第一部『運命の序章』 第三章 五つの属性
ヒルデガルトと出会ってから、数日が過ぎた。
ランク王国の片田舎にあるマニエール家の屋敷では、今日も変わらぬ朝が訪れていた。
柔らかな陽光が庭を照らし、木々の間を吹き抜ける風が、青々とした葉を揺らしている。
そんな穏やかな朝の庭に、一人の少年が立っていた。
「……よし」
シャルル・マニエールは、足元に置いた小さな石を見つめた。
右手をかざし、静かに魔力を集中させる。
すると、石がかすかに震え始めた。
やがて地面から浮かび上がり、少年の目の高さまで持ち上がる。
「ここまでは簡単なんだけど……」
シャルルは小さくつぶやいた。
石の表面がゆっくりと変形していく。
丸みを帯びた形から、細長い棒へ。
さらに、その先端が鋭く尖り始めた。
「もう少し……」
しかし、次の瞬間。
ぱきっ。
乾いた音が響いた。
石の先端に亀裂が走り、細かな破片が地面に落ちる。
「あーっ!」
シャルルは思わず声を上げた。
「また割れた!」
少年は肩を落とした。
ここ数日、彼は同じ練習を繰り返していた。
土魔術によって剣を作り、その形を自由に変える。
それが現在の目標だった。
以前は土を固めることすら難しかったが、ヒルデガルトの助言によって、少しずつ形を維持できるようになっていた。
しかし、そこからさらに変形させようとすると、どうしても崩れてしまう。
「形を変えるときに、力がかかりすぎるのかな……」
シャルルは腕を組んだ。
石を硬くすれば、形を変えにくくなる。
柔らかくすれば、今度は剣として使えない。
その両立が難しいのだ。
「……あれ?」
ふと、少年は顔を上げた。
「最初から全部硬くする必要って、あるのかな?」
思いついた瞬間、表情が明るくなる。
「そうだ! 形を変えるところだけ柔らかくしておけば……!」
シャルルは再び右手をかざした。
石が浮かび上がる。
今度は全体を均等に固めるのではなく、部分ごとに魔力の働かせ方を変えていく。
刃の部分は硬く。
変形させたい部分は、動かせる程度の柔らかさを残す。
すると。
「……おお!」
石の棒が、ゆっくりと曲がった。
先端だけが、まるで生き物のように方向を変えていく。
「できた!」
シャルルは歓声を上げた。
だが、その喜びも束の間。
ぽきっ。
石の棒は根元から折れた。
「……あ」
少年はしばらく固まった。
そして、吹き出した。
「あはは! 惜しい!」
失敗した。
けれど、昨日までとは違う。
ほんの少しだけ、思い描いた形に近づいたのだ。
「次は、根元をもっと強くしてみよう!」
シャルルは楽しそうに笑った。
*
「……朝から随分と熱心ね」
背後から声がした。
振り返ると、母ベルトラダが立っていた。
柔らかな笑みを浮かべた彼女は、地面に散らばる石の破片へ視線を落とす。
「また剣を作っていたの?」
「はい!」
「今日はどうだった?」
「少しだけ曲げられました!」
「あら」
ベルトラダは目を細めた。
「それは進歩ね」
「でも、途中で折れちゃって……」
「そう」
彼女は少し考えた。
「シャルル。あなたは、どうして剣を変形させたいの?」
「え?」
「普通の剣では駄目なのかしら?」
シャルルは首をかしげた。
「普通の剣も好きですよ。でも……」
少し考えた後、少年は答えた。
「相手が思っていないことをできたら、面白いと思うんです」
「思っていないこと?」
「はい! 例えば、剣を受け止めたと思ったら、急に刃が曲がったり、伸びたりしたら驚くじゃないですか!」
「確かに、驚くでしょうね」
「それに、魔術っていろんなことができるのに、ただ火を出したり、水を飛ばしたりするだけじゃ、もったいない気がするんです」
ベルトラダは息子を見つめた。
シャルルは続ける。
「もっといろんな使い方があると思うんです。まだ誰もやってないようなこととか!」
「……なるほどね」
彼女は静かに微笑んだ。
「それなら、今日は少し違う勉強をしましょうか」
「違う勉強?」
「ええ。五つの属性について、改めて考えてみましょう」
シャルルの瞳が輝いた。
「はい!」
*
屋敷の裏庭には、魔術の練習に使うための広場が設けられていた。
周囲には低い石壁があり、庭木や建物から十分な距離が取られている。
ベルトラダはその中央に立ち、シャルルへ向き直った。
「まず、魔術の基本について確認しましょう」
「はい!」
「この世界に存在する魔力は、人や動物だけでなく、植物や大地、水、空気にも宿っているわ」
ベルトラダは足元の草を指さした。
「魔術師は、自分の持つ魔力を使って、さまざまな現象を引き起こすことができるの」
「はい。先生にも教わりました!」
「そうね。では、基本となる五つの属性は?」
「火、水、雷、風、土です!」
「正解」
ベルトラダは微笑んだ。
「そして、それとは別に、光と闇という特殊な属性が存在するわ」
「光と闇……」
シャルルはヒルデガルトのことを思い出した。
天使族は光魔術を扱う。
彼女も、光魔術を使えると言っていた。
「母上、光魔術って僕にも使えるんですか?」
「人族が光魔術を扱う例は、とても珍しいわ。誰でも使えるというものではないの」
「そうなんですね……」
「シャルル。今は五つの基本属性をしっかり学びましょう」
「はい!」
ベルトラダは右手を持ち上げた。
「まずは火」
その指先に、小さな炎が灯る。
赤く揺れる炎は、まるで小さな花のようだった。
「火魔術は、熱と炎を生み出す魔術。攻撃だけでなく、明かりを灯したり、物を温めたりすることにも使えるわ」
「はい!」
「では、シャルルもやってみて」
少年は右手をかざした。
ぼっ。
指先に炎が灯る。
しかし、ベルトラダのものよりも、ひと回り大きかった。
「あら」
「……ちょっと大きいですね」
「そうね。もう少し小さくできる?」
「やってみます!」
シャルルは炎を見つめた。
魔力を抑える。
すると、炎は少しずつ小さくなっていった。
「できた!」
「上手よ」
ベルトラダは頷いた。
「ただし、覚えておいて。魔術は強ければいいというものではないわ」
「はい」
「必要なだけの力を、必要な場所に使うこと。それが大切なの」
シャルルは真剣に頷いた。
*
「次は水よ」
ベルトラダが手をかざすと、空中に小さな水球が現れた。
透明な球体は、陽光を受けてきらきらと輝いている。
「水魔術は、流れや形を変えやすいのが特徴ね」
「形を変えやすい……」
シャルルは水球を見つめた。
「じゃあ、水で剣を作ることもできますか?」
「できなくはないわ。でも、水はそのままでは固い刃にならないでしょう?」
「そうですね……」
少年は少し考えた。
「じゃあ、すごい勢いで水を飛ばしたら?」
「それなら、相手を傷つけることもできるでしょうね」
「やっぱり!」
シャルルは嬉しそうに笑った。
「でも、勢いを強くするには魔力も必要になるわ。それに、周囲の状況も考えなくてはいけない」
「周囲の状況?」
「例えば、足元が濡れていたら滑りやすくなるでしょう?」
「あっ、確かに!」
「魔術は、使った後に何が起こるかまで考えることが大切なのよ」
シャルルは頷いた。
水はただ飛ばすだけではない。
地面を濡らすこともできる。
相手の動きを邪魔することもできる。
そして、ほかの属性と組み合わせることもできるかもしれない。
「……面白いなあ」
思わず、声が漏れた。
ベルトラダはその様子を見て微笑んだ。
「次は雷ね」
彼女が指を鳴らす。
ぱちっ。
小さな青白い光が走った。
「雷魔術は、非常に速く、扱いを誤れば危険な属性よ」
「速いんですよね!」
「ええ。だからこそ、慎重な制御が必要なの」
シャルルは指先に魔力を集めた。
ぱちぱちっ。
小さな火花が弾ける。
「うわっ!」
思わず手を引っ込めた。
ベルトラダが笑う。
「驚いた?」
「ちょっと!」
「雷は特に、扱いに注意しなさい。強い魔力を持っているからといって、無理に大きな術を使ってはいけないわ」
「はい!」
シャルルは指先を見つめた。
火とは違う。
水とも違う。
一瞬で走り抜ける、鋭い力。
「……雷を剣にまとわせたら、どうなるんだろう」
少年がつぶやく。
ベルトラダはすかさず答えた。
「試すなら、私がいるときにしなさいね」
「……はい」
「次は風」
ベルトラダが手を動かすと、周囲の空気がゆっくりと流れ始めた。
庭の草が揺れ、シャルルの髪がふわりと持ち上がる。
「風魔術は、空気の流れを操る魔術よ」
「知ってます!」
「では、どんな使い方ができるかしら?」
シャルルは少し考えた。
「相手を吹き飛ばす!」
「そうね」
「それから、物を動かす!」
「ええ」
「あと……」
少年は空を見上げた。
「空を飛ぶ!」
ベルトラダは小さく笑った。
「やっぱり、それを考えていたのね」
「だって、ヒルデガルトが翼で飛べるって言ってたから!」
「そうだったわね」
「僕も飛んでみたいんです!」
シャルルは両手を広げた。
「風を下に向けて出せば、体が浮くんじゃないかなって!」
「理屈としては分かるわ」
「じゃあ!」
「でも、人の体を安定して浮かせるのは難しいのよ」
「どうしてですか?」
「体を持ち上げるだけなら、強い風を起こせばいいかもしれない。でも、その状態で姿勢を保ち、進みたい方向へ動くとなると、繊細な制御が必要になるわ」
「……なるほど」
「それに、高いところで魔術が途切れたら大変でしょう?」
シャルルは想像した。
空高く浮かび上がる自分。
突然、風が止まる。
そして、地面へ真っ逆さま。
「……痛そう」
「痛いでは済まないわよ」
ベルトラダは真剣な表情で言った。
「だから、勝手に試しては駄目よ」
「はい!」
シャルルは元気よく返事をした。
だが、その瞳から好奇心が消えたわけではなかった。
いつか必ず、空を飛んでみたい。
その思いは、むしろ強くなっていた。
「最後は土ね」
ベルトラダが地面に手をかざす。
すると、足元の土がゆっくりと盛り上がった。
土は集まり、やがて一つの小さな柱となる。
「土魔術は、大地や岩石などを操る魔術。形を作ることも、防御に使うこともできるわ」
「はい!」
「シャルルは、最近ずっと練習しているわね」
「そうなんです!」
少年は勢いよく頷いた。
「でも、なかなかうまくいかなくて……」
「それなら、今日は一つ教えてあげる」
「本当ですか!」
「ええ」
ベルトラダは土の柱へ手をかざした。
すると、柱の表面がゆっくりと変化し始める。
柔らかそうだった土が、少しずつ硬い岩のような質感になっていった。
「……すごい」
シャルルは目を見開いた。
「土を固めるときは、ただ押し固めるだけではなく、内部の状態まで意識することが大切なの」
「内部……」
「そう。外側だけ硬くしても、中が脆ければ簡単に壊れてしまうわ」
シャルルは、朝の失敗を思い出した。
石の剣が根元から折れたこと。
形を変えることばかり考えて、内部の強さを十分に意識していなかったこと。
「……そっか!」
少年は顔を上げた。
「だから折れたんだ!」
「何か分かった?」
「はい!」
シャルルは勢いよく頷いた。
「僕、形を変えることばっかり考えてました!」
そして、足元の土へ手をかざす。
土が集まり、小さな棒の形になった。
今度は、外側だけでなく内部にも意識を向ける。
魔力を細かく調整しながら、ゆっくりと形を整えていく。
やがて、一本の短い剣が完成した。
「……できた」
シャルルは慎重に持ち上げた。
崩れない。
折れない。
しっかりとした重みが手に伝わってくる。
「母上!」
少年は嬉しそうに振り返った。
「できました!」
「ええ。よくできたわ」
ベルトラダは微笑んだ。
「でも、まだ完成ではないでしょう?」
「はい!」
シャルルは剣を見つめた。
ここからが本番だ。
少年は静かに魔力を集中させた。
剣の先端が、ゆっくりと動き始める。
まっすぐだった刃が、少しずつ曲がっていく。
そして。
「……!」
刃の先端が、横へと伸びた。
まるで鉤のような形になった剣。
シャルルは目を見開いた。
「できた……!」
今度は折れない。
形を変えても、剣はそのまま維持されている。
「やったあ!」
少年は飛び跳ねた。
その拍子に集中が途切れ、剣はぼろぼろと崩れ落ちた。
「あっ!」
ベルトラダが笑った。
「ふふっ。最後まで気を抜いては駄目よ」
「……はい!」
シャルルは照れくさそうに笑った。
それでも、嬉しかった。
ずっとできなかったことが、ほんの少しだけできるようになった。
その喜びは、何物にも代えがたかった。
*
夕方。
シャルルは父ピピンとともに、剣術の稽古をしていた。
「はっ!」
木剣を振り下ろす。
ピピンはそれを軽く受け止めた。
「遅い!」
「くっ!」
シャルルは素早く横へ回り込む。
しかし、ピピンはすでにその動きを読んでいた。
木剣が少年の肩に軽く触れる。
「一本だ」
「……また負けた!」
シャルルは悔しそうに声を上げた。
ピピンは木剣を下ろす。
「動きは悪くない。だが、攻撃が素直すぎるな」
「素直?」
「ああ。お前は考えたことを、そのまま動きに出してしまう」
「……そうかな」
「そうだ。相手に次の動きを読まれれば、どれほど速く動いても意味がない」
シャルルは少し考えた。
「じゃあ、相手が思ってない動きをすればいいんですね!」
「簡単に言えば、そういうことだ」
ピピンは頷いた。
「ただし、奇抜な動きをすればいいというものではない。基本ができていなければ、かえって隙を生む」
「基本……」
「そうだ」
父は木剣を構え直した。
「もう一度だ」
「はい!」
シャルルは木剣を握り直した。
そして、父へ向かって駆け出す。
今度は、まっすぐ斬りかからなかった。
途中で足を止め、横へ踏み込む。
ピピンの視線がわずかに動いた。
その瞬間、シャルルは剣を振り上げる。
しかし。
かんっ!
木剣が弾かれた。
「うわっ!」
少年は尻もちをついた。
ピピンは苦笑した。
「悪くない。だが、まだ甘いな」
「……はい」
シャルルは地面に座ったまま、空を見上げた。
夕焼けが広がっている。
今日もたくさん失敗した。
魔術も。
剣術も。
思い通りにいかないことばかりだ。
けれど。
「……楽しいなあ」
思わず、笑みがこぼれた。
ピピンは不思議そうに眉を上げた。
「何がだ?」
「いえ、なんでもないです!」
シャルルは勢いよく立ち上がった。
「父上! もう一回お願いします!」
ピピンは一瞬驚いた後、豪快に笑った。
「ははは! よし、来い!」
再び、木剣のぶつかる音が庭に響き始めた。
*
その夜。
シャルルは自室の机に向かっていた。
目の前には、一冊の小さな手帳が開かれている。
そこには、少年が思いついた魔術の使い方が、びっしりと書き込まれていた。
『土で剣を作る』
『剣の形を途中で変える』
『風で体を浮かせる』
『水で相手の足元を滑らせる』
『雷を剣にまとわせる』
そして、その下には新しい項目が加えられていた。
『二つの属性を組み合わせる』
シャルルはペンを止めた。
「……そうだよね」
火。
水。
雷。
風。
土。
五つの属性。
それぞれに違う特徴がある。
ならば、それらを組み合わせれば、もっと多くのことができるのではないだろうか。
例えば。
水と雷。
風と火。
土と水。
考え始めると、次々に新しい発想が浮かんでくる。
「……面白そう!」
シャルルは夢中で手帳に書き込んだ。
失敗するかもしれない。
うまくいかないかもしれない。
それでも構わなかった。
できないことがあるなら、できる方法を考えればいい。
知らないことがあるなら、学べばいい。
それが、シャルル・マニエールという少年だった。
やがて、窓の外には満天の星が広がっていた。
シャルルは手帳を閉じ、空を見上げる。
あの星々の下には、まだ知らない世界がある。
遠い王都。
見たことのない国々。
そして、人界の外に広がる三つの世界。
そこには、どんな魔術があるのだろう。
どんな人々が暮らしているのだろう。
少年は小さく笑った。
「いつか、全部見てみたいな」
その胸には、尽きることのない好奇心があった。
そして、彼はまだ知らない。
自分が何気なく思いついた魔術の工夫が、やがて多くの人々の運命を左右する力となることを。
五つの属性。
無数の可能性。
そのすべてが、少年の未来へとつながっていた。
シャルル・マニエールの成長は、まだ始まったばかりだった。




