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ep.4 勇者殿、受付はこちらです

 雪は、まだ残っていた。


 空は薄く晴れている。けれど北方の冬は、晴れたからといって暖かくなるわけではない。


 窓の外では、支部の兵たちが朝から雪を寄せていた。魔導パイプの通った石畳だけが細く黒く見え、その両側には、昨日までの雪が壁のように積まれている。


 執務室の机の上には、報告書が並んでいた。


 除雪隊報告書。


 ハルザ村方面、北西街道の崩落箇所を確認。


 魔導パイプと蓄熱魔石を利用した簡易融雪溝を設置。


 第一班、作業継続。


 第二班、ハルザ村側枝道入口にて待機。


 第三班、東側枝道を確認中。


 エルナ・グレイヴェインは、報告書を一枚ずつ確認していた。


 表情は真剣だったが、昨日ほど青ざめてはいない。


 北方支部の支部長になってから、まだ日が浅い。


 それでも書類の山を前にする姿は、少しずつ、この部屋に馴染み始めていた。


「第三班は、東側の枝道を確認中です」


 ガレスが静かに告げた。


「ハルザ村側からの連絡は、一昨日の夕刻以降ありません」


「分かりました」


 エルナは報告書に視線を落としたまま頷く。


「除雪隊には、無理をしないよう通達してください。復旧を急ぐあまり、二次被害を出しては意味がありません」


「承知しました」


 ガレスは短く答えた。


 執務室には、温かい茶の香りが漂っていた。


 給仕係が置いていった茶器から、細い湯気が上がっている。


 エルナはようやく一息つこうとしたのか、茶器を手に取った。


 茶器が唇に触れる。


 その直前で、ガレスが言った。


「それから、もう一点」


 茶は飲まれなかった。


「森際に、人間の斥候と思われる影が一つ」


 エルナの動きが止まる。


「……いつからですか」


「三日前からです」


 茶器を持ったまま、エルナはガレスを見た。


 湯気が二人の間で細く揺れている。


「三日、ですか。なぜ今報告を」


「今朝から気配がありません」


 エルナは茶器を静かに戻した。


 机の上で、小さく陶器が鳴る。


「見失った、ということですか」


「移動した可能性が高いかと」


 ガレスの声は、いつも通りだった。


 慌てていない。


 それが、むしろ状況の面倒さを物語っていた。


 その時、扉が叩かれた。


「支部長、失礼します」


 入ってきたのは、正門の兵だった。


 まだ若い。顔に緊張が浮かんでいる。


「正門に、人間の一行が来ています」


 エルナの背筋がわずかに伸びた。


「所属は」


「王国軍特別遊撃隊、と名乗っています」


 執務室の空気が少しだけ変わった。


 俺は机の上で閉じられていた。

 それでも見える。聞こえる。

 前任者の乱暴な字が、俺の中で勝手に思い出される。


 勇者。


 王国軍特別遊撃隊の隊長。


 戦場では、名を聞くだけで兵が息を呑む。


 だが、正門を通るなら来客だった。


 エルナは俺を手元に引き寄せ、表紙を開いた。


 目次を追う指先が、少しだけ迷う。


 魔王様来訪時。

 竜運関係。

 近隣村落対応。

 冬季街道管理。


 そして。


 勇者来訪時。


 そこには、短くこう書かれていた。


 一般の来客と同様に扱うこと。


 その下に、太い字で一文。


 受付票を忘れるな。


「用件は」


 エルナが尋ねた。


「責任者と話したい、とだけ」


 執務室に、短い沈黙が落ちた。


 エルナは少しだけ息を吐いた。


 正門に立ち、名乗り、責任者との面会を求めている。


 ならば少なくとも今は、来客だった。


「正門棟の待合室へご案内を」


「承知しました」


 門番は敬礼し、すぐに戻っていった。


 エルナは席を立つ。


 茶は結局、飲まれなかった。


 正門棟へ向かう廊下は、いつもより長く感じた。


 窓の外には雪が積もっている。遠くの食堂棟からは、白い煙がまっすぐ上がっていた。


 エルナの足取りは、速すぎず遅すぎず。


 ガレスは半歩後ろを歩いている。


 俺はエルナの腕に抱えられたまま閉じられていた。


 頁は閉じていても、廊下の緊張は伝わってくる。


 役に立てるかは、まだ分からない。


 正門棟の受付前には、四人の人間がいた。


 一人は明るい鎧をまとっている。背には剣。外套の留め具には、王国軍の紋章があった。


 その隣に、細身の男。


 白い外套が雪に馴染む。腰には短剣。背には小さな弓。こちらと目が合うと、少し気まずそうに片手を上げた。


 もう一人は神官だろう。白い外套の下に薬箱を提げている。顔つきは柔らかいが、足の置き方に隙がない。


 最後の一人は、黒い杖を持った魔法使いだった。


 表情は薄い。


 だが視線はよく動く。壁、床、窓、天井の梁、足元を通る魔導パイプ。

 見ていないようで、見ている。


 エルナは一歩前へ出た。


「魔王軍北方支部、支部長エルナ・グレイヴェインです」


 明るい鎧の男が応じる。


「王国軍特別遊撃隊、レオン・アルバート。勇者の任を受けている」


 敬語ではなかった。


 けれど、無礼でもなかった。


 敵を前にした軍人の声だった。


「面会を求めたのは、俺だ」


「承りました」


 エルナは頷いた。


「先に受付をお済ませください。二階の応接室で伺います」


 レオンの眉がわずかに動く。


「……了解した」


 勇者。


 王国では、正義を背負う者。


 魔王軍にとっては、警戒すべき相手。


 だが正門を通るなら、来客だった。


 受付兵が、緊張した手つきで紙を取り出した。


「受付票を作成します。代表者名、所属、人数、面会希望先を記入してください」


 レオンは羽ペンを見た。


 それから神官へ視線を向ける。


「ミリア」


「はい」


 神官は穏やかに頷いた。


「私が記入いたします」


「頼む」


 羽ペンが紙の上を走る。


 すんなりと受付票は書きあがったが、用件欄のみ空白だった。


 受付兵は一瞬だけ迷い、それから頷いた。


「では、用件欄は面談希望で処理します」


 声が少し裏返った。


 ガレスは何も言わなかった。


「続いて武器の確認です」


 ガレスが前に出る。


「武器はそのままで結構です。ただし、封印紐を掛けさせていただきます。解除、抜刀、発動準備は敵対行動と判断します」


 レオンの手が、背の剣に触れた。


 短い沈黙。


 手が離れる。


「分かった」


 勇者の剣に、北方支部の封印紐が掛けられた。


 細い紐だった。


 切ろうと思えば、すぐ切れる。

 けれど、切るという行為に意味が生まれる。


 それで十分かもしれない。


 次に細身の男が進み出る。


「ロイ・ハーシェル。斥候だ」


 短剣と弓に、封印紐が掛けられる。


 ガレスは手元を見ながら言った。


「三日前から森際にいましたね」


 ロイも静かに笑った。


「……見えてました?」


「二日目からは」


「なるほど」


 ロイは少しだけ肩をすくめた。


「勉強になります」


 続いて、神官の杖へ封印紐が掛けられる。


「ミリア・セインと申します。治癒術を担当しております」


「治癒術の使用は禁止しませんが、事前申告をお願いします」


「承知しました」


 ミリアは柔らかく答えた。


 最後に、魔法使いが杖を差し出す。


「ノエル・ファルム」


 短い名乗りだった。


 ガレスが封印紐を掛ける。


 ノエルはその手元を見て、言った。


「杖だけ縛っても気休めだよ」


「承知しています」


 ガレスは淡々と答えた。


「ですので、規定も読み上げています」


「なるほどね」


「攻撃術式、拘束術式、並びにそれに準ずる術式は禁止。治癒術は事前申告をお願いいたします」


 ノエルは小さく頷いた。


「分かりやすい」


 エルナは困ったような顔をしながらも、少しだけ肩の力を抜いたように見えた。


「では、応接室へご案内します」


 ガレスが言った。


 四人は正門棟の廊下を進んだ。


 支部の奥へは入れない。見えるのは受付と廊下と中庭側の窓だけ。


 それでもノエルの視線は一箇所に留まらない。


 窓の結露、暖炉の火、壁際の燭台、床石の濡れた跡。


 応接室は、執務室より少し冷えている。


 暖炉の火がまだ小さい。


 給仕係が茶器と焼き菓子を運んできた。


 扉が開いた瞬間、エルナの目が一瞬だけ鋭くなった気がした。


 茶器。

 焼き菓子。

 盆を持つ給仕係の手。


 そのすべてを、見たというより、確かめたように。


 すぐに、いつもの困ったような表情へ戻る。


 湯気が上がる。

 茶器が置かれる。


「ありがとうございます」


 ミリアは茶器を受け取り、指先で縁をなぞった。

 その仕草は、ごく自然だった。茶器からの湯気が揺らぐ。


「香りはいかがですか」


 ガレスが言った。


 応接室に、細い緊張が走った。


 レオンの肩が少し上がる。


 ロイはミリアを見た。そう見えた。


 ミリアは目を伏せなかった。


 茶器を持ったまま、ガレスを見て柔らかく微笑む。


「失礼しました。よい香りですね」


「それは何より」


 ガレスは表情を変えない。


「支部長も、香りには少々厳しい方でしてね」


 エルナは困ったような顔で微笑んだ。


 ノエルが焼き菓子を一つ手に取っていた。


 いつ取ったのか、俺には分からなかった。


「これ美味しいよ」


 ロイが窓から皿へ視線を戻す。


「じゃあ、俺も」


 焼き菓子が一つ減る。


「ロイ」


 レオンの声が少しだけ低くなった。


 ミリアは茶器を持ったまま、穏やかに目を細めていた。


 ロイは笑っている。


 エルナが茶器に手を添える。


「それでは、用件を伺います」


 レオンは背筋を伸ばした。


「ハルザ村と連絡が取れない」


 その一言で、部屋の空気が少し変わった。


「村へ薬を届ける予定だった。村から最後に連絡があったのが六日前。雪崩の報告も入っている」


「はい」


 エルナは頷いた。


「竜運は使われないのですか」


 エルナが尋ねた。


「問い合わせはしました」


 ミリアが答えた。


「ですが、荷受けの確認が取れない村への配送は受けられない、と」


 ロイが小さく頷いた。


「あいつら、荷受担当がいなかったら本当に持って帰るからなあ」


 分かる。


「ただ、ハルザ村へ続く道では、そちらの除雪隊が復旧作業を行っていた」


「除雪隊は現在も活動中です」


「雪の中で相対すれば、互いに敵と判断しかねない」


 レオンは、少しだけ間を置いた。


「俺たちは、除雪隊との戦闘を望まない」


 その言葉は、部屋に静かに落ちた。


「通行経路、時刻、合図の取り決めを求める」


 応接室に、少しだけ沈黙が落ちた。


 エルナはレオンを見ていた。


 レオンもエルナを見ていた。


「確認します」


 エルナは言った。


「貴隊の目的は、ハルザ村の状況確認および薬の搬送。除雪隊との交戦は望まない。よって、通行経路と接触時の合図について、事前調整を求める。相違ありませんか」


「相違ない」


 レオンは答えた。


「ガレス副官」


「はい」


「現在の除雪隊の配置は」


「第一班が北西街道の崩落箇所。第二班がハルザ村側の枝道入口。第三班が東側枝道を確認中です」


 ガレスは記録用の紙に、簡単な略図を書いた。


 山道。


 崩落箇所。


 除雪隊。


 ハルザ村。


「この経路を通る場合、第二班と接触する可能性があります」


「避けられるか」


 レオンが聞いた。


「完全には」


 ガレスは答えた。


「ですが、接触時の合図を決めておけば、戦闘にはなりません」


「合図は」


「人影が見えたら、白布を右手に。三歩ごとに一度停止してください」


 ロイが小さく眉を上げた。


「三歩ごと?」


「雪上では足音が消えます」


 ガレスは淡々と言った。


「止まる者は、少なくとも突撃していません」


「なるほど」


 ロイは頷いた。


「勉強になります」


 ガレスは続ける。


「除雪隊には、こちらから先に伝令を出します」


「伝令が間に合わなかった場合は」


 レオンが尋ねる。


「接触地点手前で待機し、班長の名を出して、確認を求めてください」


「班長名は」


「カイル」


 エルナが言った。


「獣人族の兵です。耳がよく、声を聞き分けます」


 ロイが一瞬だけ反応した。


「声が届く距離まで近づく前に、相手が構えたら」


「そこで止まって白布を振ってください」


 エルナは答えた。


「止まらなければ、現場は敵対行動と判断します」


 レオンは頷いた。


 そこで、ほんの少しだけ表情を歪めた。


「止まる勇者か」


 誰に言ったのか分からない声だった。


 ロイは、焼き菓子へ伸ばしかけた手を止めた。


 エルナは、机の上の略図を見ていた。


 それから顔を上げる。


「止まることは、戦わないための合図です」


 レオンがエルナを見る。


 ガレスは何も言わなかった。


 ただ、記録用の紙に短く書き込んだ。


 接触時、一時停止。


 交戦回避の意思表示。


「……分かった」


 レオンは答えた。


 エルナは頷き、略図の横に置かれた受付票へ視線を落とした。


「本件は、北方支部管理区域内における通行調整として受理します」


 レオンがわずかに顔を上げた。


「ハルザ村方面の復旧作業中に、不要な交戦を避けるための調整です。我々北方支部の業務です」


 ガレスが記録用の紙に、短く書き足した。


 通行調整。


 交戦回避。


 ハルザ村方面。


「通行予定時刻は」


「今からでも出たい」


 レオンが答えた。


「薬の状態もある」


 ノエルが焼き菓子の皿から視線を上げた。


「凍らせたくない」


「では、すぐに伝令を手配します。雪道に慣れた雪狼を出しましょう」


 ガレスは言った。


「こちらからの通達内容は三点。勇者一行四名がハルザ村確認のため接近すること。白布と一時停止を合図とすること。班長カイルの確認を待つこと」


「こちらは」


 レオンが言う。


「指定経路を外れないようにする。人影を確認したら白布を掲げ、三歩ごとに停止する。声が届く距離では、カイルの名を出して確認を求める」


「はい」


 エルナは頷いた。


「それでお願いします」


 ミリアが小さく息を吐いた。


「ありがとうございます」


 レオンは、すぐには何も言わなかった。


 礼を言うべきか。


 言わないべきか。


 その短い迷いが、顔に出ていた。


「……調整に感謝する」


 ようやく、そう言った。


 声はまだ硬い。


 だが、先ほどより少しだけ、人の声に近かった。


 ロイが焼き菓子をもう一つ見た。


 ミリアも皿を見た。


 ロイの手は戻った。


 ノエルは戻さなかった。


「これ、本当に美味しい」


「ノエル、二個目」


「数の問題ではありません」


 ミリアが柔らかく言った。


 エルナが困ったような顔で微笑む。


「良ければお持ちください」


 ガレスは記録から目を上げない。


「会議提供品です」


 俺は少しだけ、昨日までの記憶を思い出した。


 竜の爪。


 焼き菓子。


 会議費。


 北方支部の茶菓子は、どうやら強い相手によく効くらしい。


 エルナは咳払いをした。


「それでは、通行調整票を作成します。写しを一部お渡ししますので、ハルザ村まで携行してください」


「分かった」


「また、ハルザ村の状況確認後、可能であれば村側から北方支部へ一報をお願いします。形式は問いません。伝令、竜運、村長印つきの紙片、どれでも構いません」


「連絡が取れる状態なら、必ず届ける」


 レオンは答えた。


「約束する」


 ガレスが筆を止める。


「備考欄に記載します」


「そこに書くのか」


 レオンが思わず言った。


 ロイが小さく笑った。


「隊長、勇者の約束が備考欄に入りました」


「ロイ」


「重要事項です」


 ミリアは穏やかに微笑み、ノエルは焼き菓子の皿を見ていた。


 ガレスが調整票を二部作成し、一部をレオンへ差し出した。


 エルナは、もう一部に目を通す。


 そこには勇者の名も、魔王軍の名もあった。


 その下に、通行経路。


 接触時合図。


 確認者名。


「問題ありません」


 エルナは言った。


 レオンは調整票を受け取る。


 紙を持つ手は、剣に触れた時よりも少しだけ慎重だった。


「ハルザ村まで、必ず携行してください」


「分かった」


 今度は、少しだけ腹に落ちているように聞こえた。


「以上です」


 エルナが言った。


 レオンは調整票を折らずに、ミリアへ渡した。


 ミリアはそれを薬箱の内側に収める。


「濡れない場所へ入れておきます」


「お願いします」


 エルナは頷いた。


 ノエルが焼き菓子の包みを受け取った。


「これも濡れない場所がいいね」


 ノエルは包みを外套の内側へ入れた。


 応接室の扉が開かれる。


 正門棟の廊下へ出ると、窓の向こうで食堂の煙突が白い煙を上げていた。


 ロイが一度だけそちらを見る。


「ちなみに、食堂は許可区画ですか」


「許可区画ではありません」


 ガレスが即答した。


「ですよね」


「ですが」


 ガレスが続ける。


「持ち帰りについては今後検討します」


 正門前で、封印紐が外された。


 勇者の剣。

 斥候の短剣と弓。

 神官と魔法使いの杖。


 レオンは剣を背に戻し、エルナを見る。


「支部長」


 冷たい風が、正門の隙間から細く入り込んでいた。


「俺は、魔族は討つべき敵だと教えられてきた」


 ノエルが短く息を吐く。


「レオン」


「分かっている」


 レオンは、それでも視線を逸らさなかった。


「だが今、ここで剣を抜く理由はない」


 エルナは、少しだけ目を伏せた。


 それから、静かに答えた。


「私も、勇者という方は、もっと話の通じないものだと思っていました」


 風が、床に薄く残った雪の匂いを運んでくる。


「ハルザ村の確認を、お願いします」


 エルナが言った。


 レオンは頷いた。


 ロイが外套の襟を上げる。


「では、三歩ごとに止まる勇者一行、行ってきます」


「ロイ」


「合図の確認です」


 ノエルが短く言った。


「転ばないでね」


「それは誰に」


「全員」


 正門が開く。


 雪の冷気が、廊下の奥まで細く入り込んできた。


 四人は外へ出た。


 明るい鎧。


 白い外套。


 黒い杖。


 雪に馴染む斥候の背。


 正門の前で、レオンが一度だけ振り返った。


 深くはない。


 けれど、確かに頭を下げた。


 エルナも、少し遅れて頭を下げる。


 それから勇者一行は、ハルザ村へ向かう道へ歩き出した。


 正門が閉まる。


 冷気が細く残り、やがて床の上で消えた。


 エルナはしばらく、閉じた門を見ていた。


「……勇者、でしたね」


 小さく呟く。


「はい」


 ガレスが答えた。


「受付票上も、勇者一行です」


「そういう意味ではありません」


「承知しています」


 ガレスは表情を変えずに言った。


「受付票は保管します」


 エルナは何か言いかけて、やめた。


 執務室へ戻ると、机の上にはいつもの書類が待っていた。


 除雪隊報告書。


 竜運受領控え。


 燃料魔石使用記録。


 そして、ガレスが新しく一枚の紙を置く。


「これは何ですか」


「検討課題です」


 エルナが紙面を見る。


 そこには、丁寧な字でこう書かれていた。


 来客対応時における食堂提供品の持ち帰り可否について。


 エルナはしばらく黙った。


「……課題が増えましたね」


「はい」


 ガレスは頷いた。


 俺は机の上で開かれていた。


 勇者来訪時。


 前任者の字は、相変わらず太く、短い。


 一般の来客と同様に扱うこと。


 受付票を忘れるな。


「本当に、来客だったのですね」


 その声は、誰に向けたものでもなかった。


 俺は一文だけ追記しておいた。


『お互いに剣を抜く前に、目的を確認しましょう。』


 エルナはその一文を見つけて、しばらく黙っていた。


 それから、静かに頷く。


「……はい」


 窓の外では、雪がまだ静かに降っていた。


 遠くの白い道の上で、四つの影が少しずつ小さくなっていく。


 明るい鎧も、白い外套も、黒い杖も。


 やがて雪の向こうに、ゆっくりと紛れていった。


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