ……やっぱり、貴女はそうするのね。そうやって自分を傷付けて、苦しめて、自分の存在を確かめようとする」
そんか私の考えを読んだように、雪子さんの顔が歪んだ。
湿っぽい紅い瞳が、私の双眸を射貫く。憐れむような、蔑むような、悲しむような……そんな、複雑な感情が伝わってくる。
「ダメ、ダメよ。絶対にダメ。貴女の自己犠牲は、決して尊くなんてないわ。それはただの自傷でしかない。そんなのは間違っている」
「……っ! そんなの、私だって分かってますよ!」
アリサとの関係が、未来からの依存が健全でないことなんて、承知の上だ。
それでも、私は間違えた。間違えることが、私には必要だと思ったから。
「罰してほしいと、たとえ歪んでいようと支えたいと願うのは、そんなにいけないことなのですかっ!?」
「……それじゃあ、貴女は救われないじゃない」
「救われなくたって良い! 私は苦しんで藻掻いて、痛いまま死んで行けば良いの!」
私の贖罪は、そうして果たされる。アリサはそれを叶えてくれるだろう。未来は私が拒まなければ、離れることはしない。
ずっとずっと、惨めったらしくあの日の後悔を嘆きながら、そうして死ねば良い。
それこそ、こんな私に相応しい末路だ。
「自分のことばっかり。だから貴女はまだまだ子供なのよ」
激高する私を、雪子さんは冷静に窘めた。駄々をこねる幼児を諭すように、私とは対照的に冷静な声で続ける。
「何が……言いたいんですか?」
「自分だけが苦しんで、自分だけが痛い思いをして解決するなんて、夢物語も大概にしなさい。胡桃が傷付くことで、同じだけの苦痛を誰かに与えることは考えないの?」
そんな、ことは……だって、アリサはそれを望んでるはず。未来だって、私が傍に居ないと、きっとまた自殺を考えてしまうはずだ。それを防ぐためには、私が犠牲にならないと……
「少なくとも、私は胡桃がそういうことをしていると考えると、はらわたが煮えくり返る思いになるわ。こうして強硬手段に移る程度にはね」
「じゃあ……じゃあっ! どうすればいいんですかっ!?」
アリサを拒めば良かったのか? 未来を突き放し、あの子の苦しみを無視すれ良かったのか? 全部全部見なかったことに、無かったことにしてのうのうと生きていけと言うのか?
そんなことが正解だなんて、私は絶対に認めない!
「──私が、胡桃に言い訳をあげる」
「え……?」
「愛園アリサが罰を与えるように、私は逃げ道を胡桃に作ってあげる。貴女が誰かを傷付けるのも、見放すのも、全部全部私のせいにして良い」
「そんな免罪符を、胡桃にあげるわ」
雪子さんは私を抱きしめると、そのまま私の頭を撫でた。こんな状況でも、その行動は私に安心感を与えていく。ベッドの柔らかさと貧血気味なこともあって、段々と微睡みが強くなっていく。
「けれど、胡桃はそうやって罪の意識から逃れようとはしないでしょう。だから、無意識の中に擦り込んであげる。自分自身でも気付かないくらいに、巧妙にね」
アイマスクのようなもので視界が遮られる。そうして、右耳に何かを入れられた。小さなそれは、ワイヤレスイヤホンだった。
「お姉さん、これでも色々勉強しててね。ちょっとした小技は沢山できるのよ」
「い、一体なに、を……」
「胡桃には今から、一種のルーティンのような反復動作を刻んであげるわ。分かり易く言えば、催眠術をかけてあげる」
イヤホンからは水の滴るような音声が流れていて、空いた左耳からは雪子さんの吐息混じりの囁き声を流し込まれる。
くすぐったいような、ゾクゾクするような、そんな感覚が脳に染み渡っていく。
「人間って凄いわよね。想像だけで身体や精神に影響を与えてしまうのよ。痛みや快楽も、脳の出す信号一つで思い通り。ほんのちょっと、きっかけと意識をさせてあげれば……」
耳に熱っぽい息が送られてくる。たったそれだけが、私を妙な気分にさせていった。
無視しようとしても、真っ暗な視界の中、身体を抱きしめられて息や声で刺激されているのだ。いけないと分かっていても、逆にそれが、もっとこの行為を意識させていく。
「ふふ、蕩けた顔しちゃって……胡桃ってば、いやらしい子だったの?」
「ち、ちひゃう……わた、わらひ、は……」
「違くない。胡桃は悪い子なの。誘惑に弱くて、すぐに負けちゃう、弱くて貧弱な雑魚。だから、貴女は悪くない。負けるのは当たり前なの」
「ちがう……ちが、ひぃん……!」
身体が痙攣したみたいに、ビクビク跳ねる。腰が浮いてきて、足が忙しなくベッドのシーツをなぞっていく。
溶けていく。思考が、理性が、溶けていく。段々と、今自分が起きているのか、それとも眠っているのか、分からなくなっていた。
「堕ちて、堕ちて、堕ちていく」
「もう、何も分からない。分からなくて良い」
「貴女は何もできない。だから、何もしなくて良い」
「ただ、声の言うことを聞いていれば良い」
「そうすれば、もう何も考えなくて良い」
「分からなくて良い。何もしなくて良い。この声を聞けば良い。何も考えなくて良い」
「──甘い甘いぬるま湯に溺れて、そして刻みつけなさい」
「胡桃はもう、私の命令を無視できない」
「胡桃はもう、私の言葉を無視できない」
「胡桃はもう、私の存在を無視できない」
「ただ、気持ちいいことだけ、考えましょうね……♡」
も、う……よく、分から、ない……
ただ、こうし、て、何も、かも、ゆだ、ねると……
「はぁー……! はぁー……!!!」
全部溶けて、気持ち、良い、よう、な……




