文芸部、結婚を語る2
沈黙。
雪が窓の外に降っており、暖房の音が低く唸っていた。
「……先生、それは生徒に聞く質問じゃないわ」
美波が言う声が少しだけいつもよりも柔らかかった。
「何で? 文芸部でしょ。文学は愛について語るものよ」
「文学は愛だけじゃないわ。孤独についても語るものよ」
「柏木さん、 17歳で孤独を語る?」
「語るわよ。語る価値があるわ」
「……将来、作家になる?」
「ならない。柏木家を継ぐから」
「なら、何で文芸部に?」
美波は一瞬黙り、チラリと俺を見た。すぐに目を逸らした。
「……興味があるからよ」
短い答え。だが、その短さが何かを含んでいる気がした。
「先生、俺も一ついいですか?」、
「何?」
「先生は、結婚できなくても、孤独死はしない方がいいです」
「……慰めてくれる?」
「いいえ。事実を言ってるだけです。孤独死すると、発見した人がトラウマになります。だから、死ぬなら誰かのそばで死んでください」
「坂本くん、それ、慰めになってない」
「なってないです。でも、事実です」
佐倉先生は俺を見つめて少し笑った。
「……坂本くんって、不器用な優しさあるわね」
「優しくないです」
「あるの。認めなさい」
「認めません」
「認めなさい」
「認めないです」
「坂本くん、素直じゃないね」
瑞樹がくすくすと笑った。
「素直だよ。俺は正直だよ」
「正直と素直は違うよ」
「同じだろ」
「違うの。正直は事実を言うこと。素直は気持ちを言うこと」
「……同じだ」
「違うの!」
美波がため息をついた。
「いつものことだけど、この部活、議論が進まないわね」
「進まないのが文芸部の良さでしょ」
「進まない、か。確かに、人生も進まないわね。結婚も、恋も、何も」
「先生、まだ言ってる」
「言うの。だって、悔しいの。三十五歳商社マン、年収八百万、身長一七五、ゴルフ、ワイン。完璧だったのに。私がダメだったの」
「先生、完璧な人なんていないって言ったでしょ」
美波が言った。
「いるの。いるけど、私がダメなの」
「ダメじゃないよ。先生は先生だよ」
「瑞樹ちゃん、優しい」
「優しくないよ。本当のこと言ってるだけ」
「それ、坂本くんと同じこと言ってるでしょ」
「え?」
「『正直と素直は違う』って」
瑞樹はきょとんとした。そして、笑った。
「じゃあ、私も正直なんだ!」
「素直だろ」
俺が言った。
「……正直だよ!」
「素直だよ」
「違うの!」
「同じだ」
「同じじゃないの!」
佐倉先生は頬杖をつきながら、俺たちのやり取りを見ていた。その目は少し温かかった。
「あなたたちの中に、好きな人がいるなら、早めに伝えた方がいいわよ」
「先生、何を突然」
美波が聞き返す。
「経験則よ。早めに伝えないと、十年後、『あの時言えばよかった』って後悔するの。先生がまさにそれだから」
「先生の個人的体験を、生徒に押し付けないで」
「押し付けてない。アドバイスよ」
「アドバイスと押し付けの区別がついてないですね」
「ついてる。ついてるけど、あえて押し付けてるの。だって、先生は教師だから。教師は生徒に道を示すものだから」
「道が間違ってます」
「間違ってない。間違ってないの」
そう言って先生は空き缶が入った袋を持って立ち上がる。
「じゃあ、先生はもう帰る。朝のホームルームの準備があるの」
「先生、ホームルームの準備なんてしてないでしょ」
「してない。でも、帰りたいの。帰って、熱帯魚に『ただいま』って言いたいの」
「無視されますよ」
「知ってる。でも、言うの。それが儀式なの」
佐倉先生はドアの前で振り返った。
「坂本くん」
「はい」
「あなたは、幸せになる資格、あるからね」
「……ないです」
「あるの。先生が言ってるんだから、あるの」
「先生の権限で決まる問題じゃないです」
「決まるの。教師の権限は無限大なの」
「無限大じゃないです」
「無限大なの」
先生は笑って、ドアを閉めた。静かに、ゆっくりと。
部室に残された三人。暖房の音。雪の降る音。
「……先生、飲みすぎだよね」
瑞樹が言った。
「チューハイ一本よ。あれくらいなら平気でしょ」
美波が言う。
「平気でも、学校に持ってくるのはどうかと」
「佐倉先生だから仕方ないわ。あの人、規則を守らないけど、生徒のことはちゃんと見てるから」
「見てるよ。あの人、めんどくさがりだけど、ちゃんと見てる」
「坂本くん、先生のこと好き?」
瑞樹が聞いてくる。
「好きじゃない。でも、嫌いじゃない」
「それ、好きだよ」
「好きじゃない」
「好きだよ」
「好きじゃない」
「美波ちゃん、坂本くん先生のこと好きだって」
「聞いてない。断じて聞いてない」
美波はポテトの袋をゴミ箱に投げ入れてそう言う。
「でも、先生の言葉は、一つだけ正しかったわね」
「何が?」
「『早めに伝えた方がいい』って。それは、正しいわ」
美波は俺を一瞬見て、すぐに窓の外を見た。
「……誰に伝えるの?」
瑞樹が聞いた。声が少し、震えていた気がした。
「誰でもないわ。ただの、一般論よ」
「一般論ね」
「一般論」
「……美波ちゃん、顔赤いよ」
「暖房が強いの。それだけ」
「暖房のせいにしてる」
「してない」
「してる」
「してないわよ」
俺は二人のやり取りを聞きながら窓の外を見た。
雪は静かに降っていた。佐倉先生は今頃、熱帯魚に「ただいま」と言って無視されているだろう。でも、言うのだ。それが儀式だから。
儀式。意味のない行為。でも、意味のない行為こそが、人間を人間にするのかもしれない。
「坂本くん」
瑞樹が俺を呼ぶ。
「何」
「明日も、部活来る?」
「来るよ」
「やった。じゃあ、明日はカツ丼買ってくるね」
「なぜカツ丼」
「坂本くんの好物でしょ? 昨日、クレープあげたけど、坂本くんの本当の幸せはカツ丼だなって思ったの」
「……お前、俺のために?」
「一般論だよ。文芸部全員のために」
「全員のためなら、全員分買ってこいよ」
「じゃあ、美波ちゃんは激辛何か、私はクレープ、坂本くんはカツ丼。いいね!」
瑞樹は笑った。満開の花みたいに。
美波は「別にいらない」と言いながら、少しだけ口角が上がっていた。
俺は窓の外を見る。相変わらず雪が降っていた。
でも、世界は滅びない。滅びないけれど、雪は降る。そして明日も、この部室に来る。
カツ丼を食って、クレープを食って、激辛ポテトを食って。
佐倉先生は熱帯魚に話しかけて。
瑞樹は笑って、美波は毒を吐いて、俺は世界が滅びないかなと思う。
それでいい。それで、今はいい。




