31.魔物との戦い
ウエノ家、執務室。
魔物との戦闘が行われていても日頃の政務がなくなるわけでもなく、人手が不足することで却って忙しくなっている部屋の主の下に慌ただしい足音が近づいてくる。
それは、扉の前で急停止して簡略な挨拶で入って来た。ウエノ家の家風として意味のない装飾を省くというものがあるため、段取りは抜きだ。伝令である彼は入室と同時に要件から入る。
「ロッシュ様! 森に動きが!」
「来たか……詳細は?」
「こちらに!」
伝令の男は彼の下にリレー形式で届けられた前線からの手紙をロッシュに素早く手渡す。それを受け取り、まずは本物かどうかの確認を行ってからロッシュは文にざっと目を通した。
「……予想の範疇だな。手筈通りに」
「畏まりました!」
礼も軽くだけで慌ただしく退出する男。彼がいなくなった後にロッシュは届けられた文の情報をもう一度見直して戦略を練り直す。その最中で無意識に浮かべる好戦的な笑み。そして彼は呟いた。
「……今度は、来ると分かっていたからな? ウチを甘く見たこと、後悔させてやる……!」
穏やかな狂気と百獣の怒気を静かな声音に潜めたロッシュ。しかし、ウエノ家の家督である彼が部屋から一歩出ると少なくとも表側に彼の感情が出ているということはなかった。
「フミヤ様! 森に動きがありました!」
「わかった。すぐに行く」
森の魔物が動いた報はフミヤの下にも即座に届けられた。伝令はすぐに別の場所に同じ報告をするために退出した。そのため、フミヤの異変に気付くこともない。ただ一人自室に残されたフミヤは静かに椅子から立ち上がる。
「……今は、ゆっくり考えていられる状況でもないか……確実に、さっさと終わらせてやる……!」
気合を入れ、思考の海から身を乗り出すフミヤ。彼が短くこの国の言葉ではないどこかの言語で詠唱すると彼の手足に白金色に輝く手甲と漆黒の脚絆、それから金属光沢を持つ黒いレガースが纏わりつく。
「……それにしても、色は統一してほしかったな。何で……まぁ今はそんなこと考えてる暇はないけど」
腕に白金色、下半身に漆黒を纏うフミヤはもう少しコーディネートはどうにかならなかったものかと苦笑しつつ元々の自分が持つ装備である黒に近い紫色をした竜鱗のスケールメイルや額当てを装備して何とも言えない顔になった。
「……酷いなこれ。性能だけで選ぶと見た目が……」
しかし、フミヤがこれから行くのは戦場であってファッションショーではない。まして、相手は魔物である。選り好みして死んだら笑い話にもならない。
(……まぁ、フーシェの奴が倒れてるし真っ向から色々言ってくる奴はいないだろ。切り替えていくか)
倒れた兄のために戦いに行くのだが、その倒れた兄の日頃の言動からするに本気を出していく状態ではいなくていいか。そう考えたフミヤは一度瞑目し、そして表情を切り替えて部屋から出て行った。
『ココさん、これってやっぱり何か……』
「うーん、中央に伝手がないから何とも言えないけど一般的に……ごめん、ちょっと何か来たから待って。どーぞー?」
フミヤが部屋を出た同刻。ようやく負傷兵に対する手当が一段落ついたところで部屋に戻り、休息に入ろうとベッドで横になりなってたココの下に届いた【魔通話】の連絡。しかし、それが始まって間もない時間に彼女の部屋に伝令が訪れた。
「はっ! 火急の用にて失礼いたします! 森に動きがありました!」
「えー……さっき休憩に入ったばっかりなのに……はーい、わかった。すぐ行くから」
「失礼いたしました!」
渋い顔をしつつ伝令の言葉を受け取ったココはベッドから起き上がって溜息をつきつつ通話に戻る。
「ごめん、聞こえてた?」
『火急の用とは……』
通話先では聞こえてきた言葉から今も話していてよいものかという葛藤の様子が聞いて分かるような口調になっていた。ココはあまり相手が気に病まないように殊更明るめに、しかし少々本音である疲労感を隠し切れずに告げる。
「うん、ちょっと今から戦争始まるみたい。ごめん、終わって落ち着いたらまた連絡する」
『お忙しいところ、ごめんなさい……』
「んーん、悪いのはこっちだから。ごめんね? 後、やっぱり気になるなら公爵様に相談した方が……」
無言になる。単なる通話で、顔が見えずとも分かる嫌そうな気配だ。それを感じつつココは曖昧に笑ってから無難な挨拶をし、通話を終了する。
「ふー……疲れるなぁ」
前回の戦いの負傷兵に対する治療に支援のための魔具作り、それから今から始まる戦闘。ウエノ家でここ最近一番忙しく、そして少し先まで忙しいのは彼女だろう。
「あー、これはアレだね。フーシェ兄には貸し10として、ロッシュ兄からお金貰ってフミ兄ぃには……んーフミ兄ぃには特に何かさせられた訳じゃないか……じゃ、軽めのデートということで」
この苦労には対価を貰う。この戦いが終わったら絶対だ。戦闘終了後に対する思いを持ちつつ彼女は白を基調とし、金色の刺繍の入った彼女特製である様々な機能を持つ道衣、彼女の戦装束に身を包んで髪を上げた。
「ふぅ……魔物どもめ……八つ当たりしてやるから覚悟しろ!」
本来、ストレス源になっているのが魔物であるため別に八つ当たりでも何でもない正当な怒りではあるが、ココはそんなことを思いつつ兄妹の中で唯一外に分かる攻撃性を持ちながら外に出た。
ヒグラは伝令が来る前に動いていた。
(……情けねぇ恰好見せてばっかりだ……)
脳裏に過るこの台詞。魔物との戦いの後に何度頭の中に蘇り、そして思わず口に出しただろうか。
先の大戦では功を立てられずに家を傾け、こんな辺境の土地に飛ばされる要因を作ってしまった。先の一件でも日頃偉そうな態度を取っておきながら肝心な時に役に立たなかった。
(許されんよ……ウエノの血を継いだ者として……!)
そんな彼に下されたロッシュからの指令、それは魔物との戦いではなく自宅謹慎。万が一の防衛参加ですらない、謹慎だった。
理由はわかる。咄嗟の判断を仰ぐときに引退した身であるヒグラがいた場合、指揮系統に乱れが生まれるかもしれないということ。そして何より、先の魔物との戦いの結果に癒しきれない傷があったからだ。
(謹慎……尤もな話だ。老害が出しゃばるな。言いたくなる気持ちも分かる……だがな。)
彼にも親としての矜持があった。先代当主としてではなく、ウエノ家の、彼らの父親としての矜持であり、勇者の末裔であるウエノの矜持だ。
故に、彼は自宅でただ押し留まっていることなどできなかった。少しでも上に立った場合に目立つことでバレてしまうことを恐れて雑兵としての参加となっても彼の子のために動きたかった。
当然のことながら、上手く行っているのであれば邪魔だてする必要はない。何も言わずに粛々と作業をこなして撤退するだけだ。
(今度こそ、だ……)
ウエノ家先代当主ウエノ・ヒグラ。彼はウエノ家で最も戦闘意欲を高めて戦闘を待っていた。その目は全盛期を遥かに超える闘志を宿し、肉体は過去の怪我など物ともしていない。
そして、【竜の眠る地】に流れ、過去には森とウエノ家の新領土を最短距離で結んでいた場所にある川付近。
「ほ、ほ、ほ……さぁ、人間どもよ……我に呑まれよ」
大小、いや姿形すらも様々な魔物の群れの中にそれは君臨していた。その姿は、巨大な10足歩行の獣の上にあり、超然としている。
「此度は、単なる食事とは思わぬ……しっかりと、料理してから食ろうてやろう。ほ、ほ、ほ……」
ウエノ家の新領土にて最大の戦いが幕を開けようとしていた。




