ep.31 冬支度の仮置き場
朝から、暑かった。
窓は開けたままになっている。
その向こうの訓練場では、日除け布の下で兵士が水を飲んでいた。
冬支度は、もう始まっている。
それでも、夏の道具はまだ片付かない。
今年の暑さは、ずいぶん往生際が悪い。
俺はエルナの机の上から、その様子を見ていた。
扉が叩かれた。
「どうぞ」
入ってきた兵士が、一枚の受領票をガレスへ差し出した。
「冬支度の荷が届いています」
ガレスが目を通した。
「保管庫へお願いします」
「それが」
兵士が少し言葉を切った。
「セルディンさんから、置き場所を確認してほしいと」
ガレスが顔を上げた。
「置き場所?」
「はい」
エルナもそちらへ顔を向けた。
「何かありましたか?」
「見てもらった方が早いと思います」
ガレスが立ち上がった。
「行きましょう」
エルナも俺を抱えた。
◇
保管庫の前には、届いたばかりの木箱が並んでいた。
厚手の毛布。
冬靴の手入れに使う油。
補修用の革。
雪囲い用の金具。
どれも、冬支度に合わせて届く予定だったものだ。
中では、セルディンと二人の兵士が棚を見上げている。
床にもいくつか箱が置かれていた。
「どうしました?」
エルナが尋ねた。
セルディンが振り返った。
「届いた荷の置き場所です」
床に並んだ箱を示す。
「入らないわけではありません。ただ、このまま入れると通路が狭くなります」
棚の一角を指した。
「ここを詰めれば、二箱は入ります」
今度は反対側を示した。
「そちらも積み直せば、三箱ほどは」
棚と箱の間には、今でも人一人が通れるほどの幅しかない。
さらに荷を入れれば、奥の棚へ行くたびに箱を動かすことになる。
俺も棚を見た。
上には、まだ少し空きがある。
あそこへ上げればいいのではないか。
そう思ったところで、一番下に置かれた大きな木箱が目に入った。
あれを上まで持ち上げるのは大変そうだ。
それに、必要になるたび下ろすことになる。
同じことを考えたらしい。
一人の兵士が棚を指した。
「この箱を上へ上げれば?」
セルディンが首を横に振る。
「重い物です。使うたびに下ろすことになります」
やはり駄目らしい。
ガレスが手前の荷を見る。
「こちらを奥へ移すのは?」
「冬物です。これから使い始めます」
「では、こちらを」
一人の兵士が首を振った。
「それはまだ使います」
予備の水樽。
日除け布の補修具。
固定用の縄。
夏場に増やした簡易の腰掛け。
訓練場では、まだどれも使われている。
エルナが棚と床を見比べた。
「例年も、この時期はこうなるのですか?」
セルディンは首を振った。
「いいえ。例年なら、もう夏物の返納が始まっています」
ガレスも倉庫の中を見回した。
「私にも記憶がありませんね」
「ここまで夏物が残ることが?」
「ええ」
ガレスが答えた。
「この時期には、空いた場所へ順に冬物を入れています」
セルディンが棚を見た。
「いつもなら、それで足ります」
エルナが入口の向こうへ目を向けた。
石畳には、朝から強い日差しが落ちている。
「今年は、夏物が残ったままなんですね」
「はい。冬物の納入は例年通りです」
季節だけが、予定通りに動かなかったらしい。
セルディンが床にしゃがんだ。
簡単な配置図が広げられる。
兵士二人が、手前の木箱を持ち上げた。
「一度、こっちへ寄せます」
棚の脇へ動かす。
その奥に、小さな箱が見えた。
セルディンが荷札を確かめる。
「それは今日使います」
兵士の手が止まった。
「これですか?」
「はい。日除け布の留め具です」
動かしたばかりの木箱が、また元へ戻された。
今度は反対側の箱を引き出す。
その後ろには水樽があった。
「……こっちも駄目か」
兵士が呟いた。
セルディンは何も言わず、配置図の線を一本消した。
俺も考える。
ここに置けないなら、別の場所へ置けばいい。
廊下。
いや、人が通る。
空いている部屋。
そこまで運んで、必要になるたび取りに行くのも面倒そうだ。
それなら、保管庫の近くに一時的に置ける場所はないだろうか。
全部を出す必要はない。
雨に濡れて困る物は中へ。
外に置いても平気な物だけ、どこかへ移す。
そんな場所があれば。
「なら、夏物と入れ替えるのは?」
兵士が言った。
「どちらもまだ使います」
「一度、全部出して組み直しますか?」
セルディンは少し考えた。
「できます。ただ、次の荷が来れば、また積み直しになります」
兵士が黙った。
ガレスも配置図を見た。
棚を入れ替える。
箱の向きを変える。
夏物を手前へ。
冬物を奥へ。
皆は、保管庫の中で置き場所を探している。
俺は開いた扉の向こうを見た。
外なら。
ただし、どこでもいいわけではない。
人の邪魔にならず、荷を運びやすく、雨に弱い物だけ中へ戻せる場所。
そんな場所が、この支部のどこかにあるだろうか。
エルナはしばらく配置図を見ていた。
それから俺を開いた。
「何か案はないですか?」
うまくいくかは分からない。
ただ、今まで出ていない案ではある。
俺は一文だけ書いた。
『どこかに仮置き場は作れませんか。』
エルナが読んだ。
「……仮置き場」
ガレスが配置図から顔を上げる。
セルディンも腕を組んだ。
「中庭はどうでしょう」
エルナが言った。
ガレスは首を横に振った。
「人の往来が多すぎます」
食堂。
厨房。
執務棟。
正門。
中庭はいくつもの通路が交わっている。
荷を置けば、すぐ邪魔になるだろう。
俺も候補から消した。
「では、訓練場の端は?」
セルディンが外へ目を向けた。
「まだ使っています」
日除け布の下には、休憩している兵士がいた。
水樽も置かれたままだ。
訓練そのものも毎日続いている。
「そうですね」
エルナが頷いた。
そこも駄目か。
「正門の近くは?」
「荷車の出入りがあります」
ガレスが答えた。
一つ考えるたび、一つ消えていく。
仮置き場を作るというところまでは思いついた。
その先は、俺にも分からない。
しばらく、誰も口を開かなかった。
やがてガレスが言った。
「……裏庭なら」
エルナが振り返る。
「竜運の発着場ですか?」
「壁際です」
「グレン殿たちの邪魔にはなりませんか?」
「中央と荷役の通路を空ければ、使えるでしょう」
ガレスは少し考えて続けた。
「荷車もそのまま入れます。届いた荷を運ぶには、中庭より都合がいいですね」
「保管庫へ入れる物と、仮置きする物を荷受けの時点で分けられます」
セルディンが言った。
「なるほど」
エルナが頷いた。
「では、裏庭を見てみましょう」
◇
裏庭へ出た。
壁際には十分な空きがある。
中央は、竜運の発着に使う場所だ。
その脇を、荷車が通る。
ちょうど荷を下ろし終えた空の荷車が一台止まっていた。
ガレスが御者へ声をかけた。
「壁際まで入れますか?」
御者がそちらを見た。
「やってみます」
荷車がゆっくり動き出した。
中央を避けて壁際へ寄る。
一度だけ切り返す。
そのまま、荷を置く予定の場所まで入った。
「戻れますか?」
「はい」
御者が手綱を引いた。
荷車は向きを変え、同じ道を戻っていく。
途中で止まることもなかった。
「これなら荷を積み替えなくて済みますね」
ガレスが言った。
セルディンは壁際から保管庫の方を確かめた。
「保管庫へ入れる物だけ、ここから運べます」
エルナが中央を見る。
竜が降りる場所には、十分な広さが残っている。
荷車の通路も塞がない。
壁際までなら、まだ余裕があった。
しばらく周囲を確かめてから、エルナが顔を上げた。
「ここを仮置き場にします」
ガレスが頷いた。
「範囲を決めてください。竜の発着場所と、荷車の通路は空けたままで」
「分かりました」
エルナはセルディンを見る。
「外へ出せる物を選んでもらえますか?」
「はい。濡らしたくない物は保管庫へ残します」
「お願いします」
それから、荷役の兵たちへ向き直った。
「敷き木と杭を用意してください。場所が決まったら、こちらへ荷を移しましょう」
「はい!」
返事が重なった。
さっきまで置き場所を探していた全員が、一斉に動き始める。
裏庭の壁際に、敷き木を並べる。
その外側を、杭と縄で囲った。
囲った内側だけを、仮置き場にした。
竜が降りる場所と、荷車の通路には何も置かない。
裏庭まで入った荷車から、荷が直接下ろされていった。
ガレスが縄の位置を確認した。
「ここまでですね」
「これ以上は広げないようにします」
荷役の兵が答えた。
保管庫からも、いくつかの荷が運ばれてきた。
補修用の木材。
雪囲い用の金具。
空の木箱。
届いた荷も、その場で分けられていく。
「毛布」
「中へお願いします」
「金具」
「外で大丈夫です」
「冬靴用の油」
「中へ」
兵士が細長い木箱を持ち上げた。
「これは?」
セルディンが荷札を見る。
「補修用の板材ですね。外で構いません」
木箱が敷き木の上へ置かれた。
さっきまで保管庫の床を塞いでいた荷が、一つずつ外へ出ていく。
そのたび、通路が少しずつ広くなる。
最初から外へ出せばよかった。
そう思うのは簡単だ。
けれど、どこへ置くかを決めるだけでも、ずいぶん考えることがあるらしい。
エルナが中を覗いた。
「これなら、通れますね」
セルディンが頷いた。
「次の便までは大丈夫だと思います」
「次の便まで、ですか」
「まだ冬支度は始まったばかりですから」
縄で囲った場所には、今のところ十分な余裕がある。
「今年だけで済むといいのですが」
「暑さ次第ですね」
その日も、日除け布は外されなかった。
◇
数日後。
裏庭に翼の音が響いた。
影が石畳を横切る。
グレン殿だった。
大きな翼が畳まれ、いつもの場所へ降りる。
エルナは俺を抱えて荷受けに出ていた。
「ありがとうございます、グレン殿」
グレン殿が低く頷いた。
荷が順番に下ろされる。
木箱。
麻袋。
書簡の束。
最後に、細長い木箱が二つ。
ガレスが荷札を見る。
「冬季補修材ですね」
荷役の兵が尋ねた。
「これは?」
「仮置き場へお願いします」
荷車がそのまま壁際へ進んだ。
木箱が縄の内側へ下ろされる。
グレン殿がそちらを見た。
前に来た時には何もなかった場所に、木材や箱が並んでいる。
「荷が増えたな」
エルナも仮置き場へ目を向けた。
「はい。冬支度のものです。今年はまだ夏物を片付けられなくて、倉庫に置ききれなくなりまして」
グレン殿は壁際から、発着場の中央へ視線を移した。
荷役の通路。
着地する場所。
どちらにも荷は出ていない。
「降りる場所は、空けておいてもらえると助かる」
「はい。そこには置かないようにしています」
グレン殿は、もう一度壁際を見た。
「次も冬物がある」
エルナが振り返った。
「……次もですか?」
荷受けが終わると、グレン殿は再び空へ上がった。
縄の内側には、まだ空きがある。
エルナはしばらく仮置き場を見ていた。
それから、俺を開いた。
「ありがとうございました。助かりました」
俺は何も書かなかった。
仮置き場を考えたきっかけは、たしかに俺だった。
けれど、中庭では難しいと判断し、裏庭を候補に出したのはガレスだった。
外へ出せる荷を選んだのはセルディン。
そこを仮置き場にすると決めたのはエルナだ。
荷車が通れるか確かめ、敷き木を並べ、杭と縄で場所を作ったのは支部のみんなだった。
俺が出したのは、まだ形にもなっていない案が一つだけだ。
だから、俺だけがお礼を言われるのは少し違う気がした。
それでも、何も返さないのも違う。
しばらく考えた。
ふさわしい返事は、なんだろう。
正しい答えなのかは分からない。
それでも、思ったままを一文だけ書くことにした。
『こちらこそ。』




