第九五一話 その頃レッカは
篩の迷宮、体の試練。
和のテイストに染まったダンジョンの中を、物珍しそうにキョロキョロしながら歩むのは、火属性剣士のレッカである。
彼女にしてみたなら、異国情緒を強烈に覚えるような景色だろう。
準備室を出て、早速目の当たりにした庭園に、緊張すら忘れて感嘆の吐息を溢したほどなのだから、余程と言える感心ぶりだ。
しかしである。物珍しい光景に気を取られていたのも束の間のこと。直ぐ様彼女は、己の身体が想像以上に重たいことに気づき、愕然としたのである。
スキルとステータスの一切を取り上げられ、アイテムも全て没収されてしまった。
それでも、持ち前の剣技があれば何とでもなると。気質から来るポジティブな考えのもと、そのように楽観していたのだけれど。
されどステータスが存在しない状態、というのをいざ実感してみて、そのデメリットが自身の想定を凌駕するものであると認めざるを得なかった。
あたかも、アグネムの負荷魔法を受けた時のように、身体の動きが鈍く、普段に比べたならまるでキレがないのだ。
どんなに頑張って駆けてみても、普段とは比べるべくもない鈍足でしかなく。踏み込みは情けないほどに弱い。
試しに得物を鞘から抜き、振るってみる。準備室から持ってきたのは、当然ながら扱いなれた片手剣だ。
されど、本当に片手剣なのかと疑いたくなるほどにそれは重く、腕の振りも遅く。泣きたくなるほど情けない身のこなし。
レッカは愕然とした。ミコバトの中で、HP以外のステータスを全て0にする、という試みであれば体験したことがあったけれど。
しかしこれは、その時ともまた異なる、得も言われぬ不自由さを強いられているみたいじゃないか。
それでいて、不思議と納得もあるというのが、レッカにはどうにも不快だった。『ステータスが存在しなければこの程度』という感覚が、どうしたことかしっくりと来てしまうのだ。
今更ながらに途方に暮れる。こんな有様では、これまでに対峙してきたようなモンスターとの戦闘になった場合、まるで勝負にならないと理解できてしまったから。
が、しかし。それゆえにこそ思うのだ。『体の試練』と銘打ったこの場所で、それほど無茶な戦闘を強いられるものだろうか? と。
モンスターが出現するなら、そいつらはきっと今のこのスペックに応じた、弱い個体が配置されているはず。
持ち前の鋭さから、そのように半ば確信を得たレッカは、気を取り直して一先ずウォーミングアップに精を出した。
どうあれ、この身体を最低限自在に扱うことが出来なければ、勝てる勝負にだって勝てなくなってしまうから。
感覚のすり合わせが必要なのだ。これまで培った技術を、この不利な状態でもある程度発揮出来るようにするために。
渡り廊下を下り、庭園にて素振りをはじめとした運動を一通りこなしたレッカ。そうしてやっとこさ、スペックの把握に成功する。
今出来る一握りのことを細かく理解し。反面、この状態では叶わない数多のことを把握。
切り替えが早いのがレッカの長所である。出来ないことの多さに嘆くより、今出来ることをどう活かしてやろうかと。
そのように思考しながら、彼女はいよいよ第一フロアへと足を踏み入れていくのだった。
「ぬぅぅっぉおおおおおおお!!」
程なくしてのことである。レッカは板張りの廊下を、猛然とした勢いで駆けていた。全力疾走である。
その背後には、餓鬼をはじめとした和風モンスターをわらわらと引き連れており。
さながら、小規模なモンスタートレインである。或いは百鬼夜行とでも表するべきか。普段のレッカであれば、先ずやらないような行動。
きっかけは初戦闘だった。開いた障子の向こうに、存在したのは餓鬼が一匹。腕試しをするにはおあつらえ向きの相手だった。
勇んで戦闘を仕掛けたレッカは、思った通り餓鬼の強さが然程でもないことを知る。
けれど、ステータス持ちとそうでない自身との差もまた、そこには確かに存在しており。
飛び掛かってきた餓鬼をいなし、振り向きざまにその背を斬りつけたレッカ。しかしながらイメージしていたよりも手応えは鈍く、加減も誤った。マスタリースキルを奪われた影響か、剣筋にだって想定との齟齬があり。
結果として餓鬼は、予想していたよりも派手に吹き飛んでしまったのだ。
不運だったのは、餓鬼が障子を突き破り、大きな音を立てて廊下に転がり出たこと。
あまつさえ断末魔の悲鳴をあげるものだから、これを聞きつけてモンスターが寄ってきてしまったわけだ。
流石のレッカも今の状況で、複数体をいっぺんに相手取るのは愚策と踏み、即座に逃げを選択。
一目散に駆け出したなら、その後を追いかけ始めるモンスターたち。必然、板張りの床はドタバタと足音をよく響かせ。
あっちこっちの障子から、時折モンスターが飛び出してはレッカへと襲い掛かってくる。
それらを掻い潜り、更に逃走するレッカ。そうして気づけば、あろうことかモンスタートレインを引き起こしてしまっていたわけだ。
大規模なトレインになると、最悪セーフティーエリアすら十全にその機能を発揮しないこともある。
できれば早い段階で、次のフロアへ向かう通路を見つけ出したいところ。必死になって階段を探すレッカ。
されど、階段らしい階段というのはさっぱり見つからず。いよいよ内心で頭を抱えた彼女は、不意に開けた空間に出たのである。
次なる渡り廊下に通じる戸。その前に設けられた小広いスペースは、レッカが涙目になって探し回っていたセーフティーエリアに他ならず。
辛うじてトレインの規模は、まだ小規模と言える程度で済んでいたため、彼らは一斉にレッカの姿を見失い、その足を止めたのだった。
壁に背を預け、大きくため息をつくレッカ。普段ではなかなか出さないような全力での疾走を続けたため、ガクガクと膝が笑っている。
モンスターたちのステータスが、後もう少し高く、走る速度に長けていたなら、きっと詰んでいたに違いない。
そのように思い至り、ブルリと身震いするレッカ。それに、罠の存在も厄介だ。
レッカを追いかけていたモンスターの一部は、道中それを発動させてしまい、まんまとその餌食となったのである。
ちらりと振り返った拍子に、天井から降った矢を浴びるモンスターの様子を目の当たりにして、レッカは自らの迂闊さに辟易とした。
「慢心……してたのかな。私はもしかすると、自分で思ってたよりずっとステータスに頼って生きてきたのかもしれない」
レッカに限った話ではないのだろう。この世界に生きる者にとって、ステータスとは生まれた時から当たり前に備わっているものなのだ。
それは謂わば、体の一部と表せるほどに、あって然るべきものとして身近に存在しており。
いざそれを封じられた際の戸惑いは、ちょっとやそっとウォーミングアップを行った程度で解消されるようなものではなかった。
にも拘らず、その点を軽視してしまったレッカは、ある意味に於いて自惚れていたのだろう。
ミコバトでの経験。磨き上げた剣技。積み重ねた鍛錬。それらが確固たる自信となって、レッカを支えていたのだ。
けれどこれまでに積み上げてきたそれらは、残念ながら土台にステータスやスキルが存在し、その上に築いたもの。
土台が突如失われた現状、まともな立ち回りなどは望むべくもなかったのだ。
慎重さこそが肝要。戦闘はなるべく避けるべき。仮に戦うことになった場合、動作の一つ一つに普段より意識を巡らせる必要がある。
レッカは自らに言い聞かせるように注意事項を論い、最後にパンと自身の両頬を挟み込むように叩いて気合を入れた。
反省をしたのなら、ネガティブを引きずらない。学びだけを得る。要領よく好いとこ取りが出来るのが、彼女の強みなのだ。
しかし、気持ちを入れ替えたのも束の間。渡り廊下の先に待ち受けていたのは一体の餓鬼。
一瞬顔が引き攣るものの、しかし前向きに捉えるレッカ。先程の失敗を糧に、ステップアップを果たす絶好の好機だと。
斯くしてレッカは、餓鬼を下し。慎重さに重きを置きつつ第二フロアを攻略したのである。
迎えた足軽戦。剣と剣の交差する、正に真剣勝負が展開され。餓鬼との戦闘以上に、ステータスの差というものを肌で感じた。
それに、マスタリーが機能しないせいか、普段ならさして意識せずとも出来る動きが、上手く出来ないことがあり。
正しくは、動きに斑があるのだ。同じ様に振るった剣も、毎回手応えに大きな差が感じられるし、時折自分でも情けなくなるような、腰の入っていない上辺だけの振りをかましてしまうこともあり。
マスタリーの補正や、未だ抜けない感覚のちぐはぐさに四苦八苦しながら、それでも培ってきた剣術を駆使して足軽を下したレッカ。
第三フロア。次へ進むには鍵が必要である、と知った彼女は堪らず頭を抱えた。第一フロアでの失敗が蘇る。
しかし、やらねば進めぬのだから仕方がない。セーフティーエリアを拠点に定め、手近な部屋から虱潰し的に探索することに。
当然、部屋の中にはモンスターが待ち構えていることもあり。戦闘は回避できないものとして、果敢に挑んだレッカ。
鍵の発見に至ったのは、翌日になってのことだった。何度となく苦戦を強いられ、やっとこさ見つけ出すことが出来たのだ。
されど苦戦しただけあり、だいぶ体の扱い方も分かってきた。不自由なりに出来ることを追求してやれば、寧ろこれまで思いつかなかった身のこなしも身につこうというもの。そんな可能性を彼女は感じていた。
そうして迎えた、鎌鼬戦。
ここに来て、スキルを使った加速を操る難敵の出現である。振るった剣は空を切り、精々が牽制にしかならず。
隙を見るなり懐へ潜り込んでは、得物を振るう鎌鼬。手傷は避けられなかった。
幸いだったのは、攻撃力が然程でもなかった点か。
切り傷は幾つも負ってしまったレッカだけれど、行動不能に陥るほどではなく。
何より、幾らか打ち合ったなら動きにも慣れようというもの。既に防戦だけなら不自由することはない。
丁寧に鎌鼬の動きを見極め、壁際に追いやり。そうして、確実に止めを刺したレッカである。
辛勝だ。大きなため息を突いた彼女は、急ぎ医療道具をリュックから取り出すと、傷の手当てを始めたのだった。
じくじくズキズキと、痛みを告げてくる傷口は、されど低品質とは言え回復薬の効果により、自然治癒などとは比較にもならぬ速さにて完治してしまった。
とは言え、治るまでに数時間も要してしまったのだけれど。
そこでレッカは、ふと思い出す。
「そういえばミコトの世界だと、傷の治療ってもっとずっと時間の掛かるものなんだっけ……もしこのリュックに医療道具が入ってなかったら、私だって何日も掛けて体を休める必要があったのかも」
まだ医療品に余裕はあれど、もしもこれが尽きたなら、この試練の突破はぐっと難しくなるに違いない。
負傷は最小限に抑える必要がある。そのことを改めて認識し、レッカは己が不甲斐なさに肩を落とした。
「もしかすると、ミコトの言う『鍛錬』って、私の思うものとは意味合いが違っていたのかもね……私が積み上げてきたのは、全部ステータスやスキルの補助を受ける前提でのものだった。でもミコトは確か、『マスタリーに頼りすぎない体の動かし方』がどうとかって言ってたし。見えてるものが違ってたんだ……」
胸中に浮かんだのは、納得と感心。そして何より、自身にもようやっと彼女の言わんとしたことが理解できた嬉しさである。
次のステージが見えた。そんな喜びが湧いてきて、思わず口の端が挑戦的に釣り上がる。
「なるほど、確かに鍛錬のし甲斐がある……この試練で、私はもっと強くなれる!」
やる気を漲らせたレッカは、勇み第四フロアへと足を踏み入れるのだった。
彼女の挑戦は続く。




