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お見舞いとは戦場である4



目が覚める。

部屋が暗い。夕方か、いや夜だ。時計を見ると七時過ぎだった。


「—あ、起きた」


 瑞樹の声。


「起きたわね」


 美波の声。


 二人ともまだいた。


「お前ら、まだいたのか」


 声がガラガラだ。だが、少しマシになった気がする。


「当たり前でしょ。七時まで帰らないわよ」


美波が言った。


「帰らないよ! 病人を置いて帰れないよ!」


瑞樹が言った。


「お前ら、家族心配しないのか」


「連絡したよ。お母さんに」


「私も連絡したわ。運転手に迎えに来てもらう時間を七時半に指定した」


「運転手……」


「あなたのお母さんにも連絡したわよ。文芸部で看病してると」


「……ありがとう」


「ありがとうじゃないわよ。礼を言うなら早く治りなさい」


「早く治るよ。二人が来てくれたから」


「来てくれたから治るわけないでしょ」


「治るよ」


 瑞樹が笑った。


「じゃあ、お粥温めるね! お腹空いたでしょ」


「ポタージュも温めるわよ」


 二人がキッチンに立った。


 俺は布団の中で、二人の足音を聞いた。冷蔵庫が開く音。電子レンジが動く音。小声で話す声。


「お粥、少し水足そうかな」


「足しなさい。柔らかい方が喉に優しい」


「美波ちゃん優しいね」


「優しくないわよ。合理的なだけ」


「合理的に優しいね」


「……そうね。合理的に優しいわよ」


 二人が笑った。

 お粥とポタージュは同時に出てきた。


「はい、あーん」


 瑞樹のスプーン。 


「はい、飲みなさい」


 美波のマグカップ。


「両方同時に無理だろ」


「じゃあ交互に」


「交互に」


 二人が顔を見合わせて笑う。お粥、ポタージュ、お粥、ポタージュ。


 味がないお粥が少しだけ美味しくなっていた気がした。愛が味を変えたのか、それとも俺の味覚が戻ったのか。


 分からない。でもどちらでもいい。


「ねえ坂本くん」


「何」


「看病対決、どっちが勝ち?」


「……引き分けだろ」


「引き分けか。じゃあ明日も来るね」


「明日も来るわよ。運転手の予定を変更した」


「変更したの?」


「変更したわ。柏木家の力を使えば運転手の予定くらい変えられる」


「柏木家の力、すごいね」


「すごいわよ。でもあなたのお粥には負ける」


「え? 負けたの?」


「味は負けた。でも愛は勝った」


「愛の勝負はしてないよ」


「してるの。看病対決は愛の対決よ」


「じゃあ私の勝ちだね」


「あなたの勝ちよ」


 美波が珍しく譲歩した。


「……お前ら、明日は来なくていいぞ」


「来るよ」


「来るわよ」


「来なくていい。風邪が移る」


「移ってもいいよ」


「移ったら看病させてあげるわよ」


「お前ら、俺に看病させたいのか」


「させたいわね。お粥作って」


「お粥作るの? 俺が?」


「あなたが」


「…」


「だから明日も来る」


「私も」


 二人が笑った。

 俺は布団の中で笑った。喉が痛いけど、笑った。


 世界よ滅びないでくれ。滅びないでくれ。


 この二人がいる世界は悪くない。悪くないどころか少しだけいい。


「坂本くん、寝て」


「寝なさい」


「うん、寝るよ。おやすみ」


「おやすみ」


「おやすみなさい」


 電気が消えた暗闇の中で二人の気配を感じた。微かな布の擦れる音。二人が立ち去る音。足音が遠ざかる。ドアが開く音。廊下に漏れる光。


「じゃあね」


「また明日」


「ありがとな」


 声が届いたかどうか分からない。

 でも、確かに聞こえた。


「看病って、愛の競争だね」


「ええ。愛の量を比べるの」


「誰に?」


「坂本将吾に」


「坂本くん、愛されてるね」


「ええ。愛されてるわ」


 二人が部屋を出た後、俺は布団の中で呟いた。

「……世界よ、滅びないでくれ」


 熱で焼かれた喉が、静かにそう言った。





 翌日、俺の風邪は治った。

 教室に行くと、瑞樹が真っ先に飛んできた。


「坂本くん! 治ったの? 良かった!」


 美波も後ろから歩いてきた。


「治って当たり前よ。私のポタージュとあなたの無味粥の相乗効果だから」


 瑞樹が頬を膨らませた。


「美波ちゃん、それ私が作ったお粥のことバカにしてるでしょ!」


「バカにしてないわよ。相乗効果って言っただけ」


「でも無味って言った!」


「美味しくなるように調整したって言ったら嘘になるから事実を述べたの」


「美味しくなったよ! 坂本くん美味しいって言ってたよ!」


「味覚障害が治っただけよ」


「味覚障害じゃなかったよ!」


 俺は二人の間に立った。

 風邪が治ったから声も出せる。でも、あまり喋りたくない。


「おい」


「なに?」


「何かしら?」


「……うるさい」


 二人が同時に俺を見た。


「だって坂本くんの話してるんだよ!」


「坂本将吾の話題だからうるさくなって当然でしょ」


「……俺の話をするな」


「するよ!」


「するわよ」


 教室が一瞬静かになった。クラス中の視線が集まっていた。担任の佐倉先生も見てた。


「……授業始まるぞ」


 俺は席に座った。

 風邪が治っても、二人の声はまだ耳に残っていた。二人の声は、温かかった。


 世界は滅びないほうがいい。たまにそう思うくらいには。

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