第九六〇話 青
甲高く、けたたましい音を上げ、無惨に砕ける信楽焼。
取って代わるように、その向こう側より姿を現したのは他でもない。このボス部屋の主にして、体の試練最後の関門。
デッサン用のポージングフィギュアが如き、黒き身体の顔無き人形。人呼んで、ブラックトレモちゃんである。
まぁ、私が勝手にそう呼んでるだけだけども。
カチリと、確かに視線が交差した。
瞬間、胸中を席巻するのは様々な感情。
見つかってしまった。負けた。せっかくここまでモンスターから発見されぬままやり過ごしてきたのに。不敗神話の崩壊。オワタ。
そんな、ネガティブな思いもあれば。
まだだ、まだ終わらんよ! だってブラックトレモちゃん、まだ攻撃を仕掛けてきてないし? 「ミコトちゃん、みーつけた!」ってコールしてませんし!?
などという、強烈な負けず嫌いから来る屁理屈もあり。
結果として、フリーズ。呼吸すら止まり、数秒。
微動だにすること無く、じっとブラックトレモちゃんを見つめる私。
一方で彼女の方はと言えば……何やら、思いがけず奇妙な動作を見せたのである。
私と視線がかち合ったのは、ほんの一瞬のこと。ブラックトレモちゃんの視線……いや、目っていう目はついていないため、あくまで「視線らしきもの」でしか無いのだけど。
それは直ぐに私から外れると、キョロキョロと辺りを見回し始め。
数秒その様に、索敵らしき動きを見せたかと思えば、用は済んだとばかりに踵を返し、またどこぞへと駆けて行ったのである。
その背を、呆然と視線だけで追いかける私。じんわりと嫌な汗が浮かび、理解が追いつかない頭は空転を続けていた。
(……え? なに? どういうこと……? 何が起きた? 見逃された? 舐めプってこと? いや、でもそんなことってあり得る? でもそれ以外、今のをどう説明したら……??)
必死に理解に努めるも、頑張ってみたところでブラックトレモちゃんの行動を上手く分析できないでいる。
何が狙いで見逃した? どういう意図があった? 攻撃してくるんじゃないのか? もしかしてブラックトレモちゃんが私を殺そうとしている、っていう前提からして間違っていた? 次は私が鬼で隠れんぼ? でも……。
それならブラックトレモちゃんは、どうしてまだ捜索を続けているんだろう?
あたかもそれは、金縛りにでも掛かったかのように。ピタリと身動きの一切を忘れ、硬直していた自身を、ようやっと自覚する私。
ブラックトレモちゃんが攻撃を仕掛けてきたっていうんなら、強制的に思考は打ち切られて、戦闘モードへと一転したはずなのだけれど。
しかし現実はそうならず。だからこそ呆然と、敵を前にして思考に耽っていたのだと。そんな自身の醜態を分析しながら、こっそりと物陰からブラックトレモちゃんの姿を確認した。
いつの間にやら自動修復にて形を取り戻した、たぬきの信楽焼から片目を覗かせ、こっそり視線を投げてみる。
相も変わらず俊敏な動きで、捜索作業に勤しんでいるブラックトレモちゃん。
一体彼女は今、何を探しているっていうのか。私のことを見つけんとしていたわけじゃないのだろうか?
疑問は尽きない。が、一先ず息をつく私。
その拍子に、やっとこさそれは目に入ったのである。
自分の手が、身体が、薄っすらとオーラを纏っている様が。言わずもがな、闘気である。
その、はずなのだが。しかしどうしたことか、闘気と呼ぶにはなんだか、それはいつもと随分違っていて。
(なにこれ……闘気が、青い……?)
見慣れたそれは赤。ともすれば炎と見紛わんほどの赤。それが常であったはずだ。
だっていうのにどうしたことか、今私が身に纏っているオーラの色は、青。ある意味対極とも言える程に遠いカラー。
感じられる力も、普段のそれとはまるで異なっており。もしかするとこれは、そもそも闘気ではないのかも知れない。
しかし、闘気でないとしたら何だというのか。確かなのは、スキルとは異なる何かってこと。精霊力とも違う気がする。
不思議な現象に直面し、いよいよ混乱をきたした、その時だった。
オーラはフッと勢いを失い、風を受けた蝋燭の如く成す術もなしに消え失せたのだ。
そこで、気づく。青いオーラが失せても、闘気を使った後のような能力の低下が感じられない事に。まぁ厳密には低下というより、本来あるべき状態に戻るだけなのだけれど。
闘気の発動中は、身体中に力が漲る感覚がある。それを失えば、落差を感じるのは当たり前のことだろう。
だというのに、青いオーラが失せても、そうした落差はまるで感じられなかったのだ。
つまり、身体能力が増していたわけではない、ということだろうか。
するとやはり、青いオーラは闘気とは異なる何か、ということか。はたまた、闘気の変質したもの、とでも捉えるべきなのか。
(もしかして、青いオーラのお陰で、ブラックトレモちゃんの目を逃れることが出来た……ってこと?)
そう考えると、一応辻褄は合っているような気もする。鍵となる推察は、『青いオーラを纏った私は、ブラックトレモちゃんに認識されない』ってとこだろうか。
一先ず、そもそもこの青いオーラは何なのか、何処から来たのか、なんて疑問は一旦置いておくとしよう。
だってそれを考え始めると、そもそもからして闘気の正体すら、私は疎かチームミコバトメンバーも、依然としてよく分からぬまま扱っているんだから。
正直、どんなデメリットがこっそり隠れているかも未だに不明なのだし、正体を突き止めるまではあまり無闇に多用するべきではない、というのが個人的な見解ではある。
まぁ、頼らざるを得ないような場面が存在することも事実なので、使用を控えましょう! とも言い切れないのだけどね。
リスクは示せても、デメリットは明確化出来ていないっていうのも大きい。ミコバト内でならともかく、リアルでは注意して使いましょうね、というのがチームミコバト内での共通認識といったところだ。
なので焦点を当てたいのは、『青いオーラの効果』とその『運用方法』についてである。
一体どういった効能が働いた所為で、ブラックトレモちゃんは私を見つけることが出来なかったのか。
そして、もう一度青いオーラを発動することって可能なんだろうか? そも、発動条件とは何なのだろう?
取り敢えず、青いオーラの効果を“他者から自分の存在を隠してくれるもの”と仮定した上で。
問題はその扱い方にこそある、と見るべきだろう。
何せ他でもない、私自身が青いオーラの存在に驚き、戸惑い散らかしてるっていうんだから。当然、使い方だなんてものは知る由もないわけだ。
振り返って考えてみる。青いオーラはいつ発動したのか。何を切っ掛けに生じたのか。
いつと言うなら、ブラックトレモちゃんに見つかりそうになった、あの瞬間だろうか。それまでは私の意に反し、普通の闘気がひょこひょこ顔を出したり引っ込んだりしていたのだから。
っていうかその所為で居場所を気取られたんだし。間違いなくブラックトレモちゃんが間近に迫るあの瞬間まで、私の闘気は普通だった。そのはずだ。
ならば、どうして青のオーラが発動したのか。発動の瞬間、私は一体何をした? 何を思った?
もしも青のオーラが闘気の変じたものであるとするなら、闘気と同様に“精神”が大きく関係しているのではなかろうか。
ブラックトレモちゃんに見つかりそうな、あの瞬間。私は、必死だった。
無理でもなんでも、とにかく隠れなくちゃって。それで頭がいっぱいだった。無理が通れば道理が引っ込むってのを地で行ったような、そんな感覚。
というのも、これまで経験してきた異常で不思議な出来事がソースとなり、どんな無茶でもやってやれないことはない! っていう、根拠のない謎の自信があったから。
だから私は、たとえ至近距離で視線がぶつかろうとも、それでもなお隠れ果せると。そんな事が実際可能なのだと、心の何処かで信じていたのだと思う。
勿論、冷静になった今考えると、「いやいやそんなわけないだろ」とセルフツッコミ不可避の、だいぶトチ狂った思考ではあるのだけどね。
無理を可能にするためのスキルが使えない今現在、道理が大人しく引っ込むだなんてことは有り得ないのだ。
……だけど事実、それは成った。
ブラックトレモちゃんを前にして、私は認識されること無く隠れ果せるという、異常な結果を見事に叩き出したのだ。
であるならば、鍵となるのはやはり『隠れなきゃ!』『見つかりたくない!』っていう強烈な思いと、『きっとそれは可能なはず!』っていう確信。
あとは、そうだね。通常の闘気同様、負けてなるものかっていう闘争心もあったように思う。
それらが土壇場でこんがらがって、誕生したのが青いオーラ……そういうこと? そんなことってある?
確かに解せない話ではあるのだけど、反面心の奥では妙に腑に落ちて感じてもいるんだ。
それって言うのも、やっぱりこれまでの体験が根底にあって。目の前に居るのに気づかれない、という経験は案外豊富なんだよね、私。
それにオルカっていうニンジャや、妖精や精霊が身近にあって、『他の人には認識できない』っていう状態を日常的に目にしていることも、この異常をすんなり受け入れられる理由なのやも知れない。
つまり、腑に落ちるだけの下地があったってことだ。
不思議な術で言うと、それこそ精霊術を用いることで、ブラックトレモちゃんの目をもっと確実に欺けたんだと思う。
だけど、それはルール違反な気がして、結局切羽詰まってなお頼ることをしなかった。闘気だって使用を控えていたくらいだもの。お漏らしはしちゃったけど……。
でも、青いオーラに関しては完全に未知の事象。私の新たな能力! って言い切っても良いのかすら分からない、事故や不具合のようなもの。
ネトゲのリテラシーに当てはめて考えるなら、『故意に不具合を再現し、利益を享受する行いは不正・違反行為と見なす』というのが一般的。
青いオーラが本当に不具合かと言われたら、それは言葉の綾的な話になるのだけど。かと言って故意に青いオーラを再現するっていうのは、少なくとも闘気の使用を控えようと決めて臨んだこの試練内に於いては、不正に該当するんじゃないかと。あくまで個人の見解ではあるものの、そう感じているわけで。
とどのつまり、ブラックトレモちゃんが私を見逃したっていうのは、ラッキーだったと捉えるべき案件ってわけだ。
でも、公平性を重んじるのであれば、これを見過ごして良い道理もない。私はその幸運に胡座をかいては笑えない。
となれば、取るべき選択肢は一つだ。我ながら、損な気質ではあるけどさ。
「バカ野郎! 何所に目をつけてるのさ!! 私はここだよ!!」
すぅと息を思い切り吸い込み、叫んだのである。
目的? 無論、ブラックトレモちゃんに居場所を告げるために他ならない。
既に見つかっていたはずの私が、その事実を思い掛けない幸運により有耶無耶にしてしまった。
それでもしこの勝負に勝ったとして、きっとそんなんじゃ納得行かないから。
ラッキーは、彼女が私の存在を認識できずに、他の場所を探しに向かったこの三〇秒ほどの時間。それを稼げただけで十分だ。
残り時間は、およそ八分間。正直正面からやり合うには、甚だ心許ない時間。
それでも、フェアを重んじるのならば退くわけには行くまい。
勢いよくこちらへ振り向いた彼女へ向けて、私は言ったのである。
「勝負だ……ブラックトレモちゃん!!」




