第九六五話 宝箱を抜けると
下方を確認するために、宝箱の縁へ片手でぶら下がり。
そうして底の抜けた宝箱が何所へ通じているものかと、下へ下へ視線を投げてみる。
すると、落差にしておよそ一〇メートルくらいだろうか。そこにあったのは、緑の地面。
宝箱の延長線上、下方へ向けて真っ直ぐ伸びた、四角い筒状の暗闇。その先に、あたかも額縁に入れて飾られているかのような、鮮やかな緑色をした背の低い草の群れを見つけたのだ。所謂緑の絨毯ってやつだ。
ばかりか、下方からは仄かに空気の流れも感じる。風と表したって違和感はない。
それも、なんだか覚えのある空気だった。
「これは……ええい、取り敢えず先ずは服を着ようか」
体の試練に突入してからというもの、肌を晒しすぎである。ステータスも戻ったことだし、【完全装着】の効果を活かすためにもしっかり衣服は身に着けなくちゃなるまい。
宝箱の縁から、ぐいっとよじ登る私。
が、ふとそこで気づいた。ステータスが戻ったっていうのに、思ったよりもよじ登るのに苦労したのだ。
そういえばもともと、無装備状態の私って、滅茶苦茶ステータスが低いのだけど。それでもステータスが上乗せされたのだから、自分の体重くらい軽々と持ち上げられるんじゃないかって、そう思ってた。
でも、実際はそうじゃない……ってことは。
「ステータスの値には、そもそも自分の素の身体能力も加味されてるってこと……?」
例えばステータス30の人が居たとして。そのうち10くらいは、ステータス補正の関係ない素の身体能力。んで、そこに乗っかった20が、補正により強化された能力……みたいな。
それで言うと、もしや私のステータスが低いのって、ほぼステータス補正が乗っかっていないからってことになるのでは?
まぁ、これまでもそういう可能性自体は考えていたけども。今回ステータスを取り上げられるっていう体験をして、いよいよ信憑性を帯びてきた感じ。
とは言え、だからどうってことでもないけど。何かのヒントになるかな? なったら良いな、みたいな。
などと思案しつつ、取り敢えずストレージからバスタオルを取り出し体を拭く。
正直、もっとお湯に浸かっていたかったけど、緊急事態だからね。仕方がない。とは言えだ!
お風呂の余韻くらいは噛み締めたいじゃない。ということで、魔法で水気を飛ばすのではなく、丁寧にバスタオルで髪と体を拭いていく。ここでしか感じられない幸せがあるんだ……!
ストレージから、パンツを取り出した。ハイレさん謹製のパンツだ。手触りからして、さっきまで穿いていたものとは全然違う。
吟味するように足を通し、噛みしめるように装着。
「……おぉ……素晴らしい」
思わず感嘆の声が漏れちゃったよ。その穿き心地には、感動すらあった。僅かな違和感すら感じさせないような、滑らかな肌触り。絶妙の締め付け。包み込まれているような安心感すらあり。総じて、極上。きっと過言ではない。
流石は下着職人ハイレさん。良い仕事をする。
匠の技に惚れ惚れとしながら、ちゃっちゃと着替えを行う私。換装には頼らず、一つ一つ丁寧に。
装備を身につける毎に、ぐんと身体に力が漲る感覚。ステータス補正を肌で感じ、不思議な感慨を覚えた。
と同時、仮初めの力のようにも思えて、胸中はちょっとだけ複雑。何なんだろうね、ステータスとかスキルってのは。
いや、プレイヤーであるところの私からしたなら、寧ろ仮初の力であるからこそ、ゲームみたいで良いんじゃないか。
その様に思い直したなら、ちょっと心が軽くなった。
意思ある装備たちとの再会を喜び、着替えもバッチリ済ませたならば、最後に果物もどきの詰まったリュックを背負い。
ここまでお世話になった医療品入りのリュックは、清浄化を掛けた後、マジックバッグともどもストレージへ。
そうして、向き直ったのは宝箱。しこたま床を濡らしたお湯は、既に魔法にて片してある。
乾いた床を歩み、宝箱の中を覗き込んでみれば、相変わらず下方に見ゆるは切り取られたような景色。
「支度が整ったら、ワープポータルで次へ進めってメッセージウィンドウは言ってた。宝箱の中にはちゃんとステータスもスキルもアイテムもあったし、ワープポータルが何かの罠だって可能性はそこまで高くないように思える……なら、これの通じてる先っていうのはもしかすると、“隠しエリア”ってことなのでは?」
思えば、普通のダンジョンにだって隠し部屋は存在するんだ。ならば、迷宮にだって何かが仕込まれていても、然程不思議な話ではないのかも。
だとすると。
「命大事にって考えると、行くべきではない。でも、ゲーマーとしては行かないなんて選択肢はあり得ない。……さて、どうしたものか」
ジレンマだ。強烈な二律背反。行くべきか、行かざるべきか。何か折衷案は無いだろうか?
腕組みをし、悶々と思考を巡らせ。そうして私は、一つの結論へと至ったのである。
『あ、もしもしゼノワ? 今大丈夫?』
『グル? ガウガウ!』
『え、体の試練クリアして暇なの? そりゃちょうどよかった』
『ガウガウラ!』
『他のメンバーとも合流してる!? まじか。もうちょっと詳しい状況聞かせてほしいんですけど』
試練もクリアしたってことで、ゼノワへの連絡を解禁した私。
念話については依然として使用が制限されているものの、契約精霊とのやり取りに関しては、制限の対象外らしく。やろうと思えば普通に可能だった。
勿論、彼女側がまだ試練に手こずっているようであるならば、不正防止の観点から直ちに通信は切るべきなのだろうけれど。
しかし幸いなことに、ゼノワも試練はクリア済みであり、今はワープポータルで先に進んでしまったとのこと。
どうやら転移先で、他のメンバーと合流することが出来たようで。現在は既に試練を突破したメンバーが、皆の到着を待っている状態らしい。
試練のクリアを証したアイテムの贈呈については、皆が揃ってから行われるらしく。そのため現在は暇なのだと。
『だったらさ、ゼノワちょっとこっち来れる? 手伝ってほしいことがあるんだけど』
『グラ?』
『違うし! 試練は私もクリア済みだし! 不正とかしないし!』
『ギャウ~?』
『なんか、隠しエリアっぽい場所を見つけたんだよ。だけど私一人で行くと、みんなにも師匠たちにも心配かけることになるでしょ? だから、ゼノワについてきてもらおうと思って』
他の皆がこっちに来れるっていうんなら、それに越したことはない。チームミコバトでかかれば、隠しエリアも恐るるに足らず!
けれど残念ながら、ワープポータルは一方通行なようで。転移した先にポータルは存在しなかったらしい。
なので、現状私が協力を仰げそうなのはゼノワくらいのもの。
その様に告げてみると、返事は実に快いもので。『ガウ!』と小気味良く発するなり、暫しの沈黙。多分皆へ、事情を説明しようとガウガウ言ってるんだろう。伝わるかどうかは……難しそうだけど。
そうして少し待っていると、不意にである。パッと私の傍らに、幼竜姿の彼女が出現したのだった。
「ガウラ~」
「おー、ゼノワー! 会いたかったよー!」
がっと抱きしめ、満足するまで撫で回す。ああ、久方ぶりの撫で心地だ。落ち着く。
しばらくされるがままだった彼女は、私が手を緩めたのを機に、ひょいと懐より抜け出して、頭に組み付いてくる。定位置への帰還だ。それはそれで感慨深い。
試練はどうだった? 怪我はしてない? 皆の様子は? と、早速あれこれ問答を始め。
ゼノワも皆も、どうやら無事だったようで胸を撫で下ろす。少なくとも、ゼノワが合流した面々に関しては元気だったようだ。
ふと、そこで気づいた私。
「あれ、そういえばゼノワ、リュックはどうしたの? 持ってないみたいだけど」
彼女も私と同様、迷宮には果物もどきの詰まったリュックを持ち込んでいたはずだ。
なんだかんだ、精霊術は控えてきた私と違って、ゼノワにとっては精霊力を摂取するのに重宝したであろう果物もどき。
それを持ち運ぶためのリュックを、彼女は背負っていないのだ。一体何所へやったのだろうかと訊いてみたなら、返答はシンプルで。
一緒に転移することが出来なかったから置いてきた、と。
そも、私の用いる転移っていうのは、スキル由来のもので。しかしそれは現状、迷宮による制限が掛かっており、行使することが出来ない状態にある。
一方でゼノワの転移というのは、精霊の特性たる『何処にでも居て何所にも居ない存在』を活用した、ナチュラルな能力となっている。
けれど、そうであるがゆえに、ゼノワは“装備以外の物品”を一緒に転移させることは出来ない、という制限を有しているわけで。
とどのつまり、ゼノワはリュックを一緒に転移させることが出来なかったわけだ。
ストレージに入れて飛んでくれば良い、という話でもなく。確かにリュックだけならそれでも良いのだけど、果物もどきは精霊力の結晶のようなものであるがために、スキルの干渉を受けつけず。ストレージへの収納というのが出来ないわけで。
結果としてゼノワは、リュックを置いてこざるを得なかったようだ。
「なるほどなぁ……まぁ、それなら私の分の果物もどきを食べたら良いよ。結局私、精霊術は使わず仕舞だったからね、めちゃくちゃ余ってるんだ」
「ギャウン!」
これ幸いとばかりに、早速ゴソゴソとリュックを漁って、果物もどきを一つ取り出すゼノワ。頭の上でマルカジリである。
そんな愛らしい彼女へ、私はいよいよ本題を告げる。
一緒になって宝箱を覗き込んでみたなら、その不思議な光景に驚くゼノワ。
曰く、彼女もこの宝箱は、預けたリュックを回収する際に覗き込んだけれど、こんなふうに底が抜けてなんていなかったと。
「私の時も、最初は普通に荷物が収められていたよ。でも、お湯を注いで浸かったら底が抜けちゃって……」
「……グルァ??」
よもや契約精霊に『お前は何を言っているんだ?』なんて真顔で言われる日が来ようとは。大変遺憾である。
けど、本当のことなのだから仕方がない。まぁ、お湯を注ぐ云々が、底の抜ける条件だったとは思わないけどさ。
多分宝箱の中に入って一定時間経過するとか、箱の中で座り込むとか、そういう感じの条件が設定されていたんじゃないだろうか。
結果として私はそれを満たし、まんまと底が抜けてしまったわけだ。びっくりだ。
「ってわけで、今からここに入ろうと思うんだけど、大丈夫そう?」
「ガウガウラ!」
「よし! なら行こう!」
ゼノワの了承も得たことで、早速浮遊スキルを発動。自分の体を持ち上げたなら、念力を推進力にして慎重に宝箱の中へと侵入していく。ゼノワは私の頭にくっついたままだ。
下りた瞬間恐ろしいモンスターが襲い掛かってくるかもしれない、なんて心持ちで、警戒心を剥き出しにしての自由落下ならぬ制御落下。
そうして、いよいよ私はかさりと草を踏み、油断なく愛刀月日を構えて辺りを観察……したのだけれど。
辺りにはこれと言って、モンスターの一体も見当たらず。
それどころか、何なら見覚えのある景色がそこには広がっていて。
面食らった私は、思わずつぶやいたのだった。
「ここって……技の試練のフィールドじゃん」




