居酒屋奇譚②「お子様と煙」
就職浪人中の身で、遠出したみたいです。
せっかくの自由な時間ですから、いろいろ学ぶと良いのです。
居酒屋奇譚②「お子様と煙」
「呑みに行く」その目的をもってしても、陽炎が揺蕩うアスファルトをあぶり続ける太陽の下を歩いていくという現実は不愉快極まる事実だった。
その日は、その年、何度目かの線状降水帯のニュースが報じられた茹だる様な気温の日だった。ニュースで天気の話題を取り上げる年配のキャスターも、心なしかイカレタ日差しの下でしなびてしまっているように見えた。
夏を半ばすぎたとはいえ、なお猛暑が続き、おそらく秋にまで夏日は延長しそうな勢いだったのに、唯一の対抗手段であるエアコンは三日前に過剰労働への苦情めいた音を立てたのちに沈黙してしまっていた。
アンティークなお部屋の飾りとして置いてあった扇風機は、ストーブもかくやと言う熱風をかき混ぜるばかりで、少しも涼しくない。
最期の戦友として冷凍庫から取り出したアイスクリームが、スプーンを取り出すのに手間取った一瞬の間にみるみる溶けて「若干冷たく、甘い水」と化した時に、俺は自室から撤退する事を決定した。
退避先は駅前の居酒屋。営業時間よりやや早めだが、この炎天下に客を放り出すことはあるまい。逃避行の余力があるうちに移動すべきだろう。
陽炎と戯れつつ焼けたアスファルトを進むと、それだけは何とか見つけたたった一つの避暑道具である帽子のつば越しに人影の絶えた町がユラユラとしているのが見えた。
俺の靴の裏を炙る事にまい進する舗装道路は、まるで本来の人の往来と言う役割を果たしておらず、ただただ熱いだけの空間を俺に提供していた。
ビルに囲まれた居酒屋への道は、まるでこの世界が最初からそうであったかの様に無人で、あたかも俺だけの世界であるかのように装っていた。
はからずも世界の王様に就任した俺は、しかし、かしずく家臣も治めるべき領地も無い裸の王様って訳だ。途中から涼を求めて川沿いの道に出たが、吹いてくるのは熱風ばかり。
この世の最初から俺をゆでる事がその役割と言わんばかりだ。
トボトボと、家来はおろか己の影すら伴わず、やっとの思いで行きつけの居酒屋の前にたどり着いたとき、その入り口が大きく開け放たれているのを確認した。
王の帰還を歓迎して城門を開いて歓呼の礼で迎え入れている・・・のではない。
その開け放たれた入り口には張り紙が一枚・・・そこには、破壊と破滅の呪文が大書されていた。
「冷房故障中。閉めないでください」・・・素晴らしい、たった2センテンスで状況説明と要求内容が何の不足もなく示されている。
噂に聞くデルフォイや熱田の神託でさえ、ここまで明確な内容では無いだろう。俺は、1%の怒りと99%の呪いを胸に、居酒屋の入り口をくぐった。
店内には大小さまざまな扇風機と言う名前の熱風攪拌装置が、口々に不平不満を「ブーン」とぶち撒けながら更なる仕事の元となる俺こと王様の帰還を首を左右に振って拒否していた。
「一人だ」と、来店した知らせと、来店人数を店奥へ告げると、胡麻塩頭にねじり鉢巻きと言う恰好だけは威勢の良い店主がカウンターを目で示しつつ「いらっしゃい」と告げる。
そして、俺の顔を見ると一瞬だけギョッとした表情を浮かべた。
ふん、崇め奉るべき王の帰還にやっと気が付いたか・・・って冗談は置いておいて、まずは注文を。「ビール、それと今出せるもの」店主は復唱する。
「生は機械が故障している。・・・酷使したからな。瓶ビールになる。とりあえず、白菜の漬物を出す。おって枝豆だな」俺は承諾して、熱風攪拌機の射程外のカウンター席に陣取る。
店員がそっと香炉を俺の前に差し出す。少し煙いが落ち着くいい香りだ。
なるほど、物理的に温度に干渉できないのであれば、精神的余裕を惹起する事で暑さに対抗しようって寸法か。
まだ学生っぽい若い女性の店員だが、戦略的には正しく思える。なかなかの策士だな。俺の宰相として召し抱えてもいいかもしれん。
ふと気が付くと、カウンターには先客が一人いた。
俺の王国最初の臣民か・・・。臣民は俺に話しかける。「ここはメニューが少ないから、迷わなくていいですの。」
・・・ですの?面白い話し方だなと思い、まじまじと見ると相席相手は奇妙な存在だった。
見た目の年のころは10代前半くらいか?中学生のような見た目なのに作務衣の様な服を着ている。
子供のような見た目なのに、瓶ビールを手酌で傾けている。
・・・おいおい、子供にビールはまずいだろ・・・とは言え、グラスのビールを飲み干す仕草はなかなかに堂に入っている。
奥から店主の声がする。「冷蔵庫がイカレててね。いつもはもう少しまともな物も出せるんだよ。」
お子様は答える。「構いませんの。たまには、こういう趣向もいいものですの。」
優雅な口調とは裏腹に、溶けて流れそうな雰囲気の顔つきだな。ビールで冷やさないと、早晩蒸発してしまいそうな風情だ。
キンキンに冷えたビールとキンキンに冷えたコップ、そして白菜の漬物が提供されてくる。瓶ビールとはずいぶん久しぶりだが、栓抜きは問題なく使えた。
この手の技術は、使わなくても衰えるってことは無いらしい。我ながら頼もしい限りだ。
お子様が、白菜の漬物を一口舐める。・・・おい、人の漬物をかっさらっておいて、しかめっ面で突っ返すってのはどうなんだ?
「それは、好きにすれば良いですの。」って・・・だめだ、暑さで怒りも陽炎のようにままならない・・・まあ、いいか・・・。
お子様は茹った様な顔色で問いかけてくる。「この暑いさなかに、本来の住処から這い出てきたんですの?」
俺は答える。「本来の住処だろうと、俺に相応しくなければ出てくるさ。正しい居場所ってのは、自分で探すもんだ」
お子様は目を丸くして言った。「居ていい場所って、自分で決めて良いんですの?」
俺は答える。「当たり前だ。みんなそうしてる。お前もそうすればいい。」
お子様は感心したように言う「それは考えませんでしたの。してみると、ここはこの身には相応しくなさそうですの。少々暑すぎですの。」
・・・どうでも良いが、お前が自分のグラスに注いでるビールは俺のだ・・・。お前のは、お前の目の前に空になった瓶の形で置いてあるだろ?
仕方がない、俺は追加でもう一本ビールを注文する。出てきた瓶の栓を、卓越した手わざで抜いてからグラスにビールを注ぐ・・・その突き出したグラスは、注げって言ってんのか?
「早く空けてしまわないと、せっかくのビールが温まってしまいますの。」・・・なぜ、良いことしてる風に胸を張るんだ・・・。
枝豆を用意している店主に話しかける。「この辺も暑さのせいか人影が全くなかったな・・・この暑さは何時まで続くんかなあ」
店主は枝豆を皿に盛りながら応える。「さてねえ。あの件以来、だいぶ人も減ったからねえ。先に行っちまった連中の方が、却って心配なのかウロウロしている感じだよね」
あの件・・・ああ、落雷の後の山火事か・・・。
そう言えば、ウチのエアコンも落雷でガタが来たんだったな。あの後も少しの間は動いていたんだから、むしろよく働いていたって事かな。
枝豆を摘まみながら愚にも憑かない事を考える。
店主が続けている。「ご自宅の辺りの人出はどうですかね?」
俺は答える。「全く見当たらなかったな。暑さでへばってるのかも知らん」
店主は更に続ける。「オタクも、そろそろじゃあありませんかね?」
ほう、王様はそろそろ退位しろってか?部屋でじっとしてられんから出て来たんだぞ?
店員が御香を追加する。
店主の物言いにイラっと来ていた怒りは、また1%に戻る。
結局、腹はすいていなかったから、ビール一本と白菜の漬物と枝豆で何となく満足してしまった。
ふと見ると、お子様が見当たらない。勝手に追加したらしいビールの空き瓶が2本と、グラス一杯分ギリギリ残ってる瓶が1本。
最後の一杯をグラスに注ぎ・・・この勘定は、俺持ちなのか?
人と話して頭を冷やし、ビールでもって腹を冷やした。こんなもんか・・・。2個目の御香が燃え尽きる。
「御身も、そろそろ相応しい場所に移動すると良いですの。」困っしゃくれた声が聞こえた気がした。
「・・・消えちゃいましたね」店員が言う。
「うん、一応は満足したんだね」店主が応える。空の瓶と皿を片付けながら、店主が続ける。
「何しろあっという間だったからね。あの人の家の周辺一帯、落雷直後にわっと燃え上がっちゃったんよ。
猛暑で乾いてたからね。線状降水帯なんてのもある地方もあんのにね」店員が質問する。「ずっとあのままなんですか?」店主は応える。
「いや、だんだん数は減ってるから、何かのきっかけで成仏するみたいよ。まあ、本当なら一族の人たちが祀ってあげるのが良いのだろうけど、この辺りもめっきり人が少なくなったからね。
いつもは土の下で寝てても人恋しくなるんじゃない?」店員は問いを重ねる。「店長さんは怖くないんですか?」店長は応える。
「知らない相手では無いし、いずれ私がアッチに行ったら立派な先輩だ。今の内から媚を売っておくのも悪く無いんじゃない?・・・それに、枯れ木も庭の賑わいってね。
せっかく店を開けてんだから、来てくれりゃ、誰でもうれしい客さ。」・・・ふむ、王様は炎上する城と運命を共にしたらしい。なるほど暑い訳だ。・・・ああ、熱い訳だ。
店員が店長に確認している。「塩とか撒かなくていいんですか?」店長は応える。
「ああ、いいよいいよ。居なくなってほしい訳じゃないから。
ただ、留まってるのは具合悪くないかなあって気になるだけ。また来るなら、いつも通り迎えるだけよ」
店主には、もう俺が見えていないらしい・・・今日のところはお開きかな・・・。人もまばらになったこの地域に、最後に残った一軒だ。つぶすのは惜しい。もう少し通っていくか。
店員が、3個目の御香に火をつけた・・・。
終わり
こういった地域では、おいしい料理を出すことよりも、お店を開き続けることの方が大事なのかも知れません。
皆さんは、旅先で口にしたもので、思い出に残ってる食べ物はありますか?
私は、シロップのかかってないかき氷です。
透明なシロップだと思って、口に入れるまで気が付きませんでした。
忙しいと、お店の人もついウッカリしちゃうんでしょうね。




