33.竜の子
魔物の軍勢の中央に空いた巨大な穴はそのまま魔物の墓穴となり、多くの魔物が飲み込まれていった。ただ、それでも彼らの数は脅威だった。
いや、真に脅威なのは数ではなく質だ。その脅威を混乱に導き、存分に力が振るえない状態の内に滅ぼさんと人間たちは突撃を開始した。これにより、落下していなかった魔物たちの間にも混乱が広がり押し合いの結果魔物同士で穴に突き落とすなどの行為が生じるという結果がもたらされた。
それでも尚、戦況は互角の様相を示している。
「ほ、ほ、ほ……」
「【金糸炎雀】!」
「ほ?」
ウエノ軍が弱いという訳ではない。魔物の全面に拠点を築いていた部隊も計略が成功したのを見ると突撃を仕掛けており、その勢いは目を見張るものだ。
また、後方より奇襲を仕掛けている精鋭たちも人間など恐れるに足らないとしている魔物たちを逃げ惑わせているほどの強襲を仕掛けている。彼らの恐るべき点は少数でもかなり強力であり、魔物の軍団がただ意図もなく囲んだとしても即座に突破し、未だ混乱から立ち直れない部分を食い破って離脱し、休息を取っては再度突撃するという荒業を成し遂げていることだ。死兵ではなく、活きている。
(……こやつら、人の法を超えておるなぁ……うむうむ。だからこそ、我が出て喰らう価値があるというものよのぉ……)
【竜の眠る地】における凶悪とも言える魔物たちを相手に奮戦する人間を見て獰猛に笑う魔物の長、フェリル。【賢き魔物】が見て判断したこのウエノの行軍を可能にしている要因がウエノ家宗家の兄妹の存在だった。
(我をここまで抑えることが出来る人間がおろうとは……それに、あの娘も女だてら中々のもんじゃわい。アレも極上の味じゃろうな……)
フェリルはこの場における一番の脅威を抑えている兄と軍隊を指揮し、高い統率力を見せつけて奮戦する妹の二人の姿を見て笑いつつ猛攻を加える。しかし、そろそろ遊んでばかりもいられない時間だ。味方の損害があまりに酷いと人間を追い払った後に魔族が攻めてくる可能性もある。
「ほ、ほ、ほ……人の子よ。我を相手によくここまで戦えたのぉ?」
返事は帰ってこない。相手はこちらを本気で殺す気なのだから仕方のないことではあるが、風情のないものだとフェリルは溜息を吐く。
「古の強者たちは問答に付き合ってくれたもんじゃがのぉ……ま、奴らは体力回復なんかの時間稼ぎにしていただけじゃが……そう考えれば主はそれ以上なのかの?」
フェリルがそう声をかけている間にもウエノ軍はフェリルの近くを突破して別の場所に向かっている。フェリルが声をかけた相手であるフミヤも同様で、フェリルの言葉など聞いていない。
「ま、よいが……そろそろ、本気を出そうかの? 【大老鵬】……覚醒の儀」
瞬間、フェリルを無視して通過していたフミヤは後方を振り返る。そして苦笑すると隣を走っていたココに告げた。
「あの化物が……! ココ、後は任せた」
「っ!」
「撤退だ。あそこまでとは思わなかった……殿は俺がやる」
フミヤの強い意志の伝わる口調にココは異論を挟みたくとも挟めなかった。ココとて相手の力量はある程度見えるのだ。ただ、今の時点ではという但し書きがつくが。
「急ぐから……! フミ兄ぃも絶対すぐに逃げてね!」
「おう。任せた」
ココはフミヤとその馬に魔術を施して軍令を下し、木っ端どもを薙ぎ倒して撤退する。この後の戦いでも中核を担うであろう人材たちの命を預かっているのだ。我儘は言えなかった。
「……へぇ、見逃してくれるのか」
ココが撤退を叫び、編隊を組み直して敵陣を突破する際、彼女の率いる部隊の後方に備えられているベテランの部隊に疲労から来たものかは知らないが、乱れがあったというのにフェリルが動かないのを見てフミヤは注意深くそう尋ねる。それにフェリルは軽く笑ってから答えた。
「ほほ……主から目を離せと? 特に、この形態になる過程は隙だらけというのに……」
(そうは見えないがな……)
少なくとも、今のフミヤにはフェリルの言う隙を見つけることは出来なかった。ただ、代わりに彼の身体からは黒焔が蛇のように漏れ始めている。それは自らに襲い来る魔物たちを喰い散らかし、フェリルをも飲み込もうとしてあしらわれている。
しかし、その均衡は唐突に崩れることになる。それも炎の蛇がフェリルを飲み込んでという形でだ。
「ッ! 焼き尽くせ! 【金……「もう、遅い」【金狐―――」
千載一遇のチャンスとばかりにフミヤが術式の再詠唱を行おうとしたその時、フェリルを飲み込んだ黒き炎が爆裂する。その中から現れたのは……涼し気で目鼻立ちの整った美少女の姿だった。
いわゆる、鳥顔と称される美少女は悪意の籠った毒々しい笑みで口の端を歪め宣告する。
「せっかくこの姿になったのじゃ……食前の運動程度はさせてくれよ?」
「―――炎神】!」
蒼き狐火が九つの狐の尾のようになってフェリルに襲い掛かる。だが、フェリルは冷笑を浮かべて詠唱した。
「【氷禍】【氷塔】【氷刃】【水瀑布】【水龍臣】【氷竜波】む? この程度か……」
フミヤが生み出した蒼き炎が金色に輝き始める前にそれは掻き消された。いや、それどころか熱は奪われ、辺りには寒気が漂う。
「っ……!」
「ほ、ほ……やはり、詠唱を行うには人の顔が一番良い。……それにしてもどうした?」
遠くから聞こえていたはずの声。しかし、気付けば耳元から聞こえている。
「顔色が、悪いぞ?」
「【紅蓮腕】!」
「おっと。この程度には反応できるか」
反射的に急接近していたフェリルに燃え盛る白腕で迎撃するフミヤ。しかし、避けられてしまう。しかも非常に余裕そうな表情で。先程よりも表情豊かになったフェリルにフミヤは思わず声をかけてしまう。
「お前は……魔族なのか?」
「うん? 妾が声をかけた時には無視しおった割に自分からは声をかけるのか? ……ほほ、まぁいいじゃろ。妾は主よりも器が大きいからのぉ……答えは違う。じゃの」
フミヤが反論する前にフェリルは続ける。
「妾は今で言う魔族や人間が同じ種じゃった頃より生きる、この星の生まれついての支配者。真なる竜の子じゃ」
「⁉ 魔族と人間が同じ種? そんな訳があるか!」
「うん? 無知な人の子じゃのぉ……まぁ同じ種と言ってもその頃は殆どの猿型は同じじゃったが」
フェリルの言葉にフミヤは単なる挑発だったと頭を冷静に保ちつつ機を窺う。フェリルはフミヤのその浅はかな考えに気付きながらも続けた。
「ま、その後はこの地に流れ着いた二柱の大精霊の姉弟喧嘩のせいで永遠の仲違いをしておるがな。姉は変な魔神に入れ込み、加護を与えた種族に魔の文字を冠させ、弟は正義感とシスコンを拗らせて……さて、質問には答えたぞ? 冥途の土産は十分か?」
「ハッ!」
フミヤはまたも返事をせずに術式を行使する。フミヤの短い掛け声と指の動きの後に突如としてウエノ軍が屠った魔物の死骸に炎がつき、大地を焼き焦がし始める。だが、フミヤの狙いはそこではない。
(今だ!)
立ち上る黒煙の中に紛れてフミヤは駆け出した。
「む?」
フェリルは黒煙に紛れて突撃してくる相手を無造作に振り払い、真っ二つにして首を傾げた。
「ほ? 消えんな……? 身を焦がすほどではないが鬱陶しい……」
突撃してきた相手は人の形を模した炎。フミヤ自身はフェリルとは逆方向に駆け出し、撤退を済ませた自陣営の方へと向かっていたのだ。
「邪魔じゃのぉ……」
魔物の悲鳴の中から聞こえるフェリルの声に計略が成功したと内心で喜び……そして気付く。
(何で聞こえて……)
置き去りにしたはずのフェリルの方向を振り返るフミヤ。その至近距離にそれはいた。
「これはどうやって消すのじゃ? まぁよい……【水瀑】これで綺麗さっぱりじゃろ」
奔流。フミヤは寸でのところで炎翼による飛行でそれを免れたが多くの魔物はいきなり生み出された大河によって抵抗することも出来ずに穴の中に流されていく。
それを生み出した元凶は今、笑いながらフミヤの目の前にいた。
「いや、失敗してしまったのぉ……妾の魔物たちが酷いことに。主の所為にせねばな……」
(どうしろってんだ……)
逃れることのできない脅威を前にフミヤは必死で打開策を考え……その暇も与えられずにフェリルの猛攻に晒される。




