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オヤクメを背負いしもの、この世が埋もれた果てで、希望の光を受け取る。  作者: ヒゲ博士
第一章 【岩の塔】

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固くて温かいもの

 遠くで響いていた地鳴りのような咆哮と、肉を引きちぎる凄まじい絶叫。

 生ある者同士の争いの音は、嘘のようにぷつりと途絶えた。劇薬のような血の匂いと、焦げ付いたマグネシウムの煙だけが、凪いだ風の中で微かに澱んでいる。

 獣たちの血で血を洗う乱戦は、もう終わったのだ。


 剥き出しの硬い岩肌に掘られていた狭い横穴。アンはそこに這いつくばり、激痛の走る脇腹を抱えて荒い息を吐いていた。


「……ここは?」

「『ネズミ』の古い大巣穴だ。」

「ネズミ??そ………あのネズミなの?ネズミって私たちがはいれるような穴をつくるかな…。」


 もはやここまで見てしまえば、アンは全てを信じる事はできない。少年が言うネズミがただのネズミなわけがないのだ。

 だが期待外れもいいとこな、返事がすぐに返ってくる。


「どのネズミだよ。」

「複数いるんだ…。」


 アンは少年との会話のズレがどこで起きるのか、明確に気づいた。

 この大陸に生きる動物は適応したものしかいないということに。みんなあの狼と猪のように、負けないように形を変えたものたちなのだ。

 そうなると、この横穴がアンの想像しているネズミとは大幅に違いそうだ。


「……よくわからないことばかり言うんだな。ここらで入れそうな穴はこれしかなかったし、音も遠い。半日くらいなら狼には見つからない。」


 穴の入り口で外の様子をうかがいながら、ぶっきらぼうに言った。整った顔が横を向いて、入ってくる光が照らしいて、まるで薄い衣が透けるような白さに、アンは見とれていた。


(…綺麗な顔。)


 アンのトキメキを知らず、少年は手際よく泥と苔を混ぜ合わせたていた。

 団子のようになったそれを、躊躇いなくアンの引きちぎられた防護服の隙間、生身の傷口へと押し当てた。

 べちゃっとした気持ちの悪い感触の底から、ジリジリと熱くなってくる。


「つ、あうっ......!しみるぅうう。」

「う、うるさいやつだな。あんまり騒ぐと見つかるぞ。」

「なら言ってよ。なんでそんな急に…。」

「仕方ないだろ。血の臭いで近づいてくる動物もいるんだ。赤みも引くし、多少ましだ。我慢しろ。」


 塗りたくられる泥は、まるで傷口に塩で、歯噛みして耐えるしかない。

 涙目になりながらも堪え、アンは少年に礼を尽くす。


「あ、ありがとう。そのええと…あなたの名前は?」

「…俺たちの言葉はお前にはわからない。それでも名乗るなら、エルドラフ。」


 アンはすぐになんで?と返しそうになったが、口に含んで我慢をした。

 意味が深そうな話し方を追求するのは簡単だ。だがそんな事を追求し続けていては、何時まで経っても時間が足りない。なので肝心な事を聞く事にシフトした。


「エルドラフ。なんで私を助けたの? さっき、命を無駄にする奴は大嫌いだ、って……」

「聞きたいことがあるって言ったろ。なぜなら…」


 エルドラフはすり鉢と棒を腰巾着に入れたあと、アンの顔をじっと見つめた。その冷徹だった碧い瞳に、わずかな揺らぎが混ざる。


「お前がミナミに瓜二つだったからだ」


 予期していたとしても、言葉が詰まる。まさか母親と会ったことがあるとはっきり言われてしまうと、アンは黙らずにいられない。


「昔、飢え死にしかけていた俺を助けてくれたんだ。それだけじゃない。この大陸での生き方を教えてくれたんだ。恩があるんだよ。だからあんたを助けたんだ」


 見知らぬ子供にも手をかける。間違いなく母親だ。アンの頭の中にわき上がってきたのは、母親の言葉だ。

 

【だから、ちゃんといい子で待ってて。お土産だって期待していいのよ!】


 アンは手を胸に寄せて、鼻の奥がツンと刺激される。のども震えてうまく声が出なくて、最後には目尻から涙を流していた。

 突然の涙に、少年は驚いて、あたふたと動いている。


「きゅ、急に泣くやつがあるか?!どうした?!!おなか痛いのか??!」

「……お母さんのお土産を受け取れて嬉しくて…」

「??」


 心中を推し量るのはまだまだ関係性が浅い。それでも


「やっぱり母親だったんだな…。」

「うん。自慢のお母さんなの。」

「そうか、なら話は簡単。俺はあの人に恩を返さないといけないんだ。あの人は今どこに。」


 ここでやっと話が戻った。アンは自身の目的を思い出して、心の光が影に遮られる。

 次第に暗がりが生えだすアンの顔を見て、少年は察しがついた。


「……まて。倒れてるのか。」

「……うん。寿命が…あるかも…。」

「やっぱり。間に合うのか…。」

「ま、間に合う?なにかしってるの?」


 会話のラリーを切り、少年は腰巾着から紙を取り出す。折りたたまれた紙を広げると、地図が描かれている。

 島の中心にある森を指さしてアンの目を覗く。


「ここがグレンリボの森。」

「グレンリボ?変な名前。」

「その変な名前の森で、ミナミは衰弱し始めたんだ。ここの胞子は毒性がある。甘い味で虜にする人食いの木。恐らくだがミナミはそれにやられてる。」


 初めて病名を教えてくれそうで、アンはエルドラフのボロ布の袖を掴み、必死に身を乗り出した。

 察したエルドラフは静かに頷き、腰の革袋から、琥珀色に怪しく光る結晶の詰まった小さなガラス瓶を取り出した。


「これがその治療薬。ミナミに届けたいんだ。」


 ガラス瓶を見つめるアンの瞳に、確かな、まばゆいほどの希望の光が宿る。


「それを、お母さんに……」

「ああ。だが、これは毒にもなる。狼の胃酸で溶かしたものだから、どれほど効果があるからわからない。だから届けるのはなやんだが…。」


 エルドラフはガラス瓶をしっかりと握り締める。


「この手に救いはある。なら、やることは一つだ。……あのクソ高い堅牢な檻に、これを持って戻るぞ、アン」


 戻るには遠すぎる、遭難したら終わりだと、一度は絶望した外の世界。

 けれど今、アンの手には少年の逞しい腕があり、胸には母を救うための本物の「特効薬」があった。

 アニューの腕時計の赤いセンサーが、二人の生存を示すように、静かに、力強く明滅を始めていた。



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