第17話
一行は森の道を少し外れ、大きな樫の木陰に馬車を停めた。
柔らかな木漏れ日が地面に落ち、戦いの熱気が少しずつ冷めていく。
母は馬車の中で静かに眠ったまま、マリアがそっと毛布をかけ直していた。
エリシアは木の根元に腰を下ろし、膝を抱えた。
血の匂いがまだ鼻に残り、頰にかかった血痕が乾いてカサつく。
レオンハルトはすぐ隣に座り、手を握ったまま離さない。
リリアナは水筒と清潔な布を手に、エリシアの前に膝をついた。
「エリシア様……頰に血が」
優しく微笑みながら、布を水で濡らし、軽く絞る。
リリアナはエリシアの顎にそっと指を添え、顔を上げさせた。
「失礼しますわ」
濡れた布で、頰の血痕を丁寧に拭いていく。
冷たい感触が肌に触れ、渇いた血が少しずつ落ちていく。
「……これで、少しは楽になりますか?」
リリアナの指先は優しく、しかし騎士らしい確かな手つきだった。
エリシアは小さく頷いた。
「……ありがとうございます、リリアナ様」
リリアナは布を畳み、今度は小さな革袋とカップを取り出した。
革袋からハーブを取り出し、カップに入れ温かいお湯を注いだ。
甘く優しい香りが木陰に広がる。
リリアナはカップをエリシアに手渡した。
「ゆっくり飲んで。心を静めてくれます」
エリシアはカップを両手で包み、香りを吸い込んだ。
温かさが指先に伝わり、震えが少し収まる。
一口啜ると、喉を滑り落ちる優しい苦みが胃を落ち着かせた。
リリアナはエリシアの肩に手を置き、静かに言った。
「初めて人を傷つけた後……私もこうでしたわ。目を閉じて、ゆっくり息を吸って……吐いて。体に残る戦いの熱を、外に出すのです」
エリシアは促されるまま目を閉じた。
リリアナの声が優しく導く。
「……吸って……ゆっくり吐いて」
深呼吸を繰り返すうち、胸の締めつけが少しずつ緩んでいく。
鉄臭い血の匂いが、甘いハーブの香りに薄れていく。
(……今、ここにいる。木陰。みんながいる。安全……)
レオンハルトがそっとエリシアの肩に触れ、魔力を流し込み温かさを伝えてきた。
「……エリシア様。僕がいます」
その声に、エリシアの涙がぽろりと零れた。
リリアナは微笑み、背中を優しく撫でた。
「あなたは悪くない。自らの命、仲間たちの命を守っただけですわ」
木陰の風が優しく吹き抜け、血の匂いが少しずつ薄れていく。
エリシアはカップを空け、深呼吸をもう一度。
胸の重みが、少しだけ軽くなっていた。
小一時間後。
一行は再び馬車隊を整え森の道を進み始めた。
エリシアは馬車に戻り母の寝息を確認しながら自分の手を見つめた。
血の匂いが鼻に残り時折吐き気がよぎる。
(強くなった……のかな。でも心は……こんなに揺れてる)
でも仲間たちの声が少しずつ恐怖を溶かしていくのを感じた。
戦闘の余韻がまだ残る中、みんなの声は少し控えめだったが、カイルの明るい冗談やレオンハルトの言葉が徐々に空気を和らげてくれた。
夕暮れが近づく頃森が開け遠くに壮大なシルエットが浮かび上がった。
高い城壁が夕焼けに赤く染まり輝く塔々が空に向かって鋭く突き立っていた。
行き交う人々馬車の列門の上で翻る旗――
異世界の首都王都エルステリア。
エリシアは窓から王都の壮大なシルエットを眺めた。
そっと息を吐く。
血の匂いがまだ鼻に残る。
でも――窓外の賑わい。
隣で寝息を立てる母。
並走する馬車から時折視線を向けてくるレオンハルトの姿。
カイルの元気な手振り。
リリアナの笑顔。
エリシアは手を握りしめ頰を緩めた。
(新しい生活が始まる……。みんながいる。きっと大丈夫)
馬車が王都の門をくぐり街の喧騒が少しずつ近づいてくる。
一行はようやく到着した。
だがエリシアはまだ知らなかった。
ここで待つ新しい出会いと試練を――。




