お見舞いとは戦場である3
十分後。
看病対決が勝手に始まった。
瑞樹がルールを設定した。
「第一項、お粥対ポタージュ。どっちが坂本くんの喉に優しいか。坂本くんの感想で判定!」
「私のポタージュが勝つわよ。フランス料理人が作ったものと、高校生が作ったものを同列に比較するのが間違い」
「愛が勝つよ!」
「愛は勝たないの」
「勝つ!」
「勝たないわよ。科学と資本力が勝つの」
「科学と資本力って何! 愛だよ!」
俺は二人の間でお粥とポタージュを交互に食べた。お粥は味がないが温かい。ポタージュは美味いが少し濃い。
「どっちも美味い。引き分け」
「えー!」
「つまらない」
俺がそう言うと二人が同時に不満を漏らした。
「じゃあ第二項は体温測定! どっちが正確に体温を測れるか!」
「体温計で測ればいいだけでしょ」
「体温計は一つしかないよ。じゃあ、手で測るの! どっちが正確に体温を当てられるか!」
「手で体温を測るの?」
「うん! 坂本くんの額に手を当てて、何度か当てるの!」
美波は呆れたように言った。
「それは看病じゃなくて、占い師よ」
「占い師じゃないよ! 愛の測温師だよ!」
「そんな職業ないわよ」
「今日からあるの!」
だが、美波は結局乗った。
「いいわよ。やってあげる。私の手は冷たいから感度が高いし」
「私の手は温かいけど、愛が熱いから正確だよ!」
「愛と体温は関係ないわよ」
「関係あるよ!」
二人が俺の両側に座った。
瑞樹が俺の額に右手を当てる。
「熱い! 三十八度五分!」
美波が俺の額に左手を当てる。
「三十八度二分。そこまで高くないわ」
「え、私より低いの?」
「私のほうが正確よ」
「正確じゃないよ! 私のほうが正確だよ!」
「体温計で測ってくれ」
俺はこの不毛なやり取りを終わらせるべく懇願した。
「体温計は最終手段だよ! 今は手で測るの!」
「なぜ手で測るんだ」
「愛を込めるため!」
「愛を込める必要ない」
「あるの!」
二人が同時に俺の額に手を当てた。冷たい手と温かい手。両側から額を挟まれる。
「……両側から額を挟むな。汗が引かない」
「あ、ごめん」
「ごめんなさい」
「じゃあ体温計で測る」
俺は体温計を脇に挟んだ。二人が両側で見つめている。
ピピピ。
「三十八度四分」
「私が近い!」
瑞樹が叫んだ。
「私が三十八度五分。差零点一度よ。測定誤差の範囲」
美波が冷静に言った。
「誤差じゃないよ! 私の勝ち!」
「誤差よ。統計学的に有意差がない」
「統計学出すの?」
「出すわよ。あなたの感覚は信頼性がない」
「信頼性あるよ!」
「ないわよ。あなたの感覚は楽観バイアスで歪んでる」
「楽観バイアスじゃないよ! 愛だよ!」
「愛とバイアスは区別ついてないの?」
「ついてるよ! 愛は愛! バイアスはバイアス!」
「じゃあ、あなたの体温測定は愛であって測定じゃないでしょ。測定対決だから、私の勝ちよ」
「愛の測定だよ!」
「愛の測定なんてないわよ」
二人が睨み合った。俺は体温計を置いて、布団に潛り込んだ。
「第三項!」
「そろそろヤバい。頼むから大人しく寝かしてくれ」
俺はそう言って目を閉じた。目を閉じると、意識がふわふわと浮く。熱のせいだ。だが、悪くない。
「——坂本くん?」
瑞樹の声。
「——寝た?」
美波の声。
「寝たね」
「寝たわね」
「……どうしよう」
「どうもしないの。寝かせなさい」
「でも、お粥まだ半分残ってる」
「残りは冷蔵庫に入れなさい。明日温め直せばいい」
「じゃあポタージュは?」
「同じく冷蔵庫。でも、明日までに味が落ちるから、あなたが飲みなさい」
「私が? でもそれは坂本くんの——」
「病人が寝てる時に議論するな。静かに」
「……うん」
声が小さくなった。
布団が少し直された。瑞樹の手だ。温かい。
額に冷たいタオルが置かれた。これは美波の手だ。冷たい。
両方の手が交互に動く。布団を直し、タオルを替え。時々小声で話す。
「お粥、冷蔵庫に入れたよ」
「ポタージュも。ゼリー飲料は枕の横に置いておくわ」
「体温計はテーブルの上ね」
「うがい薬は洗面台に」
二人の声が布団の外で響く。小さく温かい。
俺は目を開けなかった。世界よ滅びないでくれ。初めてそう思った。
世界が滅びたらこの声が聞こえなくなる。この温かさがなくなる。
世界は滅びない方がいい。




