第42話「ミミと筋肉さん」
にゃー師匠を吹き飛ばし、みんなの視線が怖くて、私は逃げ出した。
手足をもがれたように、暗い水底へ落ちていく。
光も届かない場所へ、ただ一人きりで。
それでも。
なにかが私を支えてくれている気がした。
足を動かし、私は歩き続けていた。
今どこへ向かっているのか。
私はどこへ行きたいのか。
ううん。
みんなに会いたい。
みんなと一緒にいたい。
それだけは、今でも変わらない。
冷たい風が吹き、肌を少しずつ濡らす。ポツポツと、雨が降ってきた。
徐々に雨足が強くなる。
決意すらも押し流そうとする空を見上げたとき、雨音に混じって呻き声が聞こえてきた。
『いてえ! いてぇょ……』
身体が勝手に動いていた。
痛がって、緑色の血を流しているのはオークなのに。
とどめを刺そうとしているのは人間なのに。
私は跳躍した。
ジリジリと近づいていく人間と、オークの間に割って入る。
私が着地した衝撃で泥が飛び散ると、人間の男は腕で目を庇った。
私と男の視線が合う。
私を見る男の目が丸くなり、剣がカタカタと震えている。
「な、なんだ、コイツ!」
男は歯をガチガチとかみ合わせている。
私が一歩前に出ると、男は一歩引く。
髪を逆立てて威嚇すると、男は一目散に、叫び声を上げながら逃げていった。
『……大丈夫?』
振り返ると、オークが胸の傷を押さえながら体を起こした。
『お、お前は……?』
オークの目は怯えているように見えた。
体を震わせ、痛そうに顔を歪めてこちらをにらむ。
近づいて、その傷に触れた。
優しく魔力を流し込んでいく。
オークが淡い光に包まれた。
傷口が塞がっていく。
歪んでいた顔が安らかになり、自分の全身を見回していた。
にゃー師匠と一緒にオークと戦ったときは敵として認識していたはずなのに。
どうして、助けようと思ったのだろう。
言葉が分かるからなのかな?
『ぐっ。力が……』
オークを見ると、二回りくらい大きくなっていた気がした。
『みなぎる……』
え、私のせい……?
オークの筋肉が盛り上がった。
目は赤く鋭い。
私を見る視線に、飛び退いて離れた。
牙が並ぶ口からは、よだれが垂れている。
まるで、理性と野性がせめぎ合っているように、苦しそうにしていた。
そのとき――
強い風が吹き、一瞬だけ雨が止んだ。
同時に、苦しそうにしていたオークの顔が楽になっていった。
『静まったか?』
『は、はい。すみません。長老』
大きい影が近づいてくる。
逞しい体つきで、筋肉が光って見える。
背が伸びた私でも見上げるほどだった。
『こ奴を助けてくれて、ありがとう』
『い、いぇ……』
『だが!』
長老の目が金色に輝いた。
咄嗟に、私は構える。
『お主は、こ奴らには毒だ。強くなりたい奴ほど、力に溺れる』
『それって、どういう?』
なんだか言っていることが良く分からなかった。
私が毒?
力に溺れる?
『お主からは力の源を感じる。つまり、お主を喰らえば、力を増すということだ。我ら魔の物にとってはな』
それって……
もしかして。
私が狙われてたのって?
『わしらは新たな土地を目指して旅立つことにした。ここは人間が襲撃に来るからな。村は自由に使ってくれて構わんぞ』
長老さんは、大きくなったオークを連れて去っていった。
力を求める魔物。
力を求めた私。
理性がない魔物と、理性がある魔物。
もう、私にはわからない。
言葉が通じないからこそ、殺気を込めて殴れた。
でも、今は……
胸が痛い。
ソールさん。
アネットさん。
ロリーさん。
会いたいなぁ。
私は走り出していた。
あれからどれくらい経ったのか。
私はスィラークの南西にある森に潜んでいた。
『人間の痛がる顔って最高だよな』
『だが、気をつけろよ? 特に、あのクソ猫は突然やってくるぞ』
……
『オイ! 筋肉だるまが現れたぞ!』
『何!?』
『今日こそ返り討ちだ! みんなで囲むぞ!』
『オオ!』
筋肉だるま……筋肉、筋肉さん?
私は木の上を飛び移り、後を追った。
ゴブリンたちは私に気づいているらしく、こちらをチラチラと気にしていた。
『オイ、アイツ、ついてくるぞ?』
『下りてきたら、ヤっちまえばいいだろ』
『ちげえねえな』
向かう先で、ゴブリンが吹き飛ばされ木に激突していた。
ギルドにいた筋肉さんだ。
筋肉さんが、疲れたようにその場に座り込んだ。
ゴブリンが様子を窺っている。
私もいつでも出られるように構えた。
ゴブリンが手で合図し、茂みに隠れながら、それぞれが退路を塞いでいく。
筋肉さんは、筋肉をピクピクさせながら体を震わせていた。
「もっと強くなるしか……あんな小さな子が頑張ってるんだ。俺が強くなって、みんなを守る!」
筋肉さんが拳を握り、立ち上がろうとしたとき、ゴブリンたちが一斉に飛び出した。
ビクッと体が跳ねた筋肉さんは、その場に尻をついてしまった。
私の身体が反応した。
誰よりも速く。
何者にも負けないスピードで。
飛び出していた。
慣れた相手。
ゴブリン一匹を爪で貫く。
木と地面を行き来する。
もう三匹を切り刻む。
何が起きたのかわからないゴブリンはパニックを起こした。
『な、なんだ!?』
「一体、何が!?」
残る一匹のゴブリンと、筋肉さんが周囲をキョロキョロと見回しながら近づいていく。
そして……
ぶつかった。
お互いに視線を合わせる。
二人とも飛び跳ねた。
『筋肉だるま!』
「ゴブリンが!」
ゴブリンのこん棒と、筋肉さんの拳が交差する。
こん棒が当たるよりも早く、筋肉さんの拳がゴブリンの顔面を捉えた。
ねじるように拳を打っている。
ゴブリンの顔が不格好に歪み、地に近づいていく。
そのまま、ゴブリンを地面に叩きつけた。
地面がへこみ、ゴブリンの顔が突き刺さる。
血が飛び散り、筋肉さんを緑色に染めた。
「はあ、はあ……何だったんだ? ピンクの風がゴブリンを倒していたような……」
無事で良かった。
強くなっていく人を見る。
にゃー師匠もこんな気持ちだったのかな?
もう、ここでみんなの行く末を見届けようかなぁ。
そう思い、街中を見るけれど、誰が誰かは判別できない。
今ごろみんなは、何をしているのかな……




