ep.20 休暇も勤務予定のうちです
窓を開けて仕事をする日が増えていた。
花見をした木は枝いっぱいに若葉を広げ、風が吹くたび柔らかな音を立てている。昼になると、訓練場から戻る兵士の額には汗が浮かぶようになった。
まだ夏ではない。
ただ、春の終わりが近いことは分かった。
その日の朝、副官のガレスは執務室の机へ一枚の大きな表を広げた。
夏前交代休暇予定表。
北方支部では、夏の輸送や訓練が本格化する前に、全員が交代で三日間の休暇を取ることになっている。
冬の間は、持ち場を長く空けられない。
雪が消えたあとも、街道や建物の点検が続く。
それらが一段落した今が、まとまった休暇を取りやすい時期だった。
「希望する日を確認します」
ガレスは各部署の者を順番に執務室へ呼び、希望を聞いていった。
門番たちは、互いに先に休むよう譲り合った。
受付係は、窓口へ入る交代要員の予定が決まってからでよいという。厨房長は保存食の仕込みが終わってから。整備係も、同じ設備を担当する者と重ならなければいつでも構わないらしい。
カイルは何人かの兵士と温泉へ行くつもりだった。
それでも、倉庫のひさしと訓練場の柵を修繕してから休みたいと言った。どちらも急ぎではないとガレスに確認されても、休暇中に壊れたら気になるという理由で日程を決めようとしなかった。
エルナは、皆の予定が決まってからでよいと答えた。
全員の希望を聞き終えても、表には一つも日付が入らなかった。
休暇を取りたくない者はいない。
クロイゼンへ帰省する者もいれば、市場で夏物や日用品を買いたい者もいる。
近隣の温泉へ行く相談も、川へ釣りに行く相談も始まっていた。宿舎からほとんど出ず、三日間を過ごすつもりの者もいる。
ラメールへ帰るつもりの者もいた。
午後の定期馬車で向かい、最終日の朝の便で戻るという。二泊はできるが、ゆっくり過ごせるのは間の一日だけらしい。
それでも、本人は十分だと言っていた。
皆、休暇の使い道は考えていた。
自分の日程だけを決めていなかった。
「では、明日までに希望日を記入してください」
予定表は各部署へ回された。
翌朝、戻ってきた表には、いくつか文字が増えていた。
受付係の欄には、交代要員の予定確認後。
厨房長の欄には、仕込み終了後。
カイルの欄には、修繕完了後。
門番の名前の横には、同僚へ先に記入するよう促す矢印が書かれていた。
日付を書いた者はいなかった。
「全員が、ほかの者の予定が決まってからと言っています」
エルナは空白の多い表を眺めた。
「気にした結果、誰も休めなくなっています」
ガレスは勤務表や当番表を机へ並べた。
北方支部の仕事が完全になくなる日はない。
仕事をすべて終えてから休もうとすれば、夏が来ても予定表は空白のままだろう。
頁に文字が浮かんだ。
『休暇も勤務予定のうちです』
エルナがその一文を読み上げた。
ガレスは俺の頁を確認し、休暇予定表へ視線を戻した。
「では、希望を待つのはやめます」
ガレスは勤務表や各部署の予定を確認しながら、休暇を割り振っていった。
門番は交代要員の当番と照らし合わせ、正門の勤務に不足が出ないようにする。
受付係も、窓口へ入れる者の休暇と重ならない日が選ばれた。
厨房長は保存食の仕込みが一段落したあと。整備係は、同じ設備を扱える者が残る日。
温泉へ行く者たちは、各部署で人員不足が出ない範囲で同じ休暇期間にまとめられた。カイルの修繕は休暇後へ回されることになった。
「温泉から戻ってからでも間に合いますか」
「間に合います」
ガレスが答えると、カイルはようやく自分の休暇日を受け入れた。
釣りへ行く者たちも、釣り道具を分けて持てるよう、同じ期間に休暇を割り当てられた。
クロイゼンへ向かう者には、朝の乗合馬車が出る日に合わせて三日間が割り当てられた。
北方支部からクロイゼンまでは、乗合馬車でおおむね半日かかる。
馬車は北西街道を南東へ進み、途中の小集落や放牧地で人や荷物を乗せ降ろしする。立ち寄る場所が多ければ、到着は少し遅くなる。
それでも三日あれば、故郷で一泊か二泊して戻ってこられる。
買い物のためにクロイゼンへ行く者も、乗合馬車の運行日に合わせて予定を組まれた。
宿舎で過ごす者たちにも、ほかの者と同じように三日間が割り当てられた。
敷地内にいるからといって、勤務に数えられるわけではない。
ほかの者たちの日付を決めたあとも、予定表には二つの空欄が残っていた。
北方支部長エルナ。
副官ガレス。
「ガレスさんが休暇を取ってからで構いません」
「支部長が先です」
そこから先は、どちらが先に休むべきかを、それぞれの立場から説明する時間になった。
二人とも正しいことを言っていた。
そのため、二つの欄は埋まらなかった。
「後ほど決めます」
ガレスはそう言って、予定表の原本を執務室の掲示板へ張った。
「問題がある場合は申し出てください」
後ほど二人の日程が決まるとは思えなかった。
掲示用の写しは、エルナが食堂へ持っていくことになった。
エルナは俺を小脇に抱え、空いた手に予定表の写しを持って執務室を出た。
食堂の掲示板へ写しを張ったそばから、近くにいた者たちが集まってきた。
厨房からは厨房長が顔を出し、食事を終えた門番たちも席を立つ。受付係や整備係も、誰かに呼ばれて予定表の前へやってきた。
自分から日付を決めることはできなかった者たちが、割り当てられた休暇を順番に確認していく。
「問題がある場合は申し出てください」
エルナがガレスの言葉を伝えた。
日程に不満を申し出る者はいなかった。
やがて、皆の視線が二つの空欄へ集まった。
エルナとガレスの欄だけが、何も書かれていない。
集まった者たちは、しばらくその空欄を眺めていた。
午後、エルナとガレスが別室の会議へ出た。
俺は執務室の机に開かれたまま残されていた。
しばらくすると、カイルや若い兵たちが入ってきた。
受付係は来訪予定表を持っている。
門番たちは警備当番表を広げた。
厨房長と整備係も、それぞれの部署に必要な人数を確認する。
皆で表を見比べ、エルナとガレスが同時に北方支部を離れず、ほかの者の休暇とも重なりすぎない日を探した。
それほど時間はかからなかった。
エルナの休暇は、最初に見つかった三日間。
ガレスの休暇は、その翌週に決まった。
受付係が原本の空欄へ日付を書き込んだ。
食堂の写しも、あとで直すことになった。
エルナとガレスが戻る頃には、休暇予定表はすべて埋まっていた。
「これは、誰が記入したのですか」
「皆で決めました」
受付係が答えた。
ガレスは予定表を掲示板から外した。
勤務人数に不足はない。
来訪予定にも支障はなく、エルナとガレスの休暇は別の日に設定されている。
警備当番や各部署の予定も、きちんと確認されていた。
カイルは、先ほどガレスが告げたのと同じ口調で言った。
「問題がある場合は申し出てください」
エルナは自分の日程を確認し、少し困ったように笑った。
「ありません」
ガレスはもう一度、予定表と勤務表を見比べた。
それから、執務室に集まった若い兵たちの顔を見渡した。
小さく息をついて、言った。
「ありません」
こうして、北方支部全員の休暇が決まった。
最初の休暇期間には、各部署から数人が休みに入った。
過ごし方は、大きく四つに分かれていた。
近隣の温泉へ向かう者たち。
川へ釣りに行く者たち。
乗合馬車でクロイゼンへ向かう者たち。
そして、宿舎で何もせず過ごすつもりの者たちだった。
クロイゼン組の一人が、若い門番だった。
以前、魔王様が北方支部を訪れた時、緊張のあまり兜をずらしていた兵士だ。
休暇の前日には、交代する門番へ何度も同じ事項を確認していたらしい。
必要な引継ぎは最初の一度で済んでいたと、交代した門番があとで話していた。
翌朝、エルナは外出する休暇組を見送るため、俺を抱えて正門棟へ向かった。
中庭では、宿舎で過ごす者たちの何人かが、花見をした木の下に敷物を広げていた。
花はとっくに散っている。
それでも、酒を飲む場所としてはまだ使えるらしい。
敷物の上には酒瓶とつまみが並び、すでに杯も配られていた。
まだ朝だった。
クロイゼン組や温泉組、釣り組が中庭を横切ると、木の下の一人が酒瓶を掲げた。
「土産、よろしくな!」
外出組の誰かが、振り返らずに片手を上げた。
正門棟の前まで来ると、温泉組が足を止めた。
誰かが声をかけ、カイルを含めた全員が横一列に並ぶ。
一人が妙に真剣な顔で敬礼した。
「我々が先陣を切って、温泉を偵察してまいります」
残りの者たちも一斉に敬礼する。
カイルも敬礼したまま、楽しそうに笑っていた。
「ゆっくり休んできてください」
エルナも笑って答えた。
続いて、釣り竿を担いだ兵士が一歩前へ出た。
「我々は糧食の確保に行ってまいります。夕食はご期待ください」
釣れなかった場合に備えて、昼食を多めに持っていることは黙っておくつもりらしい。
「期待しています」
エルナが答えると、釣り組の何人かが急に川の方角を気にし始めた。
外出組はエルナへそれぞれ挨拶し、正門を抜けていった。
エルナも俺を抱えたまま後を追い、正門外の馬車場まで見送った。
馬車場では、クロイゼン組が乗合馬車を待っている。
若い門番の隣では、市場へ買い物に行く者が、帰りの荷物を入れるための空の鞄を持っていた。
温泉組は着替えの入った荷物を背負い、釣り組は竿と籠を分けて持っている。
やがて、クロイゼン行きの幌馬車が馬車場へ入ってきた。
すでに、小集落へ戻る者や、放牧地へ道具を運ぶ者も乗っている。
クロイゼン組が荷物を載せると、馬車は北西街道を南東へ走り出した。
温泉組と釣り組も歩き始める。
二つの組はしばらく同じ道を進み、街道の先でそれぞれの方角へ分かれていった。
休暇に入った者が何人いても、北方支部の仕事はいつもどおり続いた。
正門には交代の門番が立ち、受付の窓口も通常どおり開かれた。
宿舎や木の下に休暇中の者がいても、仕事を頼みに行く者はいなかった。
緊急時を除き、休暇中の者へ連絡してはならないことになっていた。
◇
三日後、最初の休暇組の休暇が終わった。
カイルたちは、温泉の湯が予想より熱かったと話した。
王国側の屋台の串焼きは去年より銅貨一枚高くなっており、値上がりしたのは不満だったらしいが、結局食べていたらしい。
釣り組は、夕食を賄うには足りない魚を数匹持ち帰った。昼食を多めに持っていった判断は正しかったらしい。
宿舎組は、何もしないという予定をおおむね達成していた。
花の散った木の下で飲んでいた者たちは、二日目も同じ場所へ敷物を運んでいたという。花見以降、あの場所で杯を上げることにすっかり味をしめたようだ。
クロイゼン出身の若い門番は、馴染みの店で買った焼き菓子の箱を抱えていた。
休憩時間になると、エルナは俺を抱えて食堂へ向かった。
焼き菓子は机の上に並べられ、皆に配られた。
「クロイゼンはどうでしたか」
エルナに尋ねられ、若い門番は少し考えた。
「特に変わりありませんでした」
それだけ答えた。
だが、焼き菓子を受け取った者たちから道中のことを聞かれると、少しずつ話が増えていった。
街道沿いの放牧地では、羊の毛刈りが始まっていた。
村と呼ぶほどではない小さな集落の井戸端では、冷やした山羊乳が売られていた。
クロイゼンの市場には、薄い布地や日除けの帽子が並んでいた。
帰りの馬車は幌の中に熱がこもり、側幕を巻き上げると砂埃が入ってきたという。
「買い物に行くなら、帽子は早めに見た方がいいです。もう品数が減っていました」
次にクロイゼンへ行く予定の者が、食堂に張られた休暇予定表を振り返った。
若い門番は袖についた砂埃を払い、減っていく焼き菓子を眺めていた。
食堂の窓から差す光は、彼らが休暇へ入る前より少し強くなっていた。
外では若葉が風に揺れ、その向こうを雪割ツバメが低く飛んでいく。
ガレスは休暇を終えた者たちの欄へ、取得済みの印をつけた。
その下には、次に休む者たちの名前が書かれている。
夏は、もう街道の途中まで来ているらしかった。




