ミドスイ定期演奏会
コバルトブルーの空が広がり、校庭の木々がすっかり赤や黄色の葉をつけた頃、ミド中吹部の定演当日になった。
朝早く学校に集まり、皆は楽器をトラックに積み込んだ。
「健治、なんなのそれ」
梅子が怪訝な顔をして聞いた。
「先生にはちゃんと許可取ったよ」
健治は何やら大きなコルクボードのようなものを何枚もトラックに積んでいる。
「君達、覚悟はできたかね」
公彦の声が聞こえたので健治と梅子が振り返ると、その姿に爆笑した。公彦は頭にもこもこのアフロヘアのカツラをかぶってサングラスをしている。
「かっこいいだろう」
公彦が言いながらムーンウォークをやってみせた。
「まさかそれ、本番でかぶるの?」
直樹が笑いながら聞いた。
「もちろん。第二部からの僕はマイルス・公彦だからね」
公彦は気取って言った。
「マイルス・デイビスってそういう髪型だったんだ?」
往年のジャズトランペット奏者、マイルス・デイビスを見たことがない健治は、いぶかしげに頷いた。
「よし、準備が出来たやつから文化会館に行け」
琳太郎が促すと、各自は自転車に乗って向かった。まだ自転車が乗れない史門は、やはり健治のママチャリの荷台に乗せてもらった。
自転車の一団は天谷川を渡って林を抜け、畑道を過ぎ、市街地に入った。緑谷町民文化会館に着くと、皆は裏手に回り、楽屋に入った。すでにトラックが到着していたので皆で楽器を搬入した。それぞれ楽器を組み立てて大ホールへ移動した。会場スタッフが音響や照明のチェックをしていて、部員達は元気に挨拶をした。ステージ背面の音響版の前に飾られたそれを見て、直樹は驚いて声を上げた。
「すげえ」
ワイヤーで吊るされたコルクボードには、横長の巨大な絵が描かれていた。近くでよく見ると何枚もの画用紙が隙間なく敷き詰められ、その上にまるで点描画のように、色の違う小さな紙がびっしりと貼られていた。宇宙空間を横切る大きな彗星を表現したちぎり絵で、右下には「ミドスイ」と言う文字が描かれている。
「綺麗。誰が作ったの」
響が絵に惹き込まれながら聞いた。
「もちろん、俺」
健治が腰に両手を当ててドヤ顔をしてみせた。
「いい。いいよ、これ」
梅子が力を込めて頷いた。一年生達も口々に褒め称えた。
「色紙は全部で十六色、使ったんだ」
健治が意味ありげに言うと、琳太郎が近づいてきた。
「お前の美的センスは半端ねえな」
琳太郎が右腕で、健治の右肩をぎゅっと抱き寄せた。怜も左側から抱き寄せた。銀之丞が背後から首を締め上げ、健治は喜びの奇声をあげた。
セッティングが整い、リハーサルが始まった。第一部と第二部を通しで演奏するだけで、皆は汗ばんだ。天井のスポットライトを浴び続けるのは思いのほか暑かった。
ステージの端で司会席の前に立ち、原稿の読み合わせをしているのは雛形と副校長だ。今日の部員達のフォローを最優先するため、雛形が着ているのは動きやすいTシャツとダボダボしたオーバーサイズのデニム、それに履き潰したスニーカーだ。もちろん顔はすっぴんメガネで、前髪はヘアバンドでまとめ、後ろの毛は乱雑に一本縛りにしてある。裏方の仕事が忙しいため、雛形は主に楽屋や袖で待機することにして、司会進行役を副校長にお願いした。副校長は買ったばかりのグレーのスーツを着、気合を入れて段取りを頭に叩き込んだ。
一方、文化会館の玄関口には何台もの会議用テーブルが設置され、その上に雛形がつくったプログラムが何百部も並んだ。有志の保護者達が集まり、受付をしてくれることになった。すでに花束や祝電が届き、保護者達は和気藹々と準備を進めていた。
「二部の最後に、花束贈呈の場があるだろう?」
副校長が雛形に聞いた。
「ええ、そうですね」
雛形が進行表をチェックしながら頷いた。
「校長が来るはずだったんだが、都合がつかなくて本人が来られない。花は届いてるんだけど」
副校長が頬の肉をつまみながら考える仕草をする。雛形は時計をちらりと見た。
「代わりの人、呼んできます」
そう答えて、雛形は電話をかけるため、外へ出て行った。
部員達と琳太郎は控室で仕出し弁当を食べた。今日は泣いても笑っても本番だ。怜は自販機で買ってきたコーラを飲みながら、公彦からかっぱらったカツラをかぶって遊んでいた。ファッションにうるさいまりあは、女子全員で可愛くなりましょうよと言い出し、先輩女子を含め全員の髪をセットした。銀之丞は皆の譜面入れを勝手に開き、シャーペンで楽譜に落書きをした。
「なんか結構、お客さんが来てるっぽいよ」
客席の様子を伺ってきた伊久馬が真っ青な顔をして、大輝に向かって呟いた。
「俺の彼女も見にきてる」
大輝が余裕をかまして言った。
「このヤロー、お前ばっかり幸せアピールしてんじゃねえ」
怜が大輝を締め上げた。大輝は笑って降参した。
「やばいよ。客席見て来たけど、枕木中が来てるよ」
まりあにヘアアイロンでツヤツヤヘアに仕上げられてしまった梅子が言った。
「嘘だろ」
健治がすぐに反応した。
「よくこんな田舎まで来てくれたもんだねー」
銀之丞も感心して言った。
「琳太郎先生の本家ファンクラブなんだよな、あの学校が」
直樹も顎に指を当てて頷いた。
「あんなすごい学校の前でやるなんて、僕、僕、無理です」
伊久馬が泣きそうになって言った。
「バカ」
音羽が一喝した。皆は驚いて音羽を見つめる。
「逃げ出したらあんたをスネアにして、ロールしてやる」
伊久馬はわなわなと震えた。音羽の高速ロールにかかったら、全身打撲で命はない。
「ガチで怖え」
銀之丞が大笑いして伊久馬の肩を優しく叩いた。
琳太郎が控室の隅で本番用の黒いスーツに着替え始めた。女子達がちらちら見てくる。琳太郎が気障ったらしい顔をして「見たいか?」と聞くと、女子達はキャーキャー言って廊下へ走り出てしまった。残された男子達はゲスい顔して笑った。
「先生、いい体してますよね」
錬三郎が薄着になった琳太郎をじろじろ見て言った。ウエストはよく引き締まり、肩や二の腕には程よく筋肉がついている。
「だろー」
琳太郎は調子良く答えた。
「いや、俺の体の方がいいだろ」
突然、学ランとワイシャツをまくり上げて、怜がマウントを取った。
「幹生もなかなかだよ」
自分はまくり上げず、健治が勝手に幹生の学ランとワイシャツをまくってみせた。そこへ、雛形が入ってきた。
「ええっ」
一斉に上半身の見せ合いをしている男どもを前に、雛形は真っ赤になって廊下へ回れ右した。
「先生、可愛い」
錬三郎が笑うと、皆も笑った。
「おい、お前ら」着替え終わった琳太郎が鋭い目つきをして、声色をガラリと変えて言った。「あんまり刺激すんなよ」
「うえーい」
皆は笑って返事したが、錬三郎は少し意外そうに琳太郎を見た。
開演十五分前になった。ステージのセッティングは完了し、緞帳が降りている。客席からはざわめきが聞こえ、観客の存在をステージ袖にいる部員達に知らせていた。
「いつものやつ、やるぞ」
琳太郎が胸のポケットからドテカボチャのぬいぐるみを取り出し、たくらむように笑ってみせると、皆は興奮気味に円陣を組んだ。
「会場は畑、観客はカボチャ、審査員はドテカボチャ」
「会場は畑、観客はカボチャ、審査員はドテカボチャ」
「会場は畑、観客はカボチャ、審査員はドテカボチャ」
皆で三回唱えると、「オー!」と声を上げた。今日は他に演奏団体もいないから、大声を出そうがスタッフには咎められない。部員達はステージに移動し、配置についた。琳太郎は全体を見てチェックをすると、一旦ステージ袖へ引っ込んだ。
客席側の照明が暗くなり、緞帳が上がった。
「すげえ」
直樹は目を見張った。そばに座っている響と健治とも目を合わせた。暗がりのなかで、千百席ある客席は八割以上埋まっていた。いつか見た枕木中の制服の一団も見える。近隣の高校生や、小学生らしき一団もいた。
「カボチャ大収穫だ」
直樹がつぶやくと、健治と響も嬉しそうに頷いた。やがてステージ側の照明が明るくなった。
司会の副校長が挨拶をすると、琳太郎がステージ袖から歩いてきた。ステージ中央に来ると皆を見回し、優しい眼差しを向けた。タクトを振り上げ、「ポロヌプ」の演奏を始めた。
サスペンドシンバルとトランペットが密やかに滑り出した。木管と金管が柔らかな旋律を奏でる。ティンパニが忍び寄るようにリズムを刻む。それぞれが絡み合う美しいハーモニーが、天井と側面の反射板に当たって客席中に広がった。ユーフォニアムの梅子が物憂げな旋律を情緒豊かに吹き、トロンボーンとホルンが下から支えるよう、音に厚みを持たせた。中盤からは、音羽が思い切りよく鳴らすボンゴのリズムに乗って、直樹のピッコロが敏捷に鳴り響いた。まるで、雪に覆われた狭い谷川の水面ギリギリを滑空する、一羽の鷹のようだった。そこへクラリネットが旋律を引き継いだ。伊久馬がヴィブラスラップを威勢よく叩き、印象的なリズムをつくりあげた。トランペット、トロンボーン、ホルン、チューバが続き、吹雪のような強大なうねりが巻き起こった。北の大地の雄大で厳しく、美しい自然を礼讃するワルツは、見事にステージの序盤を飾った。客席からは大きな拍手が上がった。
二曲目は「月に寄せる哀歌」だ。イントロでは伊久馬のビブラフォンが幻想的な調子で上手く入った。序盤は梅子のユーフォニアムと直樹のフルート、響のクラリネットが織りなす悲しげなメロディーが鳴り響く。荘厳な低音楽器による場面転換が起こり、木管メンバーは息を合わせて豊かなハーモニーをつくりだす。テンポを変え拍子を変え、メロディーは予測不能な展開をみせる。銀之丞の叩くテンプルブロックや伊久馬のタンバリン、クラリネット二人組を中心とした木管の軽快な曲調になったかと思えば、春の花が一斉に咲き乱れるように金管と木管がハーモニーを膨らませ、感傷的な心を歌い上げる。勝負どころのマリンバは、音羽が連続する十六分音符の和音を厳かに奏でた。マリンバの幽玄な響きに観客は引きこまれた。音羽は1ミリもブレることなく、完璧に叩き切った。散々揉めていた錬三郎のアルトサックスとまりあのバリトンサックスの掛け合いも、直樹のフルートが上手く絡み、綺麗に収まった。そして金管の張りのある響きでクライマックスを迎え、最後は再び伊久馬のビブラフォンでフェードアウトした。楽曲を通して人魚の悲しい運命を表現した部員達は、再び観客から大きな拍手喝采を受けた。
ステージの袖では雛形が様子を伺っていた。琳太郎が一旦、袖に引っ込んできたので、小さくガッツポーズをした。琳太郎もガッツポーズで返した。
第一部はその後、コンクール課題曲「春の日を浴びて」と自由曲「展覧会の絵」と続いた。コンクールの時よりも部員達が落ち着いて演奏しているのが、袖にいる雛形にも分かった。雛形は部員達がこの二曲で数ヶ月間、戦ってきたことを思い出した。さまざまな思い出が駆け巡り、胸に迫るものがあった。客席には遅れてきた観客が空いた席を探し、五月雨式に座っていった。全体の九割ほどが埋まった。
観客から拍手喝采を受け、緞帳が降りると、短い休憩時間に入った。部員達は楽器をステージに置き、急いで控室へ駆けて行った。
「なんか全部上手くいった気がする」
学ランを脱ぎながら、直樹が言った。
「一部は部長と副部長が目立ちすぎじゃね?」
健治がパンツ一丁で笑いながら言う。
「二部は、僕と怜がもらうけどね」
公彦が衣装のズボンに足を通しつつ、不敵に笑った。
「ほら、男子、出てー」
衣装を取り扱う雛形が言い、早々に着替え終わった男子は廊下に放り出された。雛形に急かされながら、女子達がキャーキャー言いながら控室で着替えている頃、男子トイレでは副校長が冷や汗をかいていた。
「どこ…行った…」
洗面台の鏡に映る自分を見て、副校長は動揺を隠せずにいた。頭の上にいつも乗せていた大事な被せ物が、ない。いつ、落としたのか。誰かに拾われてしまったのだろうか。誰かが持っていたとして、それは私のだから返しなさいとは言えない。言えるはずがない。まだらに禿げた頭を両手で隠しながら、副校長は忍者のように俊敏に移動し、控室に向かった。ちょうど、女子達が着替え終わって出てきたところだった。副校長は通路の壁が凹んだところに隠れ、全員がいなくなるのを見届けると、控室にこっそり入った。
部屋には誰もいなかった。キョロキョロしながら被せ物を探す。最近は生徒達が悪ノリしてくることが多い。奴らがいたずらして隠したのではないか。腹はともかく頭はダメだ。絶対に絶対に見られたくない。触られたくない。副校長は腕時計を見た。そろそろ休憩時間が終わる。早く司会席に戻らなければならない。ふと、机の上の何かに目がとまった。黒いモコモコした物体で、触ると伸びたり縮んだりした。
「ええい、背に腹は変えられん」
副校長はそれを被って、控室を飛び出した。
「大事なものを忘れてしまったよね」
バタバタと走りながら、公彦と結那が控室に戻ってきた。
「無い」
公彦はアフロヘアのかつらを探した。
「さっき着替えてるときは、ここにありましたけど」
結那も一緒になって探す。
「あれー、なんで無いんだろうね」
公彦は困り果てた。
「先輩、もう時間がないです」
「仕方ない」
結那に急かされて、公彦はしぶしぶステージへ戻った。
ブーッと音が鳴り、緞帳が上がった。ステージの照明が灯った。第二部の始まりである。
部員達は全員、ステージ用の黒いスーツを着て着席した。公彦だけが一人、ステージ中央の先頭に立つ。一部とは違う、赤や青、緑のスポットライトがステージを華やかに照らした。
公彦がトランペットのベルを振り、景気よく高音のソロを吹き始めた。ミュージカル映画「ロシュフォールの恋人」で出てくる「双子姉妹の歌」だ。華々しいトランペットのソロが終わると、間髪を入れずにテーマに入る。公彦がお辞儀をすると、客席からは一斉に拍手が沸いた。銀之丞がドラムを、音羽がキーボードでベースを弾き、木管がテーマの旋律を吹いて、速いテンポで曲は進行した。
琳太郎は指揮を振らず、ステージの袖で様子を見ていた。公彦はだいぶメンタルが育った。顔つきがそもそも違う。頼もしくて笑える。
「衣装、いいですね」
琳太郎が小声で、隣に立っている雛形に話しかけた。
「全員、ちっちゃい琳太郎先生みたいでしょう」
雛形は黒いスーツを着込んだ琳太郎を見て、楽しそうに言った。シンプルだが黒いスーツはステージに映える。適度に光沢があり、スポットライトがあたると艶めく。発注したスーツは裾上げしていなかったので、一人一人足の長さを採寸して、丈を調整した。昨日もミシンに向かって徹夜して頑張った甲斐があったと、雛形は満足そうに見つめていた。
演奏が終わると、司会席にスポットライトが灯った。
「ただいまの演奏は、『双子姉妹の歌』でした」
司会進行役を務める副校長を見て、琳太郎と雛形はぎょっとした。
「あれ、なんか副校長先生の髪型、変わってません?」
琳太郎が笑いを噛み殺して囁く。
「増えちゃったのかも」
雛形も必死で堪える。
「あ、僕の!」
ステージで拍手喝采を受けていた公彦が副校長の頭を指さした。いつものべったりした被せ物ではなく、真っ黒な雷雲のように膨れ上がったアフロヘアのカツラが、副校長の頭の上に乗っていた。部員達はたまらず吹き出した。
「おい、返せよ!」
公彦の叫び声は拍手でかき消されてしまった。
副校長が司会席で頭を下げて立ち去ると、ステージ手前には長机が用意された。音羽と響以外のメンバーが机の前に立って並び、一人二個ずつプラスチックカップを手に持っている。
音羽がキーボードの音色をアコーディオンに設定し、イントロの伴奏部分を弾き始めた。響はもう一台のキーボードの音色をチェロに設定し、伸びのある旋律を弾き始めた。残りのメンバーは全員、カップスを始めた。音羽と響が演奏しているのはアストル・ピアソラ作曲の「リベルタンゴ」だ。それに合わせて皆は拍手したりカップを持ったり置いたりして、リズムよくパフォーマンスする。軽快で心地よいカップの音が揃って会場に響いた。観客の一部が手拍子をし始めた。次第に伝染していき、会場全体が手拍子をとった。カップスが終わると一斉に「オレ!」と叫び、急いで自席に戻ると、皆は楽器を構えた。琳太郎が袖から出てきて、改めて「リベルタンゴ」を演奏し始めた。伊久馬がタンゴらしくカスタネットを絶妙なタイミングで打ち鳴らす。優雅なリズムに乗って旋律はフルートからサックス、クラリネット、トロンボーンへ移ろい、まるでカラフルで透け感のあるリボンが重なり合うように、妖艶な雰囲気を醸し出し、盛り上がりを見せた。最後は金管全体でユニゾンしながらドラマチックに終わった。客席からは割れるような拍手が上がった。
琳太郎は指揮台を離れ、ステージの端によけた。今度は銀之丞がドラムスティックで合図し、皆で「ハウ・ハイ・ザ・ムーン」を演奏し始めた。クールで心地よいスイングに合わせるかのように、ステージ上部で煌びやかなミラーボールがくるくる回り出した。琳太郎が客席に向かって裏拍の手拍子を促す。ステージ近くにいた観客達は琳太郎の真似をして手拍子を打った。やがて手拍子がホールを埋め尽くした。曲のテーマが終わるとトランペットの公彦、アルトサックスの錬三郎、トロンボーンの怜の順にステージの前面へ出て、ソロを回して行った。後藤の指導が生きて、中学生の本人達がそれぞれ解釈する「セクシーさ」を押し出し、ノリノリでやり切った。特に怜は練習を積んだ高音部を轟かせ、トロンボーンのスライドをブンブン振りながら威勢よくパフォーマンスしてみせた。それぞれ順番にお辞儀をすると、大きな拍手と声援が送られた。その後は音羽が奏でるキーボードのウッドベースと銀之丞が叩くドラムとの熾烈な掛け合いが始まり、ここでも拍手が沸き起こった。最後にテーマをもう一度全員で盛大に演奏した。金管部隊を中心とした全速前進で、華やかにフィニッシュした。
次は直樹が夏祭りでやった「スペイン」だ。響は自席にクラリネットを置き、キーボードの前に移動した。音羽はグランドピアノへ、伊久馬はドラムセットの前に座った。直樹がステージ中央に立った。四人以外は席を移動せず、そのまま静かに待機した。
直樹はマツムラのフルートを構え、物悲しげに吹き始めた。夏祭りのときにはやらなかった、スローテンポな前奏部分を取り入れたのだ。フルートは照明を受けて輝き、その音色もまた、きらきらとまばゆく輝いた。少しの間を開けて、速いテンポでフルート、ウッドベース、ピアノがテーマ部分をユニゾンする。他の部員達は両手を頭上に掲げ、裏拍で拍手をした。直樹がアドリブ演奏を始めた。夏祭りのときよりもフレーズの一つ一つを自分でよく練り上げ、速い運指でスケールを吹いた。すべてが滑らかで軽やかで、ときに鋭利だった。切なさと狂おしさ、やるせなさが込められたそれは、客席の足元から天井まで、最前列から最後列まで放射状に伸び、慈雨のように降り注いだ。2コーラスだけ吹いてお辞儀すると、観客は興奮して拍手をした。ほかの部員達は拍手をやめ、楽器を構えると、全員で演奏し始めた。フルートだけのそれと違い、豪快で力動感があり、華やかだった。幹生のチューバが圧倒的な熱量で底から力強く支え、銀之丞がカウベルとジャムブロックをつけたティンバレスをダイナミックに叩き、情熱的なラテンらしさを演出した。観客は演奏に引き込まれた。力強く拍手を送りながら歓声をあげ、熱狂した。
「最後の曲になりました。緑谷中学吹奏楽部をイメージしたオリジナル曲『ミドスイ』です」
副校長が頭を下げて司会席から去った。客席はしんと静まり返った。琳太郎が袖から出てきて、指揮台に立った。ゆっくりとした物腰で、部員達を誇らしげに見渡すと、タクトを振り上げた。
曲は淡々と始まった。音羽がキーボードをエレキベースの音にして、曲全体を安定感とキレのある低音で支えた。その上に乗っかるように軽快なドラムを銀之丞が叩いた。要所要所で伊久馬がウインドチャイムやギロ、シロフォンで彩りを加えた。トランペット、トロンボーン、サックスを中心としたハーモニーでテーマは華やかに、明るく爽快に響いた。木管とホルンのよくまとまった音色が、爽やかな春風のように駆け抜けた。
ミドスイそのものだった。森の奥の清流のようにどこまでも清らかで純粋で、小鳥のように幼かった。一人一人が個々に煌めき、懸命に命を燃やす姿が、そこにあった。どこでこんな気持ちを置き忘れてきたのだろうと、ステージの袖で見守っていた雛形は涙を一雫、床に落とした。ただただ、演奏する生徒達が美しく、眩しく、尊かった。
全ての演奏が終わり、花束贈呈の時間になった。
「鳴沢学園中等部吹奏楽部様」
副校長がアナウンスすると、客席から鳴沢学園の制服を着た男子生徒が一人、壇上に上がった。直樹はその男子を見たことがあった。コンクール会場で他の部員達を仕切っていた部長だ。三年生らしく、直樹よりも背が高くて大人っぽかった。琳太郎に促されて、直樹が花束を受け取り、礼をした。
その後も他中学の吹奏楽部や近隣小学校の代表者が壇上に上がった。直樹に続き、他の二年生が順番に花束を受け取っていった。緑谷町長の代理や、帝フィルの講師代表として竹田の姿もあった。
「緑谷町立緑谷中学校校長」
副校長は最後のアナウンスをした。そのとき、司会席の足元に本来の被せ物が落っこちていることに、副校長は気づいた。ステージにいる部員達は校長の登場を待ったが、出てこない。かわりに袖から出てきたのは、髪を夜会巻きにし、黒いサテンのイブニングドレスに身を包んだ女性だった。
「誰、あれ」
健治が囁いた。
「校長の娘さんとか?」
梅子も首を傾げた。
「さあ」
直樹も知らない。
「すごい爆美女が出てきましたね」
まりあが小声で言い、錬三郎は口を開けて凝視する。響はしばらく見つめてから突然、満面の笑みになった。
女性がステージ中央に向かって歩み寄る。琳太郎は神妙な表情をして、その様子を見ていた。女性が中央にたどり着くと、花束を琳太郎の前に差し出した。琳太郎が堪えきれなくなって、下を向いてくすくす笑い出した。部員達は何ごとかと、琳太郎を見つめる。琳太郎は顔をあげて女性と向き合った。女性は琳太郎を見つめ、クールに微笑んでみせた。漆黒のマスカラをつけたまつ毛と、まぶたに淡く馴染ませたブルーグレーのアイシャドウ、唇に塗ったボルドーのリップが、天井の照明を受けて輝いている。琳太郎は女性をまじまじと見つめていたが、たまらず破顔した。花束を受け取り、頭を下げた。客席からは温かな拍手が上がった。
客席の拍手は次第に大きくなり、やがてアンコールの手拍子へと切り替わった。部員達と琳太郎が受け取った花束は、会場スタッフが速やかに引き取り、袖に下がっていった。琳太郎は再び指揮台に立ち、タクトを振った。
つづく




