第九七四話 わたし、きになります!
衝突音が鳴る。
金属を打ち合わせたような、甲高くも鈍く。そして激しい衝突音。一度、二度、三度と。
聖女クリスティアは、防戦を強いられていた。対峙するのはあたかも、トレーニングモードの主が如き容貌をした、物言わぬ黒き人形。ミコト曰く、ブラックトレモちゃん。
即ち、クリスティアは現在体の試練がボス部屋にて、最後の戦闘に臨んでいたのだ。
されど。
ひと際強烈な殴打がクリスティアを襲う。互いの得物は一本のメイスであり、元は全く同じものだった。
けれどクリスティアのそれは、すっかりと歪に凹み、歪んでしまっており。
ブラックトレモの殴打を辛くも得物にて受け止めた彼女は、しかし衝撃をいなしきれず、吹き飛ばされてしまった。
壁。背中と後頭部を打ち付け、ぐらり目眩に見舞われる。意識が揺らぐ。
彼女の命を繋いだのは、ミコバトで積み重ねた戦闘経験。悍ましいほどの、敗北と痛みの記憶。
反射的にメイスを構えたなら、案の定追撃が重くのしかかり。
いよいよ霞み始めた視界、ぼやけ始めた思考の中で。
(天使様……)
浮かぶのは、崇めるべき彼女の姿。仲間たちの顔。
するとどうしたことか、うたかたの如き幻想はさながら走馬灯の如く、次から次に生じては明滅し。
ブラックトレモの無慈悲で執拗な攻撃を危なっかしく捌きながら、クリスティアはふらりと記憶の中へ足を踏み入れたのだった。
☆
物心つく頃には、既にクリスティアは教会で暮らしていた。
孤児だったというわけではなく、【聖女見習い】というジョブを持って生まれたが故に、半ば強制的に教会が彼女を引き取ったのだ。
しかしながら、聖女見習いはクリスティアのみにあらず。稀ではあれど、彼女と同じ様に件のジョブを宿し生まれる子は存在した。
それ故に、クリスティアには物心つく前から一つ屋根の下でともに育った、姉妹も同然の聖女見習いが何人も居た。
彼女らとともに、教会で生活を続けたクリスティア。上等な教育を受け、礼儀作法を教え込まれ、宗教を学び。
そして何より、厳しい魔法の訓練にて技術を身につけた。護身の体術も教わった。
そんな生活が何年も続き。気づけばクリスティアは一三歳の誕生日を迎えていた。
見習いの中でも抜きん出て優秀だったクリスティアは、誰よりも早く【聖女見習い】から【聖女】へとクラスチェンジを果たす。
そんな彼女の憧れは、【大聖女】にして大司教である偉大なる女性。その名をシスタービッグロック。
彼の勇者PTにてヒーラーを務めた、正しく生ける伝説の一人である。
しかしクリスティアたちからすると、時折ふらりと顔を出してはあれこれと差し入れをしてくれる、親戚のお姉さんみたいな人だ。
シスタービッグロックは、良くも悪くも話題に事欠かない人物だった。曲がったことが大嫌いで、教会内で暴れた回数など誰も覚えていないほど。
異端審問官すら蹴散らし、暴力で大司教の地位を得た、だなんて噂が立つほど破天荒な人だけれど。
されど彼女を慕う者は多く、そして彼女が救った命も多い。
自分もいつかはあんなふうになりたいと、試しに口調から真似てみたなら、周りから一斉に心配されてしまい、性にも合わなかったため断念。
されどリスペクトの想いは消えず、シスタービッグロックのように沢山の人を救える、立派な人になりたいと。その様に理想を懐いていたクリスティア。
そんな折。とある町が厄災級モンスターの被害を受け、半ば壊滅状態に陥ったと。そのような急報が、噂となってクリスティアたちの耳にまで届いた。
彼女たちの暮らしている教会からも、人員を派遣するという話が挙がり。そこで白羽の矢が立ったのが、クリスティアだった。
彼女の治癒魔法は既に、そこらの聖職者を軽く凌駕するほどのレベルにあり。
何より決め手となったのが、【聖女】というジョブに達しているという事実である。
血の繋がらぬ姉妹たちに見送られ、神父やシスター、聖騎士といった頼もしい人たちに紛れて現地へ赴くクリスティア。
緊張はあった。けれど同時に、期待もあった。ここで頑張れば、シスタービッグロックに一歩近づけるんじゃないかという、そんな期待。
現場は、悲惨な有様だった。
瓦礫と化した町。そこかしこから煙が空へ立ち上り。灰色。
忙しなく動き回る大人たち。叫ぶように指示が飛び交い、かと思えば泣き叫ぶ声もあり。
赤黒い、血の跡を見つけた。ギュッと心臓が痛くなる。我知らず、杖を握る手に力が入った。
遠くで音が鳴る。大気を揺るがすような、爆発音。ズシンと体の芯に響いた。
厄災級モンスターが、まだそこに居るのだ。距離はあるけれど、流れ弾が飛んできたって不思議じゃない。
ガチガチと奥歯が鳴る。膝が笑う。理想と現実のギャップに、打ち据えられた思いだった。
されど、周囲はそんなクリスティアに配慮してくれたりはしない。早く治癒魔法をと、誰かが催促した。
傍らのシスターが、「やれますか?」と声を掛けてくれる。その一言に、勇気を振り絞るクリスティア。
たくさんの怪我人。正に、想像を絶するような光景だった。訓練なんかとはまるで違う、残酷な景色。
それでも、怯んでいる暇があれば一人でも多く救わなくてはと。目尻にうっすら涙を浮かべながらも、彼女は奮闘した。
目の前で事切れる人も、少なからず目にした。亡骸だけならもっとたくさん。
何度もMP切れを起こし、その度に回復薬を呷り。
時折、障壁を張って戦闘の余波から身を守る場面もあり。命の危険を感じたことも、一度や二度じゃない。
そうして、どれだけの時間奮闘し続けたことだろう。周囲の大人たちもすっかり疲れ切っていて、クリスティア自身限界だった。
既にMP回復薬を身体が受け付けなくなっていた。強いストレスと過度な摂取により、嚥下したそれを吐き出してしまったのだ。
涙が出た。嗚咽を耐えきれなかった。強烈な無力感。惨めさ。
聖女というジョブは、神から特別な才能を与えられた証なのだと。その様に教えられ、いい気になっていた。
姉妹たちより一歩抜きん出たことで、自惚れていた。
いつかシスタービッグロックのように成るのだと、成れるのだと。根拠もなくそう思い込んでいた。
それらがとても、虚しく感じられたのだ。
クリスティアが、とうとう折れかけた。心身ともに疲れ果て、夢も理想も砕けそうになった。
正に、その時だ。
それはあたかも、波紋が広がるかのように。
ざわざわと、遠くで人の騒ぐ声がする。それもこれまでに嫌というほど聞いた、切羽詰まったものではなく。
何なら喜色すら感じられる、期待を含んだようなざわめき。
直後、遠くで激しい光が弾けた。
これまでとは比にもならないような、激しい戦闘音。そのくせこちらには、然程の余波が届くでもなく。
代わりとばかりに、皆がワッと歓声を上げる。
誰かが言った。勇者様だと。勇者様が来てくれた。勇者様が戦ってくれている。これで勝てると。
歓声はやがて、声援へと変わり。声援に応えるよう、戦闘は激しさを増し。
それから暫く。不意に、天をつくような光の柱が立ち上り。
そして、静寂。
一体どうなったと、ざわめき始めた皆の前に、幾らかくたびれた様子の彼女、勇者イクシスが姿を見せ。
力強く、その剣を掲げてみせたのである。
瞬間、爆発するような歓声。厄災は討たれ、危機は去ったのだと。その確信に人々は安堵し、大いに喜んだ。
そんな人垣の隙間から、勇者の姿を見たクリスティア。
衝撃だった。
(……あの方が、勇者様……)
目の前の怪我人を癒やすのがやっと。手が回らず、力及ばず、取りこぼしてしまった命すらある。
そんな自分に比して、彼女はなんと、この惨状を生み出した元凶を取り除いてみせたのだ。
勇者が訪れたというだけで、皆の心に希望が灯り。掴んだ勝利によって皆へ安心を齎した。
己が力で沢山の人を救ってみせる、その姿に。どうしようもなくクリスティアは憧れを懐いたのである。
だから彼女は、教会を出て冒険者となった。
今のままではダメだと。もっと、傷つく者に寄り添える場所で腕を磨かなくてはならないと。その様に考えた結果、選んだのが冒険者という道だった。
しかし当然ながら、教会が聖女であるクリスティアを易々と手放すはずもなく。故にそれは『修行』という口実の元に強行されたのである。優等生クリスティアによる、最初にして最大のお転婆であった。
教会にはどうしても、冒険者を軽視、或いは蔑視までする者が少なからず居り。冒険者になりたいというクリスティアへ、反対する声は残念ながら大きなものだった。
が、それを黙らせたのが他でもない、シスタービッグロック。
クリスティアの示した頑固さは、ロックな在り方を是とする彼女の琴線を、ジャカジャカと激しくかき鳴らしたのである。
ですが、しかし! とグチグチうるさい神父の脳天に拳骨を打ち下ろし、「構いやしねえ。行ってきな!」と荒々しく笑んだ彼女が、クリスティアには勇者にも負けないくらいに眩しく見えた。
念願叶い、餞別だと譲り受けたマジックバッグに荷物を詰め込み、単身教会を出た彼女。
そうして暫くの後、出会ったのがリリエラたちだった。
冒険者PT『蒼穹の地平』を結成し、破竹の勢いで昇級を重ね。気づけば特級冒険者PTの肩書を手に入れていた。
当然生中な苦労ではなかった。運が良かったというのもある。けれどそれ以上に、リリエラもクオもアグネムも、際立った才能の持ち主だった。実力だって実戦の中でぐんぐんと身につけて行き、肩書に相応しいだけの能力を確かに備えている。
クリスティアは、そんな彼女らの仲間でいられることが、心底誇らしかった。
そして何より、手応えを感じていた。誰かを癒やす度、誰かの支えとなる度、少しだけ憧れに近づけた気がして。
けれどその反面、理想は果てしなく遠く。このまま歩み続けて、果たして本当に届くのだろうかと。そんな漠然とした不安も抱えていた。
そんな折である。ミコトたちと出会ったのは。
彼女の操る奇妙なスキルと、とても自身と同じ生物とは思えないような美貌を前に、クリスティアは確信した。
きっと『特別』なのだと。自身の持つ【聖女】だなんて肩書とは比にもならない、特別な何かを帯びて彼女はそこに在るのだと。
それはさながら、神に役目を与えられた使徒のようではないか。
だからクリスティアは、彼女を『天使様』と呼んだ。
そして、そんな彼女との出会が、クリスティアにとって第二のターニングポイントとなった。
正に急展開。あれ程憧れた勇者と、何の因果か一つ屋根の下で生活するようになり。
何の比喩でもなく、地獄の如き痛く、辛く、苦しく、どこまでも恐ろしい。そんな修行を、皆と切磋琢磨し乗り越えた。
ステータスはいつしか上限に至り。天才たちに揉みくちゃにされたことで、スキルは奇妙な進化を遂げていた。
あまつさえ闘気なる新たな力も得て。正しく目まぐるしい日々。
ともすれば、自身の目指すものすら見失いそうになる、嵐に呑まれた船にでも乗っているような心持ちだった。
シスタービッグロックの様な、素敵で頼もしい人になりたい。
勇者イクシスのような、多くの人の希望として輝ける、そんな強い人になりたい。
そんな憧れの傍らに、いつしか芽生えた『目標』が一つ。
自身が天使と崇める彼女を、支えてあげたい。彼女が目的を果たすための、一助に成りたい。
そうして、彼女の抱える謎を、共に解き明かしたい。
信仰心から来る想いか、思いやりから来た目標なのか、はたまた何時しか芽生えていた冒険者としての好奇心が故か。
何れにしたところで、ミコトという存在に並々ならぬ関心があった。
だから、支える。共に行くと決めた。
★
……だというのに。
だというのに、何だ、この有様は。この体たらくは。
自分のことすら支えられないで、天使様を支える……?
なんて、バカバカしい。
きっと今頃、他の皆は試練を突破しているに違いない。躓いているのは自分だけ。非力で、スキルが無ければ何も出来ない自分だけ。
では、ここで諦める? 私には無理だったと。私には、皆のような力も才能もなかったのだと、ここで諦める?
憧れに、天使様に、リリエラたちに、背を向けて逃げ出してしまう?
……あり得ない。
その選択だけは、絶対にあり得ない。
ここで諦めるくらいなら、ミコバトでとっくに折れていた。
けれど最後まで折れることなく、皆と共にSH魔王を打ち破ったのは誰だ。
私だ。
だから折れない。こんなところでは折れない。決して折れず、曲がらず。
私が、私こそが天使様を支える……そう。『杖』になろう。彼女を支え助ける、杖のような存在に。
もしも杖が不要になったなら、次は柱になろう。
柱すらも不要になったなら……樹だ。樹が良い。
最終的には、樹になろう。天使様や仲間たち、延いては沢山の人達の暮らす大地を支えるような、とても大きな樹に。
そのためには。
ここで折れている場合じゃない。
どんな手段を用いようとも、この場を切り抜ける。生きて皆と合流を果たす。
これはもはや、体の試練にあらず。『天使様の杖』を名乗るための試練と心得よう。
クリスティアの瞳に、力が戻る。握るメイスにゴウと音を立てて、燃えるような赤が灯る。濃密な、闘気の赤だ。
ブラックトレモの一撃を、力強く跳ね除け。
彼女は静かに叫んだ。
「折れるものなら、折ってみなさい……!!」




