ep.7 礼品にも、札が付く
暖炉の火が小さくはぜた。
執務室の窓は薄く曇っている。
外の雪はやんでいた。
けれど窓枠に残った白さを見るだけで分かる。
北方の冬はまだ終わらない。
エルナは机に向かっていた。
机の上には報告書が数枚。
除雪隊の交代表。
医務室への補給記録。
ハルザ村方面の北西街道復旧状況。
その一枚に細い字で追記があった。
陸竜一頭、通行可能。
完全復旧ではない。
だが荷を積んだ陸竜が村まで行ける。
その一文だけで動かせるものが変わったことは分かった。
昼前。
執務室の扉が叩かれた。
「支部長。裏庭発着場より報告です」
控えの兵が入ってくる。
「はい」
「ハルザ村より礼品が届きました」
エルナの筆が止まった。
「ハルザ村から」
「はい。ドラゴン便です」
ガレスが顔を上げた。
「荷受担当は」
「カイルが対応中です」
「分かりました」
エルナは机の上の書類を見た。
急ぎのものではない。
それから俺に手を伸ばした。
支部長業務引継ぎ書。
今回は持っていくらしい。
「発着場へ行きます」
「承知しました」
ガレスが答えた。
廊下に出る。
冬の空気はまだ硬い。
だが支部の中は動いていた。
除雪隊の交代表。
医務室の補給。
兵舎の乾燥室。
食堂の湯気。
そして発着場。
裏庭へ続く扉を抜けると青空が広がった。
発着場にはすでに竜が降りていた。
グレン殿だった。
赤い竜は翼を畳み石畳の上に静かに立っている。
発着場の広い空の下でもその姿はやはり大きかった。
木箱はすでに石畳の上に下ろされていた。
二箱。
その横で獣人族の兵が荷札を確認している。
カイルだった。
もう一人の兵が木箱の数を読み上げている。
「支部長!」
カイルは姿勢を正した。
耳が立っている。
「ハルザ村より礼品到着。ドラゴン便、荷下ろし済み。受領手続き中です」
「続けてください」
「はい!」
支部長が来たからといって手続きは止まらない。
それが現場だった。
木箱の数、荷札、外装、受領票。
カイルは少し声が大きい。
グレン殿は気にした様子もなかった。
発着場の端には荷車が置かれている。
竜運便の荷を運ぶためのものだろう。
常設されているようで車輪には雪避けの金具が付いていた。
「添状は」
ガレスが言った。
「こちらです」
カイルは木箱の一つに括りつけられた封書を差し出した。
ハルザ村の印がある。
エルナは封を開いた。
俺もその手元から文字を見る。
魔王軍北方支部 御中。
ハルザ村方面の街道復旧ならびに村の荷受け場確保につきまして、作業に携わられた方々へ御礼申し上げます。
陸竜の通行および荷の受け渡しは無事再開しております。
つきましては街道復旧の御礼として村で採れたじゃがいもをお送りします。
本品は北方支部宛の礼品としてお納めください。
ハルザ村 村長。
エルナの目が途中で止まった。
村の荷受け場確保。
その言葉をエルナは少し長く見ていた。
除雪隊の報告書にも似た記載があった。
ハルザ村側荷受け場、最低限の荷下ろし範囲を除雪。
現場判断。
街道そのものではない。
村の設備に踏み込んだと言えなくもない。
けれど陸竜が通れても荷を下ろせなければ物流は戻らない。
荷を受け取る場所がなければ道は道として働かない。
エルナは添状を畳んだ。
「荷受け場の確保は、北西街道復旧に付随する作業として扱います」
ガレスが静かに頷いた。
「承知しました。そのように処理します」
それだけだった。
だがその一言で現場判断は支部長の判断になった。
エルナはグレン殿に向き直る。
「運搬、ありがとうございました」
「うむ」
低い声が返る。
それ以上言葉は続かなかった。
竜運にはそれで足りた。
荷札にはハルザ村の印が押されている。
送り主、ハルザ村。
経由、北部配送集約基地。
宛名、魔王軍北方支部。
但し書き。
街道復旧の御礼。
札の隅には竜運の小さな焼き印があった。
「中身は」
エルナが尋ねた。
「荷札上は、じゃがいもです」
カイルが言った。
「匂いも、おいしそうです」
カイルの耳が少し伏せる。
「正式確認は保管庫で行います」
ガレスは何も言わなかった。
たぶんそれで正しいのだろう。
受領票に印が押される。
控えが一枚、竜運側へ渡された。
手続きは滞りなく終わった。
カイルともう一人の兵が木箱を荷車に載せていく。
木箱は見た目より重いらしく二人がかりで持ち上げる。
その間にグレン殿は翼を広げる前にふと発着場の端を見た。
色のついた掲示板。
不在票専用。
雪の中でも見える高さにある。
確認表には朝の印と昼前の印が押されていた。
グレン殿はしばらくそれを眺めた。
「よい」
低い声が石畳の上に落ちた。
カイルの耳がぴんと立つ。
だが返事はしなかった。
次の瞬間、大きな翼が雪を巻き上げた。
グレン殿が飛び立つ。
赤い影が空に上がりやがて雪雲の方へ小さくなっていく。
木箱を載せた荷車が石畳の上で低く鳴った。
「保管庫へ運びます」
カイルが言った。
「私も行きます」
エルナが言う。
ガレスがわずかに視線を向けた。
「現物確認ですか」
「はい。受け取ったものが入庫されるところまで見ておきます」
「承知しました」
荷車が動き出す。
カイルともう一人の兵が前後につきゆっくりと押していく。
エルナとガレスはその後ろを歩いた。
発着場から食堂裏へ向かう通路は荷の通り道でもあった。
壁の低い位置には荷車が擦った跡が残っている。
角には車輪止めの石。
雪を落とすための荒い敷物。
濡れた縄を掛けるための鉄の鉤。
支部の中には人の通る道とは別に荷の通る道がある。
俺はまた一つ知らなかった場所を知った。
食堂裏へ着くと空気が変わった。
湯気の匂いは近い。
だがここは食堂そのものではない。
荷車は保管庫に併設された検査場で止まった。
石床の小さな作業場だった。
壁際には魔導パイプが走っている。
ここは支部の中でも冷える場所だった。
食材を守るための冷えだった。
カイルともう一人の兵が木箱を二人がかりで下ろす。
もう一人の兵は空になった荷車を発着場へ戻しに行った。
カイルだけがその場に残る。
「荷受け担当ですので」
カイルは少し背筋を伸ばした。
「検査完了まで確認します」
検査場の奥に大きな影が立っていた。
岩のような肩。
太い腕。
灰色の皮膚。
寒さを気にした様子はない。
むしろこの冷えた場所そのものに馴染んでいるように見えた。
「ボルグ殿、到着しました」
カイルが言った。
大きな影は木箱を見下ろした。
「開けてくれ」
短い声だった。
カイルが蓋の留め具を外す。
木箱の中には土のついたじゃがいもが詰まっていた。
カイルの耳が少しだけ得意げに動いた。
荷札と匂いはどちらも正しかったらしい。
エルナは俺を開いた。
頁がめくられる。
検収。
前任者の字はいつも通り太い。
『兵糧はボルグ。
武具はアンタレス。
魔道具はアリーシャ。
外から来たものはまず倉庫に見せる』
以上。
短い。
そして担当者名を直接書いている。
代わったらどうするつもりだったのか。
だが少なくとも今は役に立っていた。
あの大きな影がボルグ。
食材を見る者だった。
ボルグは上の方からじゃがいもを一つ取った。
手の上で転がす。
重さ、皮の張り、土の匂い。
それから箱の隅へ太い指を差し入れ底の方からもう一つ取り出した。
「上だけでは分かりません」
低い声だった。
「底を見ます」
エルナは頷いた。
ボルグはもう一つの箱も開けた。
同じように上と底から取り出す。
傷、湿り、虫食い、魔力の濁り。
どれも動きはゆっくりに見える。
だが迷いはない。
「保管前検査ですか」
エルナが尋ねた。
「はい」
ボルグはじゃがいもを戻した。
「検食は調理後です」
「ここでは、保管できるかを見ます」
ガレスは黙ってそれを聞いていた。
エルナが視線を向けるとガレスは静かに答えた。
「倉庫の判断は彼に任せています。私が見るのは記録と責任の線です」
ボルグは台帳を引き寄せた。
「こちらは数と状態です」
それはガレスの台帳とは違う帳面だった。
食材在庫台帳。
頁の端は少し黒ずんでいる。
それは執務室では見ない台帳だった。
支部長の机には上がってこない仕事がここにはあった。
「入庫可」
ボルグが言った。
短い言葉だった。
だがそれで終わりではない。
ボルグは検査台の端に置かれた札を取り太い指で細い文字を書き込んだ。
品目、じゃがいも。
区分、受贈食材。
差出人、ハルザ村。
ロット、ハルザ村礼品、第一便。
数量、木箱二箱。
金額…
金額の欄は空欄だった。
エルナはその欄を見ていた。
礼品である。
食材である。
けれど価値がないわけではない。
どう扱うべきか。
エルナは札の空欄と俺を交互に見ていた。
俺の頁に一文が浮かんだ。
『現品のことは、現品管理者が一番詳しい。』
妙に事務的な一文だった。
だが今はそれでよかった。
エルナは顔を上げた。
「今回は金額は書かないのですか」
ボルグが答えた。
「納品書に金額があれば書き写すだけです。倉庫に入れば金額よりも状態の方が大事です」
続けてガレスが答えた。
「今回のような場合、評価額は経理側で参考価額として記録します。購入ではありませんが価値はありますので」
「なるほど……頂いたものは先に使った方がよいのでしょうか」
エルナが尋ねた。
ガレスは少し考えた。
「次の棚卸しまで残ると少し処理が増えます」
「しかし出庫順は倉庫の判断です」
エルナはボルグを見た。
ボルグは木箱の札を確認していた。
「傷むものから出します」
ボルグは木箱の底を見た。
「食材ですので」
ボルグは札を見た。
「ただし」
「士気に関わる時は前後させます」
エルナは顔を上げた。
「士気ですか」
太い指が木箱の札を結び直す。
その動きだけが少し柔らかかった。
「食材ですので」
保管庫の扉が開く。
冷えた空気が静かに流れ出した。
エルナはその中を初めて見た。
石の棚。
木箱。
袋に詰められた穀物。
布を掛けられた根菜。
吊るされた乾燥肉。
棚ごとに小さな札が下がっている。
品目。
入庫日。
ロット。
残数。
食堂は湯気の場所だと思っていた。
けれどその湯気の手前にはこういう冷えた場所がある。
カイルが木箱に手をかけようとした。
「手伝います」
「足りている」
ボルグはそう答え木箱の札と棚の札を見比べた。
それから一つ目の木箱を持ち上げる。
さきほど二人がかりで下ろした箱だった。
カイルの耳が少しだけ立った。
「すごいですね」
「仕事だからな」
ボルグは振り返らずに言った。
木箱が棚の前に置かれる。
札が見える向きに直される。
次に使う者が間違えない向きだった。
ボルグは戻ってもう一つの木箱も同じように運んだ。
棚の位置を確かめる。
札を確かめる。
台帳に短く記す。
ハルザ村から届いたじゃがいもは礼品から在庫になっていった。
最後にボルグは台帳を閉じた。
「入庫完了」
カイルが姿勢を正した。
「荷受け担当、確認しました」
ボルグは黙って頷いた。
カイルの耳がまた少し動いた。
たぶん褒められたのだと思う。
エルナはボルグに向き直り頭を下げた。
「ありがとうございました」
ボルグは首だけを少し下げた。
「後はお任せください」
それだけだった。
執務室へ戻る道でエルナは俺を抱えたまま黙っていた。
ガレスも急かさなかった。
食堂の近くを通ると湯気の匂いがした。
さっきまで見ていた保管庫の冷えと同じ食堂の裏表だと思うと少し不思議だった。
執務室に戻ると机の上には受領関係の書類が並べられた。
礼品受領記録。
添状の写し。
経理への回付票。
食材がどの棚に入りどの札をつけられたかは倉庫側の台帳に残る。
支部長の机まで上がってくるのはそのすべてではない。
受け取ったこと。
礼品として扱うこと。
必要な部署へ回すこと。
エルナはその欄を確認し筆を置いた。
その時、廊下から足音が近づいてきた。
「支部長」
カイルだった。
さきほどより少し息が上がっている。
「厨房長より報告です」
「報告ですか」
「はい。ボルグ殿より進言があり、ハルザ村礼品第一便のうち一箱を本日夕食に回すとのことです」
エルナは目を瞬いた。
「もう使うのですか」
「士気に関わると判断したそうです」
ガレスが静かに頷いた。
「妥当です」
「妥当なのですね」
「はい」
カイルは真面目な顔で言った。
「食材ですので」
その日の夕方。
食堂の方から湯気を含んだ匂いが流れてきた。
あのじゃがいものスープの匂いに似ていた。
受け取ったものは、ちゃんと支部の中を巡っていた。




