第44話
演習場に着くと――広大な円形のアリーナが朝の日差しに照らされていた。
強固な結界がすでに張られ、周囲の観覧席にはクラスメイトたちが次々と座っていく。
エリシアは足を止め地面を見下ろした。
「ここ……入学試験の」
あのときの衝撃がまだ土に残っているような気がした。
ヴァレリア先生が中央に立ち、巨躯をさらに大きく見せながら腕を組んだ。
「結界は発動済みだ。もう一度言うぞ。非殺傷魔法のみ。決定打一発でも当てれば勝ちだ」
イザベラが一歩前に出てエリシアに向き直る。
「では始めましょうか。エリシア様」
結界がさらに強く輝き二人が対峙した。
イザベラが手を翳した瞬間――濃い霧が一気にエリアを覆い尽くした。
視界がほぼゼロになる。
イザベラは霧の粒子と屈折率を巧みに操って無数のイザベラの幻影をエリシアの周囲に揺らめかせた。
どれが本物のイザベラかわからないほどの精巧さだった。
霧に触れるたびエリシアの体が重くなり、じわじわと力が抜けていく。
霧自体が魔力を含んだ粒子で、接触するだけで体力を削る仕組みだった。
「近距離戦がお得意ですものね。この霧の中ではどうかしら?」
イザベラの声が霧の中のどこからか冷たく響いた。
幻影のどれかが微笑んでいるように見える。
観覧席からカイルの興奮した声が飛び出す。
「おいおい霧魔法かよ! あれじゃエリシアの拳も当たらねえぞ!?」
エリシアは拳を振り抜いたが、幻影に惑わされて空を切るだけ。
すぐに霧が凝縮し四方八方から柔らかな霧の塊――「霧弾」が飛んできた。
軽い衝撃で水の塊をぶつけられたような感覚。
決定打にはならないが体力をさらに削られる。
エリシアは体を低くして霧弾をかわした。
(降参を待ってる……? 本気で傷つける気はないみたいだけど……)
幻影の動きから本物の位置を推測しようとする。
だが霧弾の連射が隙を与えず体がますます重くなる。
バシュッ!
その瞬間――幻影の影からキラリと光る何かが超高速で飛んできた。
エリシアの感覚が鋭く警鐘を鳴らす。
(殺意!?)
咄嗟に身を捻りギリギリで回避。
ドスッ!
地面に刺さったそれを見ると、認識疎外の魔法陣が刻まれたナイフだった。
(非殺傷ルール違反……イザベラ、あなた……!)
エリシアの瞳が鋭く細まり、怒りの炎が一気に燃え上がった。
「そっちがその気なら――!」
微弱な魔力を限界まで全身に巡らせ、拳に集中させる。
レーヴェント家の血が脈打ち、地面を睨み据えたその瞬間――
本気で、渾身の力で地面を殴りつけた。
ドゴォォォォン!
爆発的な衝撃波が轟音とともに四方八方に広がり、演習場の土煙を巻き上げて霧を一瞬で粉砕した。
幻影がビリビリと歪み、霧弾が次々と弾け飛んで消滅。
空気が震え、結界がビリッと悲鳴を上げ、晴れ渡った視界にイザベラの姿が露わになる。
強烈な風圧が彼女を直撃し、スカートがバッと激しくめくれ上がり、体勢を崩してよろめかせる。
「きゃあっ……!?」
イザベラが慌ててスカートを抑える隙に、エリシアは一気に距離を詰めた。
拳を顔面の前に突き出し――スレスレで止める。
バシュンッ! ゴォッ!
衝撃波がイザベラの後頭部を突き抜け、金髪が激しくたなびいた。
「きゅう……」
イザベラが目を白黒させて、その場に崩れ落ちた。
ヴァレリア先生の声が演習場に響き渡る。
「勝負あり!! エリシアの勝利!!」
クラスが一気に爆発した。
カイルが立ち上がって拳を振り上げ、興奮の声を上げる。
「すげえええ!! エリシアやるなぁ!」
セレナは観覧席で両手を胸の前で握りしめ、怯えた顔のままエリシアを見つめていた。
「お、お姉さま……無事でよかった……」
取り巻きたちが慌てて駆け寄り、イザベラを抱え上げて救護室へ運び出す。
「イザベラ様、大丈夫ですか……!」
レオンハルトが駆け寄ってきた。
瞳が心配と安堵で潤んでいる。
「エリシア様、無事で……よかった」
「えぇ……なんとか」
エリシアは地面に刺さっていたはずのナイフの方に視線を走らせた。
――だが既に何も残っていない。
霧の幻影だったのかそれとも……
救護室。
柔らかな薬草の匂いが漂うベッドでイザベラは目を開けた。
取り巻きの令嬢たちがベッドの周りに心配そうに控えていた。
「……あの女に負けたなんて……」
イザベラの唇から掠れた声が漏れた。
シーツの上で拳をぎゅっと握りしめる。
爪が掌に食い込むほどの力だったのに痛みすら感じない。
胸の奥に残ったのはプライドがズタズタに引き裂かれた屈辱だけ。
完璧だったはずの自分があんなみっともない姿で倒れたという事実が波のように繰り返し押し寄せてくる。
「……許さない……」
確かな決意を込めた呟き。
「……絶対に許さないわ……」




