ep.36 道に町をつくる
「では、街道から。二番標から三番標まで、問題はありませんか」
「ありません。馬車も通常通り通せます」
ガレスが答えると、街道馬車組合の担当者が手元の紙に印をつけた。
三番標から少し離れた平場にある、街道馬車組合の荷継ぎ所。
奥の大部屋に集まるのは、今日で四度目になる。
最初の頃は何もなかった壁際も、今では杭や縄、畳まれた案内板で埋まりつつあった。
「竜威香は?」
「交換まで終わっています」
「では、街道は予定通りで」
紙が一枚めくられる。
窓の外では、葉を残した木の方が少なくなっていた。
最初の会合の頃は、まだもう少し色があった気がする。
「次、警備です。王国側は前回の案で?」
「はい。本部から増員の承認が下りました。予定していた人数は出せます」
王国軍の担当者が答えた。
「三番標側を中心に配置します。ただ、混雑した場合は区域にこだわりません」
「こちらも同じです」
ガレスが言う。
「では、その形で」
警備については、確認だけで終わった。
「次は、人の流れを見ましょう」
机の中央に、大きな図面が広げられた。
二番標から三番標までの街道と、その途中に点在する平場。
何度か見た図面だが、来るたびに線と印が増えている。
エルナが俺を少し引き寄せた。
開かれた頁の端に、前任者の走り書きが残っていた。
『七日市は、店の数より人の流れを見ろ。』
どういう意味か、少し分かってきた気がする。
「出店の受付は締め切っています。区画の抽選は今日の午後です。中央区画を希望する店は、今年も多いですね」
「去年も昼過ぎにはかなり混みました」
馬車組合の担当者が中央の平場を指で囲む。
「今年は日中の搬入を止めましょう。荷下ろしは朝のうちに」
「通過する馬車は?」
「通します。街道まで止めるわけにはいきません」
「中央は誘導を置いた方がいいですね」
「二番標と三番標、それから温泉への分岐にも」
「竜運側の出入口もお願いします。荷車が重なりますので」
竜運の担当者が言った。
「では、そこは組合から増やします」
図面の上に、小さな印がいくつか加えられた。
「中央は、人の通る場所をもう少し広く取れませんか」
ガレスが言う。
「露店を三軒分だけ外へ寄せましょう。空いたところは休憩場所にも使えます」
線が一本、引き直された。
「救護所は前回の位置で?」
「はい。中央から外さず、馬車も入れる場所にします」
「では、そのままで」
「竜運は?」
「二番標側は今年も同じ平場を使います。小型ワイバーンの発着場はこちら。陸竜の荷下ろしは、その隣です」
竜運の担当者の指が少し横へ動く。
「荷の仮置きが増えますので、陸竜側だけ少し広げたいです」
「では、隣の一般区画を一つ減らしましょう」
「三番標側にも臨時の荷扱い所を置きます。出店者宛ての荷は、近い方へ回します」
「中央は去年と同じですか」
「はい。受付と出店だけです」
荷を運ぶ場所と、人が集まる場所は分けるらしい。
「三番標側の野営地は広げます。王国側から来る客も増える見込みです」
「馬車の待機場所は、このままだと近すぎませんか」
「では、一つ手前の平場へ。そこなら誘導も置けます」
「温泉行きの臨時便は?」
「乗り場を分岐に寄せましょう。去年は帰りの客が少し詰まりました」
また一つ、印が移った。
「休憩所は中央と三番標側に大きいものを。途中にも小さいものを置きます」
「二番標側にも一つ増やしましょう。ラメールからの出店がありますので」
「野営地の炊事場と水場は前回の案で」
「仮設便所の増設もそのままで」
「ごみは集落側で回収します」
「焼却炉はこちらで人を出します」
エルナが答えた。
正直、これほどとは思っていなかった。
七日市というから、街道に店が並ぶものだとばかり思っていた。
ふと見ると、エルナも図面を見たまま、少しだけ目を丸くしている。
人が歩き、荷が運ばれ、馬や竜を休ませる場所があり、夜を越す者もいる。
それらを七日間だけ、この街道沿いに作る。
どうやら、店を並べるだけではない。
七日間だけ、ここに町をつくるのだ。
「では、明日から予定通り設営に入ります」
図面が畳まれた。
七日市まで、あと一週間だった。
◇
翌朝、エルナに連れられて街道へ出ると、中央の平場ではすでに槌の音が響いていた。
杭を打つ音と縄を張る声が重なり、その間を荷車を通すために誘導員が声を張っている。
北方支部の兵たちは路肩に砂利を入れ、集落の者たちは休憩所を組み、馬車組合は案内板を立てて回っていた。
中央では、救護所になる天幕の骨組みも立ち始めている。
二番標側では、竜運がワイバーンの発着場と陸竜の荷下ろし場を整えていた。
「そこ、通路です!」
「荷はこっちへ!」
「馬車、通ります!」
声が飛び交う。
それでも街道は止まらない。
馬車は人の間をゆっくり抜け、その脇でまた槌の音が始まる。
中央の平場では、一度打った杭が抜かれていた。
「ここ、もう少し外へ出しましょう」
馬車組合の担当者が言う。
「図面で見るより狭いですね」
「実際に馬車が通ると分かりますね」
杭が半歩ほど外へ移された。
「そこ、今年の変更点として記録しておいてください」
「来年用ですか?」
「はい」
まだ今年の七日市も始まっていない。
それなのに、もう次の年の話をしている。
昼前に支部へ戻ると、こちらも静かではなかった。
倉庫の前には木箱が並び、兵たちが出たり入ったりしている。
「それは七日市へ!」
セルディンの声が飛ぶ。
「こっちは?」
「戻してください。それは三番標の補修用です!」
いつもより声が大きい。
その横を、アリーシャが小さな照明用の魔導具をいくつも抱えて足早に通り過ぎた。
「アリーシャさん」
エルナが声をかける。
「すみません、あとで!」
止まらなかった。
その後ろを兵が追いかけていく。
「中央区画の分、あと二つ足りません!」
「保管庫の右奥です! 予備って書いてある箱!」
「どの右奥ですか!」
「入って右です!」
騒がしい。
「アンタレスさんは?」
誰かが尋ねた。
「アンタレス様は今日も出張です!」
セルディンの返事だけが聞こえた。
今日もいないらしい。
倉庫では、七日市へ持ち出す品の仕分けも進んでいた。
古い毛布や外套、手袋、木箱、鍋、ランタン。
まだ使えるが、支部で持ち続けるほどではないものを売りに出すらしい。
兵が棚の奥から束ねた縄を引っ張り出した。
「これは?」
「駄目です。三番標の補修用です」
返事が早かった。
兵は何も言わずに元へ戻した。
仕分けの終わった品から、紋章や管理札が外されていく。
「そのまま売るわけにはいきませんから」
確かに、北方支部の印をつけたまま市場に並べるわけにもいかない。
厨房では、普段使わない大鍋まで引っ張り出されていた。
以前、カイルの兄から届いた香辛料が並んでいる。
「まだ残ってたんですね、香辛料」
カイルが棚の小瓶を見る。
「残念ながら、これで最後です」
料理長が答えた。
「ただ、本部の兵站から連絡がありまして。南方の商会と、新しく取引が決まったそうです」
「南方の?」
エルナがカイルを見る。
「兄が間に入ったみたいです」
エルナの眉が少し上がった。
「……陛下ですね」
「たぶん、そうだと思います」
あの時の話は、本当に取引の話だったらしい。
「次がいつ届くかまでは、まだ分かりませんけどね」
エルナが大鍋を見た。
「全部使ってしまって大丈夫なんですか?」
「七日市ですから」
料理長は、いつもの調子で続けた。
「身体も温まります。こういう日にはちょうどいいんです」
夕方、執務室では七日市の経費を確認していた。
エルナが机の上の帳簿をめくる。
仮設設備や運搬費、追加の薪、消耗品。
細かい支出が、思った以上に並んでいる。
しばらく目で追っていたエルナが、ふと手を止めた。
「ガレスさん」
「はい」
「払い下げ品の売上は、この経費と相殺しないんですか?」
「売上と経費は別に計上します。収支を見る時は合わせますが、帳簿上は分けておきます」
ガレスは帳簿に目を落とした。
「払い下げは利益を出すためのものではありません。不要になった物を処分するのが目的です。まだ使える物なら、その分の価値を回収します」
「厨房の売上も別ですか?」
「はい。そちらは食堂の売上です。ほぼ原価で出します」
エルナが頁をめくった。
その指が、一つの項目で止まる。
「七日市運営負担金?」
「臨時警備や消耗品の追加分です。追加分は七日市の共同会計から負担してもらいます」
「普段の警備は?」
「支部の業務です。そちらまで請求はしません」
「なるほど」
エルナは小さく頷いて、また帳簿へ目を戻した。
◇
それから数日。
朝、街道へ出るたびに知らない顔が増えていった。
昨日まで骨組みだけだった店には商品が入り、店先では値札や看板を取りつける者もいた。
中央の竜運の出店も形になった。
軒先では、小さな飛竜の木彫りが風に揺れている。
その下には、荷札を模した木札や、鱗模様の布小物が並べられていた。
「……あれも売るんでしょうか」
エルナが足を止めた。
たぶん。
二番標側では、陸竜が荷を下ろしていた。
積み上げられた荷は行き先ごとに分けられ、荷車へ載せ替えられていく。
少し離れた発着場には、ときどき小型ワイバーンが降りた。
翼が起こす風に、近くの布が大きくはためく。
そのたびに誰かが押さえに走った。
北方支部の天幕も立った。
払い下げ品の木箱が運び込まれ、厨房の大鍋も所定の場所に置かれた。
救護所には寝台と薬箱が運び込まれ、入口には大きな札が掛けられていた。
ラメールの区画には干物が届き始めていた。
まだ売ってはいなかった。
それでも、もう店らしく見えた。
◇
七日市の前日。
朝から、最後の確認が続いた。
案内板の向きや縄の緩み、水樽の数、誘導員の配置、馬車の待機場所、救護所の準備。それに、魔導灯の点灯確認。
確認が終わったところには印がつき、足りないものがあれば誰かが走っていく。
昼を過ぎる頃には、遠くから来た出店者たちも増えていた。
荷車を引く者もいれば、背負子いっぱいに商品を載せてくる者もいる。
竜運の荷扱い所では、自分宛ての木箱を受け取る者がいて、野営地ではすでに天幕を張り始めている者もいた。
中央の平場でも、いつの間にか聞き慣れない声が増えていた。
「明日の朝は、もっと増えます」
ガレスが言った。
エルナが街道の先を見る。
「これより、もっとですか」
「はい」
少し間があった。
「……そうですか」
夕方。
最後の案内板が立った。
二番標から三番標まで、七キロほど。
もちろん、その全部に店が並んでいるわけではない。
何もない街道もある。その先へ行けば、また店と人が集まる平場がある。
休憩所や馬車の待機場所があり、少し離れたところには野営地もあった。
図面で見ていた時より、ずっと広かった。
そして、ずっと賑やかだった。
日が傾くと、魔導灯が一つずつ点いた。
野営地でも火が起こされた。
馬に水をやる者や、明日の品物を数える者。隣の店と話している者もいる。
遅れて到着した荷車を誘導する声も聞こえた。
普段なら、日が落ちれば静かになる街道だ。
今日は、まだ人の声が消えない。
エルナはしばらく、その様子を眺めていた。
一週間前には、ただの街道だった。
緩く曲がった道の先にも、いくつもの明かりが見える。
明日から、七日市だ。




