第20話 勇者の戦い
俺は、二人の戦いを見ていた。
正直に言えば、何が起きているのか、よくわからなかった。
バルトとナギが戦っていたあれだって目で追うのが精一杯だったが、それとは別次元のものに感じられた。
勇者の剣は速かった。
ナギはそれを避け、ときには魔法で受け流した。勇者もまた、魔法を使って対応している。剣がぶつかるたびに、乾いた音が響いた。
どちらも、俺が知っている人間とは思えないほどの力を持っていた。
剣を振るうたび、相手を追い詰めようとしているのがわかる。
一方のナギは、勇者の攻撃を受け止めながら、少しずつ距離を取っていた。
そして、隙を見つけるたびに魔法を放つ。
雷が走った。
勇者がそれを避け、踏み込む。剣がナギの肩をかすめた。周囲から歓声が上がった。だが、ナギは倒れなかった。すぐに体勢を立て直し、再び勇者と向き合う。
戦いは、長く続いた。
俺たちは、息を呑んでただ見守っていた。
誰も手を出そうとはしなかった。
敵も同じだ。
勇者が自ら勝負を挑んだ以上、横から助けに入ることはできない。
というか、足手まといになるだけだろう。
やがて、勇者の動きが鈍くなり始めた。
疲れているのだろうか。それとも、ナギの魔法に対応しきれなくなっているのか。俺にはわからなかった。ただ、最初は互角に見えた二人の戦いが、少しずつ変わっていることだけはわかった。
勇者が剣を振るう。
ナギがかわす。
その瞬間、ナギの手から雷が放たれた。
勇者が剣を構えて受け止めようとしたが、衝撃に体勢を崩した。
ナギは、その隙を逃さなかった。
踏み込み、勇者の剣を弾き飛ばす。
勇者の剣が地面に落ちた。
次の瞬間には、ナギの刃が勇者の喉元に突きつけられていた。
戦場が静まり返った。
誰も、声を上げなかった。
勇者はナギを見つめていた。
勇者は、その場に膝をついた。
勝負は決まった。
勇者が負けたのだ。
俺は、しばらくその光景を理解できなかった。
あの勇者が、伝説では、一人で大量の魔王軍を撃退したという、勇者が、今まで一度も負けたことのないという勇者が、これほど大勢の兵士を率い、数々の街を支配してきた男が。
たった一人の少女に、負けた。
俺の知っているナギは、そもそもどれほど強い人間だったのだろう。あのときから、彼女は勇者をすでに超えるような力を有していた、ということなのだろうか。俺は、彼女と初めて会ったときのことを思い出していた。
疲れ果てて街に入り、俺たちと一緒に逃げた。そんなナギが、今では勇者を倒し、街を守っている。
俺の知らないところで、彼女もまた、いろいろなものを背負ってきたのだろう。
だが、感慨にふけっている場合ではなかった。
「――撃て!」
彼女が勇者の喉に剣を突きつけたまま、そう叫んだ。
直後、空を覆い尽くすように矢が放たれた。
「うわっ!」
誰かが叫んだ。
矢は、俺たちの頭上に降り注いだ。
盾に矢が刺さる音が一斉に鳴り響き、兵士たちが慌てて身をかがめる。
さらに、城壁の上から大きな石がこちらに向かって投げられた。
大きな石が地面にぶつかり、土煙を巻き上げる。
兵士たちの悲鳴が上がり、整然としていた隊列が一気に崩れた。
敵は、勇者が敗れる瞬間を待っていたのだ。
最初からこうするつもりだったのかもしれない。
勝負が決まった。それも、こちらが負けたのだ。
生きる伝説であり、圧倒的な兵力や力を持って軍を指導していた勇者が負けたのだ。
「撤退だ!撤退しろ!」
こちらの軍の指揮官の怒鳴り声が響いた。
「負傷者を運べ! 隊列を整えろ!」
しかし、そんな命令がすぐに通るはずもなかった。矢が降り続いている。石が飛んでくる。逃げようとする兵士と、前へ出ようとする兵士がぶつかり、あちこちで悲鳴が聞こえてきた。
俺は、地面に膝をついた勇者を見た。
勇者は、まだ立ち上がれずにいた。
「勇者様!」
俺は勇者のところへ行こうとした。勇者とナギは、矢の届かない城門の付近でずっと睨み合っているだけだった。
しかし、駆け寄ろうとした瞬間、目の前の地面に矢が突き刺さった。
思わず足を止める。
危なかった。
あと少し前に出ていたら、俺も矢を受けていたかもしれない。
周囲を見渡す。
逃げる兵士たち。
負傷者を引きずっていく兵士たち。盾を掲げ、仲間を守ろうとしている兵士たち。
誰もが、自分のことで精いっぱいだった。
このままでは、勇者が取り残される。
俺は、歯を食いしばった。
なんとか、勇者を救わなければ。
倒れていた見方兵が持っていた盾を奪って勇者の方に向かった。
このまま勇者が死んでしまうと、色々と問題が起こるはずだ。今まで征服してきた街や国も、俺の生まれ育った街にも。
それに、ここで勇者を死なせてしまえば街を守っているバルトに申し訳ない。勇者は、彼の大事な友達なのだから。
俺は、走り出した。
「おい、ミロ!」
ロークの声が聞こえた。振り返る余裕はなかった。盾を構えた兵士たちの間をすり抜け、勇者のもとへ向かう。
矢が地面に突き刺さる。石が転がってくる。足元の土が跳ね、頬に何かが当たった。それでも、俺は走った。
相変わらず、ナギが勇者の首元に剣先を突きつけている。そして、勇者は長く伸びた髪を乱しながらも、彼女のことをまっすぐ見つめていた。
しかし、その表情を見ても、どういう気持なのかさっぱりわからなかった。
ただ美しく、勇者は彼女のことをまっすぐと見ていた。
「助けに来ました、勇者様!」
「⋯⋯馬鹿なことをするな。早く逃げろ」
「立ってください!!」
俺は勇者の腕をつかんだ。
俺が空気を読まずに勇者の腕を握ると、ナギは剣を下ろした。
俺は必死に立ち上がらせようとするが、彼の体は思うように動かなかった。
「くそっ……!」
もう一度、力を込める。勇者が、ようやく立ち上がった。その瞬間、頭上から石が落ちてきた。
「危ない!」
俺は勇者を引っ張り、地面に倒れ込んだ。
石がすぐそばに落ち、土煙が俺たちを包んだ。耳鳴りがしてしばらく何も聞こえなかった。だが、いつまでも倒れているわけにはいかない。
「勇者様、立てますか!」
「……ああ」
正直、大怪我を負っているようには見えなかったのでもっと勇者なんだからちゃんとしろ、と叱責したかったが、俺はそれをこらえて彼を支えた。
勇者は、俺の肩を借りながら立ち上がった。
俺はその腕を自分の肩に回し、彼の体を支えた。
そして、倒れた勇者を眼前にしてただ突っ立っているナギと目が合った。
彼女は俺の方を見て、「ああ、」みたいな顔をしたと思ったら呑気に手を振ってきた。
「久しぶりですね」
「⋯⋯ああ、元気にしてたか」
「元気ですよ。それが、前に言っていた勇者様ですか?」
「ああ。⋯⋯こんなところまで来るとは思わなかったよ」
「そうですか。でも、私、魔王の正体がわかりましたよ」
俺は「ああ、そうか」とだけ言ってくるりと勇者を支えながらくるりと後ろを向いた。このまま、勇者を逃がしていいのか?それとも、俺も勇者ごと彼女にやられるのか。
とりあえず、俺は勇者を背負って急いで退却した。幸いにもナギは負傷した勇者と俺に何か攻撃をくわえてくる、ということはなかった。
まあ、それが戦場で戦うものとしていいかどうかは別だ。
でも、こんな奴が勇者を倒したんだ。
もしかしたら、ナギもこれから勇者として崇められる存在になるのかもしれない。
それこそ、一人の少女が協力な敵軍を倒したことは勇者の伝説としてふさわしい魅力的な物語となるだろう。
矢は雨のように振り続けている。
「うぐっ、」
矢の一本が勇者の腕に刺さった。
急がなければ。それにしても、ものすごい量の矢だ。
もしかすると、俺達が撃ち込んだ矢をすべて回収して撃ち返しているのかもしれない。
少しでも城壁から離れなければならない。
そう考えて、俺は走り続けた。
勇者の体は重かった。
足がもつれそうになる。
それでも、手を離すわけにはいかなかった。
俺がここで手を離したら、勇者はもう立ち上がれないかもしれない。
とにかく、逃げる。
それだけだった。
やがて、前方に盾を並べた兵士たちが見えた。
「こっちだ!早く来い!」
誰かが叫んでいる。俺はお気持ち程度に持っていた盾を捨てて、最後の力を振り絞り、勇者を支えながら駆け込んだ。
盾の陰に入った瞬間、全身から力が抜けそうになった。
「勇者様を確保したぞ!」
兵士たちが声を上げる。
誰かが勇者を支え、別の誰かが俺の肩をつかんだ。
「お前、大丈夫か!」
「……たぶん」
それだけ答えるのが精いっぱいだった。
疲れているが、怪我はしていないはずだ。
俺は振り返った。
城壁の上では、まだ兵士たちが弓を構えていた。
「何をしている!早く退却するぞ!」
仲間の声に、俺は我に返った。
「わかってます!」
俺は最後にもう一度だけ、城門を振り返った。
ナギは、戦場で一人立ち尽くしていた。
やがて、兵士たちの姿に遮られ、見えなくなった。
俺たちは、退却を始めた。
こうして、俺たちの軍はおそらく街にいた兵士たちの何倍も数がいたというのに、なんの成果も得られずに敗走することになった。




