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緑谷中学吹奏楽部  作者: taki
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あまや楽器

音羽が加入して部員が揃ったのはいいものの、講師を呼ぶ費用と、楽器を買う金が足りない。琳太郎自身はどの楽器もそれなりに出来るとは言え、熟達しているレベルにはない。最上級生の三年生がおらず、未熟な部員達には専門の講師陣を呼んでレッスンをつけてやりたい。それに、コンクールではピッコロとティンパニが必要になってくる。琳太郎はどうしたものかと悩んでいた。

ピッコロというのは小さな横笛のことだ。フルートのような柔らかく澄んだ音色とは異なり、小鳥のさえずりのように軽快で賑やかな音を出す。管楽器の中で最高音域にあり、小編成であるならば尚更、必要な楽器だ。ティンパニはパーカッションの一つで、半球状の大きな太鼓に脚がついている。二〜五個ほどで構成され、輪郭のはっきりした音を出し、バスドラムよりもパワフルでよく鳴る。楽器倉庫を見るとあるにはあるが、どちらも傷み具合が酷かった。

入り用だと申し出て、副校長に掛け合った。その後、申請が通ったらしく町から予算が下りたものの、雀の涙ほどの金額だった。

「まいったな」

琳太郎が職員室でボールペンをぐるぐる回しながら呟くと、向かいの席に座っている雛形が顔を上げた。

「どうしたんですか」

「ピッコロとティンパニが揃わないんですよね」

「二つとも学校のがありませんでした?」

「あるにはあるんですが、どっちももう相当、ヤキが回ってますから。修理するより買った方がいいと思う」

琳太郎は、今度はボールペンを鼻の下に乗せて揺らした。

「ピッコロはちょうど良さそうなモデルがあるんですけどね」

琳太郎がノートパソコンの画面を雛形に見せた。画面には楽器店のウェブサイトが表示され、さまざまなピッコロが一覧で載っている。琳太郎が指差しているピッコロは木製で、価格は十二万一千円とあった。雛形はそれをじっと見てから、琳太郎の方を向いた。

「うちに来ません?」

「へ?」

驚く琳太郎をよそに、雛形は机の引き出しを開けると、一つの冊子を手渡した。「あまや楽器」という楽器店のパンフレットだった。

放課後、琳太郎は部員達に自主練するように伝えると、雛形の車に乗り込んだ。向かう先は緑谷町内にある楽器店らしく、雛形は慣れた様子でコンパクトカーを飛ばした。琳太郎はこっそり車内を観察すると、運転席と助手席の間にシフトレバーがあり、運転席の足元にはクラッチらしきペダルが見えた。

「雛形先生、これ、六速マニュアルなんですね」

琳太郎はシフトレバーを見ながら感心しつつ、緊張して言った。

「ああ、そうです」

雛形はこともなげに答える。琳太郎がてっきりオートマ車かと思っていたら、スポーツタイプのマニュアル車であった。雛形はギアをトップに入れてアクセルペダルを踏み込んだ。車幅が狭い曲がりくねった山道を、大人しそうな女性教師とは想像もできないほど俊敏に攻め込んでいく。少し視界が開けたところに出ると、今度はオーバートップに入れてさらに加速した。豪快な運転さばきに、琳太郎は助手席で震えた。

「つきました」

駐車場に車を停めると、雛形が先に降り立ち、店の玄関に入った。琳太郎は汗でぐっしょりになった額や首筋をハンカチで拭きながら、よろよろしながらついていった。

うっそうと生い茂る竹林に囲まれたそこは、とても辺ぴな場所だった。市街地から離れ、周りにほかの建物はない。ちょうど緑谷中の前を流れる天谷川の上流域にあたる場所らしく、川のせせらぐ音が近くで聞こえた。店はまるで大きなサイコロのような、真四角の建物だった。二階建ての建物で小さな窓と両開きの玄関ドアがあり、小さな白い看板には、これまた見落としそうな小さい文字で「あまや楽器」と書かれていた。

「お父さん、来たよ」

雛形は、店内にいる男に声をかけた。男性にしては小柄で痩せぎすで経質そうな男は、くたびれたワイシャツにジーンズを着、灰色のエプロンをつけている。雛形の父らしく、胸につけた名札に「雛形」と書かれている。

「あ、緑谷中の鳥飼と申します。こんにちは」

琳太郎は汗を拭きながら挨拶した。

「何しにきた」

お父さんと呼ばれた男は、琳太郎の言葉を無視して雛形に聞いた。

「お父さん、だからさっき、電話で言ったでしょ。ピッコロを買いにきたの。安くしてもらえない?」

雛形が愛想よく聞いた。

「お前個人になら、俺が買ってやってもいい」

父は雛形に向かって言った。

「そうじゃなくて、学校用に必要なの」

雛形は父の腕を組んで笑った。

「どうして俺が値引きしてやらないといけないんだ。学校の予算があるんだろ。それで買え」

「予算がほとんどおりなくて。ねえ。このヤマパ楽器の木製のやつ。そうそれ、十二万のやつ。五万くらいで売ってもらえない?」

ショーケースの中に、さっき見たモデルと同じピッコロを見つけて、雛形がせがんだ。

「五万!」

父はそう言いながら、顔中の皺を鼻に集めて梅干しのような形相になった。

「いいでしょ。お父さーん。ねえー」

雛形が聞いたこともない甘えた声で言ったので、琳太郎は耳を疑った。

「それじゃ利益が取れない。十万は出せ」

父は急いで頭の中でそろばんを弾いた。

「そこをなんとか。というか、こんなところに楽器屋さんなんかあったんすねー。全然気づきませんでした」

琳太郎は感心して言ってみせた。

「お前は誰なんだ、さっきから」

父は、ナメクジでも見るような目つきで琳太郎に言った。

「えっと、緑谷中の鳥飼と申しますが…」

琳太郎は改めて挨拶をし直した。

「桃子。職場の男には気をつけろと言ったろ。こんなのとつるむんじゃない」

父はそう言って、より一層怖い顔で雛形と琳太郎を交互に見た。

「いえ、だからお父さん、違いま…」

「貴様にお父さんと呼ばれる筋合いはない!」

父はピシャリと言った。

「お父さんやめて」

いつの間にか掴み合いになり、琳太郎は店の外へ逃げ出した。それを見て雛形も追いかけていった。

「変なのとつるむんじゃない。わかったな! おい、桃子…」

父が言い終わらないうちに、桃子の車は駐車場を飛び出した。


「本当にすみません」

少し離れたところで車を停めて、雛形が琳太郎に謝った。

「いえいえ。こちらこそすいません」

助手席に座る琳太郎は、いつ再び恐怖ドライブが始まるのかと戦慄した。シートベルトをがっちり掴み、体育座りした。

「私、きょうだいがいなくて。父は過保護なんですよね」

雛形が恥ずかしそうに唇を噛んだ。

「父はあれでも結構、腕がいいんですよ。楽器屋に勤めてますけど、販売員というよりは専属のリペアマンです。手先が本当に器用で、和楽器の修理も対応できるし。大叔父が宮司でしたので、父もその影響で篳篥(ひちりき)とか吹けますし。時々、母と私の前で吹いてくれるんです。それで…」

雛形は少し嬉しそうに、父のことを語り出した。琳太郎はその横顔を見てにっこり笑った。

「いいお父さんじゃないですか。ところで先生、彼氏は?」

「そういう質問、セクハラになりますよ」

雛形がメガネ越しに、鋭い目つきで琳太郎を一瞥した。遠視のレンズで目が拡大されていて、父親の目とそっくりだった。

「すいません。学校には報告しないでください。恋人がいたら、こんな忙しい部活のせいでなかなか会う暇ないんじゃないかって心配で」

琳太郎は急いで謝った。

「見れば分かりますよね。こんなパッとしない女です。彼氏なんかいません。毎日毎日、やること山積みで、全然余裕ないし、日曜は部活だし、土曜だけはいっぱい寝たいし、走りたいし…」

雛形は、いつの間にか愚痴をこぼしていた。最後の「走りたい」は「自分が」ではなく、「車で」なのだろうと琳太郎は察した。

「ですよね。日曜は俺が出るんで、先生は休んでください」

琳太郎は申し訳なさそうに言った。

「いくら鳥飼先生の方が若いからって、そういうのを私が押しつけるわけにもいきませんよね。部活指導の特殊勤務手当はほとんどつかないし。私も鳥飼先生も、平等であるべきです」

姉御肌な雛形は、鼻息荒く言ってのけた。

「それは…、本当にありがとうございます」

琳太郎はちょっと思うところがあったものの、長いまつ毛を伏せて軽く頭を下げ、お礼を言うだけにした。

「鳥飼先生」

「なんですか?」

「そういえば今度…鳴沢学園に行くとか…何か予定あるとか言ってましたよね」

雛形は思い出しながら喋り出した。

「ええ。明後日、地域の研究授業があるんです」

「鳴沢学園の吹奏楽部って、確か県内トップクラスなんですよね」

「そうです」

琳太郎が頷いた。

「じゃあ、ティンパニ持ってるんじゃない?」

琳太郎は目を見開いた。運転席を見ると、雛形の口元が少し愉快そうに微笑んだ。その直後、琳太郎のことなどお構いなしに車を急発進した。

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