第51話
監視魔法が教室に張られてから、いたずらはぴたりと止んだ。
表面上は穏やかな日常が戻ってきたように見えた。
朝のホームルームでは教師の声がいつもより柔らかく響き、休み時間になるとクラスメイトたちはグループを作って笑い声を上げていた。
だがエリシアは知っていた。
これは静けさではなく嵐の前の静けさなのだと。
教室の後ろの席でイザベラの取り巻きの二人はいつものように小声で笑い合っていた。
けれど時折――本当に一瞬だけ――彼女たちの視線がエリシアの背中に突き刺さる。
「ちっ……」
舌打ちは小さくほとんど聞こえないほどだったが、エリシアの耳には確かに届いた。
苛立ちと焦燥そして何かを企むような粘着質な感情が混じった音。
チクチクと背中に刺さる感覚は日に日に強くなっていった。
授業中にノートを取っているとき、休み時間にレオンハルトと話しているとき、セレナがお菓子を差し入れてくれるとき。
エリシアは気にしないふりを続けた。
(あと少し……もう少し我慢すればきっと犯人がボロを出すわ)
放課後。
エリシアは教科書を鞄にしまい立ち上がった。
生徒会室へ向かおうとする足取りは軽かった。
そのとき――手がエリシアの袖を引いた。
セレナだった。
いつもなら駆け寄ってくる少女が、今は肩を小さく縮こませ不安げな顔で立っている。
頰は青白く大きなリボンが少しだけ傾いていた。
「お、お姉さま……あの……」
言葉が途切れ途切れに零れる。
エリシアは鞄を置いた。
「どうしたの、セレナ?」
セレナがドレスの裾を握りしめた。
唇を軽く噛み目を伏せ、なんとか笑顔を作った。
「あの……生徒会の人が……校舎裏で学園祭に使う木材のチェックをお願いしたいって……。私に伝えてほしいって……」
言葉の端々が途切れ息が詰まる。
明らかに無理をしているのがエリシアの胸に痛いほど伝わってきた。
(セレナ……あなた……)
エリシアはセレナの頭を撫でた。
「分かったわ。すぐに行ってくる」
隣で荷物をまとめていたレオンハルトが顔を上げた。
「僕も手伝うよ、エリシア様」
一歩近づき当然のように並んで歩き出そうとする。
だが――
セレナが慌てたように首を振った。
「い、いえ! レオンハルト様は……生徒会室に来てほしいって……!」
声が上ずり、瞳が一瞬怯えたように揺れた。
レオンハルトの足が止まった。
瞳に心配とかすかな違和感が混じった視線でセレナを――そしてエリシアを見た。
「……分かった」
小さな声でそう答えながらも、彼はエリシアをちらりと見た。
瞳が心配そうに揺れている。
エリシアは微笑み返した。
「すぐ終わらせるから先に行ってください」
レオンハルトは唇を一瞬開きかけて、でも結局言葉を飲み込み小さく頷いた。
「……気をつけてくださいね」
その声はいつもより少し低く、どこか不安を押し殺した響きがあった。
二人が教室を出ていく背中を――
後ろの席からイザベラの取り巻きの一人がニヤニヤと口元を歪めて見送っていた。
瞳に冷たい満足感が光る。
誰にも気づかれぬ勝利の合図。
扉が閉まる音が響いた瞬間――
セレナはその場にぺたりとしゃがみ込み両手で顔を覆った。
「うっ……ひっく……」
小さな嗚咽が静かな教室に漏れ出した。
セレナは必死に涙を堪えていた。
指先が頰を強く掴み爪が皮膚に食い込むほど力を込めている。
ぽろぽろと涙が零れ床に染みを作った。
「ごめんなさい……お姉さま……ごめんなさい……。私……嘘を……」
繰り返す言葉は誰にも届かない。
ただ教室にセレナの鳴き声だけが虚しく響いていた。
夕陽が彼女のピンクの髪を赤く染め長い影を床に落としていく。
その影はまるでセレナの心のように歪んでいた。




