第九四八話 餓鬼
通常、複数のフロアからなるダンジョンには、各フロア間を移動するための階段、ないしは何らかの専用通路や、ギミック等の移動手段が用意されているものであり。
そしてその前後には決まって、セーフティーエリアが設けられているものだ。
モンスターが出現すること無く、また侵入することも叶わない、安全地帯。
だから、階段にモンスターが出現する、だなんて事態は本来、決してあり得ないはずなのだが。
だとするなら、考えられる可能性は二つ。
一つ。この渡り廊下が、フロアとフロアを繋ぐ階段のようなもの、という仮説が間違っていたって説。
一つ。このダンジョンが特殊で、階段にだって普通にモンスターが出現する、ないしは侵入が可能、或いはイベント戦闘的にモンスターが意図して配置されているって説。
私の考えとしてはまぁ、おそらく後者だと思っている。だって先程探索した屋内、何所を探しても階段らしきものは見当たらなかったからね。
まぁ流石に、障子を片っ端から開いて隅々まで調べました! とは言えないけども。
でも階段って、普通廊下に接する形で設置されているものでしょう? そりゃ、戸を開けたら階段が……みたいな設計もあるだろうけどもさ。
そう思って、大体の戸や障子はちょびっと開いて中を確認してきたからね。その上で、階段は何処にも無かったのだ。
だから、この渡り廊下こそが階段の役割を担っているのだと。私はその様に考えていた。
実際渡り廊下へ通じる戸の前には、開けた空間が設けられていたからね。多分セーフティーエリアなんだと思う。
で、あるからして。恐らくは次なるフロアに通じていると思しき戸を背にして、こちらをガッツリと捉え睨んでくる餓鬼は、やはり避けては通れぬ戦闘イベント要員なのだろう。
思わず、槍を握る手に力が入る。これより行われるのは、普段の戦闘と趣の異なる闘い。
怪我を負ってもパッと直せるいつもと違い、極力ダメージは負えない。医療品はあまり良いものではない上に、数も限られているのだ。
リーチの長い槍の特性を活かし、かすり傷一つ負うこと無くこの場をしのぎ切る。それが、この戦闘に於ける私の目標となる。
渡り廊下は然程広くない。人がすれ違えるだけの幅こそあるものの、大立ち回りには不便を覚える程度。
頭上には雨避けの屋根が設けられており、当然それを支える柱が整然と立ち並んでいる。槍を振り回すにはあまり向かない環境と言えるだろう。
長槍という武器は、確かにリーチには秀でているけれど。しかし取り回しで言えば決して良いとは言えない。
地味に技量が求められる一戦になりそうだ。否応なく緊張する。が、それでパフォーマンスを低下させていたんじゃお話にならない。何せ命懸けだもの。
気持ちと呼吸を整え、静かに槍を構える。餓鬼もいよいよ臨戦態勢だ。やけにギラギラとした目でこっちを睨んでくる。間に横たわる距離は一〇メートル程度。
一騎打ち。さやさやと、呑気な風音だけが背景で躍る。対照的な剣呑さでもって、こちらへ向けられる餓鬼の殺気が不快だ。
互いに踏み込むタイミングを計っている。ジリジリと、にじり寄るように距離を詰める。
いつもならばこの程度の距離、瞬き一つ分にも満たぬ間に潰せるところだけれど。さりとて残念ながら、ステータスもスキルも装備さえ奪われた今は、そうも行かない。
敵の僅かな挙動すら見逃すまいと神経を尖らせ、ゆっくりと、慎重に間合いを詰めていく。
餓鬼にしてみれば、このまままんまと槍の間合いに捉えられたのでは、圧倒的に不利。
何所かのタイミングで、こちらの懐に飛び込む他ないわけだ。幸い、長物の取り回しには向かない環境である。
果たして奴にそれと判断するだけの知能や、観察力などが備わっているかは疑問なれど。
少なくとも、攻撃衝動に任せて迂闊に飛び込んでこないところを見るに、危機察知能力は相応にあるものと考えるべきだろう。所謂野生の勘ってやつかも知れない。
しかしそうであるならばこそ、何所かのタイミングで先んじて動くのは餓鬼の方。私はその初動を見逃さず、適切に処理すれば良いわけだ。
懐に潜らんと突っ込んでくるのなら、動きに合わせて穂先をずらしてやるだけで牽制にも、カウンターにだってなる。
逆に距離を取るような動きを見せるのなら、合わせて私も突っ込んだって良いし、じわじわと焦らず距離を詰めたって良い。
ただし、餓鬼が石か何かを拾いに行き、そのまま投擲するような動きを見せたなら、少々面倒なことになる。投擲は構えを崩すのに有効な一手となり得るからね。警戒が必要だ。
仮に初撃を仕損じ、懐に飛び込まれた場合は拳での迎撃となるだろう。ナイフを抜くより素早く繰り出せるから。
ただ、殺傷能力という意味合いに於いては、断然刃物を用いるべきだ。ステータスもスキルも無いのだから尚の事。
距離を詰めながらプランをあれこれと練っていると、とうとう餓鬼が動きを見せた。
奴の選択は、思った通りこちらの懐へ飛び込まんとする、思い切りの良い前進である。しかし読みどおりであるため、そこに驚きはなく。
餓鬼の動きに合わせて穂先を動かし、奴の進行方向に刺突を繰り出してみたなら、綺麗にそれは餓鬼の重心を突き破り。
鎖骨下から体の軸を通り、背中に抜ける穂先。何時になくずっしりと、生々しい手応えが伝わってくるけれど、かと言って今更怯んだり、気分を悪くすることもない。
即座に槍を引き抜き、堪らず崩れ落ちる餓鬼の頭部を更に一突き。頭蓋を貫き、即死である。
黒い塵へ還っていく餓鬼を見送りながら、残心。他に脅威が存在しないことを認めた後、それでももしもを考え、さっさと餓鬼の守っていた戸を開き、潜り抜け。
そうしてやっとこさ息をつく。恐らくはセーフティーエリアだ。勿論辺りに敵影がないことを確認しての脱力である。
「はぁ……普通に勝てた。っていうか、我ながら肝が太くなったというか何というか。終始冷静に対処できたのは良かったけど、すっかりこの世界に染まっちゃったんだなって感じがするね……すごい今更だけど」
体の試練に於ける初戦闘を、そのように振り返って感想を独り言ち。
そこでふと、喉の渇きを覚えた。多分小腹も空いている。今しがた、なかなかグロい光景を目の当たりにしたっていうのにね。
とは言え、腹が減ってはなんとやら。気を張ったまま、結構たくさん歩き回ったからね。時間的にもそろそろ良い頃合いだろう。
何より、休憩をするには適した場所だと思う。或いは本当にここがセーフティーエリアなのかを確かめる目的も兼ねて、ここで軽い食事休憩と行こうじゃないか。
もしも近くをモンスターが通りかかったとて、なるべく視界に入らぬようにと、遮蔽物を意識した位置取りをし。
警戒を完全には解くこと無く、リュックを下ろして食料と水筒を取り出す。限られた物資だ、節約して量は少なめに摂取。
味に関しては……まぁ、何も言うまい。もとより、食べ物にケチをつけるほど食に拘りはないのだから。栄養を得られるだけ有り難いってもんだ。
水も、別に臭くもなければ不味くもなく、普通に安全に飲める水。でも、他に水源のない現状に於いては、それってとても重要なことだったりする。
無駄遣いなど論外。適量を嚥下し、残りはささっとリュックにしまい直す。なんか、サバイバルしてるって感じがしてきたな。
そうしたら後は、暫し体を休める時間だ。いつもなら鍛錬をしたがるところだけどね、サバイバルも鍛錬だって思えば、この休憩だってその一部。不満などあろうはずもない。少なくとも今のところは。
休憩と言えば、ここがセーフティーエリアでなければ、今夜眠る場所にも困ることになるんだ。
それを思えば、寧ろ敢えてモンスターをここまでおびき寄せてみて、反応を伺うような実験をするべきなのかも知れない。
或いはいっそ、渡り廊下でモンスターがリポップしないことを確認したほうが有意義だろうか?
悩みどころである……取り敢えず、戸を開いたまま少し様子を見ておこうか。
「何が危険で、何所が安全か。それすら分からない状況の、なんて心細いこと……初めてダンジョンに潜った昔の人も、きっとこんな気持を味わったんだろうなぁ。何ならもっと恐かったかも」
さっきから「普通のダンジョンだったら~」って、何かと引き合いには出しているけれども。
しかしその“普通”とか“常識”が形を得たのって、先人がたくさんの情報を後続に残してくれたからに他ならないわけで。
先人の居ない、“未知”にこそ惹きつけられる冒険者だけれど、果たして本当に未知なる世界を体験した時、一体どれだけの人が強気で居られるのだろう。
漠然とした心細さを感じながら、冒険者の端くれである私は、ぼんやりとそんな事を思うのだった。
さて。どのくらい休んだだろうか? 時計がないものだから、正直時間の感覚というのは曖昧だ。
恐らく小一時間くらいはじっとしていたはずだ。その間、渡り廊下に於けるリポップは発生せず、セーフティーエリアに於いてもモンスターが寄ってくるようなことはなかった。
が、それはどちらも、単に確率論的な問題ってだけで、もしかすると次の瞬間には覆る可能性すら孕んでいる。
やはりここは、モンスターを何処かから引っ張ってきて、明確に引き返していく様を確かめなくっちゃ信用ならないだろう。
そうと決まれば先ずは、手頃なモンスターを見つけるところからである。なるべく弱そうなやつ、それも単体が好ましい。
ターゲットに足るモンスターの条件を思い浮かべつつ、槍を片手に探索を再開する私。
すると、案外すぐのこと。廊下の真ん中を、ふよふよと浮遊している白い布を見つけたのである。
あまりに不自然。風に飛ばされた手ぬぐいのようでいて、しかし風もなければ、そもそも重力に引かれて落下する素振りもない。やはり不自然。
と言うか、手ぬぐいにしては長すぎる。ぱっと見でも一〇メートルは下らないもの。
(もしや、一反木綿ってやつなのでは……?)
イメージにあるのは、某漫画・アニメに登場する、白い布に目と手のついた妖怪の姿。
対し、今私の視線の先で漂っているのは、目も手もついていないただの白くて長い布だ。
そもそもモンスターなのかすらも判断が難しいところだけど、少なくともなんでもない布ってことはないだろう。
仮にモンスターでないとしたら、トラップの類いに違いない。若しくは、そうだね。何かしらのダンジョンギミックとか。
しかしモンスターだった場合、普通に廊下に漂っているっていうのはちょっと問題だ。
だって、先程の第一フロアでは、廊下を堂々と徘徊しているモンスターっていうのには、結局遭遇せずに済んだのだから。
しかしここから先は、廊下でモンスターに鉢合わせすることも十分あり得ると見るべきだろう。
それにあのペラペラな姿。障子や戸の隙間からだって、容易く出入りできるに違いない。
その神出鬼没ぶりには、しっかり注意を払っておかなくちゃ、下手をすると大変なことになるかも。
と、一先ず恐れてはみたものの。しかし強そうに見えないのもまた事実。勿論見た目で判断するというのは愚かなことだけどさ。
現に、今の私がアレと戦うとして、どうやって勝てば良いのか。ぐるぐる巻きにされて窒息を狙われたり、或いは締め上げる力がめちゃくちゃ強いとしたら、結構あっさり殺されるかも知れない。
火魔法や、火の魔道具なんかがあれば、多分楽に処理できる相手なんだろうけど。
(あ。でもモンスターってことは、どこかしらに核があるんだよね? それなら止めを刺すのは難しくないか。それに、槍とはいまいち相性は良くないかも知れないけど、ナイフなら有効だろうし……うん。行ける気がする)
一反木綿と思しき不自然な布を観察しつつ、そのように算段を立てた私は、腹を括った。
どのみちセーフティーエリアのチェックは欠かせないのだ。なれば、ここはやるっきゃない。
意を決し、物陰から小石を投擲。怪しい布へとそれをぶつけたなら、案の定生き物のようにそいつは私を捉え。
そうして、勢い良くこちらへ突っ込んできたのである。
さぁ、逃走だ!




