32.人間の罠
ウエノ家と魔物の群れとの決戦の地は森と新領土の中間地点よりわずかに人間領に近い場所で行われることになった。
「小賢しい真似を……」
人間が築いた建築物の前で悪態をつく【賢き魔物】フェリル。開戦より前の時点で魔物の群れはウエノ家の仕掛けた陥穽や爆破などの罠によって小さいとは言い切れない犠牲を被った上でこの場にやって来ているため、その状況に対する言葉だ。フェリルが戦闘後……いや、食後のひと眠りに就いている間によくもまぁやってくれたものだという感情も籠っている。
この状況によって開戦前より魔物側の士気は彼らの同族たる存在の犠牲によって猛り切っている。尤も、その内の多くが同族の犠牲に対する怒りではなく獲物を前にした歓喜であるが。
(魔族からの情報ではこのウエノという輩は機動力と高い統率力を活かした水車の如き突撃を主な戦闘方針としていたはずじゃが……これは、徹底的な防衛体制じゃのぉ……?)
数十里先をも余裕で見通す恐るべき目を用いてフェリルは既に肉眼でも見える距離にあるウエノ家の陣営を詳細に見ていた。
ウエノ家得意の戦法は異界の民である初代ウエノの故郷で有名な【車懸りの陣】を模した物である。最初に強力な一撃を繰り出して敵を下げたところに車軸状になった部隊が代わる代わる突撃することで間断なく攻めて削っていくというもの。
魔術の力を用いることでこの陣の運用開始時点などのタイミングや運用するのに必要な卓越した統率力という点の難易度を下げてはいるが、その威力は決して低くなるものではない。
しかし、今回はその戦法を捨てたようであまり聞いたことのないウエノ軍の防衛戦を選んでいる。しかも見たところ、フェリルと戦ったことのある主力級の存在達は前線には出てきていないようだ。
「勝ちを捨てたか、人間よ……」
この陣営を見てフェリルは僅かに落胆した。この陣というものは人間同士の争い、もしくは普通の魔物程度と戦争を行うのであればいいだろう。攻め来る地点を絞り、集中的に射かけることで攻め手を封じることが出来る良い陣である。
だが、ここにいるのは【竜の眠る地】の怪異たちだ。仮にフェリルが先陣を切って攻め入れば凡百の兵が射かけても何の意味もなさずに蹂躙される。また、フェリルでなくとも今回連れてきた魔物たちの中にはウエノ家の軍と言えども雑兵では相手にならない存在が幾多もいる。
(直接、やり合うならまだしも装備もその程度で……やはり、我を相手取り一家全滅の可能性を高めるのであれば逃げるがマシと判断したか……?)
これまでフェリルと戦った人間の英雄たちの多くにも一度戦ってからは二度と戦わないという者は多くいた。いや、この地より生きて人間領へと戻った人間の殆どがそれだ。そのため、疑問に思う程の出来事ではない。寧ろ、気付けた分だけ優秀な存在だとフェリルは分かっているが、それでも極上の餌が逃げるというのは悲しいものだ。
(じゃが……妙な感覚じゃのぉ……? 一応、手は打っておくかの……)
四方を見渡すフェリル。その鳥の顔につけられた目は金色に輝いており……直後、後方を見てその目を更に見開いた。
「ほ、ほほほほほ……ほほ! 善き哉! 善き哉! そうでなくてはつまらぬ! さぁ、足掻いて見せよ人間ども!」
後方より砂塵が上がっている。フェリルの魔力を通した目でしか見れない程離れた距離であり、通常であればどうにでもなる距離ではある。しかしながら、相手は通常ではなさそうだ。
(速いッ! いや、違う……これは!)
梟の嘴で舌なめずりをするフェリル。敵先陣を切っているのは……フェリルの食事を邪魔した炎の申し子である彼だ。しかし、彼が走っているわけではない。彼は奇妙な板に乗って何らかの詠唱を―――
「伏せよ!」
視線を辿り、自分が狙いではないことを理解すると同時に相手の狙いを察したフェリルは魔物に号令を下す。そして対策を打とうと図るも……時既に遅かった。
「―――極灼熱陣】!」
轟音が荒地に響き渡る。爆裂の余波で魔物たちが吹き飛び、大型の魔物の下敷きになった魔物が圧死、また様々な形で二次被害が生み出された。
「ほ、ほ、ほ……消し飛ぶがいい!」
その被害が拡大する前にフェリルは大量の水をこの場に生み出して鎮火と黒煙の洗い流し、そして視界の確保を図る。しかし、視界を良好に確保するのにそれなりの時間はやはり必要であり、被害を確認する間に敵が迫り来ているという状態に陥る。
「やってくれたのぉ? じゃが、その程度では止まらんわぁっ!」
フェリルは好戦的な笑みを浮かべる。被害に関しては後回しにすることにした。それよりも問題であるのが爆発の間に攻め来ている自陣後方の人間たちだ。アレは人間の陣を前にして戦意を昂らせて前線にいるフェリルに近しい魔物級の存在でなければ止められない。特に、あの先陣を切っているあいつに関しては自身が当たらねば甚大な被害をもたらす。
「ジヴィー! ソーサレス! 恐らくこの混乱に乗じて敵陣より人間が打って出るじゃろう。ガディンを置いて行く。この場は任せたぞ?」
返事はない。しかし、フェリルが名を呼んだ時点で空を駆る2対の翼と左右不揃いな長さの腕を持つハーピーと2つの頭蓋骨に3対の腕、それから八足を持つ骸骨の塊が現れてフェリルを運んでいた巨大な魔物を連れて頭を垂れた。
「ほ、ほ……では、参ろうか」
その姿は最初から鳥を模した原始的な服を身に纏う顔以外は人間に近しい姿だ。それが魔術による大爆発で混乱した舞台に今まさに突撃しようとしている人間と魔物の境目に降り立つとその先頭に存する相手に狂気の笑みを以て声をかけた。
「ほ、ほ……久し振りじゃのぉ? 貴様だけかの、ここに来たのは……」
「早いお着きだな? だが、勿論俺だけじゃない。この無茶な行軍についてくるだけの精鋭を集めてこの場に来てる」
その言葉は嘘ではないだろう。そしてフェリルにも元から規律のない魔物の軍勢、しかも爆発による混乱で更に酷いことになっている魔物の状態に対して理路整然とした態度でこの場に現れているウエノ軍の精鋭たちが見えないわけではない。
「あの、落とし穴の中にいたのかの? それ以外に見落としはないはずじゃが……」
「どうだろうな?」
フェリルは梟らしく首を捻じ曲げてウエノ軍を率いているフミヤに問いかける。【賢き魔物】の名は伊達ではなく、考えられる可能性を見事に的中させていた。だからと言って、フミヤが正直に答える必要はどこにもない。こちら側に何らかの策があると思わせておいた方が有利であるのはほぼ間違いない。
「まぁよい。こそこそ考えを巡らせることでしか我らと戦えぬのじゃからのぉ……この程度、許してやるとするか」
「はっ……今の内に好き勝手言うがいい。死んだらもう口は利けないからな!」
「ほっ! ほっ! で、あれば主こそ今の内に喋るがいい!」
フェリルがフミヤと口論している間にその周辺における魔物たちだけ敵を敵として認識することが出来る状態に戻っていた。それを見ずとも理解したフェリルは号令を下す。
「この地に住まう恐るべき力を持ちし魔獣たちよ! 暴れよ! 殺せ! 我が下すはその号のみじゃ!」
「ココ!」
フェリルの号令に従い魔物がウエノ軍に食らいつく。後方から突撃して来たウエノ軍を半包囲の陣形で捉えているこの状況は酷く危険だ。しかしその状況でもフミヤは慌てずに副将としてついているココに合図を下す。
「人間を甘く見ないでほしいかな? それっ!」
この日何度目とも知れない轟音が響き渡り、砂塵が巻き上がる。そして、魔物軍の中央に巨大な穴が生み出された。




