第九六二話 逃走とラストスパート
残り五分弱。ブラックトレモちゃんから殺されずに生き延びたなら、私の勝ち。
そう考えると、なんとも物騒極まりない話だけど。だって言うのにビビらずに居られるのは、私も冒険者としてすっかり染まったってことなのかも知れない。
或いは単に、ミコバトで殺され過ぎたからかな。
死ぬのは勿論恐いし嫌だけど、それとはまた別に。
こんなところで負けている場合でもなければ、死んでいる場合でもない。この先に成すべきことが幾らでもある。だから勝つ。そんなふうに、死への恐怖と目的意識を切り分けて捉えることが出来る。それが今の私なんだろう。
殺されないためには、先ず以て見つからなければ良い。つまり、隠れ潜んでどれだけ時間を稼げるかが大事。タイムリミットが迫っている現状に於いては尚の事。
透過光球をばら撒きながら、ボス部屋を乱暴に走り回っているブラックトレモちゃん。
はじめはもっと悠長にしていたっていうのに、それが嘘みたいなシャカリキである。手当たり次第に障害物を退け、ものすごい勢いで捜索を行っている。
もしも勝負開始直後からあの勢いで来られていたなら、今頃私はもっと窮地に追い込まれていたに違いない。
だが、彼女に関しては油断だ慢心だ、なんてことはないのだろう。きっとそういう仕組で動いてる。或いはそういう指示を受けている。スロースターターとして行動すべし、と。
そもそもブラックトレモちゃんって、ちゃんと己の意思っていうか、自我のようなものを持って動いているんだろうか?
はたまた、ロボットみたいにプログラムをなぞっているだけ? それで言うと普通のモンスターはどうなんだろう?
意思を持って、あまつさえ言葉すら話す個体には出会ったことがあるけれど。だからって、すべてのモンスターが同様と言い切れるんだろうか?
まぁ、今はいいか。要点は、今のブラックトレモちゃんが全力を尽くして私を探しているってこと。
透過光球の影響で、隠れられそうな場所はどんどん減っていってる。このままじゃ、時間いっぱい隠れ切るっていうのは難しいだろう。
それでも、可能な限り時間を稼ぐ。んで、見つかり次第逃走に徹する。
直接戦闘はリスクだ。ギリギリまで避けたい。さっきみたいに、上手くキルを取れるとも限らないのだから。
自ら位置バレした手前、命大事に! と宣うのもちょっと憚られるけれど。それでも、無事におもちゃ屋さんに帰るためにも作戦はやっぱり『命大事に!』だ。
闘気をうっかり漏らさないように。その点にだけ、とにかく注意を払いつつ、私はひたすら隠れた。
ドタバタと駆け回り、時折障害物を破壊しながら、一心不乱に捜索を続けるブラックトレモちゃん。
その動向を観察し、可能な限り次の動きを予想しつつ、注意の向きづらい方を見極めてこっそり移動。
小石も使った。光球の影響で逃げ道に乏しく、ブラックトレモちゃんとの位置関係も芳しくないタイミングに於いては、小石の音で彼女の意識を逸らすのが有効だった。
投げた小石は三つ。用意してきた分を使い切ってしまった。けど、その何れもが効果を示した辺り、ブラックトレモちゃんの学習能力は然程高くないのかもしれない。
お陰で期待していた以上に時間を稼ぐことが出来た。
残り時間はいよいよ二分半。
前も後ろも光球の影響で透過され、逃げ道を断たれた結果、潜んでいた物陰にも光球が打ち込まれ。
まんまとあぶり出されてしまった私。が、既に覚悟は決まっている。万事休すと悟った瞬間、私は即座に逃げへと転じたのである。
厄介なのは、障害物も床も透明になっている箇所が多く、そんな場所へ迂闊に踏み込もうものなら、何に足を取られたりぶつかったりするかも分からないって点だ。
透過を免れた箇所を選びながら、ブラックトレモちゃんに捕まらぬよう懸命に駆ける私。
出来ればこのタイミングで、先程逃走劇を演じた際に辿ったルートをなぞり、ブラックトレモちゃんの動きを確かめてみたいところ。
これにより、リポップ前後で記憶の引き継ぎが行われているのか、という検証が出来るかと考えたのだけど。
もし記憶が継承されているのなら、走り方が以前より洗練されていて然るべきだからね。
けれど、ブラックトレモちゃんは然程学習能力が高くないことと、それ以前に透過の影響でルートの再現が困難なこと。
それに彼女の動きが先程より乱暴になっていることもあるし、そもそも呑気に背後を確認している余裕が私に無いこともあり。
検証はやめておくべきと判断。その代わり、一点確かめておきたいことがある。
逃げ回る過程で、当然ながらボス部屋内の地形というか、オブジェクトの位置についてはおよそ記憶している。
トレモちゃんが暴れたせいで、完璧とは言い難いけどね。破壊されたものは修復されるけど、移動させられたものが自ずから元の位置に戻るっていう仕様は多分、適用されていないから。
だって私、このダンジョンのオブジェクトである小石を、散々持ち歩いていたからね。根拠としては十分だろう。
だから、透過の影響を受けた場所は、私にとってタイムロスを招きかねない危険地帯。考えなしに踏み込むのは危険である。
では、トレモちゃんにとってはどうなんだろう? トレモちゃんにとってもやはり、オブジェクト類は透明に見えているのだろうか?
或いは、術者である彼女にとっては、透明にしたオブジェクトを認識できていたりするんだろうか?
仮に透過の影響を無視して認識できるとするなら、私にとって一方的に不利な条件だ。
一応可能性として、寧ろ透過の働いている箇所に、ブラックトレモちゃんは敏感になっているんじゃないか、という線も考えられる。
透明になっている場所に足を踏み入れたなら、彼女の視界に入るかどうか以前に、センサーのように異物をすぐさま感知する仕組みがある、なんてことも考えはした。
だからこそ、透過された場所を避けて逃げ隠れしていたのだけど。
逆に私にとって好ましいのは、ブラックトレモちゃんにとっても透過箇所は視認が出来ず、透明なオブジェクトは等しく把握の難しい障害物であるってパターン。
そうであったなら、オブジェクトの配置をある程度記憶できている私には、ちょっぴり有利かもしれない。
尤も、ブラックトレモちゃんも私と同程度、ないしはそれ以上にオブジェクトの位置、何なら今の状況までガッツリ記憶しているって可能性も考えられるのだけど。だとすると、やはり有利とは言い難いのか。
そうした事も含めて、遁走がてらちょっと確かめてみたほうが良いだろう。
ブラックトレモちゃんから逃げながら、思い切って床がごっそり半球状に抉れて見える、透過箇所へ足を踏み入れる私。
透明に見えるだけで、床も障害物もしっかりそこにあるっていうんだから、うっかり足を取られて転びでもすれば大きなタイムロスになる。
記憶を頼りにオブジェクトを避け、飛び越え、潜り抜け。何とか無事に通過することに成功。
直後、後ろを追ってくるブラックトレモちゃんの様子を、肩越しに確認してみた。すると……。
ドンガラガッシャンと、障害物を力とアーツスキル任せに跳ね除けて突っ込んでくる彼女の姿がそこにあり。
なるほど、そうきたかって感じ。でもこれがステータス・スキルを持つ者と持たざる者の差だと言われたら、それはそれで納得である。
でも、障害物に突っ込んだことから、幾らかスピードは落ちた。その間に距離を広げる私。
それにしても、あれって結局透過した物体が見えていたのかどうか……いや、多分見えていないのだろう。
だってブラックトレモちゃん、抉れているように見える床の上を走る時、僅かになれど足取りが怪しかったから。
目の前で私が難なく走ってるから、自分が走っても問題ない。そのくらいの判断はスムーズに下せるんだろうけれど、かと言って視認できる情報と、実際走る感覚にズレが生じたなら、きっと誰だって混乱するはずだもの。私も怖かったし。
ってことは、ブラックトレモちゃんは自分で透明にしたものを、正常に認識できるわけではない。彼女も私と同じように、透明に見えてるってことだ。
それなら少しは時間が稼げるかもしれない。透過箇所を上手く利用して、しこたま逃げに徹する。
背後では時折、ブラックトレモちゃんが障害物を破壊する音が鳴り、しめしめという思いとおっかない気持ちがぶつかって、胸中は穏やかじゃ居られない。
かと言って、負けん気を強く発揮したなら闘気がまた漏れかねない。自制心を意識する。
それにしても、これだけ小細工を用いようと、やはりスペック差というのは如何ともし難いようで。
ジリジリと距離はつまり、そろそろ彼女のアーツスキルを警戒するべき間合いにまで追いつかれる頃合い。
時間は残すところ、一分間。
ここまでに、リポップ前の記憶を持ち越しているのか、という検証を熟せればよかったのだけど、結局上手くいかなかった。
そのため先ほどと同じ手で一撃を狙うのはリスキーであると判断。別の手段で対峙し、残り時間を消化し切る必要がある。
そこで、私の選んだ手段というのは、そう。
彼女が透過した場所を用いて、一風変わった打ち合いを仕掛けようというものだ。
透過にも有効時間がある。早い段階で透過光球を浴びた場所は、いつの間にか透明から元の色に戻っており。
それゆえに私は、ブラックトレモちゃんを新し目の透過箇所へと誘導した。戦っている最中、効果切れなんて起きちゃマズいからね。
透明な床の上に踏み込み、数歩。即座に反転し、槍を突き出す私。
対するブラックトレモちゃんも、既にアーツスキルの構え。モーションから察するに、繰り出すのは【三段突き】。
難点となるのは、彼女の得物が視認できないことだ。
透明化の影響は、装備品にも及ぶ。そしてそれは、術者であるブラックトレモちゃんの装備品とて例外にはなり得ないわけだ。
されど、得物が見えないから何だというのか。こっちには槍を振るって??年の骸先生が付いてるんだ。
まして私と同じ得物を握っているんだって分かっているなら、見切ることも容易。
幸い刺突は、点の攻撃。避けられやすく、軌道を逸されやすいという弱点を有する。そこを、突く。
自らの得物を駆使し、見えざる槍を弾く私。鋭く重い刺突はステータスとスキルの賜物だ。が、逸らすだけなら無理じゃない。
カカカッ。小気味よく鳴った弾きの音は、防御が成功した証左。
そうさ、ここはあくまで『体の試練』だもの。体と技量はまた別のお話。それに心もか。
体で大きく劣るのならば、それ以外で補えば良い。もしかするとこの試練は、ここまでの総括も兼ねていたのかもしれない。
彼女の得物が見えないように、私の得物もまた不可視。見えざる穂先を警戒し、直ぐ様守りへと舵を切るブラックトレモちゃん。
私の繰り出した刺突を無難に弾き、バックステップで立て直しを図る。
睨み合い。
槍の厄介さは、間合いが伸びるという点にもある。持ち手を石突きに近づけたなら、その分だけ刺突は遠くへ届くのだから、当たり前の理屈。
そして実際、そういうアーツスキルも存在している。彼女は先程と今、二種類のアーツスキルを使ってみせた。複数所持してるってことだ。
なら、更に何か仕掛けてきたって不思議じゃない。
けれど、対する私の目的は、あくまで時間を稼ぐこと。牽制を挟みながら防御主体に立ち回れば、このままのらりくらりと長引かせることも可能だろう。
それと分かっていればこそ、ブラックトレモちゃんも強引にだって攻めを選ばずには居られない。
盛んに踏み込み、見えない槍をけしかけてくる彼女。けれど、決して近づかせぬようにと、ガチガチに守りを固める私。
残り時間はとうとう三〇秒を切った。踏ん張りどころだ。
気持ちが高ぶる。闘気が溢れそうになる。自制心に力を込めた。
その、瞬間だった。
ギュンと、これまでよりずっと鋭い踏み込み。キレのある動作。
身体強化系のスキルが発動したのだろう。恐ろしい勢いで槍が繰り出される。
見えざる一撃は容易く私の得物を弾き、真上に高く跳ね上げてしまった。
止めの一撃が、来る。
これまで幾度もリジェネレイターこと、誤字警察の方々から隠れ仰せてきたエリート誤字脱字が、新たに発見されては報告されている昨今。新年早々、見事なお手前で。
寄せられたご報告は確認の後『ヴッ!』と一呻きした後、修正の適用をさせていただいております!
この調子で駆逐してやってくだせぇ! へへっ!(三下感




